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リチャード・フロリダは明らかに過大評価されている [グローバルな問題]

リチャード・フロリダの著書『Who’s Your City』を読む。クリエイティブ・クラスという概念を提唱し、創造都市というコンセプトを提案したアメリカ人の学者?である。21世紀のジェイン・ジェイコブスといった形容もされたことがあるそうだが、この一冊の本から判断するに、まったくそんな大した輩ではないことが分かる。雑誌エスクワイヤは、世界の最高レベルの頭脳の持ち主(ベスト&ブライテスト)の一人として選定したそうだが、これはもしかしたら皮肉かもしれない。もちろん、私なんぞは、住んでいるアパートでも最高レベルの頭脳の持ち主と言われないような人間であるので、彼を批判すること自体、私が馬鹿だと思われるだけかもしれないが、逆にいえば、私のような程度の頭の持ち主であっても、彼がそんな大した人間ではないことは理解できる。

どうしてか。まず、統計とか数字に依存して分析しているので、実態にかけ離れた考察が多い。例えば、デトロイトとバンガロールと同じ「二流」レベルの都市、すなわちイノベーション力がなく、外部の発明等に依存せざるをえず、国際競争力を持ち得ない都市として名古屋を位置づけているが(34頁)、これは名古屋をまったく理解していないからこそ言える暴論であろう。名古屋にトヨタがあるということも知らないのか。まあ、統計ではトヨタは豊田市にあるから、名古屋都市圏の凄さを分からなかったのかもしれないが、それにしてもデトロイトと一緒というのは、私の大学生がレポートに書いても私はその無理解を叱責するであろう。あと、バンガロールだよ。都市の性格が違うだろう。バンガロールは基本的には外発的要因で成長している。名古屋はそれこそ自らが価値を創造する産業によって、都市経済が拡大していった。こういうことは数字ではなく、地理的な素養があれば分かると思うのだが、おそらくそこらへんのセンスに欠けているのではないかと思われる。それにしても本を出した2007年以前というのは、名古屋が一人勝ちをしていた頃である。そもそも、なぜ二流(second tier)と思ったのであろうか。また、200年前には世界最大の都市の人口は10万人以下といった記述があるが(72頁)、1810年の江戸の人口を知らないのだろうか。当時、江戸は70万人弱くらいの人口を擁していた。北京はおそらく100万人以上いたであろうし、ロンドンだってもう既に相当、大きかったと思われる。ただなかったと書くだけでなく「当時、100万人以上の都市は想像できなかった(Back then, a city of 1 million people was unimaginable)」とまで書いている(72頁)。さらに、アメリカに関しての分析もはてなマークがつけられるようなことが書かれている。例えば、メリーランド州のコロンビアを「古い郊外(Older Suburbs)」の事例として挙げているが(245頁)、一般的に古い郊外として捉えられるのは、ロスアンジェルスであればパサデナやガーデナ、サンフランシスコであればロックリッジ、ニューヨークであればラドバーンやロングアイランドのレビットタウンなどの第二次世界大戦以前に開発された郊外を指すであろう。コロンビアはいうまでもなく、ジェイムス・ラウスが極めて計画的に1960年代後半から計画し、70年代につくりはじめた郊外住宅地である。これを一般論的な事例として挙げるのも間違っているとは思うが、カップルが望む「古い郊外」として事例として挙げることは間違っているし、読者を混乱させるだけだ。私は結構、コロンビアを調べたことがあるのだが、少なくとも15年くらい前まではまだ新築がつくられているような状況であった筈だ。決して「古い郊外」住宅地ではない。それにしても、ここまでの無知蒙昧を堂々とさらけ出している人が、なぜ「世界の最高レベルの頭脳の持ち主」なのだろうか?

他にも中国の分析で、中国の人口の16%を占める地域が60%の発明を生み出していると、その地域間格差を指摘しているが、中国の人口の16%は既にアメリカの人口よりちょっと少ない(日本の2倍くらい)規模であることを分かっているのだろうか(35頁)。中国の16%というのは、ものすごいボリュームであり、たったの16%といって中国は課題が多いという分析は、彼がコンサルタントで私が顧客であったら金を払わないね。そもそも、中国はデモが多いと彼は批判するが、中国は基本的人権も確立されていない国である。デモは結構管理されている(日本への抗議デモでみられた)側面もあることを考えると、その多さをもって安易に国民の不満が多いと演繹するのは早計の誹りを免れないであろう。ローリング・ストーンズが上海でコンサートをしたことで上海の都市の格が上がったかのように書いているが、これはアメリカ的な価値観で都市の格をみているからであり、表層的だ。このような浅薄さは、ジェイン・ジェイコブスが『都市の経済学』で日本の都市のことをしっかりと分析しているのとは極めて対照的である。この違いは、勘というか都市の分析力の違いと国際比較分析をするうえでのコスモポリタンの視点の有無だとも思われる。ずばり、リチャード・フロリダは勘が悪いのであろう。そのくせ、本書では「ジェインが言う」みたいな小見出しで、ジェイン・ジェイコブスの考えを紹介したりしている。「ジェインが言う」なんて、ジェイン・ジェイコブスはお前のおばさんか。私がジェイン・ジェイコブスの息子だったら訴えたいくらいである。

そもそもの分類の仕方にも疑問を呈したい。例えば、サンフランシスコ・メガ・リージョンを通常の600万人規模のサンフランシスコ大都市圏ではなく、セントラル・バレーまでを含めた1300万人としているが、フレスノやベーカースフィールドといったセントラル・バレーの都市をサンフランシスコ・メガ・リージョンに含むのは無理がある(51頁)。これはサンフランシスコに3年、ロスアンジェルスに4年住んでいた私からすると、きゅうりは果物ではなくて野菜であると同じように、明らかなことなのだが、彼はアメリカ人であっても、おそらくカリフォルニアのここらへんの地理的感覚に疎いのであろう。もし、ベーカースフィールドなどもこのメガ・リージョンとして位置づけたいのであれば、サンフランシスコ・ロスアンジェルス・サンディエゴ・ティワナのメガ・リージョンとして捉えた方がまだいい。一方でバルセロナーリヨンというメガ・リージョンを提案しているが、バルセロナとリヨンでは性格が違いすぎるであろう。地理的な違いなどをあまり考慮せずに、適当にネーミングをしていることが推察される。ドイツはさらに興味深い地域分類をしている。トロント・メガ・リージョンにはイサカやシラキューズのような小都市も含まれているのに、ドイツの第二の都市ハンブルグ、第三の都市ミュンヘンはどちらもメガ・リージョンに含まれていない。もっと驚くのはアテネや、モスクワ、ザンクト・ペテルブルグも含まれていないことである(54頁)。イギリスではチェスターといった田舎町の名前がついたメガ・リージョンを提案していることを考えると、基本的に英語圏では詳しく定義づけができても、それ以外だとよく分からないということか。そうでなければ、この夜の光で都市圏を考えるという方法論自体に問題があるのではないだろうか。

それからリーディング・ライフスタイル企業として、スターバックス、REI、ナイキ、コストコを挙げていたりするが(51頁)、これらの企業が創造するライフスタイルの極めて消費社会的な性格に対して肯定的な考えを有していることには驚く。個人的にはREIは好きだが、スターバックスが創り出すコーヒー文化はアメリカを始めとした文化後進国には通用しても、オーストラリアでも成立しないようなレベルである。あと、コストコがライフスタイルをリードしているって、確かに大量購入・大量消費というライフスタイルを促しているかもしれないが、それって今の時代、むしろ問題でしょう。これらの企業が創造都市を構成しているのであれば、創造都市が21世紀型の都市モデルとして位置づけられる可能性は長期的には低いと思う。

加えて、センスもそれほどいいとは思えない。ニューヨークの人達は、電話番号の局番についてこだわりを持っているみたいなことを書いていたが(160頁)、これなどは泉麻人の細かい地区分析の切り口のセンスのよさなどに比べると、読んでいても面白くない。こういう地区分析をさせると、日本なんかだと泉麻人やホイチョイプロダクションとかが極めて鋭く分析するので、そういうのに慣れている私などは、「え、それでどうしたの」みたいなリアクションを思わずしてしまう。なぜそこで人々が拘るのかについての分析がなくて、ただこだわりを持っているという事実を紹介することでアメリカだと本にできてしまうのか、とかえって驚く。いや、しかし、こういう分析をさせると極めて鋭い人はアメリカ人でも当然いる。例えば、私の知人のシャロン・ズーキンなどはまさにそうだ。

さらに問題なのは、都市において何が重要かなどを記述しているのだが、その分析の視点は稚拙で、例えばケビン・リンチ、マイケル・ハウ、ゴードン・クレンなどに比べて遙かに劣っていることである。というか、おそらくケビン・リンチの著書なども読んだことがないのであろう。都市計画、都市デザインの修士レベルでのレポートとしても研究不足のことが多く書かれている。また、日本人からすれば和辻哲郎の「風土論」を始めとして語られ尽くされたようなことが、いかにも昨日、俺が見つけた、のように書かれている(200頁前後)。都市も人格がある、みたいな話を今さらされても困る。人が都市や風土から影響を受けるのは当たり前である。私自身が、自分が経験した風土や環境を内包しているからだ。こんなことは和辻哲郎や西田哲学などを囓れば、分かるのだが、アメリカ人はやはり無教養なのだろうか。というのは嘘で、私にこういうことを教えてくれたのはフランス人のオギュスタン・ベルクだが、彼の教えを私のランドスケープのバークレイの恩師に伝えたら、そんなことは当たり前だと言われたことがある。それでは、どうして、リチャード・フロリダが評価されているのか。なぜ、この高評価を野放しにしているのかが分からない。もしかしたらアメリカにおける勝間和代のような存在か。恩師に聞かなくては。加えて、地域分析などもバブル時にパルコ出版社の月刊アクロスが出していた「第四山の手研究」、「団塊世代研究」などに接していた私からすれば、もうその分析があまりにも浅く感じてしまうのである。

まあ、前からリチャード・フロリダは怪しいと思っていた。ルール地方のシンポジウムに最近、彼は招聘されたのだが、私の大学(ドルトムント工科大学)の同僚が「ヨーロッパの都市のことを理解していない」と指摘した。そういうこともあり、彼の文章なども怪しいなと思わせていたのだが、本書でそれが確認された。出だしのエピソードなんてナルシスト臭がプンプンしている。学生時代にセックス・ピストルズの「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」をバンドでコピーしたことを吹聴するなどは、私のような馬鹿でもよっぽど油断をするか読者を馬鹿にしていなければ自著では書かない(このブログでは書いてしまうかもしれないが、それはご愛敬で許してください)。このようなことを書くという脇の甘さが鼻につくし、このような文章をアメリカ人の読者はお洒落と思っているとしたら、相当センスが悪い。

しかし、問題はこんな人間が高評価されているという世の中の方である。一つは、アメリカ人そしてアメリカの知識層も世界のことをあまり知らないということが推測される。なんせ、菊池凛子を世界で100番目に美しい女性として挙げるような無知蒙昧さである。この無知蒙昧さでやってこられるのは多くの人が英語しか理解できないからであろう。結局、英語の世界観で世の中を把握しようとするから、中国や日本に関してちんぷんかんぷんのことを述べて、そのおかしさも自覚できないのである。さらに悪いことには、中国人や日本人はアメリカや英語圏で評価されている事実をもってして評価をするので、それを批判する人があまりいないからである。もしくは、リチャード・フロリダのおこぼれに与ろうと、彼に同調して持ち上げたりするので批判をしないのであろうか。アメリカ人であるからこそ有名になれたのであり、他の国であったらまず取り上げられることもなかったであろうとも考えられ、そういう意味ではこのリチャード・フロリダという存在は興味深い。

こういうことを書くと、また馬鹿が馬鹿なことを言っている、とか、リチャード・フロリダは皆大好きだからそんな悪く言うと損ですよ、とか言われるのだろうが、この王様が裸であるのは明らかだ。いや、より的確な比喩は、神は猿だった、と言うべきであろうか。彼がたいしたことがないと指摘することこそ、非英語圏の我々の役割であると思う。なぜなら、アメリカは迷走して、ろくでもないところに向かいつつあるからだ。そして、その迷走ぶりは他国にもとんでもないダメージを与える。リチャード・フロリダは「ゲイが住んでいると地価が上がる」ぐらいのことしか言っていないが、そのような輩を持ち上げていることは間違っているということは、しっかりと誰かが指摘する必要がある。これは勇気など必要としないほど、明らかなことである。読んで分からなければ、その方が問題である。

リチャード・フロリダが「世界の最高レベルの頭脳の持ち主」だと持ち上げるアメリカという国はとても一流とは思えないし、知的な意味で信用できない。まあ、私はアメリカの大学院を卒業しているので、自らを否定しているようなことを書いているが、少なくとも分析はともかくとして基本的な情報からして間違っていることから、彼が信用できないことは明らかだ。そのためだろうか、やたらに「賢い(スマート)人」、「(大学に入り)私は周りに自分が賢いことを隠さなくてもよくなった」など、やたら「賢い」(smart)を連発するのは、逆に言えば、あまり賢くないということを自覚しているのかもしれない。彼を持ち上げるアメリカはともかくとして、日本でも持ち上げている状況を鑑みると、改めてアメリカそして英語教育だけに偏重している日本の姿勢は危険であるなと思う。

それにしても、このブログを書くために、最後までこの下らない本を読んでしまった。それも結構、私を不愉快にさせてしまっている。

Who's Your City?: How the Creative Economy Is Making Where to Live the Most Important Decision of Your Life

Who's Your City?: How the Creative Economy Is Making Where to Live the Most Important Decision of Your Life

  • 作者: Richard Florida
  • 出版社/メーカー: Basic Books
  • 発売日: 2008/03/10
  • メディア: ハードカバー



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