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二酸化炭素の排出取引という愚行(それにしても牛にゲップぐらいさせてやれよ) [サステイナブルな問題]

新聞を読んでいたら、牛のゲップを抑えることでメタンガスの排出を減少させ、地球温暖化を防ぐという技術をどっかの企業が開発したらしいという記事が載っていた。牛からすれば、余計なお世話であろう。ゲップぐらいさせてやれよ、牛に。なんか地球温暖化の問題もついに、牛のゲップを抑えるといったことを一生懸命やるような馬鹿な事態に陥っている。そもそも、牛を食べるのを止めて、食糧用としての牛をこんなにも放牧することを止めればいいのだ。牛を食べるということ事態、エネルギーも土地も無駄に浪費するし、健康にもよくない。ちなみに私は、基本的には牛は食べないが、別にまったく不自由しない。牛肉を食べるというのは基本的には不必要な贅沢であると思っている。牛の代わりに鯨を食べる方が、よほど環境には優しい、ということをどうもノルウェーも主張しているようだ。

地球温暖化をどうにかしようと考えるのなら、アメリカのライフスタイルをどうにかしなくてはならない。日本人が一生懸命、たとえ頑張ったところで、アメリカが相変わらず化石燃料を無駄に使いまくって二酸化炭素を出しまくっているのならば、所詮、焼け石に水。自己満足にはなっても問題の解決にはならない。アメリカが自分たちのライフスタイルを変えずに、他の国の奴らに二酸化炭素を出させないで、状況を改善させようと考えついたのが二酸化炭素排出権取引という、もう人を馬鹿にしきったアイデアだ。筆者は、このアイデアが出された時、アメリカで環境経済学の講義などを受けていて、その是非を議論していた。最初は、なかなかいいアイデアなんではないか、と思っていたりしたが、その後、ブエノスアイレスの地球温暖化会議に仕事で行ったりして、情報を収集しているうちに、どうもいろいろと問題があるシステムであることに気づいた。

環境問題と市場経済は、環境負荷の外部性を内部化することができれば、必ずしも相対立しない。しかし、市場は必ずしも論理的に動くわけではない。情報の不確実性が常に、その市場に入り込み、そこに投機的要素が入ったりする。二酸化炭素の排出取引には、大きく3つの問題がある。それは1)測定が困難である問題、2)違反者を罰する国際法が存在しない問題、3)富めるものが必ず有利に働くという構造上の問題である。私がこの問題を学生達が理解しやすくするために紹介するたとえ話は、クラスにおけるおならの排出権取引を想定することである。おならは、臭うので測定しやすい。誰かが排出したかは分かりやすい。しかし、誰かと特定することは難しい。臭うおならでさえ、そうなのに臭わない二酸化炭素が増えた、そして誰が増やしたかとどのように特定するのか。また、例え誰かと特定したとしても、それを国際法的に罰することは極めて難しい。爆弾でも落とすのか。まあ貿易をしていたらある程度罰することはできるかもしれないが、輸出国などはむしろ日本からの輸入が減ったら喜ばれたりして。富めるものが必ず有利に働くというのは、富めるものは排出権を購入するかどうかの判断ができるが、貧しいものは出来ないということである。これはスモッグの排出権取引を導入したロスアンジェルスでもみられた現象であり、社会的不公正を生じさせる。そういうような取引を地球レベルで展開しようとする傲慢さに、私は本当に腹立たしいものを感じるのである。まあ、まさに狂想曲だ。他国に排出規制の肩代わりをさせようとするアイデアの次は、牛に肩代わりか。いい加減、自分たちのライフスタイルをかえることを真剣に考えたらどうだ。とりあえず、牛を食べるのをやめろよ。


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