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目黒通りの地下鉄計画が廃止になったことはつくづく残念 [サステイナブルな問題]

目黒の都立大学に引っ越してから数ヶ月経つが、相変わらず通学ルートが確定していない。これは、都立大学から渋谷(もしくは恵比寿)に出て、目黒に出て、またバスに乗るという直近ルートがすこぶる不便であるからだ。もう一つのオプションとしては、自由が丘まで歩き、中延経由で高輪台、大岡山経由で白金台というのがあるのだが、自由が丘駅までのルートは自動車がいい気になって走っているので極めて歩きにくく、もう不愉快になるのでなるべくなら避けたいのである。

ということで、とりあえずバスで通っている。等々力操車場と東京駅とを結ぶものである。乗り換えなしで、清正公前までいけるので、それなりに便利である。とはいえ、問題も少なくない。まず、来る本数が少ない。10分くらい待つのは覚悟しなくてはならない。あと、混んでいる。9時近くだと、もうラッシュアワーの電車並みとなる。この間、始発(といっても八雲を6時35分であるが)に乗ったが、八雲で座ることができなかった(シルバーシートは空いていた)。とにかく混んでいる。あと時間は遅い。

さて、こうやって問題を書き連ねつつ思いだしたのは、この目黒通りには地下鉄が計画されていたということである。40年前は東京都の都市計画においてしっかりと構想されていた。目黒駅から都立大学を通り、等々力を抜けて、多摩川を越えるというルートが構想されていたのである。まあ、バスでもこれだけの需要があるのだし、特に深沢の辺りは鉄道の利便性が悪いし、さらに等々力以降の神奈川県川崎市の宅地開発を促すには、ここに新しい鉄道路線を通すことは理に適っていたと思われる。しかし、つくられることはなかった。これは、東急が反対をしたからである。目黒通りを通る筈だった地下鉄により、バス路線そして目黒線(当時は目蒲線)のマーケットが蚕食されることを危惧し、この地下鉄を目黒線に直通運転させるという計画に変更させてしまう。そこらへんの経緯は私はしっかりと調べていないので不明だが、どちらにしろ、ある時、政治力か何かを駆使して、東急は目黒通りの地下鉄計画を廃止に追い込んだのである。そういう話を聞いても、まあ単にえぐいな、と思っていただけなのだが、実際、目黒通りのバスを使う身になると、つくづく目黒通りに地下鉄が走っていたらどんなに便利だったかと思わずにはいられない。東急のエゴによって私は不便を強いられているのである。悔しいなあ。

さて、ついでにこれ関係の話をすると、白金高輪は清正公前という駅名が当初はつけられていた。白金高輪より清正公前の方がずっといい駅名だと思う。こういう歴史や物語性のある名前をつけず、白金高輪などという白金だか高輪だか分からないつまらない駅名へと変更した経緯も調べてないのだが不明だが、本当つまらないことをしたなと思う。まあ、清正公前が嫌ならせめて明治学院大学にしてもらいたかった。白金高輪というのは、ちょっとつまらなすぎる気がしてしょうがない。

タグ:目黒通り
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