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青葉台に(おそらく)生まれて初めて行く [都市デザイン]

 田園都市線の青葉台を訪れる。おそらく、生まれて初めてだと思われる。もしかしたら、以前、高校時代とかに訪れたことがあったかもしれない。しかし、そうだとしても30年ぐらい前の話だ。今の青葉台とは全然、様子は違うであろう。
 私は豊島区で生まれ、途中、アメリカで過ごしたが、中学の時に目黒区に引っ越して、高校の途中でまた豊島区に戻り、社会人になって大学院に留学した後は杉並区に住んだ。ということで、三浦展さん風に言えば、東京では第三山手の環状七号線のそばに住んできたと言えるであろう。
 田園都市線は中学一年の時に、渋谷と二子玉川が開通したので、よく覚えている。開通した日に、記念スタンプを押すために、すべての駅に降りたりした。駅がすべて違う色でデザインされていたのがお洒落だなと思ったことを覚えている。
 さて、しかし多摩川の先はまったく関心がなかった。多摩川の先はなんか、すべて同じ東急が開発した金太郎飴的な住宅地が展開しているだけであろう、という印象を抱いていたし、実際、沿線の車窓は西武池袋線、中央線、小田急線などと比べると遙かに凡庸でつまらないという感想しか抱いていなかった。これは西武池袋線が飯能を越えて、秩父へ向かうことや、小田急が丹沢を右に見ながら箱根に向かうこと、さらには東武日光線が日光へ向かうといった旅情を刺激するのに対して、田園都市線はつきみ野というなんか中途半端なところにしか行かず、興味を惹かなかったからである。まだ京急に乗った方が楽しいぐらいだと思っていた。私は、そこそこ鉄道に乗るのが好きだったが、それは風光明媚な地方へ連れて行ってくれるといった旅の魅力に惹かれていたからであって、そのような魅力に乏しい田園都市線に乗ったとしても駅に降りようと思ったこともなければ、地理的な関心を抱くようなこともなかった。
 ということで、青葉台が田園都市線の中でも高級住宅地であると一般的に認知されているとは迂闊にも気づかなかったのである。それに気づかされたのは、東浩紀と北田暁大の『東京から考える』を読んだからで、そこで主に東が青葉台を持ち上げまくっているので、へえ、それは見ないといけないと思って訪問したのである。
 東浩紀は1982年、すなわち彼が11歳の頃、この青葉台に引っ越してきてそれから15年ほどここに住んだそうだ。青葉台の開発は1966年。その頃に駅前のニュータウンもできたそうである。東は同書でこう述べている。
「住民は高級住宅地のイメージに惹かれて住宅を買い、そのイメージが実際にロケされてドラマに登場する、そしてまたそのイメージが街に再導入されて、店や住宅のデザインが決まっていく、みたいな再帰的な強化の構造がある」(p.86)。
「渋谷がオンライン・ロールプレイングゲームの世界だとすれば、青葉台こそテーマパークの世界。汚いもの、古いものが徹底して隠されているという感じがする」(p.88)。
「僕の青葉台の体験では、むしろ郊外は裂け目がないがゆえに快適なんですよ。「窒素しそう」なのは外部に見えて、にもかかわらず閉じ込められているからですよね。そういう状態ではないのです」(p.92)
 結構、これは東急の郊外住宅地の中では、そうとうしっかりと作り込まれた街なのではないか、と大いに期待して訪れたのである。

 青葉台には246で行く。私は多摩川を越えた後(いや、よく考えたら渋谷から二子玉までの高速道路の下も嫌いだが)の246に展開する光景が本当に嫌いだ。この醜さは何なのだろうと思う。そもそも、建物と道路の配置がめちゃくちゃである。あたかも既存の都市を246が文脈をも考慮せずにぶったぎったかのような印象を与える。国道16号などの景観も好きではないが、この246ほど醜くはない。国道6号も大学時代によく通ったが、246に比べればずっと詩情がある。
 こんな246の先に、上記のような快適でテーマパーク的な住宅地がつくられているのも変な感じだが、まあ、そういうこともあるのかなと思っていると、青葉台に着く。さて、青葉台は、私が期待していたものとはまったく異なる、どちらかというと計画がしっかりとされていないだらしない郊外住宅地であった。裂け目的な場所はすぐ目についたが、特に違和感を覚えたのは駅前の雑居ビルに多くのキャバクラ的なソフトな風俗店が入っていたことである。私が今、住んでいる都立大学にはない業態である。全然、テーマパークの世界とは縁遠く、むしろ、私の家のそばにある桜新町の方が、街の文脈としてはテーマ性を持って、かつ空間デザインもされていると思うくらいだ。ここを高級住宅地として思えるというのは、よっぽどの楽天家か自意識が強くないと難しいのではないかと思わせられた。いくら、ここのそばで「金妻」のロケがされたとしても、ちょっと、この空間で暮らしていて、自分達はセレブであると思えるとしたら、相当お目出度いであろうし、ここで暮らしていて「窒息しそう」と思えなかったのは、私からしたら羨ましい。
 私がここで中学時代、高校時代を暮らしたら、確実にロック音楽とかに猛進するか親殺しをするか、自殺をすることになるのではないかと思わせられる。そういう禍々しさを私はこの地で感じたのである。しかし、この空虚さは何かをうまく説明することはできない。
 私が高校時代、住んでいた豊島区の東長崎は、汚くてずっと嫌いであったが、それでもこの青葉台よりは快適で落ち着くものがある。それは、おそらく神社や千川上水の名残の桜並木的なものや、なんか訳の分からない店などが集まっていた商店街などであったからだと思われる。そのようなものが、私が歩いた範囲の青葉台には見られなかった。そして、青葉台は圧倒的に自動車が幅を利かせている。青葉台とかだと自然は豊かなのではないかというイメージを持つと思うのだが、実際、訪れると、住宅開発されたところは恐ろしく緑が少ない。高級住宅地でのイメージで住宅を売ろうとしている割には、家と家の間隔が狭すぎる。はっきりいって貧相である。貧相であるくせに、自由な呼吸を高校生にさせないような、綿で首を絞めるような嫌らしさを、私は直感的にここで感じ取ってしまったのである。それは、この土地の地霊と分断させた開発をしてきたためなのではないかと思ったりもする。センス・オブ・プレイスが、大規模開発、大企業による利益重視の開発のために看過されたことの代償ともいえるであろうか。この禍々しさは、子供の国の辺りの林にいくとすっと消えたことからも、そういうことなのかもしれない。

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(まったくもって青葉台の風土性とは関係性のない、地中海風デザインの安普請の一戸建て住宅。確かにショッピング・モール的なイメージ消費的なコンセプトでつくられた住宅ではある)

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(下北沢よりずっとバリアフリーで歩きやすいと東浩紀はその著書で述べていたが、この歩道というか、車道だけのぎりぎりのスペースしかないこの道路のどこがバリアフリーなのであろうか)

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(自動車が幅を利かせている住宅地のどこがテーマパーク的なのだろうか。テーマパークの一つの特徴は自動車が入り込まないことであると認識する私としては納得できにくい)

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(計画的につくられたといったイメージがあったが、実態は駅前のそばでも農地と高級そうなマンションと最低クラスのアパートとが混在するような状況にある)

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(高級住宅地との噂とは違い、家の間隔が恐ろしく狭い。まったく空間的な余裕をつくる経済的な豊かさが感じられない住宅のつくり。郊外だから土地が豊かに使える訳ではないことを知る)

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(駅前には熟女クラブが雑居ビルに入っていたりして、どこが汚れたものを排除していると指摘できるのかは不思議)

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(高級住宅地としてのイメージづくりからか、明治屋やスーパー成城が出店していたりするが、雑居ビルにはサイゼリヤ、笑笑などのチープ感溢れるテナントが出店していたりもする)。

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(高圧線は成城などにも走っているが、この郊外との景観に悪い意味で妙にマッチしている)

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(建物の色規制はどうもされていないようですな)

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(崖につくられたからか、歩道沿いはコンクリートが連なる。歩いていて楽しくなく、また防災面でも心配させられる。余計なお世話かもしれないが)

 この程度の住宅地が高級住宅地としてマーケティングできてしまうことに、東京の貧しさをつくづく感じてしまい、私は随分と沈んだ気持ちで青葉台を後にした。
タグ:青葉台
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