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オーストラリアの都市は分かりやすい [都市デザイン]

オーストラリアの都市はとても分かりやすい。まず、都市域がしっかりと定義されている。都市が拡大して隣接する都市を呑み込んでメガロポリスをつくったりするような現象も見られない。いや、見られない訳ではないが、例えば東京と横浜、大阪と神戸のような独立した都市が連担して、何が何やら分からなくなったような状況はない。周辺の自治体を包含する場合ももちろんない訳ではないが、それでも都市の定義が極めてしやすいのである。パースならパース、アデレードならアデレード、ブリスベンならブリスベン、とその都市像がしっかりと捉えやすい。これは、すなわち統計などで分析しやすいということだ。シドニーなどはちょっと大きくなりすぎてカテゴライズ化することが難しくなってしまったかもしれないが、アデレード、パース、ブリスベンといった都市だと、都心部はたいてい10×4のブロック。これが商業、ビジネスの中心であり、その周辺にスタジアムや公園などの公共的なアメニティ施設が立地し、外側に近郊の住宅地がつくられている。住宅地はそれぞれ、そのコミュニティを主に顧客とするような都市サービスが提供されており、それはアメリカ的なものとヨーロッパ的なテイストを足して二で割ったようなものになっている。近郊であってもアーバニティが感じられるいい空間だ。あたかもシムシティをやってつくったかのようなパターン主義のようなものが感じられる。

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(パースの中心市街地をキングス・パークから望む)

一方、日本は遙かに複雑である。そもそも都市と都市が融合してしまい、訳が分からなくなっている。しかも鉄道を中心とした街づくりを展開してきたにも関わらず、無思慮な自動車優先政策を採ったために、特に郊外の都市や地方都市などはどこが中心かも分からないぐちゃぐちゃな状況になっている。その昔、駅前を中心とした開発整備をしないといけない、とある地方都市の役所の人が言ったので、私は、いや、ショッピング・センターがこの都市の中心でしょう、と言ったことがある。道路をむやみやたらに整備して、巨大なる商圏の需要もまかなえるショッピング・センターを街外れのバイパス沿いに開発させておいて、駅前が依然として都市の中心としての役割を果たせる訳がない。やっていることがメチャクチャなのだ。さらには、市町村合併をしたので、政治的な中心が都市の中心という整理の仕方も難しくなってしまったし、実質的な都市規模は小さなコミュニティが、統計上は大きな都市になってしまったりして、本当に複雑怪奇な状況になっている。いわき市は合併した後、30万人の人口になったが、今でも平は30万人都市の中心としては位置づけられず、12万人都市の中心機能ぐらいしか果たせていない。こういう背伸びをすることに特にケチをつけたい訳ではないが、都市を分析する側としては、本当にやりにくい。それに比べるとオーストラリアはとても楽そうで、同じ都市分析をするなら、オーストラリアの方がよほど簡単だな、と思う。日本の都市はそういう意味でアナリスト泣かせである。

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