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徘徊老人がいきなり実家の居間にいて驚く [その他]

久しぶりに実家に戻っていた。亡き父親の部屋でくつろいでいると、老母が居間の方で、「あなた誰ですか。どうして家にいるのですか」と言うのが聞こえてきた。てっきり泥棒かと思い、110番をしようと携帯を手に取る。しかし、どうも泥棒と話している割には、母親の声は恐怖を帯びていない。危険ではなさそうだと判断して、とはいえ携帯を片手に居間をおそるおそる見ると、見たこともないおばあさんが立っていた。おばあさんは遠くを見るように怯えることなく私の方へ顔を向けた。
「おばあさん、何をしているの」と尋ねても何も答えないでいる。すると、隣から母親が「いきなりこのおばあさんが居間に立っていたのよ。もう驚いたのなんのって」と興奮して言ってくる。おばあさんは母親が興奮しているのに始めて驚いたような表情をする。どうも不味いと思ったのか、いそいそと玄関口に行き、サンダルを履く。しかし、サンダルを履いても、玄関から外へは出ようとしない。
おばあさんの隣に行き、少し、おばあさんの素性を知ろうと考える。おばあさんはしっかりとした服を着ていたが、尿の臭いがツーンと鼻をつく。失禁をしているのだ。
「おばあさん、どうしてここに入ってきたの」と尋ねると、「いや、私も分からない」と始めて答える。少し、頭が痛そうな表情をする。
「おばあさん、どこに住んでいるの」と聞いても「さあ」としか答えられない。「千早、それとも長崎」と聞いても、いや違うとしか答えない。千早、長崎というのは近くの町名である。おばあさんの足下に、スーパーマーケットのサミットのかごがおかれていた。「これ、おばあさんの」と聞くと、「そうだ」という。「サミットに行ったの」と聞くと、「そうだ」とまた答える。しかし、かごには中身が何も入っていない。私の家の周辺にはサミットはない。おそらく一番、近いのは隣駅の椎名町である。しかし、椎名町からここまで歩いてくるのに最短距離でも20分以上はかかる。まっすぐ歩かなければ30分以上はかかるだろう。そんなところから来たのか。この寒い中。
「住所はどこ」と聞いても答えられない。住所は完全に失念しているのだ。しかし、ここらへんは番地を最近、変えた。まったく意味もなく住所番号を変えたのである。私の家の場合、千早町であったのが千早に代えられて、番号も変えられた。だから、このおばあさんが住所を思い出せないのはこのおばあさんだけの問題ではないなとも思った。話が逸れるが、豊島区は平気で場所の名前を変える。住所だけでなく、近所の高校の名前も中学の名前も変えてしまった。こういう土地の記憶を失うような施策を続けている自治体はろくでもないと思う。特に物忘れが激しくなる高齢者にとっては冷酷な施策だと思う。
 さて、おばあさんに話を戻すと、住所は知らなくても電話番号は知っていた。3回ほど確かめたが、同じ番号を言うので、これは間違いないと思い、電話をする。生憎留守であった。家族の人と住んでいると言う。局番からすると、おそらく近くだろうと推察する。まあ、サミットのかごを持っているからと言って、サミットに寄ったかどうかは不明だが、椎名町のサミット周辺のランドマークを言ってみると、長崎神社に反応した。長崎神社まで連れて行けば分かるかなと思ったが、そこまで歩かせるのも大変だ。しょうがないので、母親に警察に連絡をしてもらう。母親は、ついでに近所の人達にも電話をしたようで、隣のおばあさん、米屋の叔父さん、近所の面倒見のいい叔父さんなどが家に集まってくる。米屋の叔父さんは、米を配達するので近所の人達をよく知っているが、このおばあさんは見たことがないと言う。年齢を聞くと、48と答える。次に聞くと70と答える。それを聞いた私の母親が「あんた、私と同い年なの、ふうん」と苛立ったように言う。なんで、この人はこんなところで攻撃をするのか、と自分の母親ながら情けなくなるが、他の人達も「こりゃ駄目だ」みたいに言う。なんか、そこらへんの情の無さは、ドイツで生活したことのある私は悲しくなってしまう。ドイツ人は、こういう時には人に優しい。ドイツの人達は、日本人は高齢者と同居し、高齢者に優しい、といったイメージを持っていることをドイツでの高齢者シンポジウムで講演をしたことがある私は知っているのだが、まあこれが実態だなと思うと悲しくなる。それが例え、偽善的なものでも、優しさがまったくないよりはましだと思う。
 薄着で靴下もはいていないおばあさんは寒さで震え始めたので、家の中に入り、メキシコで買ったちゃんちゃんこのようなガウンを貸す。メキシコのインディアンが800円くらいで売っていたものだが、これが非常に暖かいのだ。おばあさんは特に嬉しそうな顔をする訳でもなく、それを着た。自分が置かれている状況もあまり分かっていないようであった。
 そうこうするうちに、自転車に乗ったおまわりさんがコンビでやってくる。30代半ばの警察官とまだ20代の警察官である。二人でおばあさんにいろいろと聞き始める。そこで20代の警察官が「ファミリーネーム」はと聞いたので、腰が抜けるほど呆れた。そもそも住所も分からないような80代の高齢のおばあさんにファミリーネームという英語で聞くというバカさ加減に呆れ果てたのである。こんな馬鹿に私は税金を払っているのか、と頭に来たが、まあ今、重要なのはこのおばあさんの住居を探すことなので我慢して黙っていることとする。この20代の警察官に比べると30代半ばの警官は比較的慣れているようで、ポケットの中のものを見たり、何か住所が書いているものがあるかを探そうとしたりしていた。
 ポケットの中からは緑になったような5円玉とか、くしゃくしゃとしたちり紙のようなものが出てきた。そのあと、見たことのあるようなガラス細工も出てきた。これは、家のものなのではないかと思い、母親に来て見て貰うと家のものだと言う。玄関に置いてあるものを取ってポケットに入れてしまったのだ。まあ、おそらく惚けてしまっているのだろうが、これは盗みである。この事実にはショックを受ける。今までずっと同情していた気持ちが、すーっと引いていくのが自分で分かる。
 警察官達が交番に連れて行くというので、我々は解散した。
 その日の夜、30代半ばの警察官が家にガウンを持って報告に来てくれた。どうも椎名町から逆の方向の西池袋に次男と二人で住んでいるようであった。年齢は84歳であった。ちょうど私が電話した直後くらいに家に戻ってきたそうだ。サミットから家とは逆の方向に歩いて、自分の家に似たような私の実家に入ってしまったそうだ。おそらくそうなのであろう。あの盗みさえなければ、私も実家でのつまらない時間を紛らわせてくれたいい話だと思えたのに、残念だ。とはいえ、うちに入らなければ12月の東京の寒空をずっと彷徨していたことになる。それを考えると、うちに入ったことはよかったのかもしれない。ただし、おばあさんと居間で出くわした母親は結構、恐怖を覚えたらしく、いつまでも身体が震えると文句を言っていた。まあ、確かにそれがおばあさんであっても怖いだろう。私はおばあさんも怖いのではと思ったのだが、警察官に言わせると、そういう怖さも感じていないだろうとのことだった。
 私は祖母がまだ存命で95歳になる。極めて、はっきりしているのでそういう徘徊老人の問題をあまり認識していなかったのだが、実際、そういうおばあさんに出会い、都市計画的にもしっかりと対応した方がいい問題だなと考えた。ユニバーサル・デザインという大袈裟なものでなくてもいいが、ある程度オリエンテーションというかレジビリティを高めることが必要なのではないかと思ったのである。住所やランドマークの名前を変えないこともひとつ重要なことだと思う。

タグ:徘徊老人
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