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アイドル国富論 [書評]

AKB48が流行ったのは時代が「ヘタレマッチョ化」したからだと説く、とんでも本。著者はオタク未満、素人以上の芸能通であり、そして知ったかぶりの社会学者気取りである。今時、マズローの欲求5段階説で、世の中の流れを見ようという行為自体、もう読んでいてイタクなる。社会の変化を「なんちゃってマッチョ」、「へたれマッチョ」「グローバルマッチョ」といったキーワードで分析しようとするが、少なくとも私には全然、響かない。ちなみに私は、山田昌弘の「パラサイト・シングル」、三浦展の「ファスト風土」、宮台真司の「終わりなき日常」など優秀な社会学者が提唱するキーワードに猛烈に反応する類である。しかし、時代が「ヘタレマッチョ」というのは、隠喩としても説得力がないし、何より、センスがない。優れた社会学者の上記のようなキーワードは社会をしっかりと透徹した分析力に加え、センスがいいのだ。全然、受けないあだ名を仲間につけて、つけた本人だけが使っているような印象を受ける。

ちょっと私の解説で納得できない人もいるだろうから、引用させてもらう。
「現代アイドルは日本社会の中核を占めるヘタレたちのマッチョ化を支える社会心理学的な機能を体現している、いわば日本のグローバル市場主義の精神インフラであるといってもよいでしょう。」(p.184)
「アベノミクスが支持されたことは、単純な雇用の安定でも、給与の上昇でもなく、誰もが「被支配感」をあまり感じずに生きていきたいという「中産階級社会」の理想がまだ日本において生きているからではないでしょうか」(p.199)
「この、ヘタれているのだけれど懸命にマッチョに日々を生きる態度をもつ「ヘタレマッチョ」が支えるこの「アイドルの国」において、現代アイドルはもはや社会的インフラと言っても過言ではないでしょう。」(p.202)
「本来マッチョ側にいるはずの大槻ケンジに…….」(p.244)(大槻ケンジは全然、マッチョじゃないでしょ)。
「マッチョ社会の中から大衆文化という少しだけヘタレ寄りの空間に生まれたロック系文化と、ヘタレ社会の中のヘタレ文化の極致であったアイドルがマッチョ主義の中で少しだけマッチョ側に歩み寄って生まれた現代アイドルの邂逅。」(p.246)

私がクラブのホステスで著者が来て、この本のようなことを述べたら、ちょっと客であっても聞くに堪えないと思う。ここまで、出鱈目をいかにものキーワードを連ねてしゃべれるのは、確かに1つの才能かもしれないが、それを真に受ける人は相当、少ないのではないのだろうか。基本的にこの本は、著者があまり根拠のない仮説を出して、その仮説を論証するために、根拠の薄い説明をして、その説明をさらにまた根拠の薄い我説で説明するという、嘘を嘘で塗り固める、嘘の無限ループのような内容である。そして、このような出鱈目な内容の本を出そうとするとはどんな神経の太い人なのかと調べたら、経産省の役人だった。納得!。それにしても、この出版不況によく、ここまでの駄本を東洋経済新報社は出せたものだ。著者というよりかは、出版社の見識を疑うほどの駄本。そうそう、東浩紀が帯で推薦しているが、これはこの本が推薦に値するのではなく、東が過大評価された評論家であることをむしろ示唆していると思われる。類似のテーマでは香月孝史の「アイドルの読み方」(青弓社)の方がはるかに優れており、またAKB関連でもそれほどはよくはないが、田中秀臣の「AKB48の経済学」(朝日新聞出版)の方がよい。というか、田中のは読む価値はあるが、この本はまったくない。途中でごみ箱に捨てようかと何度も思ったが、レビューをするためだけに最後まで読んだ。私のように時間の無駄を他の人がしないために、この本を読むという苦行を積んだので、参考にしていただければ幸いである。この本はおそらく私の主観を越えて、駄目な本であると個人的には確信している。

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