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風評被害といって福島の農産物を(若い)人に推奨するのは罪であると思う [原発問題]

私のところにカーボン・コピーで「東日本大震災、安全性が確認されていながらも風評被害でなかなか売れない果物の販売」を推奨するメイルが送られてきた。

福島の人々、福島で農業、漁業を営まれている人達には大いに同情する。それでも、福島のセシウム紛れの牛肉が静岡に卸され、人々が食したという事実を知るにつけ、とんでもないことが起きていると思う。福島の農作物、魚介類の多くが放射能で汚染されている。確率的には低いかもしれないが、子どもが食べたら将来において白血病やら癌やらが発症する。こういうものを子どもに食べさせるのは大人の罪である。私も子どもがいる。自分達のことはともかくとして、子供達に放射能汚染の食べ物を可能な限り食べさせたくはない。ここで安全性というのは、単なるご都合主義の基準にしか過ぎない。年間20ミリシーベルトを基準にするという、あの御用学者の代表格ともいうべき小佐古教授でさえ、涙を流すほどの出鱈目な安全性の基準である。それを「安全性が確保されている」というのは、違うであろう。

個人が勝手に福島の食べ物を購入し、食べることはまったくもって文句はない。それなりの覚悟をしているとのことだと思うし、また、年寄りはむしろどんどん食べて、原発を推進させた自民党・公明党に政権をとらせた責任を取ってもらいたい。子供達には選挙権はない。この原発事故の責任もない。大人の罪を子どもに押しつけることは犯罪である。そうでなくても、大人というか年寄りがあの世に逝った後も、子供達は放射能とつきあっていかなくてはならないのだ。そもそも、こんな状態にしたことに大人というか年寄りはどうやって子ども達に贖罪するつもりなのであろうか。

子ども達の将来を考えたら、とてもではないが、福島の食べ物が風評被害で売れなくて困っている、などと言えたもんではないだろう。

それにしても、なぜ日本人は放射能が怖くないのであろうか。原爆の事故であれだけ悲惨な生き地獄を経験した唯一の国民であるのに、この無知蒙昧さは何なのであろうか。原発を持つというのは、いざ事故が起きたらその地域の農業、漁業が破壊されるということなのだ。チェルノブイルがそうであって、フクシマが違うなどということはない。セシウムの恐怖は、先週行っていた学会では、ノルウェー、イギリスといったチェルノブイルから1500キロメートル以上も離れているところでも未だに深刻な被害に遭っているのだという地元の人の話を聞いた。日本はある意味で山が多いので、チェルノブイリほど放射能が散らばっていないが、逆にいえば、山の汚染は相当のものがある。風評被害というのは年寄りがほざいていればいいことなのだ。子ども達には強要しないで欲しい。

なぜ、こういう風に強く主張するかというと、ここでしっかりしないと、第二のフクシマが絶対、起きると私は確信しているからだ。もう、日本人絶滅のシナリオにリーチがかかりつつあることを自覚すべきであると思う。そのためにも、いたずらに風評被害だと主張するのは、無責任甚だしい。他人に勧めないで自分でどんどんと食べればいいのだ。ただし、どんなに放射能汚染された食べ物を食べても、放射能は消えない。例え、癌になって焼却されても、放射能は灰の中に残る。とはいえ、福島県の農家が可哀想だと偽善的に思うのであれば、どんどん食べればいい。

ちなみに、私も福島の農家の知人がいる。とても美味しい桃と林檎をつくる。それは、買って食べようかと思っている自分がいる。ただ、子供達には絶対に口に入れさせない。それは、人として罪である。福島の農家の人達には申し訳ないと思う気持ちがあるが、それは人として出来ない。
タグ:風評被害
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