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2016年2月28日のゴールデンステート・ウォリアーズ対オクラホマ・サンダースの試合は、フィクションを越えた名試合であった [スポーツ]

2016年2月27日のゴールデンステート・ウォリアーズ対オクラホマ・サンダースの試合は、フィクションを越えた名試合であった。『スラムダンク』のどのような名試合をも、この試合には及ばないのではないだろうか。『スラムダンク』の著者の井上雄彦は、スラムダンクのような試合は現実にはない、という批判に対して、残念だけど現実はもっと凄い、と語ったことがあるが、この試合は井上のこの意見を裏付けるような驚くべき試合であった。

http://www.csnbayarea.com/warriors/rewind-no-triumph-record-season-compares-one-vs-thunder

試合の内容を書いても、その凄さは到底、私の文章力では伝わらないが、これを読んでくれた人に関心を持ってもらいたいので、ちょっと流れだけを整理してみる。

第1クォーターはケビン・デュラントが10点も得点し、30対20でサンダースがリードする。
第2クォーターはステッフェン・カリーが3ポイントを3本決めて、途中15−6の猛追をしてウォリアーズは1点差にまで詰め寄るが、それからウェストブルックとデュラントの活躍でまた差が広がり、第2クォーターは57対46の11点差で終了する。
第3クォーターの開始直後、ウェストブルックがカリーの左の足首に乗っかり、カリーは退場する。これはウォリアーズの大ピンチであったが、5分後にカリーは復帰。カリー不在の間、サンダースは得点を広げることができず、7点差のまま試合が続く。カリーは足首への心配を払拭するかのように、このクォーターだけで11点を追加する。残り1分22秒でウォリアーズは1点差で逆転するが、その後、デュランが連続スリーポイントを決め、83対78でクォーターを終了する。
第4クォーターではオクラホマが連続8点を決め、残り9分では89対78と11点差をつける。その後はシーソーゲームで残り4分51秒でも96対85でサンダースが11点差でリード。ただ、そこからウォリアーズが連続8点を決め、2分21秒では3点差。射程距離に入ったかと思ったところ、サンダースが突き放しにかかり残り1分13秒で100対96。その後は、お互いがショットを決め合い、残り14秒でデュラントが3ポイントを決め、103対99。これで万事休すかと思われたが、タイムアウト・スタートで残り11.8秒でトンプソンがレイアップを決め、2点差。その後、デュラントがウォリアーズの山王工業のようなトラップに合い、パスを出すのだが、このパスがカットされて、残り0.7秒でイグオダラがシュート。それをデュラントがファール。フリースローが苦手なイグオダラであったが、ここでは2本とも決め、オーバータイムへ。
オーバータイム開始直後、ウェストブルック、イバカの連続得点でいきなり5点差。しかし、残り4分でデュラントがファールアウトする。デュラントがいなくなった直後、カリーが連続得点をして、すぐ1点差に詰め寄る。残り2分29秒で再び110対110で同点に戻すも、その後は両チーム譲らずで残り1分で116対113でサンダースがリード。しかし、残り29秒でトンプソンがレイアップを決め、ファールももらい、118対118で同点に戻す。残り8秒でウェストブルックがジャンプ・ショットをミスすると、そのボールをイグアダラがリバンドして、カリーにパス。カリーは残り0.6秒で3ポイントラインのはるか手前の40フィートからシュートをするとそれが入り、見事、勝利。
レブロン・ジェームス、マジック・ジョンソン、ダート・ノヴィッツキー等NBA選手がツィッターで、「信じられない」、「狂っている」とコメントをするほどのカリーの大活躍であった。

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スキーが私に教えてくれたこと [教育論]

 私の父親と母親は山形県蔵王のスキー場で出会いました。まあ、いわゆるスキー場ナンパのようなものだったと思います。そういうことなので、私は幼い時からスキーによく連れて行かされました。父親は日曜の昼頃に、今から苗場に行けばナイターを滑れるかもしれない、というようなスキー馬鹿でした。基本的には自分が滑れればよくて、家族はしょうがなく連れて行くというような位置づけでしたので、小さい頃、私はあまりスキーが好きではなかったです。当時は、靴は痛いし、寒いし、リフトは高くて怖いし、まあ修行のような感じで嫌でした。そういうことで、行く回数は多くても上手くならずに、中学時代ぐらいには父親に「教えてくれ」と懇願しましたが、彼は「ついてこい」としか言わず、結局、上手く滑れないまま大学生になりました。父親は私が滑れないような斜面を颯爽と滑っていき、私はただ雪の中を転げ落ちることを続けていたからです。
 大学に入って、初めてちょっとスキーを教わりました。そして、大きなパラレル・ターンで滑ることができるようになったのですが、その時、生まれて初めて「スキーは楽しい」と思ったのです。スキーは上手に滑れるようになると、急に世界が広がることをこの時、知りました。それから、ちょっと一生懸命、スキーが上手くなれるように努力するようにしました。そして、上手くなれば、それだけスキーはより上位の楽しさを私に提供してくれました。私は52歳ですが、今でも上手くなれるんじゃないか、まだ体験していない楽しさをスキーは提供してくれるのではないか、と思っています。これはスキーの凄い魅力だと思います。昨日もスキーに行き、インストラクターの方に新しい滑り方を教わりました。その滑り方は、丸太の上に乗っかっているように板を動かす、という説明の滑り方でしたが、これまでの私の滑り方の考えとは違い、そのようにすると、今までと全く違うスキーの滑りを体験することができました。これは、カービング・スキーによって初めてできるようになった滑り方らしいのですが、何しろ感動しました。
 スキーというのは、このように努力をすると、より視座が高くなるような楽しさを提供してくれます。逆に下手だとあまり楽しくない。上手くなればなるほど、世界観が広がる。努力が報われるスポーツだと思います。
 そして、実はこれはスキーだけに言えることではないと思います。英語などの外国語もまさにそうです。英語や外国語は出来るようになればなるほど、世界観が大きく広がります。楽器などもそうだと思います。そして、多くの勉強も実はそうだと思います。それは、自分の世界観を大きく変えて、その人の人生を大きく豊かなものにさせてくれるものです。そういうことを非常に分かりやすく私に伝えてくれたのがスキーで、だから私はスキーが今でも大好きなのです。

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(菅平高原スキー場)
タグ:スキー
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『キャラクター・パワー』 [書評]

 なぜ日本人はキャラクターが好きなのか、という問題提起のもと、キャラクターをもとに国際文化比較論までをも展開する。しかし、その比較論の分析は出鱈目に近い。というのも「本家アメリカと日本の大きな違いは、アメリカでは、大人になると一般的にはキャラクターから卒業していく傾向があるのに対して、日本では、大人もキャラクター好きであってもおかしくないことです」という仮説に基づいているからである。キャラクターの収集癖は、アメリカでも大人になってもする人は多い。例えば、ゆるくはないかもしれないが、ティム・バートンのナイト・ビフォア・クリスマスのキャラクターを集める大人はたくさんいるし、カリブの海賊のキャラクターのコレクティブルを集める大人はたくさんいる。つまり、この著者はあまり海外のことを分かっていないのである。そのようなことは、ハーレーダビッドソンの解説で如実に分かる(p.153)。ここで著者は「(ハーレーダビッドソンは)ロックグループの大物で麻薬やスキャンダラスな事件をおこしているローリング・ストーンと組み合わされることで、そのイメージはより鮮明なものになりました」と書いているが、ハーレーダビッドソンが組んだのは雑誌の「ローリング・ストーン」誌であって、バンドのローリング・ストーンではない。こういうことも分かっていなくても、平気で本にできる人が大手広告代理店で働いていたり、大学の教員になれたりするのか、というのがちょっと驚きである。
http://www.rollingstone.com/topic/harley-davidson

 そのような知識のもとに「日本はキャラクター先進国として特異な発展を遂げたのでしょうか」などの持論を展開されても、白けるばかりである。ボードリャールとかジャック・ラカンなどの説をところどころに入れて、信憑性を高めるような手法も嫌だなあ。
 私は間違えてこの本を学生に課題図書として読ませてしまったのだが大失敗であった。そのうち、私がこの手の本を書かなくてはいけないと思わせるほどの駄本である。

キャラクター・パワー―ゆるキャラから国家ブランディングまで (NHK出版新書 426)

キャラクター・パワー―ゆるキャラから国家ブランディングまで (NHK出版新書 426)

  • 作者: 青木 貞茂
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2014/02/06
  • メディア: 新書



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教員の仕事は、コンピューターに代替されないのであろうか? [教育論]

 今日(2016年2月14日)の東京新聞の社説に、コンピューターが進展することで、日本の労働人口の49%の職種が10〜20年後にロボットやAIによって置き換わることが可能だという野村総合研究所の研究結果が紹介された。アンドリュー・マカフィーとエリック・ブリニョルフソンの『機械との競争』に書かれていたような内容であるが、この手の話で興味深いのは、どのような仕事が置き換わるのか、ということである。私も大学の教員の端くれなので、学生達がどのような仕事に就くかということが気になるので、こういう記事は興味深い。
 まず、この野村総研の研究結果では、対象とした601職種のうち、代替可能性が高いのは、一般事務員、医療事務員、行政事務員、経理事務員などのいわゆるホワイトカラーの仕事であるとしている。私はこのようなホワイトカラーにも専門的な能力や創造力が必要なのじゃないか、とは思うが、多くのこのような事務員達が創造性を発揮せずにロボットのように仕事をしているし、またこれらの人達の管理者がロボットのように仕事をすることを期待するので、そういう観点からは代替可能という指摘はそれほど間違っていないかもしれないと思う。
 また給食調理人、自動車組立工、測量士、タクシー運転手などもそうらしい。ふうむ、タクシー運転手などは随分とひどい人もいたりするから、むしろコンピューターでもいいかもしれないが、そうしたら、そもそもタクシーという乗り物の形や移動の仕方も変わるような気がする。
 そして、代替が難しいのは医師、教員、芸術家、ネイルアーティスト、バーテンダー、ツアーコンダクター、ソムリエらしい。本当かなあ。ツアーコンダクターなんて、もう十分、インターネット程度のAIで代替されている気がするけど。ソムリエは意外とそうかもしれない。しかし、これも個人の好みなどをしっかりと読み取ろうとするコミュニケーション能力が前提にあるので、いい加減なソムリエはいらないかもしれない。そして教員も怪しい。教員も個々の生徒の特性などを見抜いて、的確な指導や教育ができればAIの代替は難しいかもしれないが、一方的に自らの価値観やシステムを押しつけるだけであれば、いつでもコンピューターに代替可能である。


機械との競争

機械との競争

  • 作者: エリック・ブリニョルフソン
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2013/02/07
  • メディア: 単行本



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蒲田行進曲 [映画批評]

1980年代を代表する邦画の大傑作そもそもプロットが特別に素場らしいし、風間杜夫、平田満の演技力も秀逸だが、なんといっても松坂慶子の色気と妖艶さ、そしてコケティッシュという女性の両義性を見事に演じている点が凄まじい。ほろ苦さの中にも、心が温かくなるような人情喜劇。サザンオールスターズの曲もこの映画の雰囲気をいい感じに演出している。そして、何より最後のオチ。映画史上でも傑出したそのオチだけでも、観てよかったと思わせる。

あの頃映画 「蒲田行進曲」 [DVD]

あの頃映画 「蒲田行進曲」 [DVD]

  • 出版社/メーカー: SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)
  • メディア: DVD



タグ:蒲田行進曲
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