SSブログ

外国人が観る「フクシマ論」 [原発問題]

7月27日版のニューズウィーク誌が、「フクシマ論」特集をしている。結構、興味深い指摘が為されている。外国人が今回のフクシマの事故をどう捉えるかは個人的に強い関心がもたれていることだが、やはり東電というよりかは、経産省が根源的な問題であると捉えられているようだ。
 オーストラリア国立大学のマコーマック教授は、「エリート官僚が日本を崖っぷちまで追い詰めることを可能にした枠組みを民主主義によって立て直さなければいけない」と言及している。また、明治大学のローレンス・レベタ特任教授は、「今後も原子力に依存するならば、独立した規制機関が必要だ」として、それは「利潤ばかりを追求する企業の支配からも、既成概念への意義を受け付けない官僚的な思考回路からも完全に独立した機関」であると、官僚による統制の限界を強調する。私もまさにそのように捉えている。第二次世界大戦に参戦したことや、原子力政策への蒙昧なる推進など、みな日本が「崖っぷちまで置き詰められる」状況に陥ることはエリート官僚が遂行してきている。しかも、東電や政治家と違い、エリート官僚組織は責任がまったく追及できないのだ。今回のフクシマの事故でも、シラを切って管理をより厳しくするなどと主張する茶番を演じている。
 そして、このような事態をもたらしたのは、民主主義が機能していないからで、この状況をしっかりと再構築しなくてはならないとマコーマック教授は言う。今回の原発事故は「民主主義に基づく統治の危機でもあり」、「日本の民主主義は、日本という国を動かす力を、官僚と資本が融合した無責任な独占体制から奪い取らなければいけない」と指摘している。しかし、このようなエリート官僚の暴走を許せているシステムがそもそも民主主義なのであろうか。日本の民主主義というものを根源的に捉え直す必要を感じる。
 フクシマ原発に関しては、官僚が諸悪の根源であったという点では納得いくが、日本の民主主義の危機という点においては、果たして日本に民主主義が存在していたのか、という点で過大評価しているのではないかと考えたりする。
 

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0