SSブログ

ドバイ国際空港は不夜城のようなとてつもなく巨大で煌びやかな空港であった [グローバルな問題]

トランジットでドバイ国際空港に着く。夜の12時を過ぎている。朝の4時40分発のジャカルタ便にトランジットするためだが、この行程はこの年だときつい。とはいえ、空港だけとはいえドバイに来ることができたのはラッキーである。暗闇の中を飛行機が滑降する中、忽然とその都市は姿を現した。まあ、海に面しており、海側からアプローチしたのだから当然なのだが、そのインパクトは強烈だ。都市は小さい。正確な数字を知っていないので適当だが人口は100万人も満たないのではないか。スプロールはしているのだろうが、所詮、規模が小さいので都市のスケールが夜だとよく分かる。つい最近完成された、世界最高の建物であるドバイ・タワーが一際高く聳え立っており、それに従うかのように30階建ての高層ビルが周りを囲んでいるが、それ以外は恐ろしいほどフラットである。こういう都市構造はアメリカの都市にしか見られないものだが、アメリカの都市よりもシンボルとしての高層ビルが高いので、より極端な構造をしているといえよう。道路は広く、真夜中の12時を過ぎても都市は煌々としている。自動車交通が多いので驚いた。何をこんな夜遅くまで人々はしているのだろうか。それとも、砂漠で日中は暑いので夜に活動をするのだろうか。よくは分からないが、恐ろしくエネルギーを無駄に大量消費する都市構造であることは理解できる。アメリカを上回る無駄である。しかし、これは日本やドイツのように化石エネルギーを有していない国に過ごしているからこそ感じる違和感であって、石油をふんだんに有している彼らが、それをいかに無駄に使おうと痛くもかゆくもないだろうし(少なくとも短期的には)、むしろお前らにはこんな都市はできないだろうと誇示しているようにも思える。まあ、これに関しては参りましたと言うしかないのだろうが、それと同時に、盛者必衰のことわり、という平家物語の出だしのコピーも頭をよぎる。

IMG_7463.jpg
(ドバイの夜景)

とはいえ、地下資源を掘って売るということで経済的豊かさを得るということで経済を回していると、あまり努力とか勤勉という価値を評価しないのだろうなあと思う。そういう点、日本のような資源が少ない国々は「働く」ことでしか国際経済においてうまく立ち回ることは難しいかもしれないとつくづく思う。アメリカは「法律」と「訴訟」というビジネスをつくりあげることで、ほとんど架空のような市場をつくりだしたが、これも人間不信という副作用をもたらす。イギリスはほとんど海賊のような泥棒行為を世界で展開した後(その証拠は大英博物館で明らかにされている)、「保険」や「銀行」、「株式」といった人間ではなく金に稼がせるといった詐欺同然の仕組みをつくりあげたが、この手法はアメリカにお株を取られ、現在はロック・ミュージックやポール・スミスのファッションのように価値があるかないか分からないようなものをつくりだして儲けている(産業革命もリードしましたが)。まあ、そういう点ではフランスが一番上手で、フランスはほとんど意味のないブランド価値をつくりだし、商品価値ではなく記号を売って儲けている。ココ・シャネルがそもそも上流階級への復讐のためにファッション・デザイナーとなったことは有名だが、今はこの手法によってフランスの上流階級がアジアの貧乏人(そして中東の金持ち)から金を搾取して優雅な暮らしを維持している。ちなみに、私の学生はルイヴィトンのバッグを新聞紙で包んで見えないようにして、駅から自宅まで自転車の籠に入れて運んでいたが、自転車に乗って駅まで行かなくてはいけないような学生風情が、なぜルイ・ヴィトンを買うのかはまったく不明だ。もちろん、このフランスの手法で、壊滅寸前であったスイスの時計がブランド価値を前面に押し出して復活したのは記憶に新しい。

まあ、こうやって欧米の国々を考察しても、ろくでもないことで経済を維持しているのが大半なので中東の産油国が濡れ手に粟のように石油で儲けていることを非難するのはお門違いなのだろうが、まあ何が幸せなのかは分からないなあ、と哲学的な気分にはなってしまっている。164階建ての600メートルの高さの建物をつくって、何が嬉しいのだろうか。そういうことを嬉しがらない、というかそういうことに価値を見いださない精神性みたいなものが人間にとっては必要なのではないか、と思わされる。このようなロジックはアメリカに対して向けられていたのだが、このドバイという都市にも向けられる。また、気になるのはドバイの価値観に極めてアメリカ的なものを是とするものを感じることである。アメリカ的な大量消費・大量浪費の価値観で突き進む限り、ドバイを始めとした産油国の将来は暗いであろう。空港で使われている言葉は英語であった。何か、この英語の世界支配という動きには本当に不気味なものを感じる。言語は思考を司る。英語のような二流な言語によって思考を司るようにならないためにも、しっかりと母国語を鍛える必要性を感じる。そもそも、アラビア語でさえ相当の国際語であるのだから、ドバイでも英語よりアラビア語を優先させればいいのに何か誤解しているんじゃあないかな。

IMG_7470.jpg

IMG_7466.jpg

あと空港のラウンジやデューティー・フリーでは多くの中国人が働いていた。金があるところに中国人が集まる。これも興味深い現象である。空港は石油の力で夜であっても眩いばかりに明るい。デューティー・フリーでは、お金をどのように使ってよいか分からない人達のために、ブランドという記号が商品価値の9割を占めるものが真夜中でも売られている。私はサステイナブルな社会の研究を細々とやってきていたが、この空港にいると、もうそんなことをすることがまったく無駄、焼け石に水だなと思わされるし、まるであざ笑われているような気分になる。とはいえ、中東で生まれた訳ではなく、化石エネルギーを有していない国に生まれてしまったのでどうにもならない。日本人として生まれたからには、しっかりと勉強をして、その働く力で食べていくしかないからである。そういうことを続けていれば、この地球で確実にこれからも存在感を示すことができるであろう。まあ、高校時代、大学時代と勉強をろくにしなかった私が言えることではないが、職業柄、大学の教員をしているので、ちょっと自分のことは棚に上げて記す。あと、このブログの内容にちょっと興味を持ってくれた方は、広告になって申し訳ないですが、拙著『サステイナブルな未来をデザインする知恵』を読むと面白いかもしれません。売れてないので、宣伝させてもらうことをお許しください。

サステイナブルな未来をデザインする知恵

サステイナブルな未来をデザインする知恵

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 単行本



nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0