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「個人の栄誉にもならないことを、協力して一生懸命にやることができる」という日本人の美徳は過去のものになりつつある [その他]

機内で『テルマエ・ロマエ』の映画を観る。ほとんど暇つぶしのような内容ではあったが、私の興味を引いたのは、主人公のルシアスが、日本人が協働して戦場にて温泉をつくる光景を見て、「この平たい顔の民族(日本人)は、なぜ個人の栄誉にもならないことを、協力して一生懸命にやることができるんだ」と感心して呟いたところである。このような美徳は、一般的に他国が日本人を賞賛するときに使われる。確かに、震災などの災害時における日本人の行儀のよさは、世界が感心する美徳ではあろう。ただし、私が日々接している大学生は、このチームワークのよさといったものが見られなくなりつつある。例えば、スーツケースを持って皆がエレベーターに乗るような場合、誰か数名だけが乗って、他の学生のスーツケースをエレベーターに乗っけて、残りは階段で移動すれば、エレベーターを上下する回数を減らすことができるが、そのような知恵が回らない。それも何10回とこのような行動をしたにも関わらず、学習ができないのである。また、電車を乗り降りする時も、周りと一緒に行動できないので、乗り遅れたり、降り遅れたりする学生もいる。そして、そのような行為の結果、周りに迷惑をかけても特に悪いとも思わないのである。あと、集団としてのお金の管理ができない。会計係を決めても、予め、皆のお金を集めてやり繰りすればいいのに、何回言っても、これをすることができない。私の言うことを聞かないのも不思議だが、どうも、他の学生のお金を預かることの個人的なリスクを負うことが嫌なようなのだ。その結果、常に、電車に乗るときや食事時に面倒くさい金のやり取りを学生間ですることになる。しかし、何回やっても、会計係が金を事前にある程度、集めることのメリットよりも、個人のリスクを優先させてしまうようなのだ。要するに、ルシアスが感心したチームワークを現代の大学生はもう出来なくなっているのである。
 ということで、ルシアスの感想は、今の私には、まったくもって説得力を持たないし、そんな風な自我意識を持っていたら、かえって危険であると思われる。というのも、日本人の大学生より台湾人の大学生、私の大学に来ているアメリカ人の留学生の方がはるかにチームワークが優れているからだ。しかし、このような学生が多く、産出されているということは、私のような大学で奉職するものにとっても大変な課題ではあるが、このような学生達に報酬を払って働いてもらわなくてはいけない日本企業等にとってはさらなる問題となるであろう。どうして、こんなことになってしまったのかは不明だが、学級崩壊やゆとり教育、そしてそれらの結果によって、塾通いをしたりして、チームワークより個人の成績等を重視する価値感を育んでしまったからではないかとも思われる。もちろん、うちの大学に入学する学生がどんどん劣化しているという個別の問題もあるかもしれないが、それにしても、これは日本の根底を揺るがす大問題だと思う。

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