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ブラジリアから都市景観を考える [都市デザイン]

 都市景観の意義を深く考えさせる都市の一つに、ブラジリアがある。ブラジルの首都であり、ルシア・コスタの飛行機を模した大胆なコンセプト・プランを具体化させ、ほとんどの主要施設をオスカー・ニーマイヤーが設計したことで知られる。都市計画を勉強したものには、非常に興味惹かれる都市であるし、建築家は一つの理想の都市像であるかと思われる。
 ブラジルの首都を内陸に遷都させようというアイデアは、17世紀半ばまでに遡るが、具体化されるのは1956年にクビチェック大統領が発表してからである。それから5年も経たない1960年にブラジリアの供用は開始される。ひたすらモダニズムの理念を具体化させたその都市は、そのストイックさゆえに1987年に世界遺産に指定される。建設されてから、30年も経たずに世界遺産に指定されたのは、この都市が有する空間のモニュメント性、特に都市景観が、まるでピラミッドや万里の長城、マチュ・ピチュのように「人類の創造的才能を表現する傑作」(指定理由)として捉えられたからであろう。
 そして、「傑作」としてのブラジリアの都市景観を代表するものは、コスタが描いた二本の軸のうち、エイショ・モメンタールと呼ばれる東西に延びる直線であろう。コスタ自らが設計した建築であるテレビ塔からパラノア湖を望むと、中央に屹立する国会議事堂、そして、その手前の左右に広がる中央政府のビル群、さらに議事堂とテレビ塔を結ぶ直線の縁に配置された二本の道路と広大なる中央分離帯の空地。さらに手前には、南北の翼の部分にあたる軸と交差した場所にあるバス・ターミナル、そして眼下には巨大なクローバー型のインターチェンジが広がる。それは、モダニズムの旗手であるコルビジェがスケッチで描いたラディアント・シティをブラジルの大地というキャンバスに描いたかのようだ。
 その左右対称の構成美はヴェルサイユ宮殿の庭園をも彷彿させる美しさだ。「絵」としては申し分ない。しかし、この都市に立つと、何とも言えない違和感を覚えてしまう。ブラジリア大学で教鞭を執っていたヘラルド・バティスタ教授は『21世紀の首都建設』という著書で、「世界遺産としてのブラジリアは、それらを支持した人々の頭の中にしか存在していない」と書いている。一方的な理念の押しつけは、富裕層を含む住民の不法占拠という形で現れる。スーパークアドラという住宅のデザインは住民による手直しが後を絶たない。民主主義が発展した社会においては、都市景観とは究極の公共性であると思われる。民主主義といった政治プロセスもなく、市場経済といった効率性をも排除し、さらにはブラジル人の生活文化をも捨象したブラジリアの勇壮たる都市景観は、その潔さ故に都市としての魂を宿していないようにも映る。都市の魅力の根源は、そこで生活する人々であり、人々のエネルギーが都市をつくる。そして、民主主義の都市においては、その景観も人がつくるのである。都市景観は、究極の公共性ではないのか。そのような考えを、ブラジリアは反面教師となって、我々に教えてくれているように思われる。

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(テレビ塔からの光景)

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(ヒューマン・スケールを逸脱した空間)

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(住んでいる人たちが使い方を修正しているスーパークアドラ)
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