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下北沢が音楽の街として知られるようになるのは1990年代ころから [都市デザイン]

下北沢にある、ミシュランが紹介したバー、ネバーネバーランドのオーナーの下平さんと下北沢で飲む。そして、いろいろと下北沢話を伺う。その中で、興味深い指摘は、下北沢が音楽の街として知られるようになるのは1990年代ころからだということ。それまでは、下北沢はそれほど音楽の街ではなかった。これは、そう言われると私の印象とも通じる。高校時代、ライブハウスのある街といえば、新宿であり高円寺、吉祥寺であった。下北沢は、それなりのサブカルチャー的な匂いはしていたと思われるが、ロック的な匂いをより強く発していたのは高円寺だと思われる。私は下北沢に近い大学に1984年から1988年と通った。大学時代はバンドサークルにいたのだが、あまり下北沢とは縁がなかった。これは大学一年生の時、このバンドサークルがクリスマスコンサートを下北沢ロフトで行った時、あまりの素行の悪さから出入り禁止になったことが原因かもしれない。なんか、出入り禁止にする街、といったイメージがなんとなくあったのかもしれない。代わりに、私やバンド仲間が多く行ったのは渋谷であった。渋谷にはホワイト・ハウスと呼ばれるYAMAHAエピキュリアスがあったし、石橋やイケベなどの楽器も充実していた。レコード屋もTower Recordsの存在感は圧倒的であった。ライブハウスも前述した下北沢ロフトの件もあってか、私の目は四ッ谷フォーバレーや、新宿の方に向かっていた。つまり、私が大学を卒業した頃から、おそらく下北沢が音楽の街としてのアイデンティティを強烈に発信するようになったのではないか。もちろん、その下地は既に1980年頃からあって、下平さんの話でも、下北沢の店には多くのミュージシャンが溜まり場とするような場所がぽつぽつとあった。マザースやGAJA、トラブル・ピーチといったロック・バー、レディ・ジェーンやジャズ喫茶マサコといったジャズ・バー、ジャズ喫茶は下北沢に音楽好きやミュージシャンを惹きつけいた。そのような土壌があったからこそ、90年代以降の下北沢は「音楽の街」へと花咲くことができたのではないだろうか。ずっと昔から「音楽の街」という訳ではなかったという下平さんの解説に納得する。
タグ:下北沢
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