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高松市の出鱈目な都市デザインを考察する [都市デザイン]

高松には最近、頻繁に訪れている。去年の5月、8月、12月、そして今年になって2月とほぼ3ヶ月に1度くらいのペースで訪れている。これは、香川大学の先生と懇意になったからだが、それ以前も国交省で働く公務員の方とひょんなことで親しくなって講演などで呼ばれたりして行っていたので、高松は縁がある都市の一つである。

さて、しかし高松という都市はどうしても好きになれない。松山や徳島、高知といった四国の他の県庁所在都市と比べると、なんてアイデンティティというか理念がなく、都市としての魅力が欠如したところだと思ってしまう。首都圏でいえば埼玉県のような魅力のなさである。しかし、埼玉と違うかもしれないのは経済的に豊かであることだ。気候が図抜けて温和であり、天災もなく、人は温和である。

さて、それではどうして好きになれないのかというと、もう圧倒的に都市の空間的な魅力が乏しいからである。都市デザイン的には、ディザスターと形容したくなるほど酷い。それは、圧倒的に自動車を優先させてつくられた都市空間であり、その思想が景観に反映されていて、私はもう辟易としてしまうのである。それはあたかも、「服部のバーカ」と主張しているかのごとき景観である。もちろん、そのように私が思うのは私の自意識過剰に因ることは分かっているのだが、それにしても腹が立つし、自分の無力さを感じさせる都市である。おそらく、私の著書が最も売れていない都市なのではないかとも思われる。

それでは、具体的にどのようなところにおいて私がそのように辟易するのであろうか。幾つか、列挙したい。
1) まず、自動車が圧倒的に優先された土地利用が為されているところである。次の写真は、高松駅のすぐそばにある幹線道路にある四つ角である。一般的に都心の大通りの四つ角というのは、商業的には最も価値の高い場所である。それなのに、ここでは駐車場として使われている。経済的にも景観的にも、もっともその都市のポテンシャルを活かせるような場所を駐車場として使うというのは、都市計画的にも都市デザイン的にも偏差値30ぐらいの愚行である。これは、ここだけではなく、他の都心の四つ角でもよく見られる。

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(都心の幹線道路の四つ角が駐車場として使われている)

2) 1)とも関係するが、道路が異常に広い。これらの広い道路が町のスケールを分断してめちゃくちゃにしている。それによって歩行環境が劣悪になるだけでなく、空間の繋がりを弱めている。その結果、せっかく都市という集積の効果が期待できる場において、その効果が削減されてしまっている。

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(なんでこんなに道路が広くなくてはならないのだろうか)

3) 1)、2)とも似たような点ではあるが、幹線通りに面して青空駐車場がある。幹線通りはファサードが命である。しかし、高松市のように市街地調整区域もなくして、ひたすら郊外での開発規制を緩めた都市においては、都市の価値ががた落ち。その結果、都市の顔ともいうべき都心部の幹線道路沿いに写真のような駐車場が整備されてしまっている。このような駐車場は、自動車優先型のアメリカの都市でも建物の裏側で道路からは見えないように工夫をしたり、人口縮減が著しいドイツの都市でも看板をつくって隠したりしている。

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(幹線道路に面する駐車場)

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(駅前も堂々と青空駐車場で、駅前の貴重な土地を自動車のために浪費してしまっている)

4) 次に何しろ土地利用がハチャメチャである。高松という都市の中心ともいえる瓦町駅は、立派な天満屋のデパートが建っている。しかし、その周辺は駐車場だったり、低層の住宅が広がったりしている。このアンバランスは、ゾーニングがない都市、ヒューストンのはちゃめちゃぶりが霞んでしまうぐらいだ。ここまで統一されていないのは、感動すら覚える。

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(このでこぼこ感は土地利用という概念がない都市であることを示唆している)

5) せっかく琴電のような公共交通網があるのに、それらが他の公共交通(JR)とネットワーク化されていない。琴電の高松築港とJRの高松駅とは250メートルほどの距離が離れている。この間に空地のような緑道がある。ここは、琴電がJRの高松駅との接続を改善させるために延伸する用地として確保されていたのであるが、その計画は宙に浮いたらしい。250メートルというのは、短いようで長い。丸ノ内線の新宿駅と新宿御苑駅の距離は330メートルである。特に雨の時は、乗り換えの移動距離が短ければ短いほど利便性が高まるであろう。どのような政治的理由によって、この計画が頓挫したかはしらないが、つくづく都市デザインというか、人間のことが分かっていないな、と思わずにはいられない。私は「都市の鍼治療」というデータベースを公益財団法人ハイライフ研究所にて作成しているが、この事例はまさに都市の健康を悪化させるような藪療法である。

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(ここに琴電を走らせることが何故、できないのか)

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(琴電のような優れた公共交通があるのに、それがネットワーク化されないためにポテンシャルを十二分に発揮できない。もったいない話だ)

6) 高松にも素晴らしいところはいくつもある。栗林公園、北浜アレー、丹下健三の県庁舎、そしてバカ一代やさか枝、玉藻うどんのような東京では味わえない讃岐うどんの名店などである。しかし、これらの素晴らしいスポットが点として存在しているだけで、ネットワーク化されていない。したがって、個々の魅力が総合化され、相乗的に都市の魅力を向上するようなことができないのだ。これも都市というレベルでの計画的視点が欠如しているからであろう。もったいないことである。

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(高松市には北浜アレーのような興味深い観光スポットが点在しているが、それらがネットワーク化されないためにポテンシャルが十二分に発揮できない)

7) 郊外の馬鹿でかいショッピング・センター。これは高松市ではないのだが、香川県は人口あたり最も商業床面積が広い都道府県である。高松市の人達も、郊外にあるショッピング・センターに買い物に行っているのだろう。高松市のアクセス圏にも二つのイオン・ショッピング・センターと夢タウンが存在する。ミクロでも土地利用がアンバランスなだけではなく、広域圏でもアンバランスなのである。特に気になるのは、郊外でのこのような大規模ショッピング・センターの立地に極めて寛容である一方で、都心部でも再開発にいたずらにお金を投資していることである。丸亀町にあるルイ・ヴィトン・ショップ。商圏のパイを取り合うためにお金をこれだけ投資するというのは、ルーレットでいえば、奇数と偶数の両方に投資しているようなもので絶対、負けるであろう。典型的な虻蜂取らずである。ルーレットは胴元にさらに取られる訳だが、この土地投資ゲームでは公共事業にお金が失われる。高松市は、そういう愚が見えてくるランドスケープなのだ。もちろん、公共事業のための投資だと開き直れば、返す言葉はないが。

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(都心の商業地でも再開発・・・)

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(郊外でももちろん商業開発)

 さて、いつまでも高松はこういうことを続けていけるのであろうか。なんか適当に強かにこのままで行きそうな気もするし、世の中、そんなに甘くもないと言いたい自分もいる。とはいえ、これらは公共事業として改善できる点もあるので、改善することで都市アメニティを向上し、より豊かな都市空間を創造してもらえればいいのだが、と考える。世界最初の田園都市であるレッチワースを設計したレイモンド・アンウィンは、その著『都市計画における美』で次のように述べている。
   「都市が美しくなるためには、住民たちの高貴な精神生活が必要である」

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