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ジーコとオシムと中田英 [スポーツ]

オシムが全日本の監督をするということで、大変喜ばしい。日本は常に、全日本の監督の選考が不明朗でよく理解できにくいところがあった。4年前日韓共催でワールドカップを開催した時、韓国はヒディンクのような極めて優れた監督に率いられていたが、日本はトルシェというその実力や性格がよく分からないような監督に命運を託した。トルシェは確かに最悪ではなかったが、ヒディンクではなかった。4年後にヒディンクがオーストラリア代表を率いているのに、トルシェは無職に近い状態にあることは、4年前の監督選びで韓国と日本において大きな差があったことを改めて認識させられた。なぜトルシェだったのか。そして、トルシェの後任はジーコであった。ジーコは初めての監督業がA代表という、いきなり本番の仕事を任せられた。ジーコの監督の優劣をここで語ることはしない。ジーコは神様であり、批判の対象にするには崇高すぎるからである。しかし、ジーコを監督に選らんだことは、まさにこの点において問題であったのである。おそらく川淵コミッショナーはジーコが好きで好きでしょうがなかったのであろう。それはそれでいい。しかし、好きで好きでたまらなく、しかも批判の対象にもならないような人を選んでしまうと、コミッショナーを頂点に皆が思考停止に陥ってしまう。もうジーコに任せたら、あとは神頼み。ジーコが神だから、もうそれは当たり前である。しかし、それはあまりにも無責任なのではないだろうか。マスコミもほとんど批判できない。私も学生とかがジーコの采配は間違っている、とか言うのを聞くと条件反射的にムッとしてしまう。しかし、学生の指摘はおそらく正しいのだ。このように多くの国民を思考停止にするような状況に追いやったことで私はジーコを監督に指名したことは大失敗だと思う。中村があれだけ疲弊して切れ味が悪くても小野を出さなかったことと言った采配論の是非は大したことがない。問題は神を指名したことにあるのだ。周囲が敢えて批判をしても、コミッショナーは愛する人を敵から守る騎士気分になれる。まあ、川淵コミッショナーの功績は確かにあると思うが、好きであればこそ、ジーコを監督に指名するべきではなかった。

ということでオシムである。オシムは素晴らしい知性の持ち主で、我々にサッカーや人生についていろいろ教えてくれる師である。師であるが神ではない。そこにはコミュニケーションの余地がある。しかし、オシムを監督に考えているといった川淵コミッショナーの理由がオシム語録を読んで感動したからって、それじゃ私と一緒じゃないか。こんな素人と同じようなレベルで監督を決めていいのか。しかし、私はオシムが監督することで、サッカーの奥深さなどを教えてくれるのではないか、と大変期待しているのである。少なくとも、オシム語録を読むことがさらなる楽しみになることは間違いない。それにしても川淵コミッショナーは本当に心配。

ところで今日の朝日新聞のトップは中田英引退の記事であった。驚いた。全国紙のトップ記事がサッカー選手の引退記事、しかも確かに日本サッカーには貢献したかもしれないが、ベーブ・ルースやマイケル・ジョーダン、ペレといったそのスポーツ自体を変えてしまったような選手ならともかく、イタリアで1年か2年間だけ活躍できたような選手の引退記事である。この扱いは何なんだろう。しかも、ご丁寧に中田のホームページの内容を全文紹介していた。これは紙面の大いなる無駄で、そんなのはホームページのアドレスさえ書いておけばいいことだろう。中田はそれなりに偉大なのかもしれない。しかしイチローとは訳が違う。イチローの引退時もこれだけのスペースを割くのだろうか。中田でさえこの扱いなら、是非とも割いて欲しいところである。まあ、もう一方ではニュース性ということもあるのかもしれない。しかし、ジダンのラストダンスの鮮やかさに比べて、あまりにも今回のワールドカップでの中田は輝いていなかった。いや、確かにクロアチア戦でのミドルシュートなどは切れ味が鋭かった。それでも、ジダンやフィーゴ、そしてネドベドなどの引退がかかっている他のMFに比べても、人に訴えるものは少なかったというのが正直な感想である。ワールドカップは中田の人生的には大いなる終焉であろう。しかし、我々一サッカーファンからすれば、あまりにもあっけない幕切れ。クライマックスのない盛り上がりに欠けたコンサートが、これから何かあるのかと思ったら突然、終わりを告げられたような印象である。スポーツ新聞ならトップ扱いは当然だ。しかし、朝日新聞のトップにくるとは、なんか強烈な違和感を覚えるのは私だけではあるまい。そんなに、みんなサッカーが大切なのだろうか。そんなに好きなのだろうか。私は学生と話をして思うのは、いかに皆あまりサッカーに関心を持っていないかということである。やはり、オシムに私を含めて日本人はサッカーについて学ばせてもらうことが必要である。我々はサッカーを知らなさすぎる。サッカーを知らないから、そしてサッカー後進国であるからこその、今回の中田引退記事の全国紙のトップ扱いなのではないか、と私は思うのである。


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ジェリー・ライス引退 [スポーツ]

今日はいつもと全く関係ないことを書かせてもらう。というのは、NFL史上最高のワイドレシーバーであるジェリー・ライスがついに引退を今日発表したからである。ジェリー・ライスは私と同じ42歳であるが、もう同じ人間とは思えないほど素晴らしい能力の持ち主である。NFL記録である197タッチダウンをはじめ、ほとんどのパス関係の記録を塗り替えた。ライスの1549キャッチは、次点のクリス・カーターよりも400も多い。22895獲得ヤードは、次点の天才ティム・ブラウンよりも8000ヤードも多い。ちなみにタッチダウン記録は、次点のクリス・カーターよりも67も多い。もう、これはまさに無比の存在なのである。オークランド・レイダースの名コーチであり、テレビ解説者であるジョン・マッデンは、「ジェリー・ライスは最も優れたワイド・レシーバーであるのと同時に、誰よりも練習をするプレイヤーである」と言っていたが、シーズン前に山に入り行うトレーニングの厳しさは伝説の域に達していた。そして、ワイド・レシーバーであるが、ランニング・プレイの時にはオフェンシブ・ラインマン顔負けのタックルを相手に喰らわした。ジョー・モンタナ、スティーブ・ヤングといった歴史に残る名クォーターバックは、ジェリー・ライスによってその名声を高めた。個人的に印象に残っているのは1995年のシーズンである。この年、フォーティナイナーズは13勝3敗。ディオン・サンダースの加入などの新戦力も活躍したが、なんといってもスティーブ・ヤングとジェリー・ライスのパス・アタックが芸術のレベルにまで昇華するほど素晴らしかった。特に宿敵ダラス・カウボーイスをやっつけた試合には大いに興奮した。このシーズンでは、レギュラー・シーズンとNFCの決勝で憎きライバルに2度勝利している。その前年と前々年にNFCの決勝でダラス相手に土を舐めさせられていたので、この勝利は非常に爽快であった。こんな素晴らしいチームのファンであることの幸福感を覚えたものである。そして、スーパーボウルでもチャージャーズを点差以上の実力差でねじ伏せる。49ersは5回スーパーボウルに出場しているが、全て勝利を収めているという素晴らしいチームである。そして、そのうちの3回においてジェリー・ライスは優勝に貢献している。しかし、ジェリー・ライスが何より素晴らしいのはその強い意志である。1997年に膝を壊し、もう復帰はできないと誰もが思っていたにも関わらず、そして49ersからも解雇されても、レイダースで復帰をし、その後492キャッチ、6440獲得ヤード、そして42タッチダウンを記録に加える。これらの数字はホール・オブ・フェームの名ワイドレシーバー達の何名かの記録を上回っているのである。

煉瓦職人であった父親の仕事を手伝い、父親が投げる煉瓦をいかに壊さないで取るかを工夫したという生い立ち。全体で16番目にドラフトで選ばれた不世出の天才は、その才能だけでなく努力で、人類未到の記録を達成した。その記録は、プロ野球のホームランで言えば1000本以上の価値がある記録であり、まず塗り替えられることは、私の目が黒いうちにはないと思われる。そして、そのような大天才でも寄る年波には勝てない。もうあの彼の華麗なワンハンドキャッチを見られないことも悲しいものがあるが、私と同じ年齢であるということもあり、彼でも克服できなかった年齢による身体能力の衰えによる引退は非常に寂しいものを感じる。また、彼のような天才と同じレベルで考えることが恐ろしく僭越であることは分かってはいるが、多くを成し遂げた彼と同じ年であるにも関わらず、ほとんど何も成し遂げていない自分のことを顧みると、またまた寂しくなるのであった。しかし、ジェリー・ライスと同時代を過ごせたことは有難いことである。


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