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イリャ・ド・メル [サステイナブルな問題]

パラナグアから南に船で20キロほどいったところにあるイリャ・ド・メル(メル島)。日本語に訳すと「蜜の島」。この27キロ平米ほどのパラナグア湾に浮かぶ風光明媚の島は、今ではこの地域を代表するエコ・リゾートとなっている。一日当たりの入島者数を5000人に限定し、建物も建設材料にコンクリートを使わせないなど徹底して、この島のアイデンティティを保全する取り組みが為されている。ここを訪れた。3年ぶりである。
 イリャ・ド・メルはいびつな蛸のような形状をしている。蛸の頭の部分は生態系保全地区となっており、その面積は22キロ平米。海岸沿いを歩くと7時間はかかる。ほとんどの観光客は、蛸の足の部分(といっても8つに分かれている訳ではない)を訪れる。アクセス・ポイントは二つあり、ブラジリアとエンカンタダスである。我々はブラジリアに行く。ここから歩いて蛸の足の一番北にある丘の上の灯台を目指す。周辺にはレストランやホテルがジャングルの中に立地しているが、明かに3年前より増えている。3年前はもっと自然というかワイルドの魅力があったが、徐々に人工化されていることがうかがえる。
 灯台には日陰のない階段を上っていく。この頂上からは素晴らしい景観が展望できる。初めて訪れた時は、本当に感動したが、今回はそれほどでもない。どうしてだろう。とはいえ、それでもそうそう目に出来ない展望だ。

 この島は1997年までは桟橋もなく、唯一の公共交通手段もポンタル・ド・スルという本土の海岸沿いの町から出る無免許のボートでしかなく、乗車料金も船に乗ってから請求され、島の近くで船から飛び降りるといった方法でしかアクセスできないようなところであった。そのような状況であったから、島を訪れるもの達も、まともに自然を楽しもうというものよりかは、乱痴気騒ぎをしたがる若者が中心となり、麻薬なども行われたりしたりして、健康的なリゾート地から程遠い状況にあったそうだ。
 そのような状況を改善するために、当時パラナ州の環境局長であった日系一世の中村ひとしが立ち上がった。
 中村はまず、桟橋を整備することが必要であると考えた。そして、無免許のボートをしっかりと桟橋で発着させ、公共交通手段として人々に信頼されるものにしなくてはならないと考えたのである。そこで中村は船着き場を一カ所に集約させることを提案する。しかし、これは大いなる反対にあう。「あの変な日本人を殺してやる」と大ぴっらに言うものも現れ、中村も脅迫電話を何回も受けることになる。周囲も中村に、今あそこに行っては危ない、と注意するような状況であった。しかし、中村はそのような脅迫に怯まずに事業を遂行してしまう。その話は、レルネル市長が初めてクリチバに就任した時に多くの反対を押し切って11月15日通り(花通り)を歩行者専用道路にした経緯を彷彿とさせる。中村にレルネル魂がしっかりと宿っていることを示唆するエピソードである。この事業も、花通りのように、実際完成してしまえば、その方が観光客も増え、彼らも儲かることになった。
 さらに、中村は一日当たりの島に渡れる人数を5000人とした。この数字の根拠は、島に出る湧き水が5000人分しかないからである。そして、建物の規制もかけた。建設材料としてコンクリートの使用は一切禁じた。ただし、違法建築がその後、出てきたりはしている。2008年2月に筆者が訪れた時、なんと州政府の建物がコンクリートを用いていた。もちろん州知事は中村の天敵であり、レルネル氏の永遠のライバル(というか、ただ足を引っ張るだけの)ヘキオン氏である。明かなる嫌味行為だ。

 このプロジェクトで興味深いことは、桟橋の整備を環境局の事業として中村が遂行してしまったことである。これは本来的には交通運輸局の事業である。しかし、中村は交通運輸局に相談せずに、環境局の事業としてやってしまう。中村にどうして相談しなかったのか質問すると、「いや、そんな相談をしたらやれることも出来なくなってしまう。とりあえずやってしまって問題を解決しなければ、問題は永遠に解決しない」。中村が最も嫌うことは、計画をつくってもそれを実行しないということである。非常にプラクティカルな人なのである。そして、今回の事業でも結果を伴うことになる。今、イリャ・ド・メルはパラナグア地域最大の観光目的地となっており、アルゼンチンやドイツなど諸外国からも多くの観光客を集めるようになっている。
 ただし、この事業を実施したことに対しては、交通運輸局は決して心穏やかではなかった。確かに中村はレルネル州知事の懐刀で特攻隊長である。多くの問題を解決する能力と飛びきりの実行力を有していることは理解できる。しかし、領土侵犯されたという意識はどうしてもある。2008年現在でも、ポント・ド・スルの桟橋と公共バス・ターミナルは1キロほど離れている。中村が、桟橋のところにターミナルを整備して欲しい、とお願いしたのだが、これは交通運輸局が決して首を縦に振ることはしなかった。住民達とは常に和の心で接していた中村ではあるが、官僚組織に対してはそうそう和で対応することは難しかった、というか中村はそのようなことに対してあまり価値を見出さなかったということが推察できる。
 


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