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EXILEの東京のオリンピック招致ポスターは、イメージ戦略的には失敗ではないか [グローバルな問題]

EXILEが東京のオリンピック招致を応援し、広報にも協力している。

http://www.koho.metro.tokyo.jp/koho/2012/04/olympic2020.htm

結構、街中でもポスターが貼られているので目にした人も多いと思われる。

このポスターを見て、私はちょっと違和感を覚えたのである。その違和感はあまりうまく言語化できなかったのだが、これじゃあ今回もオリンピック招致は失敗だなと思わせるようなものであった。

1_01.jpg(出所:東京都ホームページ)

さて、その理由を先日、アメリカ人の留学生と話をしていて理解できた。それは、彼がEXILEの風貌は「やくざやギャングみたい」だと指摘したからだ。確かに、その通りなのだ。EXILEの芸術性はともかくとして、その風貌は、欧米からみると映画『ライジング・サン』で描かれている、ちょっと理解不能な日本人を想起させるようなものなのだ。共感というより、むしろ反感を覚えるようなイメージである。

もちろん、中にはタランティーノのように、そういうものに惹かれる外国人も少なくないだろうが、オリンピック招致という肯定的なイメージを内外の人に与えるのには、人選ミスなのではないかと思ってしまうのである。これはEXILEが世界的にはあまり認知されていない、ということもあるかもしれない。

またEXILEの音楽はヒップ・ホップの分野に属すると思われるのだが、これは極めて日本的ではなく、アフリカ系アメリカ人の音楽である。アメリカ人であっても、白人がやると馬鹿にされるというか、オーセンティックではないと思われるのに、それを日本人、そして黄色人種がやっている。それは日本人にはOKなことだが、海外においては模倣としか思われないであろう。そういうグループを国内での候補地の選考でならともかくとして、国際的な競争において持ってくることは賢明ではないと思われるのである。というのは、このような国際的な選考争いにおいては、その国のアイデンティティ、それも他国が認識するアイデンティティを強烈に訴えていくことが重要であるからだ。ここでの、アイデンティティとはオリジナル性が強く求められる。そういう意味で、国際的に通用しているイメージ、イコンを用いることが極めて重要であるのだが、残念ながら、EXILEはその条件を満たしていないだけでなく、彼ら自体はともかくとして、風貌等のイメージが日本にとっては国際的にマイナスである「やくざ・ギャング」的なものを想起させるという点でさらにミスであると思うのである。

これは、ナポリやローマがオリンピック招致をしようとした時、マフィアをイメージさせるアーティストを利用したらマイナスであることと同じである。

EXILEに対しては、特に何の感情も持っていないが、また100億円に近い広報費を使うのであるのだから、ちょっと賢明に国際的な視点ということを考えてもらいたいと一都民として思う。大阪の時も前回の東京の時も、オリンピックの広報の担当とお話をさせてもらったことがあるが、失礼な言い方ではあるが国際的な視点が欠けていた。前回は東京都の委員をさせてもらったので、ある程度、私の意見を伝えることはできたが、今回はそういう立場にはない。しかし、ちょっとEXILEのポスターは外していると思うので、このブログで書かせてもらう。このような問題意識を持ってしまうのは、3月にマドリッドを訪れたこととも関係あるかもしれない。どうやって、マドリッドに勝てるのか、そのシナリオが描けないからだ。唯一の弱点といえば、経済不況であるかもしれないが、東京は放射能汚染という超マイナス・イメージもあるからなあ。石原さんを選んでしまった都民の責任といえばそれまでだが(もちろん、私は投票していないが)、それにしてもどうせ金を無駄にするにしても、ちょっとは考えてお金を使って貰いたいと思うのである。

EXILEファンにとっては面白くないコメントで恐縮だが、これは私だけでなく、おそらく多くのEXILEをあまり知らない外国人が抱くイメージであるということを理解してもらえればと思うのである。
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