SSブログ

鞆の浦の判決で、日本も少しは先進国らしいまともな判断ができるようになったかと安堵、そして嬉しさを覚える。 [グローバルな問題]

 10月1日、広島県福山市の景勝地「鞆の浦」の埋め立て・架橋計画について、住民ら約160人が歴史的景観が損なわれるとして、県を相手取り、埋め立て免許交付の差し止めを求めた訴訟の判決が広島地裁で執り行われた。そこで、裁判長は鞆の浦の景観は「国民の財産というべき公益」と指摘し、事業の必要性に関する調査、検討が不十分だとして、被告側に許可しないよう命じた。裁判長は、事業について「景観に及ぼす影響は決して軽視できず重大」と指摘し、山側にトンネルを掘る案でも道路の混雑は解消される可能性があるとし、埋め立てについて「景観保全を犠牲にしてまでもしなければならないか大きな疑問が残る」とした。駐車場不足の解消など他の事業実施の根拠についても調査、検討が不十分とし、埋め立ての必要性を認めることは合理性を欠き、許可は知事の「裁量権の範囲を超える」と認定した(出所:時事ドットコム2009/10/01)。

 私もこの点については、新著『道路整備事業の大罪』で言及していた。本判決と拙著との関係性はまったくないであろうが、それでも私が主張していたことを裁判長も共有していたようで素直に嬉しく思う。
 自民党の大敗、鞆の浦の判決と、日本の公共事業優先のあり方の潮目が大きく変わりつつあるのを感じる。ようやく先進国的な考え方ができるようになっているのかもしれない。少なくとも、鞆の浦を将来の日本人にとっても財産として残していける可能性が残された。日本古来の景観という文化的アイデンティティが重要であることに、遅まきながら日本も気づいてくれて、ほっとすると同時に、この流れをよりメジャーなものにすることがグローバル化する世界において極めて重要だと考える。EUというヨーロッパ化が進むと、ドイツ、フランスといった大波に飲み込まれないためにデンマークやスイスといった小国はその文化的アイデンティティを攻撃的に維持するようにしている。日本は大国ではあるかもしれないが、それでもグローバル化していく中、その固有の文化、アイデンティティを持つことがいかに重要であるかは、認識し過ぎることはないであろう。
 今日、台湾人と話をしていたのだが、台湾はこの点を甘く見過ぎて、アメリカ、日本の文化植民地になりつつある。これは中国へのアレルギーによって加速されている点はあるが、それによって、台湾が見失っているものは大きいし、将来の国際社会における立ち位置も不安定なものにさせるのではないかと考える。鞆の浦の景観が保全された日本と、鞆の浦の景観を駐車場と橋で破壊してしまった日本と、どちらがグローバル化の大波に脆弱であるかは、100%間違いなく後者である。この点を、しっかりと認識することが何より重要であると思われる。まあ、いろいろと書いたが、しかし今日の判決は本当によかった。日本という国の将来にとって、本当によかったと思われる。

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 新書



nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0