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Get Back (第一話) [ロック音楽]

ディズニー・プラスが動画配信をしている「Get Back(第一話)」を観た。これは、1969年1月に行われた「ゲット・バック・セッション」の様子を時系列で追ったドキュメンタリーである。ホワイト・アルバム発表後、ブライアン・エプスタインが亡くなったこともあり、ビートルズは迷走していた。そのような状況を打開するために、ポールはデビュー時のようにオーバーダビングなしのライブでアルバムをつくり、コンサートツアーを行うことを提案した。このアルバムが「ゲット・バック」である。
 ドキュメンタリーは三話からなるが、第一話はトゥイッケナム・スタジオでのセッションを辿ったものである。トゥイッケナム・スタジオはロンドンの西郊にあるフィルム・スタジオで1月という時期もあるのかもしれないが、何とも寒々しい感じのするスタジオ。そこに集まって、セッションをするビートルズの面々はてんでばらばらで、観ているものをハラハラとさせる。どうにか、いいものをつくろうと孤軍奮闘しているのがポールで、ジョージとジョンはもうアリバイ的にいやいやと仕事をしている感が透けて見える。こりゃ、普通は切れるわ!という状況でポールはそれでも頑張って、残りの白けたメンバーにやる気を喚起させようとしている。ポールは、どうにか曲をいい感じでアレンジしたいのだが、他のメンバーは本当、おざなりな対応をしている。いや、とはいえジョージの気持ちは分からないでもない。ジョージの「俺はクラプトンのようには弾けない」的な発言を聞くと、ジョージ、お前も二人の天才に挟まれていて辛かったんだな、と同情したくなる。ジョージの「ポールなあ、俺はおまえのような天分はないんだよ。文句を言うならお前がギターのバッキングも考えろよ」と言いたくなる気持ちは分かる。ポール、自分が見える(聞こえる)ことが他人も見える(聞こえる)と思ってるんだろうなあ。自分ができることをジョージができないのは、ジョージの努力が足りないぐらいに思ってるんじゃないかな。ポールのある意味での人の良さというか楽観的なところが、ジョージにはより辛い状況をもたらしている。天才も難しいけど、天才と一緒に仕事をする普通の人も大変だということが見て取れた。ジョージ、結構、いい奴である。
 それに比して、ジョンは怖い。あの目つきは、もう周辺の空気を緊張させる。遅刻はするわ、常にオノ・ヨーコはいるわ、ジョージがアイ・ミー・マインをみなに紹介している時には、勝手にワルツを踊るわ。ヨーコと二人で完全にカプセルの中に入って、コミュニケーションを遮断している。
とはいえ、そこは不世出のミュージシャンの集まりである。ポールが紡ぎ出すメロディー、リズムへのジョンの反応は天才的なものがある。ジョージも即座に素晴らしいギターのメロディーを加えていく。そして、何よりさっとつくるコーラス・メロディーは驚嘆さえ覚える。そして、ジョンやジョージの楽曲に対するポールの条件反射は、もう天才的ではなく天才そのものだ。ベース・ラインがもう天から降ってくるという感じであり、ここらへんはこのドキュメンタリーの見所の一つであろう。
 ビートルズに比して、プロデューサーのグリン・ジョンズを除くと、結構、みんないい加減で無責任な奴らが多いのは興味深い発見であった。宮崎駿をプロデュースする鈴木敏夫のような優れた人たちに囲まれてビートルズは仕事をしていたのかと思ったら、実際はビートルズという甘い蜜に群がったくそ野郎みたいな輩が多くて、これは驚きであった。エプスタインが亡くなった後、ビートルズを守ろうとか、ビートルズのために動いた人はいなかったのかな、と思わせられる。まあ、大金持ちであっても、まだビートルズ30歳にもなっていなかったのではないだろうか。この状況じゃビートルズも解散せざるを得ないだろうとビートルズに同情する。
 そして、この映画でビートルズの面々と同じぐらいに存在感を放つのがオノ・ヨーコである。驚くのは凄まじい存在感を放つ美貌の持ち主であることと、その黒ずくめの格好は、ビートルズのその後の将来(解散)を暗示させる不気味なるオーメンのように見えることである。ほとんど無口であるし、たまに奇声で「ジョン、ジョン」と連呼させるところなどは、何かが憑依しているようで、日本人の私でさえ不気味に覚えるのだから、西洋人はなおさらであろう。それは、常に無口でジョンに寄り添うその姿は、あたかもジョンの背後霊のようで、ビートルズにとりついた死神のようである。それに比べると、リンダ・イーストマンの凡庸な立ち振る舞いは観ているものを安心させる。いや、リンダもオノ・ヨーコのように実家は大金持ちなんだけど(リンダの実家はイーストマン・コダックのイーストマン)。
 あと、リンゴの存在感の薄さも印象的であった。寡黙で、今の饒舌なリンゴとはまったく違うキャラクターである。ジョンやジョージがポールと距離をとる中、ポールと一緒にいたり、ポールが紡ぐ天才的メロディーに反応するところなどが好ましい。しかし、ジョージよりさらにビートルズというバンドでの立ち位置は薄かったんだな、ということが理解できる。
 第一話はジョージがビートルズを脱退すると宣言したところで終わる。ポールが、ジョージが戻らなければクラプトンに連絡する、と発言したところなど興味深かった。ただ、このドキュメンタリーをみていると、ジョージが辞めた理由は、自分の曲への反応が今ひとつであったことやポールの要求が五月蠅かったというだけでなく、ゲット・バック・セッションのコンサートの企画の馬鹿馬鹿しさに辟易したことも大きかったのではないか、と思わせられる。その企画を提案した人たち(映画プロデューサーのDenis O’Dell等)に対して「Completely Insane(100% 気が狂っている)」といって却下したが、これはどうみてもジョージが正しい。なぜ、ライブをするのにアラビアまでファンを連れて行かなきゃいけないんだ。本当、ビートルズに群がったハエどものセンスの悪さを、無責任さに腹が立つ。まあ、この企画に対してはポールは肯定的であったが。
 ということで、この作品のためにディズニー・プラスに入ってしまった私であるが、なかなか見応えのあるいい作品であったかと思う。これから第二話を観るので、また、感想も変わるかもしれないが、変わる前に直後の感想をここに記させてもらう。

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小山田圭吾の壮絶ないじめ告白について無責任に考察する [ロック音楽]

小山田圭吾が1990年代にロッキンオンの取材で、中学と高校時代に陰惨で卑劣なイジメをしたことを自慢したことで、オリンピックの楽曲メンバーを辞退することになった。小山田は小学校、中学校、高校と和光学園というお坊ちゃま・お嬢ちゃまの私立学校に通う。ということで、このイジメは和光学園でやられたことだが、「うんこを食べさせたうえにバックドロップをした」「パンツを脱がせて女性生徒のいる廊下を歩かせた」というイジメを実際に行って、それを学校側に見つからないことはちょっと考えにくい。おそらく、ロッキンオンという雑誌への取材ということで、そうとう盛ったのではないかと考えられる。
 小山田の実家はお金持ちである。音楽一家でもあるし、才能は間違いなくある。ただ、つくる音楽はロックというよりか、お洒落系の軟派な音楽である。ロッキンオンを読むレッド・ツェッペリンとかメガデスとかが好きな層に、お前等、自分のことを軟弱なミュージシャンと思っているかもしれないが、俺のサディスティックな狂気を知ってビビるなよ、みたいな気持ちがあったのではないだろうか。いや、知らんけど。
 そういうことで、小山田はちょっとした冗談(趣味は悪いが)的に大袈裟に言ったことが、今回、大炎上して同情はしないがアホだなと思っている自分がいる。しかし、それじゃあ寛容な気持ちになれるかというと、まったくそういう気持ちにはなっていない。なぜなら、小山田本人よりも周りにろくでもない輩がたくさんいることが分かったからだ。例えば、いとこの音楽プロデューサーの田辺晋太郎は、この件で「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」とツイートした。さらには、小山田の所属するバンド「METAVIVE」のメンバーであるゴンドウトモヒコ氏は「偉いよ小山田くん。受け止める。いい音出してこう!!!!! 寧ろ炎上なんか◯◯喰らえ」とツィートした。さらに、これは昔の話だが、前述したいじめ取材をしたロッキンオンの編集者はいじめ被害者と対談するという破廉恥な企画を具体化すべき、被害者の家まで行っている(もちろん、断られる)。
 ということで、小山田にしろロッキンオンにしろ、「イジメが悪いような偽善的な風潮が世にはびこっているが、身障者をみたらいじめたくなるのが人間の本性だろう!」みたいに、本音を曝け出すことを是とするような、「不良の正義」みたいなことを主張することが格好いいというか、ロック・バンド的に正しい、みたいに当時は思っていたのかもしれないな、と考察したりしている。
 ロックをする人は多くの場合、いじめられっ子である。ビートルズだってジョンは母さんや運命にいじめられたし、ポールも母親を失ったことでロックに走る。他にもマリリン・マンソンやフィオナ・アップル、アラニス・モリゼット、クリスティナ・アギレラとかが浮かぶ。まあ、中にはZZトップのビリー・ギボンスのような裕福な家の息子もいるが、大抵、その攻撃性は若い時のトラウマから生まれている。レディ・ガガも実家はめちゃくちゃ裕福だがいじめられっ子だったからな。
 そういう中、小山田は裕福な家、というのに加え、和光学園というまあ、甘やかされっこしかいかないような私立学校に小学校から高校まで行っていたので、ある意味屈折したコンプレックスのようなものを持っていたのかもしれない。相方もドイツ文学者の息子にして東大文学部卒のお坊ちゃまだったからな。そんな俺にも反社会的な要素があるんだ、ロックをするという「ロッキンオン的意義はあるんだ」ということが主張したくて、ちょっと容赦のないいじめっ子みたいな演出を過度にしようとしていたのではないか。そして、ロッキンオンとかいとことか、バンド・メンバーとかもそういうのを是にしていたところがあるかとも思う。そういう価値観を醸成させ、そしてそれに乗っかる、というような嫌らしさがプンプンとするのだ。そして、私は小山田本人というよりかは、そのような「突っ張った格好良さ」をミュージシャンにまで求める雰囲気に嫌悪感を覚えるのだ。それは「正義を振りかざしたい」からではない。音楽以外に変にラベリングをするという姿勢が嫌なのだ。まさに小山田を非難する人達を「正義を振りかざしたい」でラベリングする田辺晋太郎はその典型で不愉快だ。
 別にさ、飛び切りの才能を持っているんだから、素直に「音楽では才能あるんですけど、特に人間性とかは一般的です。いじめはやっぱいじめられた側のこと考えるとしんどいね」とか言ってればいいのに、90年代という時代がそうではないことまでミュージシャンに求めたのかもしれないな。そして、小山田はそれに応えようとして、ちょっとサービス精神旺盛で答えてしまったのかもしれないが、そういう虚構を支える周囲の奴らが「えぐいイジメをする奴こそ格好いい」といった歪んだ価値観を生む。この虚構を支える奴らこそが本当の邪悪で私を不愉快にさせている。小山田はその象徴にしか過ぎないと思う。
 

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ソフィー 『カルト・サバイバー』 [ロック音楽]

ウィーン出身のミュージシャンのデビュー・アルバム。リズム・マシンとキーボードの積み重ね、ベースもシンセ・ベースといった打ち込み系の曲作りがされている。中にはA3やA7のようにギター、ベースの弦楽器で演奏されている曲もあるが、フェイザーとおぼしき空間系のエフェクトがかかりまくっていて、弦楽器ならではの主張はあまり感じられない。主張という点ではボーカルは一番、耳に残るが、それも他の楽器がつくりだす音に溶け込んでいて、不思議な音空間をつくりだしている。90年代のプロパガンダを彷彿させたりもするが、プロパガンダほどリズムが激しくなく、リズムはゆっくりなテンポである。全般的にとても心地やすいアルバムで、なかなか凄まじい才能が現れたなとの印象を受ける。ただ、アルバム全体を通じて曲調が似ているものが多く、ある意味で作風が既に固まっているのかもしれない。もう少し、バラエティがあるとよかった。


Cult Survivor [Analog]

Cult Survivor [Analog]

  • アーティスト: Sofie
  • 出版社/メーカー: Stones Throw
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: LP Record



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女難のフィル・コリンズ [ロック音楽]

フィル・コリンズは女難の人である。フィル自身、テレビ番組の取材で「俺はバスタード(Bastard: くそ野郎)だ」と言っていたぐらいなので、フィルに問題がないことはないだろうけど、ちょっと同情する。一昨日のVanity Fairに、三番目の奥さんがフィルの4000万ドル(40億円相当)のマイアミの家に、勝手に結婚していた男性と住んでいたのだが、ようやく追放したという記事が載っている。どうも、家の買い手もみつかったそうである。
https://www.vanityfair.com/style/2021/01/phil-collins-ex-wife-orianne-cevey-evicted-40-million-mansion-sold-lawsuit
 なかなか酷い女性である。ということで、フィル・コリンズのこれまでの女性関係も気になったので調べてみた。
 フィルの最初の奥さんはアンドレア・ベルロレッリである。名字からするとイタリア系であろうか。フィルがまだミュージシャンになる前、ドラマ学校の学生をしていた時に知り合ったのが縁である。1975年に結婚している。1975年というとピーター・ガブリエルがジェネシスを脱退した年である。アンドレアは再婚であり、前夫との子であるジョーリー・コリンズを育て、また、長男のサイモン・コリンズはサウンド・オブ・コンタクトというカナダのバンドでボーカルとドラムを担当している。このサウンド・オブ・コンタクト、ポップ・プログレという感じでなかなかクオリティが高い。
 このアンドレアはその後、絵描きと浮気をし、フィルは精神的に落ち込む。そして、イン・ザ・エア・トゥナイトという佳曲をソロ・アルバムで発表する。ちなみに、このソロ・アルバム「Face Value」ではピアノの上にペンキが置かれている。フィルは偶然だ、と言っているが偶然の訳ないよな。フィルの落ち込みは酷く、ジェネシスも解散の危機に陥るが、フィルのセラピーという感じで、マイクとトニーが彼の家でいろいろジャムをして気を紛らわせているうちにつくられたのが、ジェネシスの後期の大傑作「Duke」である。
 そして、二番目の奥さんとなるのがジル・テーヴェルマンである。1980年に出会い、1984年に結婚し、1996年に離婚する。この奥さんとの娘がのちに女優となるリリー・コリンズだ。フィルの面影もあるが、奥さん似の美人である。
 この離婚はフィルの浮気が原因のようで、その浮気相手が三番目の奥さんとなるオリアンヌ・セヴィである。1994年からつき合い始め、1999年に結婚する。オリアンヌとはニコラスとマシューという二人の息子がいる。ニコラスはドラマーで2019年のフィルのソロ・コンサートではドラムを叩いた。フィルもお墨付きのまだ20歳にも満たないが、いいドラマーである。2006年には別居し、2008年には離婚するが、その後、またマイアミで2016年頃から同居し始める。ちなみに2006年から2016年までは、フィルはディナ・タイラーというジャーナリストと付き合っていた。ディナと別れた理由は前妻と復縁するためだったそうだが、その後、なんとオリアンヌ(46歳)は31歳の若手ミュージシャンとフィルに内緒で結婚し、マイアミの家に二人で住み始めたのである。
 彼らを追い出すのにフィルは結構、苦労したがようやくそれが出来たというのが、この2日ぐらいの報道である。
 いや、これは大変だ!フィル・コリンズ、なんか可愛そうである。しかし、こうやって錯綜した女性関係を時系列でみると、やっぱり最初の奥さんの浮気が相当、トラウマとして残ってしまったのかもしれない。浮気をされると、浮気を仕返す、というのはあり得ることかなとも思う。特にフィルの場合、浮気をされた後、ソロで売れたり、ジェネシスもオタク男子好みのプログレ・バンドからスタジアム・バンドへと浮上したりして、大スターになったから、もう超絶もてたであろうから。しかし、フィルと関係した女性の写真をみてもなんか感心しない。特にオリアンヌは個人的にはちょっとあり得ない。まあ、もてない自分がこんなことを言う資格はないのだが、それでも、ちょっとないかなとは思う。強いていえば、リリーの母親のジルはいい感じがするが、フィルは満たされなかったのであろうか。
 人間、その道で成功してもなかなか幸せにはなれないな、というのを考えさせられるフィル・コリンズの女性遍歴である。まあ、マイケル・ジャクソンやフレディ・マーキュリーのように早死にしないで、ここまで生きてこれただけでもファンとしては感謝しなくてはならない。フィル・コリンズももう69歳である。

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カンサス『The Absence of Presence』 [ロック音楽]

アメリカのプログレッシブ・ロック・バンド、カンサスの16枚目のアルバム。2020年6月に発売の予定がコロナ等で物流システムの遅延があり、7月に販売される。スティーブ・ウォルシュとケヴィン・リヴグレンというカンサス黄金時代を築いた二人とも不在のラインナップになってからの二枚目のアルバムである。三代目のボーカリストであるロニー・プラット、ギタリストのザック・リズビが新たにラインナップに入って前作に続く二枚目のアルバムでもある。そして、キーボーディストとして新たにメンバーに入ったトム・ブリスリンの最初のアルバムである。
 まず、単刀直入に感想を言うと、驚くほど優れたアルバムである。9曲のうち、ザック・リズビとブリスリンが作曲しているが、特にブリスリンの「Memories Down the Line」、「The Song the River Sang」はカンサスの遺伝子を継承しつつも、新鮮な魅力を放っている。そして、リズビは表題曲や「Circus of Illusion」、「Throwing Mountains」で、これも死に体であったカンサスに強烈なカンフル剤を打ったかのようなバンドの潜在力を大きく放出させるような楽曲を供している。
 オリジナル・メンバーでずっとカンサスを継続させてきたリッチ・ウィリアムスは70歳、実質的リーダーでもあるフィル・イーハートも70歳である。70歳でこれだけの、若い生命力のある音楽を紡ぎ出しているという事実は驚きである。前作でまさに不死鳥のように甦ったカンサスであるが、このアルバムではフロックではなく、もっと根元的に彼らの底力の凄みを思い知らされる。なんか高校時代にPoint of No Returnで彼らを知ったものとしては、こう目頭が熱くなってくる。


Absence of Presence -Ltd-

Absence of Presence -Ltd-

  • アーティスト: Kansas
  • 出版社/メーカー: Inside Out
  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: CD



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カンサスのボーカリスト、スティーブ・ウォルシュのステージ衣装についての違和感 [ロック音楽]

カンサスというアメリカのプログレッシブ・ロックバンドが存在する。スティーブ・ウォルシュは、1970年代に「伝承」、「暗黒への曳航」などの大ヒット・アルバムを出したカンサス黄金時代のボーカリストである。というか、一時期脱退するも、ほとんどデビュー時から2014年までカンサスのボーカリストを張っていた、ある意味、カンサスの顔のような存在である。
 カンサスの音楽性はすこぶる高く、バンドとしてのアンサンブルも際だっており、変拍子が多い曲の演奏を見事にこなしている。楽器演奏も複数できるメンバーもいて、バイオリンも入ったりしていて、それは他の追随を許さないようなレベルの高さであるかなと思ったりもする。
 さて、しかし、イギリスのプログレッシブ・ロックバンドに比べると、どうにもカリスマ性というか、オーセンティックさに欠けている。失礼ながら、なんか超一流という感じに思えなかったのである。寿司屋でいうと、銀座とか築地の高級店ではなく、池袋とか三軒茶屋とかにある美味しいけど、そんなに高いお金は払いたくないな、という感じの庶民的なお店のようなイメージである。
 これは高校時代にカンサスを同時代に聞いていた時に抱いていた印象だったのだが、久し振りに1970年代頃の映像を見て、その理由がよく分かった。それは、スティーブ・ウォルシュのファッション・センスがあまりにもださいからである。アディダスのスポーツ・シャツに半パンって、ジョッギングするあんちゃんのような格好でライブで歌っているのである。というか、駒沢公園で普通のおっさんが、この格好でジョギングしていても、ちょっとダサい感じがする。歌声は素晴らしい。いや、スティーブ・ウォルシュはボーカリストとしても傑出した才能を感じる。演奏も素晴らしい。そして、楽曲も素晴らしい。ただ、どんなに素晴らしい曲でも、歌声でも、演奏でも、このジョッギングするような格好で歌われると、有り難みが吹っ飛んでしまう。
 そういう意味では、イエスとかはよく分かっている。あの意味のないようなヒラヒラの服装は、なんかこう曲の有り難みを増すような気がする。
 まあ、スティーブ・ウォルシュと似たようなプログレ系のボーカリストを探すと、フィル・コリンズになるかな。フィル・コリンズもそういう意味では格好が悪いのだが、ガブリエルがいなくなったあとのメンバーは全員が地味なのでファッションとかあまり気にならない。一方で、カンサスはメンバーのファッション・センスがあまりにも統一されていない。例えばOn the Other Sideの動画でみても分かるように、リッチ・ウィリアムスとかは70年代とかはタキシードみたいなものを着ていたし、ケリー・リブグレンとかは黒い浴衣のようなステージ衣装だった。その中でジョッギング・スタイルのボーカリスト・・・いや、有り難みが減る。
 カンサスというのは日本でいえば「茨城」、「福井」みたいな感じで政治的にも保守的で、田舎というイメージである。まあ、そういう名前を堂々とバンド名にして、しかも、めちゃくちゃ上手い、というギャップが強烈なインパクトを聴く者に与えるところが個性といえば個性だが、しかし、見た目をダサくしなくても・・・。ううむ、やはりバンドは見た目が重要なのかなと思わせる。いや、ルックスというのではなく、ステージでのこうトータルな見栄えが重要なのだな、ということを久し振りにカンサスの昔のライブ動画をみて気づいた次第である。

https://www.youtube.com/watch?v=bfSVRJg8BUk

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『サム・オブ・ザ・パーツ(Sum of the Parts)』 [ロック音楽]

2014年にBBCが放映したジェネシスのドキュメンタリー映像。デビューから解散、そして2007年の再結成ライブまでのバンドの歴史を描いている。アンソニー・フィリップスの取材もあり、チャーター・ハウスでの活動、そしてフィル、スティーブが加入した初期のストーリーはよく編修されていると思われる。また、5人のメンバーの座談会形式の取材があるのだが、「眩惑のブロードウェイ」当時のピーターは最低だった的な赤裸々な発言が出てきたり、ハケットが脱退時に閉所恐怖症的な不快感を覚えたことを述べると、その原因はバンクスだろうとピーターが本人に振るなど、本音発言に溢れていて、いやあ、空気読まない感が日本人とは違って逆に新鮮だなと感心させられたりした。
 基本、ジェネシス・ファンであれば見て損はない、というか見るべき作品であると強く思う。しかし、その編修は悪くはないが、レイ・ウィルソンが一切、無視されたり、また「セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド」や「静寂の嵐」の作品紹介がほぼない(正確にはYour Own Special Wayは流れたりしていた)など、ジェネシスを語るうえで極めて重要な作品の解説がないことなどは、違和感は覚える。
 とはいえ、2時間の作品でそこまで期待するのは無理があるかもしれない。ファンとしては、時間が長いのは気にならないので、そこらへんもカバーできればより有り難かったかなと思う。


ジェネシス・ヒストリー〜サム・オブ・ザ・パーツ【BLU-RAY/日本語字幕付】

ジェネシス・ヒストリー〜サム・オブ・ザ・パーツ【BLU-RAY/日本語字幕付】

  • 出版社/メーカー: ワードレコーズ
  • 発売日: 2014/11/12
  • メディア: Blu-ray




Sum of the Parts / [Blu-ray]

Sum of the Parts / [Blu-ray]

  • アーティスト: Genesis
  • 出版社/メーカー: Eagle Vision
  • 発売日: 2014/11/17
  • メディア: Blu-ray



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スティービー・ニックス(フリートウッド・マック)の名曲ランドスライドの歌詞の意味 [ロック音楽]

フリートウッド・マック(ピーター・グリーンやクリス・ウェルチの時代を除き、1975年以降のスタジアム・バンドになってからの話)は、3人の傑出したソングライターがそれぞれの個性を反映した楽曲群で我々を楽しませてくれるが、その3人の中でも特に強烈なキャラを放っているのはスティービー・ニックスであろう。
 さて、スティービー・ニックスは多くのヒット曲を世に送り出しており、どれが彼女のベスト・ソングかと問われると、なかなか悩ましいところは多いが、世代を超えて歌い継がれる曲はランドスライドではないかと思う。
 この曲はメロディもそうだが歌詞がなかなか人の琴線に触れるところがある。私も特に意味を考えなくても「But time makes you bolder, even children get older, and I’m getting older too」のところは惹き付けられていて、歌詞を覚えている。

I took my love, I took it down
Climbed a mountain then I turned around
And I saw my reflection in the snow covered hills
Till the landslide brought me down

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

さて、しかし琴線には触れるが、その意味は不明瞭である。いくつか、日本語でその解説をしているブログもみつけたが、母親の心境だろう、とかちょっとズレた解釈がされている。ということで、私もちょっと解釈を試みたい。
その前に、スティービー・ニックスがどのような状況でこの曲をつくったのか。これについては、スティービー・ニックス自身も取材等で回答している(https://www.youtube.com/watch?v=9QAldn59NWQ)。
 作曲したのは1974年でスティービー・ニックスが26歳の時である。高校時代からのボーイ・フレンドであるリンゼイ・バッキンガムと音楽家として生計を立てようと頑張っていて、昼はウェイトレスの仕事をして、夜に創作活動に勤しんでいたのだが、この時はもう疲れ切っていて大学に戻ることを考えていた。ちなみに、ニックスの父親は全米にネットワークを張りめぐらすグレイハウンドの副社長を務めたような人である(一部では社長という説もあるが、父親本人の葬儀の案内では副社長となっているので、そちらが正しいように思われる)。
1973年にポリドールで録音した「ニックス・バッキンガム」がちょうどカタログから外された連絡を受けたニックスは、上記の取材でも述べているように大学に戻るか(授業料を親は出すと言っていた)、バッキングガムとの(主に音楽的)関係を続けていくかで悩み、このまま二人で音楽をやって行くぞという決意の心境を歌っている(と雑誌の取材で述べている。http://performingsongwriter.com/stevie-nicks-landslide/)。ということで、ニックスの父親本人とかも、これは自分のことを歌っていると思っていたらしいが(実際、あるライブではニックスがこの曲を父親にと言っている時もある・・・ただ、ニックスはこの曲をライブで演奏する時には、○○に捧げます的な言い方をする)、やはり、これは袋小路に陥った自分が今後、どうするか思慮して、その決断を示した歌と解釈するのが妥当であろう。
 ちょうど、この曲はニックスがバッキンガムとコロラドのスキー・リゾートに滞在した時に創っている(ちなみにリアノンもこの時につくっている)。バッキンガムはエブリー・ブラザースの仕事が入り、ニックスのトヨタの車でアスペンを発つ。ニックスは父親がグレイハウンドの重役であったために、グレイハウンドのフリーパスを持っており、それで帰ろうかと考えていたら、なんとグレイハウンドがストライキに入り、結局、アスペンに滞在し続けることになるのだが、そのお陰でランドスライドとリアノンが創られたと考えると、結果的にはニックス、そしてこの素晴らしい二曲を聴くことができる人類にとってもグレイハウンドのストライキは福音であったのではと思われる。
 ニックスはロッキー山脈に積もった雪を見ていて、これらが雪崩のように我々の積み上げたものをすべて台無しにするのだろう、と思ったと述べている(クリスタル・ヴィジョンの解説)。
 さて、そのような情報をもとに歌詞を解釈してみよう。この歌詞は4つのパートに分かれるが、最初(1番目)と最後(4番目)が対になっている。最初が過去形で最後は現在形である。最初がIで最後はYouであり、最初は自分の心境、そして最後はこの曲を聴く者全員を指しているとも考えられるが、アスペンから喧嘩をしたような状態で出て行ったLindsayの可能性もある。とはいえ、あえて曖昧にした言い回しをしているのは、それほど重要ではないからであろう。ニックスは、この曲をつくっていたときはほとんど自分以外のものに対して、諦観のような気持ちを抱いていたのではと思われる。
分かりにくいのは、一行目のI took my love, I took it downの下りである。LoveはLindsayか音楽か、それともPolydorのアルバムかということだろうが、Lindsayとのその時の関係を考えると(喧嘩をした直後)、Lindsayと捉えるのが妥当かとも思われる。
 そして、Climbed a mountain then I turned around/And I saw my reflection in the snow covered hills/Till the landslide brought me downのところは、ロッキーの山に登り振り返ると、雪に自分のReflectionを見て、そしたら雪崩が自分を山から降ろした、というような内容の歌詞に続く。ここでReflectionは単なる自分の姿ではなく、深慮という意味と掛けている。将来のことをいろいろと考えていたら、雪崩で原点に戻らされた、というような気持ちを歌っているのだろう。
 次ぎの二節は、私がこれからの音楽業界でやっていく苦難を乗り越えられるのか、という自問的な歌詞になっている。

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

 そして三節は、それに対しての答えを導き出したような内容となっている。ここのyouは、父親としては自分だと思いたいという気持ちは分かるが、この歌がつくられた状況を考えるとLindsayであろう。Lindsayと袂を分かつという可能性を考慮していたことが、ここでは歌われている。

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

 最後の4節は、私の愛を受け取って、そのまま捨てちゃいなさいよ、山に登って振り返れば私の面影が雪山に見えるから。しかし、その面影も雪崩が流してしまうけど。


Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

 ううむ。ニックスが決意の歌と言っている割には、私の努力も結局、スタート地点に戻らされ、私の強い思いを相方が気づいても、それも雪崩に流されちゃう、というこう諦めの歌、恨み節の歌であることが分かる。まあ、ニックスの取材での発言と辻褄を合わせるには、この怨恨がこもったような曲をつくったことで、マイナス的な思考をすべてこの曲に注ぎ込んで、新しい未来に突き進もう、という気持ちになったということかもしれない。そして、実際、その年のクリスマス・イブにミック・フリートウッドと出会い、リンゼイ・バッキンガムとともにフリートウッド・マックのメンバーとなる。
 そのように考えると、この曲が人々の琴線を触れ続けるのは、その圧倒的なエモーションがこの曲に詰め込まれているからではないだろうか。ほとんど6つしかコードがなく、構成も2つぐらいしかないシンプルな曲なのに、この曲の存在感は凄まじいものがある理由がなんか分かったような気がする。
 私は昔から、スティービー・ニックスは米国の中島みゆきだよな、といい加減に思ったりしていたのだが、なんか、彼女の代表曲を考察していたら、この仮説、まあまあ当たっているかもと思ったりしている。


Fleetwood Mac

Fleetwood Mac

  • アーティスト: Fleetwood Mac
  • 出版社/メーカー: Rhino
  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: CD


(ランドスライドは1975年に発売されたこのアルバムに含まれていた)

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ハローエンドロール『ホライゾン・ブルー』 [ロック音楽]

最初にこのバンドの名前を聞いた時、Hello Endrollかと思い、なんてお洒落なバンド名なんだと感心した。だって、いきなりEndrollにハローですよ。Goodbye Episodeみたいな、この言葉遊び的なセンスに溢れたネーミングにこれはただ者ではないと思った。そしたら、Hello and Rollという、まあストレートで捻りもないバンド名だった訳です。
ということで、最初にハードルを上げたこともあり、ちょっと残念感をもちながらこのデビュー・アルバムを聴く。まず、ボーカルの透明感はいい。聴いていて癒やされる。ついでにいうと、このボーカルのルックスも透明感に溢れている。そして、歌詞もいい。「キラキラ」の「後悔の夜を泳ぎ切って」などは、なかなかの才能を感じさせる。このリーダーである平山織愛のキャラクターがこのバンドの音楽として具象化しているのだろう。ただ、そのキャラが魅力的なので、聴いていても心地よい。まあ、いい意味でも悪い意味でも明治学院大学卒のバンドっぽい。つまり、芯が細そうでいてしなやかで、しかし、なんか洗練されている、という感じである。明治学院大学で15年間教えていた私としては、まあ身贔屓したくなるキャラである。
全部で7曲。ただ、まだ聴いている回数が少ないので、無責任なことを書くのは何だが、印象に残ったのはオープニングの「群青」と「キラキラ」かな。どこかIndigo Girlsを彷彿させる。


Horizon Blue

Horizon Blue

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ORIGAMI RECORDS
  • 発売日: 2019/07/10
  • メディア: CD



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ペダルボードの更新 [ロック音楽]

先日、フリー・ザ・トーンの優れものスイッチャーArc 53Mを購入したのと同時に、二つのストライモンのMIDIエフェクターを思い切って購入したので、ペダルボードをリノベーションした。この二つを新しく入れ、アナログ・ディレイのBrigadierとプロヴィデンスのシステム・チューナー(STV-1 JB)には退却してもらった。そして、ボリュームペダルが入るスペースがなくなったので、もう一つ、ペダルボードを購入し、ここにFreezeのペダルと一緒に入ってもらった。ここには退却したSTV-1を入れることも必要に応じて考えている。新しく購入を考えているペダル類はほとんど現時点ではないが、将来的にはWhammyのPedalとかOvaltoneのOverdriveは買ってもいいかなとも思っているので、それらを購入した場合はこちらに入ることになるであろう。

さて、ストライモンの2つのMIDIエフェクターはデジタル・ディレイのタイムラインとモジュレーション系のメビウスである。そして、セパレート・ループにはFuzz Factoryを繋ぎ、残りの4つのエフェクト・ループにはMad Professor のGreen Forest Compressor、そして同社のSweet Honey Over-Drive、Boss のHarmonizer であるHarmonist PS-6、そしてTC electricのReverb, Hall of Fame 2を繋いでいる。

ジェネシスのコピーバンドをしているので、ロータリーが必要だったり、ファズが必要だったりするので、その点はちょっと一般的ではないかもしれないが、総じて、なかなかこのペダルボードは満足した出来になっている。ポイントとしては、簀の子型のペダルボードであるペダルベイを使っているため、シールドや電源を簀の子の下に設置できているというところである。特にArc53mのループのジャッキのところにシールドが集中するのだが、そこから下部空間にシールドをそのまま入れるようにしたので、見た目もすっきりとしている。幾つかのシールドは、Free the Toneの自ら望ましい長さに切ってつくる、というものを使ったので、これが空間をより効率的に使うことを可能としている。正直、ボリュームペダルが入るスペースがあれば、これ一つでペダルボードも十分じゃないかとも思われるが、ある程度、バッファー的にもう一つボードがあることもいいかもしれないなと、自らを納得させている。

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Free the Tone のarc35mとストライモンのMIDIエフェクターの繋ぎ方 [ロック音楽]

さて、今回はこれまでのブログの内容と違って、相当、マニアックなものとする。多くの読者には関心がない内容かと思われるが、この点に関しては、ネット上にも情報がなく、私もその解決法に随分と苦労したので、日本中に似たような悩みを持っている人がいるかもしれないと考え、ここに私が理解した点を公開させてもらう。

問題の発端は、Free the Tone という会社のarc35mというスイッチャーを購入したことからはじまった。
http://www.freethetone.com/products/detail4/

いや、問題といってもこのスイッチャー、現時点では滅茶苦茶の優れものと私は捉えていて、その機能の秀逸さからいって、もう是非とも一台、保有しておきたいような代物であると考えている。ただ、購入した直後は、MIDIエフェクターの繋ぎ方が分からず、相当、ストレスを抱えた。というのも、今は分かるようになったが、購入当初は、何しろarc35mのマニュアルがちんぷんかんぷんなのだ。書いている本人は分かっているので書いているのだろうが、到底、分かっていない人を理解させるような書き方ではない。ちなみに、私はこれでも東京大学の工学部を出ているので、東大では落ちこぼれであっても、平均ぐらいはこのようなマニュアルの文章を理解できるとは思われる。まあ、これが分からないような輩が買うな、という上から目線なのかもしれないが、後述するように、それを販売している楽器店の人達もほとんど理解できていない。

とはいえ、分からないものは分からない。当初は、自分が無知なので理解出来ないのかと思っていたのだが、arc35mを絶賛しているブロガー・ギタリストも「プレセット」を使わず「ダイレクト」のみで使っているという、超ハイスペックなコンピューターを購入してエクセルしか使っていないような、訳の分からないことを書いているような自体なので、なかなか参考となるものがなかった。

いろいろと調べた中で、「ギターのレシピ」というホームページのブログが相当、役にたった。
http://guitar-recipe.com/effects/2519

とはいえ、まだ上手くセッティングできない。ということで、購入したお店にarc35mとそれと同時に購入したStrymonのTimelineというMIDIエフェクターを持って行った。まあ、これで一発解決だなと思っていたら、なんと、そこの店員の方はよく分かっていなかった。いや、アルバイトの店員ではなくて、しっかりとした40ぐらいの正社員の方で、以前、ファズ系のエフェクターを購入した時は、随分と丁寧に商品説明をしてくれた方である。彼は相当、格闘した後、基本的にMIDIチャンネルとarc35mとを連動するところまでは分かり、それを教えてくれた。私としてはMIDIのコントロール・チェンジ・ナンバーの送り方を知りたかったのだが、それは「普通は使わないですから、大丈夫」と言われて、私もそんなものかな、と考え、お礼を言って帰宅した。ちなみに、この楽器店、日本中にチェーン店を展開している超有名店である。

ちなみに、この連動させる過程であるが、arc35mでは4台までのMIDIエフェクターを別チャンネルでコントロールすることができるが、むしろ問題はMIDIエフェクター側にあり、Strymon では、「Global」というコマンドの中の「MIDICH」という項目でMIDI Channelを設定しなくてはならない。ちなみに「Global」というコマンドは、VALUEのボタンを長押しすると出てくる。つまり、arc35mだけを理解したとしても、MIDIエフェクター側のシステムをしっかりと理解しないと上手くいかないということだ。

このようにMIDIチャンネルがエフェクターとarc35mとで同じものに設定できれば、【DISP MODE】スイッチの「MIDI PC & CC#」で送信MIDIチャンネルを選択し、【INC+/DEC-】のスイッチを動かすと、エフェクターの方も連動して、好みのエフェクターのバンクの音を引き出すことができる。このバンクの音のことを、arc35mでは「MIDIプログラム」と呼んでいる。好みの音を【store】すると、そのプリセットに保存することができ、このプリセットを呼び出すと、このMIDIエフェクターのバンクの音を再現させることができる。

いやあ、これは凄い機能だな、ということで結構、満足はしたのだが、これだとMIDIエフェクターのスイッチを消すことができない。いや、足でMIDIエフェクターのスイッチを踏めばいいだけなんだけどね。でも、それはちょっと違うかな、と思うのと、いやあ、このMIDIエフェクターをスイッチャーでコントロールは素晴らしすぎるな、と思ったので、もう一台、買いたくなったのである。買いたくなったものは、同じStrymon のMobiusである。

さて、そこでギターのチューンアップのために、楽器屋に行かなくてはならないのと、前回、購入したお店は、あまり知識がなかったので、この店にて、arc35mに二代目のMIDIエフェクターを接続して、それをしっかりとコントロールすることを教えてくれれば、エフェクターを購入すると持ちかけた。すると、若手のアルバイト店員は、全員、そこで引いて、店長と思しき、40代くらいの方を連れてきてくれた。この方は、「こうこうすれば出来ますよ。簡単です」と言ったので、店に持ってきた自分のarc35mを出して、「取りあえず、設定して下さい」とお願いした。さて、これで問題解決かと思ったら、なんと悪戦苦闘をし始めたので驚いた。だって、天下の○○○さんですよ。マニュアルとにらめっこして、ああだ、こうだといじっている。さっき言った「簡単です」は何だったのだ。とはいえ、長い戦いの後、どうにか動かせるようにはなった。ちょっと納得いくような説明ではなかったが、とりあえずこの努力に免じて約束通り、メビウスを購入した。
 タイムラインはチャンネル1,メビウスはチェンネル2に設定。両方ともarc35mと連動できる。ただ、これだとオンになったまま、スイッチを消すことはできないので、MIDIコントロール・チェンジ・ナンバーを送って、スイッチを消すことができるようにした。ここで、難しいのは、MIDI機器側がコントロール・チェンジ・ナンバーを規定していることである。Strymon の機器(少なくともメビウスとタイムライン)は、スイッチオフ、すなわちBypassのコントロール・チェンジ・ナンバーが102である。
 ここらへんの情報は、下記のタイムラインのマニュアルに書いてあるが、いやはや分かりにくい。
http://allaccess.co.jp/strymon/timeline/TIMELINE_jp_manual_v170.pdf
 さて、コントロール・チェンジ・ナンバーをプリセットに保存することまでは分かり、実際、プリセットからMIDI機器のスイッチオフをすることができるようにはなった。ちなみに、そのようにするためには、エディット・モード(マニュアルp.10)において、MIDIの詳細設定をすることが必要である。そこで、「送信するMIDIコントロール・チェンジ・ナンバーを設定する」ということをしなくてはならない。ここでは、4つのCSWスイッチを設定(逆にいうと4つしか設定できない)することができ、私はスイッチ3にMIDIチャンネル1のバイパス、スイッチ4にMIDIチャンエル2のバイパスの信号を送るように設定した。ここらへんの状況を理解して、初めてマニュアルp.12の設定の仕方がわかった。
 ここまで来ても、まだ問題があった。というのは、一度オフにするとオンにすることが出来ないからだ。これは困ったが、フットスイッチをコントロール・チェンジ・ナンバーで送ることで対応することにした。ここらへんに関しては、Strymonのブログが役に立った。
https://www.strymon.net/using-midi-control-pedals-2/
 ちなみに、ストライモンの日本語で訳されたブログはほとんど何の役にたも立たないことばかり書いてあって、結構、ストレスが溜まる。
 さて、しかし、ここにも問題があった。というのは、タイムラインにしろメビウスにしろ、フットスイッチがAとBと二つあり、Aはコントロール・チェンジ・ナンバーが80で、Bは82である。すなわち、CSWが二つのMIDIを違うMIDIチャンネルで接続すると6つ必要とするのだが、arc53mには4つしかない。
 これは困ったのだが、実際、プリセットから呼び出す音はA側に設定する(A側だけでも、余裕で100バンクある)ということにして対応することにした。これでも、十分、私のニーズには対応できる(それまでほぼディレイは一曲中は、1パターンしか使わなかったことを考えると大躍進だ)。
 ということで、どうにかarc53mに5つのエフェクターと2つのMIDIエフェクターを接続することができた。arc53mには20のバンクごとに10のプリセット、すなわち200の音を保存することができる。通常のエフェクターを繋ぐだけなら、プリセットもほとんど必要ないだろうが、MIDI対応のエフェクターと繋ぐと、その強力なポテンシャルを引き出すことが可能となる。
 ただ、それを可能とするためには、結構、マニュアルをしっかりと読まないと分からないし、このマニュアルを理解するのが難しい。最初は、私の無知から来るが要因かと思ったが、日本でも超有名な二つの楽器店において、しっかりと私の質問に回答できなかったことからも、このスイッチャーの使い勝手が決して「簡単」ではないことが分かるかと思う。
 ブログでも「非常に使いやすい」などと書いているものがあるが、シフトボタンを使ったことがない(これは、ちょっと信じられない。さきほどのコンピューターの例でいえば、エクセルでコピー、ペーストを使っていないというレベルである)とも白状しており、そんな人が「非常に使いやすい」などと言う資格はないと思う。「非常に使いやすい」レベルでしか使ってないから、そりゃそうだろうなと突っ込みたい。
 まあ、エクセルの比喩で申し訳ないが、エクセルもSumifやCountifなどの関数を使い始めて、初めてそのポテンシャルを実感できるのと同様に、このarc53mもMIDIエフェクターの管理をして初めて、そのポテンシャルが生きてくると思う。と同時に、これがあることでMIDIエフェクターも生きてくる。
 随分と苦労したが、どうにか動かすように出来てよかった。「非常に使いやすい」とは全然、思わないが、理解をするとその潜在力は相当のものがあるなと思われる。ただ、このレベルに達しないとお金の無駄かなとも思う。

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リッキー・リー・ジョーンズ@NHK大阪ホール [ロック音楽]

リッキー・リー・ジョーンズが来日するというので、34年前の中野サンプラザ公演以来、観に行った。会場はNHK大阪ホール。編成はドラムとギターとリッキー・リー・ジョーンズだけという3人編成。ベースがない。また、ドラムは鉄琴も弾く。リッキー・リー・ジョーンズ、偉い太ったおばさんになっていて、昔のなんとも言えないアンニュイな雰囲気はまったくなくなっていた。64歳の堂々たるアメリカのおばさんという感じである。緊張の一曲目はWeasel and the White Boys Cool。この曲から入りますか。渋いな、流石。そして、Young Blood。ベースがないので、ちょっとノリが出にくい感じがしないでもないが、まあ楽しい気分になる。3曲目は、Chuck E's in Love。まあ、このお寿司で言えばウニのようなこの最高傑作をここに持ってきましたか。次いで、The Last Chance Texacoと一枚目からの曲を続けた後、3枚目からIt must be love。パリに住んでいた時に作った曲と紹介する。また、一枚目の曲に戻ってEasy Money。Lowell Georgeが発掘してくれたことの感謝を述べる。そして、「新しいアルバムからの曲です。私は寂しい人生を送っているので「Lonely People」という歌を披露します」と言って歌ったのは、なんとアメリカの「Lonely People」であった。まあ、嫌いな曲ではないが意外な選曲である。というか、リッキー・リー・ジョーンズは他人の歌はあまり似合わないと「My Funny Valentine」を出した時も思ったが、今日も改めてそう思わせられた。次は、アメリカの滅茶苦茶バカな大統領のことを歌いますと言って「Ugly Man」を歌う。とはいえ、今のトランプに比べればブッシュ・ジュニアはまだましだ。リッキーも、ナイスな大統領が次になったが、今は最悪だ、と述べていた。そして、ピアノに据わってCry Me a River を歌った後、パイレーツの一連の曲を弾く。ここで、リッキー・リー・ジョーンズ、ピアノを弾くようになったのはデビューアルバムが売れてからだ、と言う。そんな短期間で、こんなピアノだけで作曲した名曲揃いのパイレーツのアルバムを作ったのか、という事実に衝撃を受ける。前から、天才だとは思っていたけど、改めて本当の天才だったということを知る。We Belong Together, Living It Up, 一枚目のCoolsvilleを挟んで、Pirates, そして一枚目に戻ってOn Saturday Afternoon in 1963。いやはや、最近、リッキー・リー・ジョーンズの曲を全然、聴かなくなってしまっていたけど改めて、1枚目と2枚目は名曲揃いである。さて、またピアノからギターに戻って、The HorsesそしてLove is Gonna Bring Us Back Aliveと4枚目の2曲で終演。アンコールはなかった。
 改めて凄い音楽家だなと思わされたコンサートであったが、今回は、なんかいろいろとプライベートなことなども話して、ちょっとしたジャズバーのような感じのコンサートであった。まあ、これは前から2列目とステージにすこぶる近かったということもあったかもしれない。最初、ハイヒールを履いていたが、途中で、これは邪魔だ、と言って脱いだところとか、リッキーはこう構えないで等身大のところがいいのだな、ということを認識した。いやはや、いいコンサートであった。

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リンゴ・スターのコンサートに行く [ロック音楽]

リンゴ・スター&ザ・オールスターズのコンサートを観に東京ドームシティ・ホールにまで行く。さて、そんなに期待しないで行ったのだが、これが予想外によかった。私は、サポート・メンバーもろくに調べなかったのだが、蓋を開けてみたら、キーボードがサンタナ・ジャーニーズのグレッグ・ローリー、ギターはトトのスティーブ・ルカサーとメン・アット・ワークのコリン・ヘイ、そしてベースがアヴェレージ・ホワイト・バンドのヘイミッシュ・スチュワート、さらにサックスにウォーレン・ハム、ドラムスにグレッグ・ビソネットが入っている。ローリー、ルカサー、ヘイ、スチュワートはまさに、それらのバンドだけでも来日公演をできるだけの実績と人気を博している。ということで、リンゴ・スターのザ・オールスターズは、リンゴの名字に引っ掛けただけでなく、本当にオールスターズであったのである。そして、これら4人は、それぞれ平等に自分達のバンドでの看板曲を3曲ほど演奏していた。興味深いことにローリーはサンタナの曲はまったく演奏せずに、サンタナの曲を3曲ほど演奏した。これら4つのバンドの中では、私は圧倒的にアヴェレージ・ホワイト・バンドの演奏が楽しめた。「Pick Up the Pieces」、「Cut the Cake」、「Work to Do」の3曲を演奏したのだが、まさか今日、これらの曲の生演奏を聴けると思えなかったので嬉しい驚きであった。
 あと、トトの曲はロザンナ、アフリカといったジェフ・ポーカロの超テクドラム演奏の曲であったのが、果たしてリンゴがこれらを弾けるのか、余計なお世話的心配をしていたが、リンゴ・スター、ドラムが上手い。とても78歳のパフォーマンスとは思えない。
 そして、これら4人のネタ曲の16曲もよかったが、やはり、真打ちのリンゴ・スターの「イエロー・サブマリン」、「フォトグラフ」、「イット・ドント・カム・イージー」、「ウィス・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」がハイライトであった。
 年齢を考えると次回がある可能性はそれほど高くはないが、また機会があれば観に行きたいと思わせる良質なコンサートであった。

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電気グルーブがCD回収・配信停止されるのであれば、同罪のミュージシャンにも同じ措置を採るべきであろう [ロック音楽]

電気グルーブのピエール瀧が薬物使用の疑いで3月12日に逮捕された。それを受けて、翌13日には電気グルーヴのCD回収・配信停止などが発表され、Apple Musicでは15日現在、電気グルーヴのアーティストページは確認できるが、瀧容疑者名義でない数曲を除き、再生できない状態となっている。
コカイン使用が悪いのは当たり前だが、それでCD回収・配信停止をするのであればレッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ポール・マッカートニー、ローリング・ストーンズ、リトル・フィート、エリック・クラプトン、ホイットニー・ヒューストン、エイミー・ワインハウス、ウィルコ、クワイエット・ライオット、ザ・フー、ラット、ラモーンズ、ザ・バンド、ザ・グレイトフル・デッド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、シン・リジィ、セックス・ピストルズ、フリー、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、ジャニス・ジョプリン、フリートウッド・マック、ドゥービー・ブラザースなどもCD回収・配信停止にするべきだ。というか、ここに挙げたのは私が今、気づいたアーティストだけなので、実際は、もうほとんどのロック・バンド、ロック・ミュージシャンのものを販売・配信できなくなるだろう。
ピエール瀧がやったことは罪であり、罰されるべきことであるとは思うが、そうであれば同じ罪を犯したものは同じように罰するべきである。それこそが法治国家の基本である。

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BONNIE PINKのライブを初めて観る [ロック音楽]

BONNIE PINKが三年ぶりにライブをする。今後、いつライブをするかも不明だ。ということで、これはどうしても観なくてはならないと判断する。さて、会場は東京と大阪のビルボードである。当然、東京のライブ・チケットを購入しようと、オンライン予約の日をカレンダーにメモっておく。その日が来たので、さっそく購入しようとしたら売り切れていた。発売開始時間が10時で、私がネットにアクセスしたのが11時ぐらいだったので、あっという間の完売である。BONNIE PINKの凄まじい人気を知るのと同時に、大阪の公演をチェックしたら席がある。ううむ、大阪までわざわざ行くのは癪ではあるが、もう観れないかも、という焦りも手伝い、チケットを2枚購入する。
 さて、東京と大阪ではチケットの値段も違う。大阪の方が高いのである。というのは、大阪の公演日は12月24日であり、クリスマス・イブ・ディナーというものがもれなく、というか強制的についてくるのだ。こんないらんサービス、と思いつつ、まあ、それだから席が売れなかったということもあるだろう。
 加えて12月24日という公演日は最悪であった。というのは、そもそも一枚買えばいいところを、クリスマス・イブにビルボード、ディナー付きというのは、流石に中年男性一人で観るのは寂しいというか、浮きまくるであろうという判断があり、奥さんに付き合ってもらおうと考えて購入したのだが、なんと「そんなわざわざ大阪まで行くと疲れる」と言われて断られる。これはピンチだ。京都に住む知り合いの50代の独身男性を誘うが、断られる。そりゃ、何が悲しくてクリスマス・イブに中年男性と付き合ってBONNIE PINKを観なくてはならないんだ。よほどのファンでなければ断る気持ちはよく分かる。ということで、もうこれは愛人に捨てられた中年男性が一人寂しくクリスマス・コンサートを観るというような状況で鑑賞するしかないな、と思っていたらなんと高校二年生の次女が付き合ってくれるという。いやあ、それはそれで心配だが、まさに地獄の仏のような娘だ。ということでBONNIE PINK@大阪ビルボード@クリスマス・イブ。
 クリスマス・イブ・ディナーはシャンパンとプレートがついてくる。プレートはコロッケとキッシュと野菜スティックとローストビーフ。とりあえず、高額料金を取るためのアリバイのような料理だが、そんなことはどうでもいい。定時から5分ぐらい遅れてBONNIE PINKが出てきた。赤い髪でカラーコンタクトをしているイメージを持っている私は、初めてみるBONNIE PINKにちょっと驚いた。なんか京都で商売をやっている元気でちょっと綺麗な若女将といった風情だったからである。おしゃべりだが、それほど言うことは気が利いていなくてカリスマ性はまったくない。これが椎名林檎に先を越されたと言わしめた天才ミュージシャンか。
 さて、最初の曲はGimme a Beat。その次はクリスマス・イブということで、ポール・マッカートニーの「Wonderful Christmas Time」、ディーン・マーティンで有名な「Let it Snow」を歌った。そこで、またBONNIE PINKの曲に戻って「Try me Out」、「スキKiller」。そこで、またクリスマス・ソングに戻ってジャクソン・ファイブの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」。その後は、「Is this Love?」、ファンクラブ限定のCDに収録された「Heartbeat」、「Lullaby」。ここで、大ヒット曲である「Perfect Sky」を演奏し、「Rope Dancer」、「Evil and Flowers」、「Chain」。ここで終わって、アンコールはBONNIE PINKのクリスマス・ソングでもある「Orange」。
 コンサートの途中で本人自身が、皆が期待するような曲は演奏しない、と言っていたが確かにちょっとレアな選曲であったのかもしれない。とはいえ、私は初BONNIE PINKということもあり相当、楽しめた。新横浜と大阪を往復する交通費を考えても十分、私の期待に応じてくれたコンサートである。とはいえ、できれば東京のビルボードで観たかった。

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椎名林檎@埼玉スーパーアリーナ [ロック音楽]

11月22日の椎名林檎の埼玉スーパーアリーナでのライブを観る。静岡の掛川のエコパで二度観ているので、「不惑の余裕」ツアーでは3回目となる。スーパーアリーナはアリーナではなく階段席であったが、掛川は二日ともアリーナで前に背が高い人がいてあまりステージを観ることができなかったので横ではあったがかえってよかった。ただ、階段席の音響はよくない。一番、気になったのはセトリであった。特に掛川の二日目ではMummy-Dと浮雲が口パクさせられて、浮雲は不満を隠さなかったので、その後、どうなったのかで随分と気がかりだったのだが、今日は浮雲、めちゃくちゃ楽しそうで、しっかりとマイクで歌わせてもらっており(Mummy-Dもそうであった)、私の心配は杞憂であったことを知り、一安心。セトリの流れなどを把握していたこともあり、私も今日は余裕。また、グッズも初日であったこともあり、掛川よりもむしろ売り切れ品は少なく、それも嬉しかった(Tシャツやタオルなどをゲットすることができた)。特に感動したのは「雨傘」、「ありきたりの女」、「カーネーション」、「夢のあと」であった。「カーネーション」などは発表された時は、なんじゃこれと思ったぐらいなのに、この頃は本当名曲だなと感心している。同じことは「ちちんぷいぷい」にもいえる。全般的に、生きることを真剣に考えているような曲を中心に編成したのかなと思ったりする。私もしっかりと生きなくては、という思いを抱いてスーパーアリーナを出た。

タグ:椎名林檎
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岸田繁を京都は寒梅館で観て、次いでにホームカミングスも観る [ロック音楽]

岸田繁が京都でコンサートをする。ということで同志社大学の寒梅館まで見に行く。さて、これは本当はホームカミングスで岸田繁がちょっとゲスト出演をするというものであったのだが、ホームカミングスは同窓会のような意味を持つので、これは岸田繁が京都で凱旋的なコンサートをするのだろうと思って行ったら違った。とはいえ、前座を務めた岸田は「ブレーメン」、「東京」、「琥珀色の街、上海蟹の朝」などの代表曲をガットギターだけで弾き語りをした。これは、これでなかなか貴重だ。値段が2500円ということを考えると、これだけで元を取れたかな、という感じである。その後、休憩を挟んでホームカミングス。このバンドはほとんど情報がなかったが、4人編成で3人は女性、男性は1人という構成。何か演奏技術的にはパッとしないし、ベースのアレンジの工夫のなさ、男性のギターが演奏する際、足を上げたり膝を曲げたりしているのが何とも格好悪くて、こんなギターを格好悪く演奏する奴は素人でもいないなと思ったりしたが、ボーカルの畳野という女性の声は素晴らしくよくて、この透明感溢れるボーカルとIndigo Girls的な良質な楽曲が強い印象を残した。バンドはボーカルが素晴らしいのと、バックがテクがなくても控え目にボーカルの邪魔をしなければ、そこそこやっていけるなと思わせた面白いバンドである。最後のアンコールで畳野が岸田繁のギターのバックだけで「男の子、女の子」を演奏したのだが、これはわざわざ観る価値があるだけの素晴らしいものであった。

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ポール・マッカートニーのコンサートに行き、個人的な理想のセトリを考えてみた [ロック音楽]

11月1日にポール・マッカートニーを観に東京ドームまで行った。ポール・マッカートニーは、おそらく全人類史的にみても最も多くの人間がその曲を聴いた音楽家である。ベートーヴェンやモーツァルトより聴かれているのはほぼ間違いない。そして、音楽が多様化した今となっては、もうライバルも出てこないのではないかと思っている。したがって、その生きた姿を見られるだけでも有り難いのに、わざわざ日本にまであちらから来ていただいてくれている。当然、行くべきである。そして、これまでもほぼ東京ではすべてのコンサートを行くようにしていた。いつが、最後になるかも分からないからだし、これまではもう、本当大感動していたのだが、今回は初めてそれほどの感動を覚えなかった。それは、日本でまだ披露していない(というか、私が聴いたことがない)曲が新しいアルバムの2曲を除くとゼロであったのと、ほぼ前回の来日公演と同じセトリであったからだ。いや、それでも素晴らしいのだけど・・・。とはいえ、それじゃあ、自分はどのようなセトリを期待しているのか。ちょっと考えてみた。ポールの年齢を考えて25曲にしてみた。また、ジョンやジョージが作曲したものは除いた。以下がそれである。YesterdayやCan’t Buy Me Loveを入れていないのは、もう既に日本公演で何回も演奏されているからで、そういう意味では、現時点での極めて個人的な理想のセトリということである。

1. Silly Love Song
2. Jet
3. Day Tripper
4. Hello Goodbye
5. Oh! Darling
6. Martha My Dear
7. I Will
8. Get Back
9. Let It Be
10. Hey Jude
11. Penny Lane
12. For No One
13. Michelle
14. Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band
15. No More Lonely Night
16. With A Little Luck
17. A Day in the Life (これはほとんどジョンの曲だが共作部分もあるので)
18. My Love
19. The Fool on the Hill
20. Magical Mysterious Tour
21. All My Loving
22. Maybe I’m Amazed
23. Listen to What the Man Said
24. Back In the USSR
25. You Never Give Me Your Money〜 The End (Abbey RoadのB面のメドレー)

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静岡アリナ、椎名林檎の林檎博18(不惑の余裕)ツアー・レポート(20日、21日) [ロック音楽]

掛川の静岡アリナでの椎名林檎のコンサートに二日連続で行く。初日も二日目もセトリは同じであった。
初日の流れ。開演前に会場に流れていたのはセルゲイ・プロコフィエフの「ピーターと狼」。開演と同時に、ピーターと狼のようなパターンで各楽器が紹介され『本能』のイントロが流れ始める。林檎のボーカルはテープであろう。Mummy-Dが出てきて、『本能』のラップバージョンを歌う。Mummy-Dの声が悪く、ちょっと聞きづらい。そして、ガラスの箱に入っている、王冠をした林檎が舞台の中央奥に登場する。そして、『本能』のMTVのようにこのガラスをたたき割って、そこから出てくる。凄い格好いい演出だ。そして、アルバムで一緒に唄っていた『流行』へと繋がる。Mummy-Dは二回ほど、「シズオカ〜」と叫んでいた。とはいえ、駐車場のカーナンバーを見る限りは、静岡県外からも私を含めて、相当来ている印象。
そして、『雨傘』と『日和姫』という港湾局から2曲続ける。『雨傘』はライブの方がずっと迫力がある。そして、ここで7歳の長女のナレーションとともに『APPLE』が流れる。『APPLE』での林檎の動きがとても面白い、というか上手い。これは、日本のケート・ブッシュだな、と思うと同時に、いや、ケート・ブッシュをも上回る才能なのではないか、と思ったりする自分もいる。そして、『Ma Cherie』をした後、『積木遊び』。いや、ギターの名越さんのカッティング、半端なくキレキレである。どうしたら、こんな風に弾けるのであろう。そして、なぜかフィンガー5の『個人授業』をやる。このポップな曲に続いたのはヘビーなリフが印象的な『どん底まで』。しかし、アルバムにも入らないシングルのB面でこれだけのクオリティの曲をつくられるミュージシャンがどれだけ日本どころか世界にもいるだろうか、と思わずにはいられない。そして、『神様・仏様』。この曲の終わりで椎名林檎はイリュージョンのように舞台から消えてしまう。そして、インストで『化粧直し』が流れて、ダンサーの女性達がファッションショーのように、林檎エキスポデザインのビニール傘を持ちながら舞台を闊歩する。ちなみに、この傘はグッズとしても売られていて、3000円というビニール傘とは思えない値段でありながら、私も思わず一本買ってしまった。まあ、これは使用できないので、あくまで部屋の飾りとして使うことになるであろう。さて、これから中盤に入るという感じであるが、中盤は『カーネーション』、『ありきたりな女』とバラード系が続く。なかなか心に染みるし、特に『ありきたりな女』は、天才でしか分からない悩みを綴っている歌詞に、そういうものか、と聴くたびに思うが、このライブでも改めてそう思わさせられる。そして、若干、ギアが上がって『いろはにほへと』、さらには『歌舞伎町の女王』。椎名林檎のコンサートは、演奏の素晴らしさは勿論なのだが、映像芸術が本当に驚くほど素晴らしいのだが、『歌舞伎町の女王』は見事、歌世界を映像で表現していて楽しめた。そして航空局から『人生は夢だらけ』。
ここで、また林檎はちょっと休憩、ということなのか、次の曲は浮雲が現れて『東京は夜の七時』を歌う。そして、浮雲と林檎のデュエット曲である『長く短い祭』。次の曲は『旬』。ああ、心が洗われる。
そして、大手家電店の看板のような映像が出てくる。スキトキメキトキスと書いてあって、それに関しての歌を歌うのだが、これは私、よく分からない曲であった。そのまま、『ちちんぷいぷい』へと繋がり、次に画面に宮本浩次の巨大な顔が出てきて、映像の宮本浩次とのデュエット(痴話げんか?)のような展開で『獣ゆく細道』を演奏する。テープであるのが分かっていても、その臨場感溢れる演出に圧倒される。
そして、トータス松本が現れて、CMソングであった『目抜き通り』を林檎とデュエットして、「最後の曲です」との挨拶をしたあと『ジユーダム』。なんか、肩の力が抜けているな。さすが「余裕の不惑」。
それほどの時間を経たずして、アンコール。最初の曲は、不協和音の緊張を強いる「はいはい」。そして、珍しく、というかインストの『化粧直し』を除けば、唯一の東京事変からの曲『夢のあと』を演奏し、林檎博08と同じように『丸の内サディスティック』のエンドロールが流れて、コンサートは終演した。

 10年前の林檎博は、もうこれでもか、というほどそれまでの椎名林檎の素晴らしい楽曲を惜しみなく提供していたのに比べて、今回はあるコンセプトに合致する曲を膨大な林檎コレクションの中から選択して、あるストーリーに編集したかのような印象を受ける。全般的に「生きていくこと」ということをテーマとした曲から構成されていたような印象を受ける。いや、『個人授業』はそれほど関係はないか。
それにしても、『丸の内サディスティック』もそうだが、『罪と罰』、『ギブス』、『NIPPON』、『幸福論』、『ありあまる富』、『ここでキスして』など、絶対受ける代表曲をこれだけオミットしても、極めてクオリティの高いコンサートを構成できるとは、本当、椎名林檎の才能は凄まじい。あのポール・マッカートニーでさえ、イエスタディやヘイ・ジュードを演奏しないことはあり得ないことを考えると、本当、椎名林檎は凄いミュージシャンというか、度胸があるなと思う。観客に媚びない姿勢は、なんか頭が下がる。

さて、あと一日目と二日目とみたので、両日の違いを少しだけ書かせてもらうと、一番の違いは一日目はMummy-Dも浮雲もマイクを持って歌っていたのだが、二日目はテープを流したことである。一日目のMummy-Dは確かに声質がだみ声になっていて、音程こそ合ってはいたが、ちょっとプロのボーカリストという感じではなかったので気にはなったが、まさかライブでテープを流されるような措置を採られるとは驚きであった。さらに驚きであったのが浮雲である。浮雲も一日目、多少、音程がズレているかなという印象を受けたし、いつもよりはボーカルが今一つのような気もした。しかしMummy-Dと違い、浮雲はもう林檎ファンにとっては、非常に好感度の高いアーティストなので、そこらへんは愛嬌ということで私も気にはしていなかったのだが、なんと二日目はテープを流されて歌わせてもらえなかった。そして、これはちょっと林檎も計算外だったのかもしれないが、浮雲は口パクで歌わされていることが、もう耐えられない、という感じでステージにいたので、観ている私の方が緊張してしまった。ミュージシャンとして、そもそもギタリストであるのにボーカルを取っていて、さらに口パクでステージに出さされるというのは、もうプライドずたずただよな、というのは分からないでもないが、それにしても、あのやる気の無さ全開の態度は、ちょっと困惑させられた。というか、あの1万近くの観衆の中で、もっともノっていなかったのは浮雲であったろう。観客を盛り上げる側の一人が、一番盛り下がっている。いや、気持ちは分かるんだけどね。
その後の林檎嬢は毅然としていたが、多少、音程を外したり、歌が入るタイミングがずれていたのは、多少なりとも動揺があったのだろうか。通常、最小限のMCで、アンコール前の『ジユーダム』を演奏する前に、1日目ではしなかった「今日はメンバーも多くの観客の前で一生懸命、演奏させてもらっていたようです」(正確な引用ではなく、私の記憶にもとづく)と話したのは、もろ浮雲の当てこすりのように聞こえなくもなかった。というか、どう考えても当てこすりであろう。
ということで浮雲のファンでもある私としては、本当、なんか演奏中も妙に緊張してしまい、1日目ほどは楽しめなかった。その後の打ち上げとかでも火花というか、林檎嬢の鉄槌が下されそうで、私はハラハラとしており、今、これを書いていてもハラハラしている。今後もコンサートは続くのでどうなるのだろうか。次は11月22日のさいたまスーパーアリーナに参戦するのだが、それまでに何かが起きそうな気がする。とはいえ、これは椎名林檎嬢の完璧主義の一端を垣間見たような感じであり、やはり、傑作を世に出すような人は、本当厳しいのだな、と思ったりもした。
 

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4月20日、東京国際フォーラムの椎名林檎のコンサート [ロック音楽]

 東京国際フォーラムにて4月20日の椎名林檎のコンサートを観に行った。ひょっとしてレコ発、ということなので新しいアルバムが出るのかもしれないと思ったりしたが、結果的には新曲はなく、全てCDで既発表のものであった。レコ発、というのは『逆輸入〜航空局〜』のアルバム発表という意味だったのかもしれない。というのも、最新作である『逆輸入〜航空局〜』からの選曲が多かったからだ。
 さて、コンサートは3分にセットされた時計のカウントダウンによって始まった。最初の曲は、「人生は思い通り」。これは、「カーネーション」のシングルに入っていた曲で、おそらく知名度は相当、低い曲であろう。とはいえ、ほとんど捨て曲がない椎名林檎のレパートリーである。優れた映像とともに林檎ワールドに引き込まれる。そして「おいしい季節」(航空局)、「色恋沙汰」 (三文ゴシップ)と続き、「ギブス」(勝訴)。もう20年近く前につくった曲であるにも関わらず、まったく色褪せない。そして「意識」(カルキ)。「嘘つくなよ」の歌詞は、初めて聴いた時にも背筋が凍るような感じで怖かったけど、今でも相変わらず怖い。このロックのメロディーと日本語の歌詞をここまで融合して総合芸術として昇華させられるミュージシャンはそうそういない。彼女の類いまれな日本語能力を感じさせる名曲だ。その次は「JL005便で 」(日出処)と最近に戻ってきたかなと思ったら、「弁解ドビュッシー 」(勝訴)を演奏し始めた。いやあ、凄い曲だ。というか、椎名林檎は本当に器用なので歌謡曲、ジャズ、ハード・ロックといろいろな分野にまたがるアレンジ調の曲をつくれてしまうが、本質は「弁解ドビュッシー 」のようなパンク・ロックなんじゃないか、と思ったりもする。
 そして、「少女ロボット」 (航空局)。これは、東京事変バージョンではなく、航空局に入っているともさかりえバージョン。そして、また昔に戻って「浴室」(勝訴)。と思ったら、航空局から心中曲2曲(「薄ら氷心中」、「暗夜の心中立て」)。ピアフの「枯葉」カバーを挟んで「眩暈」。これは、「ここでキスして」のシングルに入っていた曲で、隠れた名曲という位置づけであると思われるが、まさか今日、ここで聞けるとは思わなかった。ちょっと嬉しくなる。
 さらに「おとなの掟」、「重金属製の女」、「静かなる逆襲  」、「華麗なる逆襲」、「孤独のあかつき」、「自由へ道連れ」、「人生は夢だらけ」と『航空局』と 『日出処』という最新アルバム2枚からの選曲で、一応、コンサートは終了。この間、MCはほとんど無し。ひたすら演奏を続けるといった格好。ある意味、相当、格好はいい。
 随分と時間を空けた後、アンコール。まあ、アンコールをしない訳はないと思ったが、周りの客は拍手をしないものも多く、ちょっと最低限のマナーというか礼儀ぐらい守れよ、と心の中でちょっと怒る。
 さて、アンコールでも挨拶をしたのは、ギターで林檎は一切、しゃべらない。一曲目はなんと「丸の内サディスティック」。「丸の内サディスティック」は、以前は、東京事変でもほとんどのライブで演奏されていたと思うのだが、デビュー10周年記念の林檎エキスポ以降、東京事変の解散コンサートの最終日である武道館公演を除くと演奏していなかったと思うので(少なくとも私は聞いたことがなかった)、これは本当、個人的には嬉しい。そして、「NIPPON」、「野生の同盟」で林檎のMCがほとんどなかったコンサートは終わったのであった。

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オールスタンディングでのライブで、ドリンクを強制的に売るのは止めて欲しい [ロック音楽]

最近、くるりのコンサートに行った。ゼップ東京である。このゼップ東京は、入場する時に500円を支払ってドリンク・コインを購入しなくてはならない。このシステムは非常に馬鹿げていると私は思う。まず、ドリンクをもらうために長蛇の列に並ばなくてはならない。私は30分ぐらい前に入場したが、この長蛇の列に並んだらろくな場所で見られないと思ったので、無視をしてそのまま観客席に入った。ど真ん中の15列目ぐらいで見ることができた。ドリンクをもらうために並んだら、おそらくずっと後ろで端っこになってしまったであろう。そのような場所で見ることと比べれば、余裕で500円以上の価値がある場所で観ることができた。ということで、経済的に私が取った行為は合理的であったと思われる。ちなみに、コンサートが終わった後でも、このコインは有効であったこともあり、終了後にも長蛇の列ができた。しかし、そこらへんで買えば250円もしないようなドリンクのために、なぜ並ばなくてはならないのだろうか。というか、ちょっと自分の時間価値を考えれば、それにまったく見合わないことが分かると思うのだが、なんかもったいない精神が出てしまうのであろう。しかし、本当にもったいないのは並ぶことで失われる機会費用である。
 さて、このドリンクが経済的にはまったく意味がない、というだけでなく、コンサート的にも迷惑な代物である。今回のコンサートはオール・スタンディングであったのだが、私の隣にいた女性は、ビールを飲んでいた。どうも、この人はアルコールに強くないらしく、ゆっくりと飲んでいる。というか、コンサート開始までほとんど減っていないのである。私は彼女がビールを持っている片手を動かすたびに、こぼさないでくれよ、と心の中で祈っていた。当日は革ジャンを着ていたので、本当に、こぼされると困ったからである。
 座ってみるのであればまだしも、オール・スタンディングでのドリンクは周りにとってはありがた迷惑であるし、飲んでいる本人も別にアルコールを飲みたくないのに、お金を払わされたので、そして、何となくノリでビールとかを注文してしまってちょっと後悔している、という感じを受けなくもない。ちなみに、私はシモキタザワのライブハウスとかでも、あのドリンク制は嫌いだし、大抵、飲まない、というか注文しない。まあ、消費税のような気分で支払っている。
 そして、私のような人も少なくないと思うのだ。むしろ、ドリンク代を含んだ料金を徴収して、ドリンク代を多少、安くして提供するぐらいの方が店側も利益が出るだろうし、客も喜ぶであろう。せこく、そんなドリンク代で儲けようとかいう根性が、長期的にはライブに来る客を減らすような気もしないでもない。いや、絶対観たいアーティストにはそれでも行くだろうが、行こうかどうか迷っている人は、敢えて行かなくてもいいかな、と思うかも知れない。どちらにしろ、改善を検討した方がいいと個人的には考える。

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くるりのコンサートをゼップ東京で観る [ロック音楽]

くるりのコンサートをゼップ東京で観る(3月30日)。ドリンクを無視して、30分ぐらい前に入ったので二ブロック目のほぼ真ん中を陣取ることができた。19時15分の開演を10分ぐらい回ったところで、くるりが登場。一曲目は「東京レレレのレ」。テレキャスで岸田が延々とギターソロを続ける。なんかブルージーである。そして「東京」、「飴色の部屋」、「ハイウェイ」。「ワンダーフォーゲル」といった往年のくるりファンが驚喜しそうな曲を演奏する。というか、実際、後ろにいた客は「ああ、私の青春だあ」と興奮状態であった。あと編成であるが、ギターが3本、それにキーボード。ファンファンというトランペッターもいるし、7人編成である。

その後、「東京オリンピック」という変拍子だらけのインスト・ナンバーなどを演奏する。新曲が続き、ちょっと興奮状態が醒めてきたところで、「ばらの花」。さらに数曲、挟んで「魔法のじゅうたん」、「虹」そして「ロックンロール」。「ロックンロール」は改めて名曲であることを再確認する。

そして、アンコール。アンコールの一曲目は「ブレーメン」。ファンファンのトランペットの音色が美しい。その後は新曲、「琥珀色の街、上海蟹の朝」。この曲は絶対、ボビー・コールドウェルのWhat you won’t do for love だよなと思う。盗作で訴えられたら負けるだろう、と他人事ながら心配になる。

そして、最後は「その線は水平線」。新譜からの代表曲でしっかりと締めたという感じである。ギターが3本で結構、うるさいな、というのが大まかな印象。そして、せっかくファンファンがいるのに、ファンファンのトランペットがフィーチャーされた曲は少なかった。私としては、ロックンロール・ハネムーンはやって欲しかった。この点は残念ですが、総じて、まあ滑らない良好なコンサートであったと思う。

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ウォルター・ベッカーの訃報に接して [ロック音楽]

 スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなった。享年67歳である。スティーリー・ダンは、そのアレンジの複雑さ、変態的な詩などの特異性で、独特の存在感を放ちつつ、それでいてポピュラリティを獲得したロック史上、極めて希有なバンドの一つであろう。そのスティーリー・ダンという二人組ユニットの一人、ウォルター・ベッカーが9月3日に亡くなった。
 ウォルター・ベッカーの訃報に接して、「世界的ミュージシャン」(http://rocketnews24.com/2017/09/04/950141/)、「巨星が旅立った」(https://dailynet366.com/7165.html)などとウェブサイトなどで書かれている。しかし、私はウォルター・ベッカーの偉大さというのが、今日までよく理解できていないので、これらの形容詞にちょっと違和感を覚えたりもする。
 スティーリー・ダンは圧倒的にドナルド・フェーゲンが目立っている。ボーカルを取るのも彼だし、作曲をするのもほとんどが彼である。ウォルター・ベッカーはギター・ベースの担当ではあるが、スティーリー・ダンの初期はスカンク・ジェフ・バクスターが目立ち過ぎるスーパー・ギターを披露して、彼が脱退してドゥービー・ブラザースに移った後は、ラリー・カールトン、ジェイ・クレイドン、チャック・レイニーなど当代超一流のギタリスト、ベーシストを雇い、レコーディングをした。ということで、アレンジャーとしては超一流かもしれないが、ギタリストとしてどこが凄いのか、と言うと、私が勉強不足かもしれないがよく分かっていないのだ。
 というのも、私はスティーリー・ダンのコピーバンドでギターを担当していたことがあるので、バッキングがお洒落とか、ここでこのコードか、と感心することは多くあったが、ギタリストとして、おお、これはなかなかのプレイだ、と思ったのは、Josieのギター・ソロぐらいだけであったからである。
 とはいいつつも、私が大好きであったバンド、スティーリー・ダンの片割れであるウォルター・ベッカーの訃報には、大きなショックを受けたのは確かである。9月24日のドナルド・フェーゲンのコンサートに私は行くのだが、期せずして追悼コンサートになってしまった。もう少し、ベッカーの偉大さが理解できるように、ちょっと勉強をしなくてはならない気分になっている。

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『バッキンガム・ニックス』 [ロック音楽]

1973年に発表されたスティーヴィー・ニックスとリンゼイ・バッキンガムのコンビによる作品の紙ジャケによる復刻版。告白するのが恥ずかしいが、私は実は高校自体、フリートウッド・マックには相当嵌まっていた。今でもニックスの「ランドスライド」、「ドリームス」、「サラ」やマックヴィーの「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」などは実は好きだ。今、振り返れば70年代の典型的な郊外ロックではあるが、まあ日本の高校生はその頃のアメリカン・ロックはみな、格好良く聞こえていたのである。ちなみに、あまり認めたくはないがスティックスとかもよく聞いていた。
 さて、それはともかく、そういう高校時代を送っていた私は当時、当然、この『バッキンガム・ニックス』を頑張って手に入れていた。ただし輸入盤であった。結構、苦労して探し出してきたような気がする。日本版で発売されていたのかどうか不明であるが、このCD版は日本版では初めて発売されていたのではないだろうか。そういう意味ではフリートウッド・マックのファンは勿論のこと、私のように昔のファンにとっても有り難い復刻版ではないかと思われる。
 その内容であるが、オリジナルの10曲に加えてなんとボーナスが11曲も入っている。素晴らしいサービスぶりである。オリジナルの方も「ファンタスティック・マック」にも収められた「クリスタル」は勿論のこと、1曲目のNicksのCrying in the Night, 8曲目のRaces are Run(同Nicks)、6曲目のBuckinghamのDon’t Let Me Down Again、9曲目のLola(同Buckingham)などは名曲であり、これだけでも買う価値はあるかと思われるが、さらにボーナスには「リアノン」のライブやミラージュに含まれることになる「That’s Alright」なども収録されていて、まるで二枚組のような充実さだ。
 この40年も前に録音された、その後、押しも押されもせぬスーパーグループとなるフリートウッド・マックのコアとなる二人のこのアルバムを改めて聴くと、スティーヴィー・ニックスのソングライティングの才能の凄まじさと決して耳に心地よくない個性的なしゃがれ声が印象に残る。また、ピックを使わないバッキンガムのギター・スタイルと、彼のブルースとカントリーをヒュージョンさせたロック・スタイルはこの時点でほぼ確立されているのかも確認できる。
 しかし、発売されてからこんなに時間が経って日本版のCDが入手できるとは思わなかった。マックの新譜を買う気はほとんどないが、このCDは何も考えず即買いしたが正解であった。

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)

バッキンガム・ニックス (生産限定紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ヴィヴィド・サウンド
  • 発売日: 2017/03/29
  • メディア: CD



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私がビートルズで一番、好きな曲は「サムシング」である [ロック音楽]

 もうビートルズのファンを40年間ぐらい続けている。中学一年に「ビートルズ・フォア・セイル」と「プリーズ・プリーズ・ミー」のカセットをもらって、ひたすら聴きまくって以来のファンだ。最初に買ったシングルも「オー・ダーリン」であった(最初に買ったLPは残念ながらジョン・デンバーであった)。
 さて、ビートルズ・ファンはよくジョン派とポール派に分かれるが、私は圧倒的にポール派である。私はミュージシャンを恒星で形容する癖があるが、ポールは圧倒的に一等星である。そしてジョンは、もちろん好きではあるが三等星である。ちなみに一等星は私と同時期に生きていたのではポールだけで、二等星にポール・サイモンとスティービー・ワンダー、アントニオ・カルロス・ジョビンなどが入っている。
 さて、そんな圧倒的なポール派であるが、実はビートルズで好きな曲を挙げろと言われるとCome Together, I am the Walrus, Tomorrow Never Knows, Strawberry Fields Forever、Day in the Life, In My Lifeなどジョンの曲を挙げてしまうという、我ながら論理矛盾していたりする。とはいえ、すべての曲を鳥瞰すると、やはりポールが大好きなのである。
 そのような中、ジョージの位置づけはというと、もうこれは、本当に低い。せいぜい六等星かな、と言うぐらい低い評価をしている私がいる。天才二人が幼なじみでいて、棚ぼただよな、と極めて失礼な見方をしていたりもする。ギターもあまり、評価できない。そもそも、While My Guitar Gentry Weepsの素晴らしいギターソロなどをクラプトンに弾かせてしまうことや、Taxmanのギターソロはポールが弾いたりしていることなど、試合放棄じゃあないか、というのは偏狭過ぎるだろうか。サッカー選手でいえばPKをすぐ譲ってしまうような気の弱さを感じてしまうのである。
 さて、しかし、そのようなジョージを過小評価している私であるが、ビートルズで一番、本能的に好きな曲は実は「サムシング」である。これは、残念ながら、左脳では否定をしたくても、右脳が圧倒的にそうだと私に自覚させてしまうのである。そして、それを分からせてくれたのがポール・マッカートニーである。ポールは今回も武道館では演奏しなかったが、東京ドームでは27日も30日もサムシングを演奏した。私は実はジョージの横浜ドームのコンサートでもジョージのサムシングを聞いたことがある。このときも感動したが、ポールほどではなかった。ポールの弾くサムシングは、本当に魂を揺さぶられる。
 ただ、ジョージを過小評価してはいるが、彼の曲は「マイ・スイート・ロード」とか前述した「While My Guitar Gentry Weeps」とか「Here Comes the Sun」なども嫌いではない。しかし、それらと比べてもSomethingは別格である。コード進行も素晴らしいし、ジョージのギターソロも素晴らしい。まあ、ポールのベース・ラインが特別に素晴らしいということもあるが、これも楽曲がそのベース・ラインを引き出すほどの出来映えであるからだろう。
 なんで、ジョージがこんなにも素晴らしい楽曲をつくりだせたのか。不思議ではあるし、いろいろと考えさせられる。ポールはもう素晴らしいメロディを次から次へと紡ぎ出せ、本当に神様に愛された天才という感じであるが、ジョージはサムシングをつくった才能の片鱗が感じられたのは「マイ・スイート・ロード」だけであり、他の曲は、多少味わいがあるが、天才的と感じるようなものは極めて少ない。私自身、作曲をするので、このジョージの補欠のサッカー選手がいきなりハットトリックを一試合だけした、というようなサムシングの現象は興味深い。
 まあ、そういう意味では、リンゴ・スターもソロになったらPhotographのようなヒット曲をつくり始めたことも興味深いし、似たようなことはフィル・コリンズにも感じる。人の作曲の能力というのは、なかなか面白い。天才でなくても、ずっと音楽をやっていると、ある日、潜在的な才能が顕在化するのかもしれない。


Abbey Road (Dig)

Abbey Road (Dig)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMI
  • 発売日: 2009/09/09
  • メディア: CD



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ポール・マッカートニーの日本講演最終日に行く(2017年4月30日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニー最終日に私も東京ドームに行く。今回は4日間のコンサートのうち、29日を除いた3日間に行くことができた。29日とは比較はできないが、27日とのセトリとの違いとしては、Letting Goの代わりにJet, そしてBirthdayの代わりにGet Back を演奏したことを考えると、おそらく29日も何か違う曲を演奏したのではないかと思う。ちょっと気になってしまう自分がいると、やはり全日行けばよかったと思ったりするが(実際は申し込んだが買えなかった)、まあ昨年はポール体験が出来なかったことを考えれば、まあ十二分に堪能できたと思われる。
 あと、ポールを観られるだけでも幸せであるのだが、図々しいファンとしての願望としては、是非とも次回、このような機会があれば、次の曲を聴かせてもらえればと切に願う。
Silly Love Songs
Rock Show
I Will
Listen to What the Man Said
With A Little Luck
London Town
For No One
Oh, Darling
Martha, My Dear
Take It Away
Rocky Racoon
Rockestra Theme
I Will Follow the Sun
 いやあ、本当、ファンの欲望はとんでもないな、と書いていて思ってしまった。とはいえ、心から一日でも長生きしてもらい、上記の曲を一切、やらなくてもいいからまたコンサートをやってもらいたい。やはり、次回は全日行くか。

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ポール・マッカートニーを東京ドームで観る [ロック音楽]

ポール・マッカートニーを東京ドームでみる。一昨日の武道館に引き続いてで二回目だ。武道館では声が出ていなくて、流石に寄る年波には勝てないか、と寂しく思っていたりしたのだが、今日のポールは高音もシャウトできていて素晴らしかった。武道館とはセトリが違っていて、Can't Buy Me Love, And I Love Her, Letting Go, Band On the Run, Temporary Secretary, Eleanor Rigby, You Won't See Me (これは素晴らしかった)、New, Birthday などをやっていて、これだけでもちょっと武道館だけ行った人がいたら可哀想と思うのだが、なんとFool on the Hill を演奏した。これは、もう私としては90年代のドーム以来だったので感涙ものです。さらにSomethingまで演奏した。ジョージの曲だけど、ポールの歌の方が感動するのではなどと書くとジョージに怒られるか。演奏時間も武道館はちょうど2時間だったが、今日は2時間40分ぐらい。曲数も断然、多いような気がした。もちろん、武道館オンリーの曲もJet, Magical Mystery Tour や超渋いソロのEvery Night などがあったので、武道館に行かなくても残念な思いをしたとは思うが、どちらかに行くというのであればドームには行かなくてはいけないであろう。武道館では正直、見納めなのかなと思ったりしたが、今日のドームを見たら、まだまだポールやれるじゃないと思ったりした。やはり、ポールは別格で素晴らしい。こんなコンサートを再び見れた、今日という日に感謝。
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ポール・マッカートニーを武道館で観る(2017年4月25日) [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く。当然、最安チケットのB席である。ただ、B席でも4万円だ。前回の武道館コンサートもB席で行った。北西というステージ横というひどい席ではあったがステージは近かった。さて、今回もどうせ相当ひどい席だろうと覚悟していたが、2階ではあったが東Q列ということで、しっかりとステージは見えた。遠いとはいえ、ドームに比べればずっとポールは近い。
 コンサートの開演時間は18時30分であった。私は18時40分に着いたが、結局、コンサートが始まったのは19時であった。さて、緊張するのは最初の一曲目である。なんと「ハードデイズ・ナイト」であった。これは意外である。というのは、これはポールの曲よりジョンの曲というイメージが強いし、おそらくジョンの曲であると思われるからだ。むしろ「シー・ラブス・ユー」の方がよかったかなと思ったりもしたが、まあジョン亡き後、この曲を最もオリジナルに歌えるのはポールしかいないか。とはいえ、ポール・ファンの私としてはちょっと出鼻をくじかれた感じがしないでもない。次は「ジェット」。格好いい。ジェットはポールのペットの犬の名前である。マーサ・マイ・ディアのマーサの息子である。なんで、犬でこんな格好いい曲がつくれるのか、凡人の私には到底、理解できない。そして、「ドライブ・マイ・カー」。そうか、そう来るか。そして「ジュニアズ・ファーム」。この曲は中学時代とかベストを聞いた時は今ひとつな感じだったが、今ではなかなかフェイバレット・チューンになっている。次は「レット・ミー・ロール・イット」。この曲はポール、昔からよく演奏するが、個人的なランキングではそんなに高くない。貴重な一曲が・・・という思いをしないでもない。とはいえ、生ポールだからなあ。次は「アイ・ゴット・ア・フィーリング」。レット・イット・ビーからの貴重な一曲。その後、ジミヘンの「フォクシー・レディ」のチューンでギター・ソロを披露。それからは「マイ・ヴァレンタイン」、バンド・オン・ザ・ランから「1985」。そして、ある意味、ポールの中でも最も好きな曲の一つである「メイビー・アイム・アメイズド」。ただ、前回までは、リンダの曲を歌います、と言っていたが今回はしなかった。何かの心変わりか。そしてジョンとの共作である「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。次はなんと「エヴリ・ナイト」。ポールのソロ作品一枚目からの小作品である。渋すぎる選択だ!その後は、昔に戻ります、と言って「イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー」というビートルズ初録音の曲を披露した。私はこの曲を聴くのは初めてだが、なんか、イギリスのフォークソングのような気の抜けた作品であった。ちょっと興味深い。そして、次は「ラブ・ミー・ドゥ」。ビートルズのデビュー曲ですが、本当、ポールは凄い曲をいきなり作ったなと改めて関心する。続いて「ブラックバード」、「ヒア・トゥデイ」というアコギ曲を二曲披露すると、ピアノに座って、ニューのアルバムからの「クイニー・アイ」を演奏する。私は、どちらかというと最近のポールのアルバムは買ってもあまり熱心に聴かないのだが、この曲、改めて聴くと全然、悪くないし、ポール節炸裂している。そのままピアノに座ったまま、「レディ・マドンナ」。本当、次代に歌い継がれる名曲だ。
 ピアノから立つと、ベースを肩からかけて「次は日本初披露曲です」と紹介して、もう、期待に胸を膨らませていると「アイ・ワナ・ビー・ユア・マン」であった。え、リンゴが歌っていた曲じゃない。この曲は中学時代、ビートルズを聴きまくっていた時、そんなに好きじゃなかったんだよなあ、と思いつつ、ただ改めて聴くとそんなに悪くない。というか、いいロックンロール曲だ。とはいえ、初披露だと、例えば「オー・ダーリン」とか「アイ・ウィル」、「フォア・ノーワン」とかを期待してしまったが。
 しかし、ちょっと落胆した私にポールは「マジカル・ミステリー・ツアー」で答えてくれた。うわーっ、これは凄い。圧倒的なメロディー・センス、とてつもない楽曲だ。ノリノリになった私に、しかし、次は「ビーイング・フォア・ベネフィット・オブ・ザ・ミスター・カイト」。これは2013年でも披露していた曲だが、どうせジョンの曲を歌うのであれば、同じアルバムの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」とか「ストロベリー・フィールズ・フォアエヴァー」とかを演奏してくれればいいのにと贅沢にも思ってしまう。というか、初めて聴いた時は大感動したが、何回か聴くと、貴重な一曲が、と思ってしまう。まあ、ファンは贅沢で無責任なものですね。
 続いて「オブラディ・オブラダ」、「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド(リプライズ)」、「バック・イン・ザUSSR」、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」、「ヘイ・ジュード」。こうやって書くと改めてけちのつけようがない流れ。
 そして、アンコール曲は「イエスタデイ」、観客をステージに上げたあと「ハイ・ハイ・ハイ」。これもポールはライブで演奏するのが好きなのだが、私としては数少ないそんなに好きではない曲。勿体ない。これで終わると辛いな、と思ったらピアノに座り、「ゴールデン・スランバー」を弾き始める。そして、アビー・ロード無敵のB面メドレー。これは、今日のコンサートで最も感動的で、心に迫った。このプログレの大曲のような組曲にこそ、ポールのたぐいまれなソング・ライティングの才能が凝縮されている。涙なしには聞けない、と書きつつ、今日は落涙することはなかった。それは、それでポールのコンサート馴れしているということで、幸せなことだと思ったりする。
 前回からそれほど時間が経たずにポールが来日したということや、セトリも前回とあまり変わっていない。また、バック・ナンバーは全員、同じということで、目新しいところはそれほど無かったコンサートと言えるかもしれないが、今回が最後となる可能性は高いとちょっと感じたりもした。もし、最後でなければ、それはそれで大変嬉しいことだが、最後であるという可能性も踏まえたうえで、有り難がらないと行けないと思う。ポールというモーツァルト、ベートーベンに匹敵する音楽的天才と同時代に生まれ、さらに違う国にいつつも、自国でそのコンサートを楽しめるという幸せを感謝すべきだと思う。まあ、人に押しつけるようなことはないのかもしれないが、私は本当に至福な気分である。
 あと、今回は宇宙団のリーダーの望月と一緒にコンサートに行ったのだが、彼女が生ポールを観て、どのように感化を受けるのかは興味津々である。それが作品に反映されたら、私としてもファン冥利に尽きるというものである。

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セキュリティ・プロジェクトを東京ビルボードで観る [ロック音楽]

 セキュリティ・プロジェクトというピーター・ガブリエルのコピー・バンドを東京ビルボードで観た。これは、主にピーター・ガブリエルの1枚目〜4枚目までの曲をコピーするバンドで、その当時、ドラムを叩いていたジョン・マロッタが率いている。私はピーター・ガブリエルをたいへん敬愛するものであるのと、もはやピーター・ガブリエルが来日する可能性もゼロなので、思わず、この怪しげなコピー・バンドに7000円も支払ってしまった。さて、21時半スタートのセカンド・ステージということもあり、周りは私のような中年男が多い。二人組で来ているものもあれば、私のように一人で来ているものもいる。まあ、それはどうでもいい。基本、ここらへんの世代がコア・ファンなのであろう。皆、少しでもピーター・ガブリエル的なものを消費したいのである。
 さて、バンドは定刻に始まった。ボーカルは意外なことに女性であった。一曲目は「ザ・リズム・オブ・ザ・ヒート」。名曲である。ただ、ちょっと演奏に迫力がない。4枚目からは「アイ・ハヴ・ザ・タッチ」、「レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー」、「ザ・ファミリー・エンド・ザ・フィッシング・ネット」、3枚目からは「イントルーダー」、「ノー・セルフ・コントロール」、「アイ・ドント・リメンバー」、「ゲイムス・ウィスアウト・フロンティア」、「ファミリー・スナップショット」などを演奏した。あと、ケイト・ブッシュの私が曲名を覚えていないものも演奏した。そして、何より、ジェネシスの『幻惑のブロードウェイ』から「Back in NYC」を演奏した。これは、唯一、ドラマーのジョン・マロッタがボーカルを取った。これは、そもそもボーカルが他の音に消され、聞き取ることも難しく、まるで素人の演奏会のように酷かった。総じて、キーボードはミスタッチがあったし、ヴォーカルもケイト・ブッシュのコピーだけは凄まじく上手かったが、他はどうも迫力不足で非常に物足りなかった。というか、素面じゃなかったような気もする。特にキーボードには投げやり感を覚えた。ピーターの楽曲を聴くのは嬉しいが、これならCDを聞いたほうがまだましだ、ぐらいの後味の悪いコンサートであった。
 私は生まれて初めて、アンコール前に席を立ってしまった。ついでに、東京ビルボードの男性店員に、「ここはPAがいるのか」という嫌味を言っておいたが、この店員は他人事のように聞き流していた。最近、こういう苦情をしっかりと受け止めないサラリーマン病、アルバイト病を問題視している私であるが、ここ東京ビルボードも例外ではなかった。まあ、この店員にとっては、客が不満を持ってもまったく関係がないことだからだ。


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デビッド・ボウイの展覧会に行く [ロック音楽]

デビッド・ボウイの展覧会に二度、行く。日曜日に行ったら、待ち時間1時間以上だった。
そんなに皆、デビッド・ボウイが好きだったのだろうか。私の高校のクラスにはボウイの熱烈なファンは1人しかいなかった。彼女は一生懸命、ボウイを伝道師のようにしてファンを普及させようとしていたが、それほど効果はなかったかと思う。私は、彼女が勧める「Stage」を聴いて嵌まった。というようなことを思い出した。ただ、その後、「レッツ・ダンス」が世界的に大ヒットしたので、また人々のボウイの認知度も変わったかもしれない。

展示内容は3000円という高額に見合うしっかりとしたもので、大変充実していた。しかし、一日目があまりにも混んでいて、充分に見られなかった。それでもう一日行くことにしたのである。二日目は平日に行った。18時過ぎに行ったのだが、流石に空いていて自分のペースで観ることができた。ただし、前回、見損ねたところを中心に観たにも関わらず、最後の展示コーナーに行く前に20時の閉館の時間を迎えてしまい、半ば追い出される形になってしまった。何が言いたいかというと、それだけコンテンツが多く充実しているので、見るの時間がかかるということだ。

ボウイのことはもちろん、その時代背景、ボウイが影響を受けた社会現象などまでもが、しっかりとした展示で解説されている。ボウイが時代の産物であるという認識をしっかりと持っていないと出来ない展示であり、キュレーターの理解力と展示力に感心させられる。確かに、ボウイは時代を映し出していた鏡であり、そういう意味でボウイとシンクロしていた時代性をボウイというメディアを通じて、音楽、ファッション、映像等で表現していた。しかも、ボウイはジョン・レノンやジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックスなどと違い、70歳近くまで生きてくれたので、時代の変遷までもがボウイを通じて観ることができる。ジム・モリソンは現象であったが、ボウイはコンテキストなのである。そのように考えると、本当に我々20世紀後半に生まれたものにとっては、ボウイは時代の体現者としてシャーマンのような有り難い存在であったことを思い知る。

個人的にはトゥナイトの後、ボウイからは遠ざかってしまった。私の人生的にも社会人になって仕事に追われ始めたこともあるが、それからまた再び聞くようになった「ネクスト・デイ」までの空白の20年間は随分と勿体ないことをしていたのだなと痛感する。というか、サラリーマンの15年間は個人的には文化が無かった時代だから致し方ないのだが、それでも悔やまれる。ただ、会社に今でもいたら、このボウイの展示会にも行かなかったかと思うと、サラリーマンを辞められてよかったと思わずにはいられない。

さて、この展示会は改めて私のボウイへの意識を再検証させてもらう貴重な機会を提供してくれたことになるし、そのアルバムの背景をさらに深めて理解させてもくれて、これは個人的にも有り難いことであった。20年間の空白というものがあったが、私はやはりキャリア的にはStation to Station が非常に好きだということと、ベルリン3部作に惹かれるということである。あと、スペース・オディティは名曲であると強く思うのと、当然だが、ジギー・スターダストのアルバムとライブと一連の「現象」がいかに異例なイベントだということである。

あと、ジギー・スターダストのコンサートを素晴らしいショーだと賞賛するイギリスのおばさん達の見識の高さに感心すると同時に、展示の最後でボウイを語るタケシがあまりにも外していて、この人はいろいろな面で凄い才能の持ち主だが、ロック音楽に関してはほとんど何も分かっていないなということを再確認したことである。これは、オールナイトニッポンでロッド・スチュワートの「セイリング」を歌っていた時にも感じたことだが、何か根源的にロックの格好良さを分かっていないと思う。ということで、いろいろなことを感じ、考えさせられた展示であり、ボウイは死してなお、あの素晴らしきアルバムだけでなく、生き残ったものに貴重なプレゼントを残してくれて、そのことは涙が出るくらい感謝している。ロック・スターのまさに鏡である。

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(日曜日は入り口に長蛇の列ができていた)

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