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高尾山にトンネルを掘ると、高尾山の観光地としての位置づけはどうなるのだろうか [サステイナブルな問題]

ゼミ生達と高尾山に行く。高尾山商店会の人のお話を聞く。高尾山の商店はその昔は、門前町として位置づけられていた。それが時代の変遷とともに登山客や観顧客を主な顧客とするように変化しいった。その昔は、長野や群馬の方から団体列車で高尾まで参拝客が来るようなこともあったそうである。そういう場合は、一度に400人くらいがどどっと来る。最近では外国人の観光客も随分と目立つようになってきており、パンフレットも英語併記のものをつくるなどしている。

さて、しかし、この聖地高尾山の下に神も畏れない天下の国土交通省が、トンネルを掘ろうとしている。既に、結構掘り始めているようだ。まあ、神様よりも国土交通省の役人達は自分たちが偉いと思っているんだろうねえ。こういう昔から神聖なる山として奉られたところに、人が勝手に手を出すのはタブーであると思う私がいる。というか、そういう神聖なるものを共有体として大切にする、ということは人間が人間として生きていくうえで重要なことなんじゃないか、と直感的に捉えている自分がいる。私は無神論者ではあるが、高尾山や自然、生死を大切にする気持ちをしっかりと持っていることが我々を狂気から守ってくれるのではないかと思っている。だから、自然を破壊してつくられたり、伝統的な価値観や人の死を軽視したニュータウンや郊外住宅地(こういう場所は墓地がつくられない)などで、若者の猟奇的な事件が最近増えているのではないかとも勘ぐっている。したがって、高尾山にトンネルを掘るようなことをしていると、私はそのうち絶対天罰が下されると思うのだが、もう一つ気になるのは、こういうことをしていると外国人の観光客を大いに失望させることにつながることである。

高尾山はあのミシュランが大変高い評価をしたことからも分かるように、都心からそれほど遠くないのに大自然があるということが、外国人達を感嘆させているのである。都市と自然との共生が極東の調和の精神で実現できている、その実例が高尾山なのである。だから、日本人は実はそんなに自然を畏怖してなくて、平気でトンネルを掘って、地下水脈を分断させようがしったことがない、などという事実を知ったら大変、失望することになるだろう。実際、この高尾山にトンネルを掘るということを知って、憤慨している外国人を数名知っている(例えば、東大の客員教授として現在、東京に滞在しているチェスター・リーブス教授)。おそらく、ミシュランの評価も下がることは間違いない。ここに予言しておく。商店会の人達は、反対というよりかはどちらかというと賛成。その理由は、観光客が増えると思われるから。いや、高尾山は、その自然の聖性が最大の観光資源であり、それを冒涜するようなトンネルができれば、むしろ観光客は減るだろう。特に外国人の観光客は。これも、ここに予言しておく。

高尾山の下にトンネルを掘るということは、高尾山の衰退の始まりに繋がるのではないか。私は結構、高尾山の薬王院に初詣に行くのが好きだが、下にトンネルが掘られて自動車の行き来をさせるような神様に願い事をかなえても御利益は少なくなりそうな気がする。有り難みが大いに減る。少なくとも、私は薬王院にトンネルを掘らせないで下さい、とお願いした。そのくらいのお願いも適えられないようであるなら、ちょっと残念だ。むしろ、国土交通省に願掛けをした方が、いろいろと御利益があるかもしれない。とりあえず、ビールとクオカードでも渡すことにするか。個人タクシーの運転手は、よく分かっている。そこらへんの神社に願掛けするよりかは、国土交通省の役人にお賽銭ならぬビールを渡した方が御利益が得られるだろう。
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