佐伯啓思『大転換』 [書評]
経済成長とはいったい我々にとって何なのであろうか。著者は、サブプライム・ローンを発端とする経済危機は、単に景気変動の底というものではなく、いびつな市場競争の結果がもたらした「社会」の崩壊であると考察する。その考察は、幅広い文献、思想から編み出されており、その慧眼は大いなる説得力を有する。この経済危機を著者は、アメリカを軸とする近代文明の危機として捉えているが、それは私がおぼろげに考えていたことを言語化してもらったような共感を覚える。成長は「豊かさ」を果たしてもたらしたのであろうか。「豊かさ」の意味を経済的に飽和状況にある今、まさに問い直すことが必要なのではないだろうか。
著者は、言う。「まだ、われわれが先進国に追いつく前の「成長経済」においては、「資本主義」の発展が、人々の生活を豊かにし、公共部門を拡充し、「社会の安定」が達成された。両者は決して矛盾しなかった。だが、「豊かな社会」においてはそうはいかないのである。」
同感である。失われた10年(20年?)は、我々が何を欲しているかが不明であるからこそもたらされたともいえるである。すでに消費経済がほぼ成熟していく中、需要を掘り起こすことは生産財ではほぼ不可能である。そのため、アメリカ化というグローバリゼーションは生産要素を市場化したという分析は、非常に鋭いものがある。今後の社会を展望していくうえで、大いなる勇気をもたらしてくれた素晴らしく密度の高い本である。
著者は、言う。「まだ、われわれが先進国に追いつく前の「成長経済」においては、「資本主義」の発展が、人々の生活を豊かにし、公共部門を拡充し、「社会の安定」が達成された。両者は決して矛盾しなかった。だが、「豊かな社会」においてはそうはいかないのである。」
同感である。失われた10年(20年?)は、我々が何を欲しているかが不明であるからこそもたらされたともいえるである。すでに消費経済がほぼ成熟していく中、需要を掘り起こすことは生産財ではほぼ不可能である。そのため、アメリカ化というグローバリゼーションは生産要素を市場化したという分析は、非常に鋭いものがある。今後の社会を展望していくうえで、大いなる勇気をもたらしてくれた素晴らしく密度の高い本である。