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子供時代を過ごした場所を久しぶりに散歩し、空間的には貧相になっていて落胆する [都市デザイン]

子供時代を過ごした場所を久しぶりに散歩する。東京都豊島区千早である。40年間経つと、周囲も結構変わっており、おそらく現在の町の写真をみただけでは、そこが昔、よく親しみ遊んだ町だとは分からなかったであろう。とはいえ、その場所であることを知ったうえで歩けば、昔の記憶を辿るきっかけとなるようなランドマークや景観があり、子供時代のその場所を思い出すことができる。それにしても、確実にいえることは、40年経ち、生活空間としてのクオリティは確実に悪化している。経済は豊かになっているのに、生活空間は貧相になっているのだ。緑は量的にも質的にも減っているし、建築のクオリティでさえ向上したとは思えない。確実に増えたのは駐車場などの自動車のための空間である。40年前には緑などの空間的アメニティを提供していた空間が駐車場などの自動車の空間へと置き換わったのである。40年前には庭があった家は、家主が亡くなるたびに矮小化し、一つの家は4つぐらいに分割され、庭もないチープな建物に置き換わっていた。個人的に痛恨なのは、大きな樫の木があった小公園であり、この樫の木がなくなった時は大いなる喪失感を覚えたものだ。なぜ、経済的に豊かになったのに、その豊かさを空間の質の向上へと転換できなかったのか。これは、都市デザインの失政ともいえるし、そもそも都市デザインという考え方を有していなかったために起きてしまった事態ともいえる。都市のつくりかたのセンスが悪かったのかもしれないし、外部空間のアメニティ、公共空間の質に関してあまりにも無頓着であったためかもしれない。とても残念であるし、私の原風景が無残な姿を晒しているのはつらい。開発によって原風景を失っているのは、郊外などによって田園がファスト風土化した地域だけではない。40年前には既にほとんどが市街化されていた豊島区でも多大なるアメニティが失われているのである。
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