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ジェイン・ジェイコブスの『経済の本質』 [書評]

ジェイン・ジェイコブスの2000年の著書『経済の本質』を読む。「経済と自然は同じ法則で働いている」という着眼点のオリジナリティに驚く。その仮説を、事例を元に類推していくのだが、その広範囲に及ぶ知識に論拠しているため、たいへん説得力がある。改めて凄い思索家であると思う。

いくつか興味深い指摘を紹介したい。

「交通混雑の意味は、論理的には、道路増設や道路幅拡張が必要だともとれるし、人と財の輸送を自動車とトラックに依存しすぎているともとれる。(中略)。しかし、多種多様のメッセージは結局、道路増設や道路幅拡張が混雑を解消しないということに落ち着いているのよ − それなのに、それで問題解決が可能であるかのように私たちは行動しつづけている。」
我が国の道路整備事業のことを念頭に置いている訳ではないが、それを批判するような記述があり、示唆に富む。価格フィードバックの制御が機能せず、生産やサービスのコストがわからないと、ガタガタになる。
「仲間内優遇主義と強腕(原文ママ)で、設立した独占体は、強奪と腐敗をはびこらせ、ともかく実際のコストを偽る」。日本の道路整備事業が邁進している状況は、まさにこのような状態である。道路予算を一般会計化したことで、多少はフィードバックが機能する可能性もでてきたが、この不況下でまた一度凍結した道路整備事業が着々と復活しているのをみると、背筋が寒くなる。「もはや必要でなくなったのに適応だけが残っているとしたら、時代錯誤だ。時代錯誤の適応は非常、緊急の適応に際しての隠された落とし穴になる。非常事態を理由としてある場合には認められる独占が、時代錯誤にも居座って足手まといとなり、恥さらしとなる。」「多くの政府が不況期に赤字財政を採用した。しかしその後、時代錯誤にも好不況にかかわらず赤字財政を手放さず、手に負えない負債の悪循環をつくりだしてしまったのだ。」
 この高校しか卒業していない稀代の思想家は、ほとんどの大学で経済の教鞭を執っている人達よりもはるかに本質を見抜いていると思われる。世の中の本質を知るうえで経済学は必要なのか?いや、世の中の本質を知るという思考行為自体を経済学として捉えれば、ジェイン・ジェイコブスこそ20世紀を代表する経済学者としても捉えることができる。
「経済イデオロギーは呪いだ。馬の前に車をつなぎ、尻尾が犬を振り回す。自分で自分の目を見えなくしている。」
 至言である。
 さらにこの本の終盤で驚くべき仮説を提案しているのだが、それは、動物は怠けることによって、生態系を維持していることに寄与しているというものだ。人間も働かないでより怠けることで、その生態系の破壊をむしろ回避しているというのは、ある意味で真理を突いているのかもしれない。明学の辻先生の「ナマケモノ倶楽部」ではないが、働かないことで環境破壊を回避する。これは、ワーカホリックの団塊世代の人達には厳しい指摘かもしれないが、それ環境の時代だといって、今まで開発に働いていた人が、また環境といった錦の元で一生懸命に仕事を探そうと奔走しているのをみると、この頑張りによって環境破壊をさらに進めているのかもしれないと思ったりもする。
 まあ、「過労死」がまったく信じられず、ギャグでスシバーの店名にまでしてしまうドイツ人とともに生活していると、この大胆な指摘も説得力をもって迫ってくる。ということで、私も怠けて研究をしなかったり、しても社会にとってムダな研究をしたりすれば環境に貢献できるかもしれない。そもそも、人間が生きていることで環境に大きな負荷を与えているので、霞を食うような生活を送っていることが望ましいのかもしれない。いやあ、根底から社会の常識を覆すような仮説をさらっと出せるところなど、ジェイン・ジェイコブスの本領発揮という印象を受ける。この本を出した時はおそらく80歳代だったと思う。凄い知性だ。

 最後にこの翻訳本について指摘したいのは、翻訳が下手。黒川紀章のほとんど犯罪に近い超デタラメ訳の『アメリカ大都市の死と生』に比べればましではあるが、それにしても読みにくい。ジェイン・ジェイコブスという稀代の思索家の本を訳するのであるから、真剣にしっかりと訳してもらいたい。黒川紀章に関しては、もう亡くなったのだから、お願いであるから親族の方は翻訳権を放棄してもらいたい。この酷い翻訳が、日本の都市デザインが改善できない要因の一つであると筆者は強く思っている。


経済の本質―自然から学ぶ

経済の本質―自然から学ぶ

  • 作者: ジェイン ジェイコブズ
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2001/04
  • メディア: 単行本



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