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小塩節の『ドイツの都市と生活文化』を読み、その偏狭なる考えと主張にほとほと呆れる。 [書評]

 ドイツ生活を始めるにあたって、ドイツ関連の本を読んでいる。その一つとして、講談社文庫から出ている小塩節の『ドイツの都市と生活文化』を読んだのだが、この本はまったくもってくだらない内容の羅列で、こんなものをよく講談社は出版できたなとほとほと呆れる。どこがくだらないか、というと何しろ断定調にドイツ人そしてドイツ文化を語っていることである。例えば、以下のような記述だ。「タイプライターをよく使うドイツ人もラブ・レターだけは必ず手書きをする」、「全国民がサッカー番組のときはテレビの前に釘付けになる」。  
 私の数少ないドイツ人の知り合いの中にも、電子メールでラブ・レターを書いたりするものもいれば、サッカーが大嫌いで一切、関心を示さないものもいる。こういう富士、芸者、侍といったような紋切り型のドイツ紹介をする作者の意図は何なのだろうか。こういう本はむしろドイツの理解を妨げる。芸能人のドイツ紀行といった類のものであれば価値があるかもしれないが、その筆者に関心がなければ読む必然性もない。どこのくだらない人が書いているのかと調べてみると、なんとフェリス女学院長だそうだ。その前は中央大学の教授だったそうで、こういう紋切り型でしか社会を分析できない先生に教わった学生には同情する。授業料を払う価値もないかもしれないと思う。少なくとも、このような文章を私のゼミ生が卒論で書いてきたら、私は絶対に通さない。まあ、逆にいえばこんな人でもうまく機会さえつかめば、大学教授になれるということなのだろうし、大学の院長にもなれるということか。
 こういう本を出版するというのは、よほど厚顔無恥でないと難しいと思うが、確かに随分と厚顔無恥であることは、文章の内容等からも類推できる。そうとう自分のことが好きな人なのだろうなあ、人生悔いなしと思っているんだろうなあ、というのは文脈の端々から伺うことができる。そして、冷静に分析しているようで、最終的にはドイツは立派で日本は駄目というところに落ち着く。そして日本人の中ではドイツをよく知っている自分は、普通の日本人よりは優れている、というような意識を持っていることがぷんぷん文章からわき出ていて読んでいてひたすら不快にさせられる。何しろ許せないのは、タイトルに「ドイツの都市」とあるのに、都市に対してまともに記述されたのがウィーンだけだということである。改めていうまでもなくウィーンはドイツの都市ではない。まあ、こういう本をスルーさせないで、いちいちと反発してしまう自分も修行が足りないのだろうが、金を出した消費者の観点からすると、「こんな本を出版するな!」と言うべきだな、と思い指摘した次第である。ドイツのことを書いているようで、小塩先生の人生が書かれているだけだ。二人のフロイラインなどの若い女性の記述などは、本当に何が言いたいのだろうか。別に書くな、とまでは言わないが、ドイツの本で書く必要もないような下らない先生と若い女性との交流話をなぜ、私が読ませられなくてはならないのだろうか。しかも一人は日本女性でドイツとまったく関係がない。読者をなめるのもいい加減にして欲しい。これは講談社にも言えることだ。
 1970年代には、それでも情報量が少ないので、このような本も多少は意味があったかもしれないが、21世紀においては無価値な本である。
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