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葛城哲哉 [ロック音楽]

私が最も敬愛し、ショックを受けたロック・ミュージシャンは葛城哲哉である。卓越したギターのテクニック、ロック・ミュージシャン以外の何物でもない風貌、偏差値の高い楽曲、そしてロック・スピリットを体現したかのような詩。完璧な格好良さであった。私が追っかけ的にミュージシャンを追いかけたのは葛城哲哉だけである。たまたま大学のサークルの先輩が葛城哲哉の弟であったこともあり、デビューした直後にマンションに遊びに連れて行ってもらったこともある。あのときは感動した。もう、完全に憧れの人を見る目になっていたと思う。メジャー・デビュー直後のコンサートなどには頻繁に出かけていったものだ。1986年のことである。渋谷のエッグマンとかでよく演奏していたと思う。デビュー・アルバムは「ぼーん・とぅ・びー・わいどる」というタイトルで、ワイルドとアイドルを引っかけたものであった。私的にはもう、全曲しびれるくらいに素晴らしく、これは大スター誕生の暁に俺は歴史の証人としているんだ、と思ったくらいであった。特にタイトル曲やガキへの回想、ロックネス、おいらはアパシー、とかにしびれた(古語)。絶対に大ヒットすると信じたものだった。楽譜が何故か、販売されていたので、早速買って、一生懸命当時はコピーに励んだものである。ライトアンヨ奏法という裸足になって足でギターを弾く奏法はエディー・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法より遙かに難しく、とても人間業とは思えず、もう楽曲といいパフォーマンスといい傑出した存在であると思えたのである。

しかし、私の予想は外れた。「ぼーん・とぅ・びー・わいどる」は大して売れることもなく、葛城哲哉が率いたバンドのT.V.はその後解散し、彼はソロとして活動することになる。私は、仕事が忙しくなったり、アメリカに留学したり、結婚したりしたために、葛城哲哉のことはすっかり忘れていたが、最近、もう久しぶりにエレキ・ギターをケースから出したら彼のことを思い出した。そして、グーグルしたら、大スターではないかもしれないが、そこそこ活躍していたことを知ったのである。

葛城哲哉はソロで少し活動した後、TMネットワークの第四番目のメンバーになり、デジタルロックの第一人者となっているようだ。そういう展開になることは非常に意外であった。私は、もっと骨太のロックンローラーになるんじゃないか、と思っていたのである。イエロー・モンキーの吉井和哉をさらにワイルドにして、男臭くしたようなイメージである。まさかTMネットワークと息が合ってしまうなんて、意外であり、個人的には残念であった。今はなぜか恥ずかしくて、葛城哲哉のデビュー・アルバムを聴く気がこういうものを書いていても起きないが、イエモンが売れた前後に出たらもっとビッグになっていたのではないか、と思わずにはいられない。ちょっと、時代より早く出過ぎたような気がしないでもない。彼がビッグになるような世の中に生きていなかったことは私にとっても残念である。



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