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富山の八尾町に行き、日本の地方の将来もまだまだイケルと感じる [都市デザイン]

富山県の八尾に行く。八尾は「おわら風の盆」や越中八尾曳山で知られる。富山県の南部に位置しており、平成の大合併により2005年4月1日に富山市と合併する。それまでは人口2万人の小自治体であった。富山市に行く用事があったので、八尾にも行かせてほしいと我が儘を富山市の方に言って連れて行ってもらった。何が観たいのか、というと八尾には諏訪町本通りという日本の道100選に選ばれたなかなか風情のある道路があるので、それが目的である。

ちょうど雪が降った後の晴天という雪国の景観を堪能するのは、これ以上ないシチュエーションになっていたこともあり、諏訪町本通りは、これぞ日本の地方における「正しい」道路景観という佇まいであった。諏訪町本通りの景観は、石畳の道と格子戸の家並みから構成される。家並みはしっかりと調和されており、維持管理も住民達がしているため、そこには凛とした毅然さが感じられる。しかし、それだけでは、この景観の良さは説明できない。と、電線がまったくないことに気付く。さらに坂道になっているのでパースペクティブの効果が強調されている。アイストップが小高い山になっている。まるで、ウォルト・ディズニーがディズニーランドで工夫したメイン・ストリートのデザインのような効果がここにある。

しかし、なぜこんな地方なのに電線の地中化ができたのだろうか。それは曳山祭りが関係している。そもそも八尾は曳山をするために電柱が7〜8メートルと非常に高いところに設けられていた。そして、そのために景観整備をする際に、この高いところまである電柱や高いところに張り巡らされている電線が大きな邪魔になった。そのために平成元年、この道に石畳を敷く際についでに無電柱化も進めたそうだ。私は個人的に、無電柱化がまったく進まない現状に嫌気をさし、電柱のことを「勝手にボンエルフ」と命名し、電柱のある景観を自ら受け入れようと努力したりもしていたのだが、やはり電柱がない方が街並みの景観がぐっとよくなることを改めて認識する。私も某区の景観審議委員会の委員を務めているので、電柱撤廃運動を進める義務があるのではないか、と殊勝なことを思わさせられた。

八尾では、街並みの景観をまさに創造している。今までは年間30軒くらいのペースで建て替え、改築等を進めていたのだが、現在は景観法がらみの補助金を受けることができたので2倍のペースで進められるようになったそうだ。面積的には60ヘクタールの地区でこの街並みの景観創造事業を進めている。住民に、どのようにこの街並み景観に寄与すればいいのかを伝えるためのマニュアルも作成している。八尾では幸い、「八匠」と呼ばれる左官屋や大工がまだ元気で活躍している。彼らのアドバイスを受け、八尾の街並みのDNAを将来に伝えるようにしているそうだ。ここらへんは、今月の頭に訪れた小江戸川越の本通りとは状況が違うようだ。川越にはもう左官屋や大工がほとんどいなくなったために苦労しているそうだが、この八尾はまだまだそういう人的資源が地域に残っている。

いろいろと感心したが、その中でも特に郵便局の取り組みは特筆すべきものであった。ここは、郵便局の近代的な建物を隠すかのように、格子戸の街並みに合った塀を設置している。これによって景観に連続性を創り出すことができ、郵便局という異質な建物の存在によって景観の調和を壊すことを回避している。また、三味線や鼓弓の音は逃げるために、音響効果も考えての塀設置という意味もあるようだ。塀にはベンチのようなものも設けられており、おわら風の盆などのイベント時には腰掛けることもできるそうだ。隠れた心遣いである。これは、まさにレルネルさんが指摘する「都市の鍼治療」だ。そこには、その町やコミュニティを愛する気持ちが感じられる。町に対する細やかで優しい気持ちがなければこういうアイデアは出てこない。ちなみにこれをするのに2800万円かかったそうである。しかし、その効果はプライスレスというか、計り知れないのではないだろうか。まさにお金がてこの原理のように機能した事例だと思われる。

八尾の景観づくりにずっと取り組んでいる谷井さんは、横小路が八尾には重要であると指摘する。これらは間仕切りをした後できた住民の思い入れのある場所だそうだ。そして、八尾の景観をしっかりと維持するうえで重要なことは、道を広げることでは決してないという。同じ北陸にある山中温泉ゆげ街道が景観賞を受賞したのだが、その景観に対して、私はとても強い違和感を覚えている。というのは、街並みよりも道路の方が景観の主人公面をしているからだ。街路整備が主人公で街並みの景観は脇役といった印象を私はその景観から受けてしまうのである。そういう街並みとこの諏訪町本通りや八尾の街並みとは大きな違いがあると感じる。これは私見だが、やはり日本の地方風土の景観は道ではなく、街並み自体が主人公であるような景観こそが美しいのではないかと思う。それは自動車を運転しながら楽しむ景観ではなくて、歩きながら楽しむ景観である。ここをごっちゃにするから、景観整備も変な方向に行ってしまうのではないだろうか。

街並みを堪能したのに加えて、地元の酒蔵、福鶴酒造さんを訪問する。地元を中心にお酒を販売している酒造さんで「清酒風の盆」という商品をつくられている。お酒をつくる過程も見せていただいた。地元の酒造は、地域の貴重な資源である。それは、地域文化や地域アイデンティティを形成するうえでも重要な役割を果たすことになる。地元のお酒を飲むと、少し、その風土が理解できるような気もする。素晴らしいことだ。

最後に八尾といえば、おわら風の盆ということで、それに関して簡単に記したい。これは毎年9月1日から3日に行われ、元禄の頃から八尾にて行われる。佐渡おけさとは共通項が多いそうだが、編笠を被り、顔が見えない状況で、涼しげな浴衣を着て、踊り歩く様子は映像で観ただけだが、なかなか幻想的で、ブラジルのサンバとは対照的な静の色気が香り立つような、ある意味エキゾチックさに溢れる祭りである。人口2万人の町に、この祭りの時は30万人も観光客が訪れるそうだ。踊る人も3割ほどが外人部隊。最近は、観光資源になってしまったために観光客からの苦情が多くて困惑しているそうだ。そもそもは町の人達のための祭りであったので、観光客への対応はしっかりとできていない。しかも場合によっては弾丸ツアーでやってきて、おわらに何も残さないで、ごみと苦情だけ残す、といったような状況も起きているそうだ。地元の祭りを観光化することの難しさを地元は実感しているそうである。このお祭り、事務局は商工観光課だそうだ。

八尾は養蚕で潤った。ある時期は、全国の養蚕の4割を占めたそうである。そういった富山藩の財政を支えた町人文化がここには育まれており、また、その資源をしっかりと次代に残そう、またそれをベースとした新たな価値を創造しようという誇りをこの町では感じた。なかなか、これからの我が国の地方が進むべき方向性を示唆しているようで、大変心強い。日本人でよかった、と思えるような街づくりの努力がされている、といえよう。


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