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なぜ日本の道路景観は醜いのか [都市デザイン]

ニューヨークからはタコニック・ハイウェイというパークウェイをずっと北上する。その道路のデザインの美しさに感動する。アメリカにはブルーリッジ・パークウェイというもう素晴らしいデザインの道路があるが、それを彷彿とさせる美しさである。

 一方で日本の道路で美しいと思わされるところは少ない。勿論、景観とかは優れているところは多い。八幡平アスピーテラインや、車山高原のビーナスライン、白山スーパー林道、知床の国道334号など、もう車窓の美しさに息を呑むような道路は結構ある。しかし、それらの車窓とは別に道路がランドスケープの一構成要素として美しいか、と問われるとそんな道路は寡聞にしてしらない。

 しかし、道路は本来的には美しくもなり得るものである。それは、デザインのしかたによっては美しくすることが可能である。ブルーリッジ・パークウェイの写真が手元になくて示せないが、例えばこのタコニック・ハイウェイ。自然と一体とまではいかなくても、調和したそれなりの美しい景観要素になっていることが理解できると思う。他にもニューメキシコなどを走るルート66などは、砂漠の景観の中に、それなりのアクセントを与えてそれなりの興味深い街並を形成することに貢献している。

 美しさのポイントは、道路構造物が舗装面も含めて、ほどよく朽ちていて、アンティークのような趣が感じられること。無駄な装飾がほとんどなく、そのシンプルさが道路という土木構造物にむしろ息吹きを与えていること。ガードレールなども極力なく、あっても茶色か灰色で、茶色も錆びた色であること。アメリカの美しい景観演出要素としての道路を分析すると、なぜ日本の道路景観が汚いのかが理解できる。

 アメリカに比して、日本では風景と一体化したような道路がまったくといっていいほどない。並木道が美しい道路はある。しかし、道路の存在は、むしろ周辺との景観との調和を乱す場合がほとんどである。まず、一番の元凶はガードレイルであることは間違いない。ガードレイルがあまりにも存在感を主張し過ぎている。特に色彩的に、周辺の景観を阻害している場合があまりにも多すぎる。例えば、タコニック・ハイウェイだと錆びたような茶色のペンキが使われている。そして、そのデザインも主張を最小限に抑えたシンプルなものとなっているし、多くの場合、ガードレイルは設置されていない。次に日本の道路が風景と一体化しない要因として考えられるのは、あまりにも道路が綺麗すぎることである。過度に維持管理しているため、いつもぴかぴかである。一方、周囲の景観要素が特に自然のものである場合は、このぴかぴか感との対比が強くなりすぎて、どうにも強い違和感を覚えてしまうものになってしまう。

 筆者は以前から、全国的な景観賞を受賞した石川県の山中温泉の景観がどうも納得できずに、国土交通省の景観法の担当者に雑誌の取材をした時にも、その疑問を呈したのだが、その回答は「まあ個人の好き好きですから」と言うにべもないものであった。それからも、どうして山中温泉の景観が美しいと思えない自分がいるのかを考察していたのだが、その結論は、この山中温泉は道路の拡幅工事とともにファサードを整備し直したのだが、当然、新しい景観にはどーんと道路があたかも主人公かのように鎮座している。その道路の新しさ、そして道路の存在感の強さ、道路が構成する景観の中心に据えられたという、本来的には脇役の役者がポスターのど真ん中にアップで映っているような違和感、これに自分が景観として納得できないからだということに気がついた。それ以前の山中温泉は、道路は狭く建物とも同化したような、時間の経過とともに育まれるような調和が見られ、自動車は高速で走行できず、また自転車や歩行者も安全には歩けなかったかもしれないが、それなりの落ち着いた空間を形成していた。そもそも、山中温泉のような落ち着いた温泉旅館に、自動車が高速で走れるような幅員のある道路を整備することに問題がある。その問題が、そのまま景観に反映されており、それが筆者に大いなる違和感を覚えさせたのであろう。

 景観法が整備されて、これから多くの自治体が景観整備に取り組むと考えられるが、何がよい景観なのか。その最初の一歩の方向性を誤ると、将来的にとんでもない所に辿り着いてしまうと考えられる。景観に関する、より活発な議論が待たれるところである。


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