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ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行き、なんか大阪の先行きに不安を覚える [都市デザイン]

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに小学生の次女と行く。これは、大学受験のために京都に長女が来ており、家内も付き合っており、次女が東京で留守番しなくてはならなくなったのだが、ついてないことに私が香川に行かなくてはならなかったために、次女も長女と京都に連れてきたからで、その彼女のお詫びに、私が東京に帰る前に次女の機嫌を取るためにユニバーサル・スタジオに行きたいという彼女の願いを叶えたからである。といいつつ、私はこのような機会がなければ絶対、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに来るような機会もないので、彼女をダシに使ったという側面もあったかもしれない。私は学生達と大阪方面に来ても、学生達が延泊してユニバーサル・スタジオに行くときにも同行したことがない。それは、このテーマパークが糞下らないというほぼ確信を有していたからであり、学生達の楽しい気分に水を差す気にならなかったからである。しかし、次女は私に対して気配りもないし、私が水を差すことにも学生よりも遙かに抵抗力を有している。少なくとも、まだ抵抗力がある。ということで、もうおそらく私的にはこれがユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行く最後のチャンスに近かったので、行ったのである。

なぜ、私がユニバーサル・スタジオ・ジャパンを糞下らないと思うのか。それは、私は本家のロスアンジェルスのユニバーサル・スタジオに行ったことがあるからである。おそらく3回ほど行ったことがあると思われる。最初は25歳くらいの時で、大学時代の友人と小学校の幼なじみのところに遊びに行った時、行ったのが最初である。これは、私が9歳から13歳までロスアンジェルスに住んでいたことを考えると不思議である。しかも、私はユニバーサル・スタジオに近いサウス・パサデナという街に住んでいたし、よく小学校の友達と互いの親にねだってテーマパークに連れて行ってもらったからである。当時は、誕生日の子供の親が、友達を含めてテーマパークに連れて行き、その友達分の費用を全おごりするという豪勢な習慣があった。私が通った小学校は、結構、おぼっちゃん・お嬢ちゃんが多い小学校だったのである。しかし、私の同級生が行きたいところとしてユニバーサル・スタジオをリクエストしたものは一人もいなかった。圧倒的に、サウス・パサデナ市のモントレー・ヒルズ小学校の5年生と6年生に人気があったテーマパークは、マジック・マウンテンであり、次いでディズニーランド、ナッツ・ベリー・ファームであった。ユニバーサル・スタジオは、我々小学校高学年の児童にとってダサいテーマパークであったのである。私は、行きもしなかったのでそのダサさも理解しなかったが、イメージは同級生達と共有していた。というか、そもそも候補として上がるのはマジック・マウンテンかディズニーランドかナッツ・ベリー・ファームであり、ユニバーサル・スタジオがその3大テーマパークに割り込む余地は皆無であった。あと、これは当時のユニバーサル・スタジオには、シティ・ウォークもなければ、派手なアトラクションもなかったということもあったかもしれない。我々、小学生はなにしろ絶叫系へのファンが多かったのだ。しかし、いい大人になって日本人の友人とロスの友達のところに遊びに行ったとき、初めて訪れた。あまり感心しなかった。二回目はサンフランシスコに大学院生として住んでいた時、妻が行きたいといったので連れて行った。つまらないよ、と言って連れて行き、つまらなかったでしょ、と帰りがけに言った。三回目はジャン・ジャーディの手がけたシティ・ウォークを見なくてはと考え、中に入らずにシティ・ウォークだけを視察しに行った。どれもいい思い出はない。アトラクション的に感心したことはない。バック・トゥ・ザ・ヒューチャーもジョーズも下らないなと思っていた。

そういう風に思っていたので、大阪がユニバーサル・スタジオを誘致した時は、また外れ籤を引いたなと思ったぐらいだ。なんて大阪は駄目なんだろうとさえ思った。そもそもユニバーサル・スタジオは、ハリウッド映画のスタジオの跡地利用から始まっている。廃品利用である。そのスタジオがある本家本元のハリウッドであるならともかくとして、それをそのまま日本にサラの状態からつくることってどうなのよ、という気持ちを強く抱いていた。さらには、空間的な魅力、そして絶対的なコンセプトの人々への訴求力、コンテンツのブランド力などすべての面においてディズニーランドの足下にも及ばないであろうとも思っていた。ディズニーランドもユニバーサル・スタジオも場所性が遊離したシンボル的な空間である。どうせ、同じシンボルであるのなら、ディズニーという強烈な差別化が図れるシンボルの方がずっと競争力を有していると思っていた。そもそもユニバーサル・スタジオを象徴するキャラクーとは何なのか。セサミ・ストリート、スヌーピー、キティ、ジョーズ、ターミネーター、スパイダーマン・・・・統一性がまったくない。ディズニーとは大きな違いだ。こういうテーマパークは、コンテンツの象徴性、ブランド性が命である。ディズニーという強力無比のブランドに対して、ユニバーサル・スタジオって何だかよく分からない。ディズニーランドに入れないキャラクターの寄せ集め?という印象である。

ということなので、全く行く気はなかったのだが、一方で職業柄、見なくてはならない、という気持ちも有していた。とは言っても一人で行くのは厳しい。ということで、今回は次女が行きたいという気持ちをうまく口実にさせてもらって訪れた。

さて、ユニバーサル・スタジオには大阪駅からJRゆめ咲き線に乗り換えていくのだが、もうこの時点で電車はユニバーサル・スタジオに行く観光客で混雑していた。え!という驚き。そんなに集客力があるのか。2月の平日なのに。さて、実際、ユニバーサル・スタジオの駅に着くと、まあまあ混んでいた。時刻は11時。駅からは、シティ・ウォークを歩かされる。ロバート・ヴェンチューリの『ラーニング・フロム・ラスベガス』の指摘を彷彿させるような風景。本場のユニバーサル・スタジオは博多のキャナル・シティの設計で日本でもファンが多いジャン・ジャーディの手によるが、ここはどうなのか。まあ、それはともかく、本場ハリウッドとまったく同じ風景に感銘を覚える。どこにでもあり、どこにでもない場所。大阪という場所からまったく遊離した光景が目の前にある。

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(ヴェンチューリもびっくりなシティ・ウォークの景観。それにしても、後ろのホテルと覚しき高層ビルのデザインの悪さに唖然。大阪のユニバーサル・スタジオもジャン・ジャーディが手がけたかどうかは不明だが、彼が手がけたとしたら後ろの高層ビルの意匠は許さなかったであろう)

ユニバーサル・スタジオは、ちょっとハリウッドとは違う印象。本家のハリウッドは丘陵地にあるが、ここは埋め立て地。真っ平らで周囲は海といった環境。その違いはそれなりに興味深い。料金は大人で6000円ちょっと。小学生の次女は4000円ちょっと。ディズニーランドよりも高い。随分と強きだ。

さて、施設は私が思っていたよりも遙かに大きく感じた。中心に湖が位置している。基本的にアトラクションごとのゾーニングがされており、スパイダーマンがあるのはニューヨーク、バック・トゥ・ザ・ヒューチャーがあるのはサンフランシスコなど、大まかに一つのゾーンに一つのアトラクションといったイメージがある。まあ、サンフランシスコにはバックドラフトという、ただ火が熱いといった私的にはよく分からないアトラクションもあったりするが、基本は一つもしくは二つということで、ディズニーランドのようにゾーンのコンセプトに沿ったアトラクションが幾つかあるというよりかは、アトラクションによってそのゾーンが規定されるという、物語性がないつまらないつくりになっている。

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(結構、広大な敷地なのでびっくり。人出も多い)

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(それにしても、なぜこのような自動車用の道路を歩かせるのだろうか。ハリウッドのユニバーサル・スタジオは昔のスタジオ跡地を再利用したものなので、昔は実際に自動車が走行していたので、このような道路をそのまま使ったが、何も新しく整備した大阪のユニバーサル・スタジオでも道路を歩かせる必然性はないだろう)

私はアメリカのユニバーサル・スタジオに訪れたのが近々で20年ぐらい前なので、それ以降、ユニバーサル・スタジオに出来たアトラクションは経験したことがない。結果的に、ジュラシック・パーク、バック・トゥ・ザ・ヒューチャー、スパイダーマン、スペース・ファンタジーの4つのアトラクションを経験した。そのうち、以前、体験したことがあるのはバック・トゥ・ザ・ヒューチャーのみであったが、ジュラシック・パークとスパイダーマンは結構、感心した。特にスパイダーマンは、スリリングであり、また特殊映像が凝っていて、乗る価値があるかなと思った。少なくとも45分の待ち時間を耐えるだけの価値はあると感じた。しかし、本当に、料理に例えると、単品は優れているが、全体のコーディネートはできていないといった印象を覚える。天ぷらの後にスパゲッティを食べて、その後、杏仁豆腐をデザートに食べさせらたような印象である。これが、ディズニーランドといった強烈で個性あるコンセプトのもとでの時空間が体験できるテーマパークとの大きな違いであろう。個々の料理は悪くないのだが、それらのアトラクションが経験として総合化されないのである。

あと、圧倒的に気になったのは、サービスの悪さである。これは、ディズニーランドとの大きな違いであろう。パートのおばさんのような人が多く働いているのはまあ仕方ないとは思うが、そのサービスがしっかりとしていないのはちょっと問題であると思う。例えば、レストランで長蛇の列が出来ているのに、キャッシャーは一部しか空いていない。セブン・イレブンだって、長蛇の列があれば、すぐ空いているキャッシャーはオープンする。このような日本のサービス産業に慣れているものにとっては、このサービスの悪さは相当不満を募らせるのではないだろうか。少なくとも、私は非常に不満であった。さらに、その不満を増長させるように、アトラクションに並ばなくてもいいチケットを有料で販売している。こういうチケットは、人々が空いているキャッシュ・カンターがないように貴重な時間が無駄にならないよう最大限サービスに努力している場合にのみ販売することができる商品なのではないかと思われる。サービスが悪くて、無駄に列を並ぶことで失った時間を取り戻すために、有料でその時間を売るというのは、あたかも食中毒の食事を提供した後に、整腸剤を有料で提供するような悪徳商法であると捉えるのは私だけではないだろう。そのえげつなさは、商業の倫理に反するものであり、そのようなテーマパークが商都大阪に立地していることに私は驚きの念を禁じ得ない。しかも、結構、人々はそのようなえぐい商売をしていることを受容しているようにも見受けられる。大阪のおばちゃんだったら、「おかしいんやないか」とすぐにでも突っ込んでいそうなものだが、していないということなのだろうか。少なくとも大阪に比べても遙かに温和で気弱な東京の消費者である私でさえ、「それは違うでしょう」と強烈に思うようなビジネスがなぜ、成立できているのか。

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(サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフを模したゾーン。結構、似ているが、サンフランシスコに住んでいた私としては、なんでサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフなの?と思わずにはいられない。私はここよりもずっと、大阪の通天閣周辺の界隈の方が密度が濃い魅力的な空間だと思ったりするのだが・・・)。

ユニバーサル・スタジオが繁盛しているのをみて、その繁栄ぶりによる地域経済の活性化よりも、むしろ大阪の長期的な衰退を感じ取ってしまったのである。ユニバーサル・スタジオは、極めて大阪らしくない、むしろ大阪のアイデンティティを損なうようなろくでもない消費空間であると思った次第である。

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(ユニバーサル・シティ駅はとても混んでいた)


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