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キャナル・シティを久し振りに訪れる [都市デザイン]

 博多のキャナル・シティを久し振りに訪れる。博多キャナル・シティは1996年4月、バブルが崩壊した後に登場した。衰退の道を辿っていた商都博多の復興が大きな目的であった。ちょうど、商業が天神の方にシフトしていったので、博多に危機意識が生まれていたのである。
 キャナル・シティはカネボウの工場跡地においてつくられた。工場が閉鎖した後、そこはプール、ゴルフ練習場などとして使われていた。ゴルフ練習場からはジャンボ尾崎が巣立ったりしている。
 キャナル・シティは地下鉄駅からのアクセスが悪い。そういうこともあって、積極的な投資がみられなかったのだが、海外の商業者からみると悪いところには見えなかった。ジョン・ジャーディーを始めとした商業コンサルタントから勇気をもらって頑張って開発しようということになる。
 キャナル・シティは1985年につくられたホートン・プラザで有名になったジョン・ジャーディーが初めて日本で手がけた商業施設としても有名である。なぜ、ジョン・ジャーディーに依頼したのか。1987年に設計リーダーがたまたま、ホートン・プラザを見に行くことになった。その時に、街づくりと商業拠点が一体となったコンセプトに感銘を受けたそうである。それまでの、建築デザインは商業アーキテクトとファイン・アーキテクトは別世界であった。商業建築を手がける人で、まちづくりまで考えた人がいなかった。
 また、福岡で、普通のものをつくっていたら駄目だという危機意識も強かった。ミニ東京というか、東京にあるものをつくっては駄目だという直感があった。それでもジャーディーの大胆な色彩、造形を採用するということは、通常のJVによって開発される商業施設では難しかったかと思われる。これは、福岡地所という民間事業者一社による開発であったからこそ可能であったと思われる。
 そのような経緯でジャーディーに依頼することになるのだが、福岡地所もここまで大きい商業施設をつくったことがなかったので、ジャーディー事務所のスタッフも常駐して、キャナル・シティをつくることになる。
 ジャーディー事務所は、プレイス・メーキングがコンセプトである。その土地、その場所のアイデンティティをうまく取り込み、ユニークな空間づくりをすることが十八番である。キャナル・シティでは、中川を施設内に引き込むことを真剣に提案してきたそうである。潮水のことや衛生面からこの案は諦めることになるのだが、ジャーディーの場所づくりの考え方が如実に分かる提案であると思われる。
 また、隙間をデザインする、建物と建物の間をデザインするということを、ジャーディーのデザイナー達はしきりに言っていたそうである。ストリートをつくる、周囲と繋げる。メインの通りがカーブしていることで、あえて、見通しが効かない。動くと奥が見えてくるので、次に何があるんだろう、何があるんだろう、ということで中を移動するのが苦痛にならない。まっすぐだとげんなりする。利用者の快適性を中心に考えた空間づくりがされているのである。
 さらに興味深いのは、歩いている人たちが空間の魅力をつくるということ。来場者はお互い見て、見られる関係であり、来ている人たちが賑わいをつくっている。それをキーワードにしたのが「都市の劇場」。来場者が主役となって活動する。そのような場としてキャナル・シティという空間を据えた。
 デンマークの都市デザイナー、ヤン・ゲールと都市空間の考え方が非常に似通っている。もちろんゲールは公共空間、ジャーディーは商業空間という大きな違いがあるが、人々にとって魅力的な空間づくりという点では、公共空間・商業空間の違いはあまりないことを再確認する。
 キャナル・シティがつくられた1996年、すでにモノは飽和して、モノだけで人々に購買意欲をもたらすことはもはや難しくなっていた。そこで、二つのトレンドが生じる。一つはアメリカのウォルマートが推し進め、日本ではイオンが継承した安値路線。もう一つは、モノだけでなく「時間消費」をする機会を供するアプローチで、このニーズに見事に答えたのがキャナル・シティであった。シネマ・コンプレックスだけでなく、常設劇場も設置。エンタテイメントを前面に打ち出した複合商業施設としては日本発といってもいいであろう。シネコンはワーナーが先に進出していたが、都心型のシネコンはキャナル・シティが初めてであった。
 キャナル・シティは大いに人気を得、地元だけでなく、多くの観光客をも集客することに成功する。商業施設のイメージ調査とかをみると、「わくわく感」「いつも何かやっている感」が高い。特に、何か買おうと思ってくるのではなく、とりあえず来る、付き合いでくる。ここらへんはキャナル・シティが他の商業施設に比べて優位な点ではないかと考えられる。単なる商業施設ではなく、そこで時間を消費すること、そこで開催されているイベントを体験するために訪れる集客施設として人々に利用されているのである。
 キャナル・シティがつくられてもう18年も経つ。完成された時は極めてユニークな意匠が大いに人々を魅了することになるが、現在ではジョン・ジャーディーのデザインは日本中につくられている。そういう点では、特異性のようなものは失われているかもしれないが、場所のアイデンティティを表現したデザインは現在でも博多のランドマークとして強烈なオーラを放っている。現在は、テナントとかも重複がみられたり、ラオックスなどがテナントで入ったりして、商業施設としての魅力は随分と減ってしまった印象を受けるが、この空間のパワーの凄さは、まだ建材である。忘れ去られた都心を再生する、まさに「都市の鍼治療」的なプロジェクトであるなと改めて実感する。

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