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トラジャ [都市デザイン]

マカッサルからバスに揺られて9時間、スラウェシ島のほぼ真ん中の山中にあるタナ・トラジャに着く。タナ・トラジャはトンコナンと呼ばれる伝統家屋や岩窟にある墓、そして盛大な葬式をすることで知られている。このタナ・トラジャ、どうもマカッサルの人達の評判があまり高くない。トラジャはどうか?と尋ねると多くのマカッサル人は、いいにくそうな顔をして、あまり勧めない的な反応をする。トラジャねえ、まあいいんじゃないの、といった感じのリアクションを返してくる。マリーノというマカッサルから2時間くらいで行ける避暑地があるのだが、まあそことどっこいかな、みたいな意見をしたものもいる。総じて、とてもバスで9時間も揺られていく所ではないといった意見であった。

だからまったく期待していなかった。ところが、着いて驚いた。そこは、まさに異郷情緒溢れる、桃源郷のような素晴らしき土地であった。中国の水墨画に出てくるような高さのある石灰岩の山々に囲まれた盆地は、青々とした棚田が広がり、その棚田を水牛がのっしり、のっしりと歩いている。その背景には、トンコナンというエビ反りをしたような屋根が特徴的な高床式の家屋が建ち並ぶ。そのランドスケープの壮麗さといったら比較すべきストックが私の引き出しにはないくらいである。少なくとも日本の田園風景でここまで雄大で、時間の悠々とした流れまで感じられるようなのびやかなものはないであろう。このランドスケープが独特の伝統文化、死生観に影響を与えていることは間違いないと思われる。特にトンコナン・ハウスはすべて北を向いて建てられるのだが、オリエンテーションを強烈に意識することなどは、この土地の風土が影響していると考えられる。

イスラム教がインドネシアの海岸沿いに普及したのは15世紀。海岸沿いでは、およそ90%がイスラム教徒によって占められるようになる。16世紀になると、オランダがインドネシアにやってくるのだが、海岸沿いはほぼイスラム教徒であったので、キリスト教の伝道師はイスラム教徒がまだ普及していない海岸から離れた山間地にて布教活動を行った。タナ・トラジャもイスラム教が普及していなかった地域であったので、85%近くの住民がキリスト教徒になった。この悠久なる時間が流れるような風土に教会がアクセントを与えているのが、また不思議な印象を与える。

トラジャの伝統文化で特徴的なのは何しろ葬式である。生きているよりも死ぬ方にお金をかけると言われているトラジャでは、葬儀の費用が不足しているために、何日も、何ヶ月も、場合によっては何年もの間、死体を家に置いておく。死体は死んだとは考えられずに、病気になっていることになっている。正式に死が確定するのは、お供えの水牛の最初の一匹を殺した時である。この時、水牛の魂と一緒に連れられ、死者の魂も肉体から遊離する。しかし、この魂は悪霊となって、成仏せずに、そこらへんをうろちょろしている。そのために、悪霊の機嫌をとるために、いろいろとお供え物などをして、良い魂へと浄化してもらうようにする。そして、良い魂となったら、タウタウと呼ばれるジャックフルーツの木からできた等身大に近い大きさの人形に魂は入ってもらい、休んでもらう。しかし、タウタウがつくられるのは身分が上のものだけである。

トラジャには時代の変遷と共に3つのお墓がある。一つは、木彫りの棺桶で、そのまま岩とかに置かれていたものである。これは、墓荒らしの被害にあまりにもあうので、19世紀にはこの形態は取られなくなった。タウタウも盗みの対象になるので、美しいトンコナンの集落として有名なケテケスのそばにある昔タイプのお墓ではタウタウが牢屋のようなものの中に入れられていた。しかし、それは一見すると魂を持ったタウタウが外に出ないように幽閉されているようで結構不気味である。従来のお墓の代わりに普及したのが岩のお墓である。岩のお墓はあちこちにあるが、特に有名なのはレモの村にあるものである。巨大な一枚岩のあちこちが、棺桶が入れられるように刳り貫かれている。この穴は、墓荒らしにあわないよう、はしごでしか上れないような高さにつくられている。穴には扉がつけられている。そして、バルコニーのようなものが設けられ、そこにはタウタウが置かれ、こちらを死んだ目で見つめている。霊感が強い人なら、何かを感じるようななかなか迫力のある光景である。そして、最近ではコンクリートのお墓が一般的になっているそうだ。

私が滞在した期間中には葬式が執り行われなかった。これは、観光者の私としてはついていないが、まあ死者が出ないことはいいことであろう。いや、トラジャは既に死を超越した人生観を有しているのだろうか。その代わり、結婚式に参加した。結婚式は比較的、簡単に参加することができた。トラジャでは結婚式は新婦の実家で執り行われる。家はトンコナンの昔ながらのものであったが、結構、庭は大きく、参加者は優に300人ぐらいはいたと思われる。結婚式では、予定の時間より早く着いたので、えんえんと生バンドの音楽を聴かされた。そして、待った割には、大した演出もなしで新郎と新婦が会場に参上した。特に拍手とか結婚行進曲のようなものはなかった。その後、ちょっと意味が不明だが、豚の売買が行われ、それが終了するとようやく壇上に新郎新婦が上がってきた。新郎新婦はそこで役所の結婚証明書のようなものに署名した。新婦は相当の美人であり、新郎もなかなかの美青年であった。ただ、やはり葬式を大切にする土地柄か、結婚式はそれほど風変わりのものではないという印象を受けた。

しかし、この素晴らしきランドスケープの地をなぜ、マカッサルの人達が評価しないのかが分からない。というか、これはマカッサルの人達を把握するうえでのひとつの切り口になるかもしれない。マカッサルにはプロジェクトがあったりしたので、今回で5回目の訪問となるが、どうも根源的に私とはずれを感じる。人は決して悪くはないのだが、正直者のようでドタキャンが多く、約束は守れないし、しかもその非を責めるとまるで私を悪人のように怖れる。物事の評価軸がずれている印象を強く受ける。これまでは、それは単なる私との価値観の違いだと思っていたが、トラジャの素晴らしさは絶対的なものに等しい。それはミロのビーナスが芸術作品として素晴らしいことやグランド・キャニオンが素晴らしいこと同等のように、明々白々で評価すべきものである。よいものをしっかりと評価できないことは、問題があることを問題として認識できないことに通じる。マカッサルの多くの都市問題の理由は、案外、そういうこと、つまり問題を問題として認識できていないことに起因しているのではないか、とタナ・トラジャの素晴らしさを実感するにつれ考えさせられた。そして、タナ・トラジャはマカッサルではない玄関口を整備すれば、より多くの国際観光客を引き寄せることができるのにとも思ったが、そうするとタナ・トラジャの良さが失われるかもしれない。観光ガイドの極めて適当だと思われる情報では、年間でフランス人が2000人、オランダ人が700人、日本人が100人程度訪れるそうである。まあ、これくらいしか来ない方が秘境としての価値を維持できるのでよいのかもしれない。

もし、死ぬまでにインドネシアの一カ所だけ訪れていいと今、言われたら、私はジョグジャカルタでもバリでもなく、ここトラジャを再訪したいと思う。ここは、久しぶりに一週間ぐらいのんびりと過ごしたいと思わせてくれた場所である。私と相性の悪いフランス人とテイストが合ったことは遺憾ではあるが、それでも、このタナ・トラジャの素晴らしさを否定することはできない。


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