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ロッテルダムの都市景観が醜悪なことをドイツ人は批判できない [都市デザイン]

ロッテルダムの都市景観が醜悪であることを最近、このブログで書いたのだが、そのことを同僚のドイツ人に言ったら、「それはドイツ人が破壊したから」と返答した。「だから、ロッテルダムの都市景観は醜悪だとは思うけど、僕の口からは言えない」とのこと。さて、それで思い出したのは、私がカリフォルニア大学バークレイ校の都市・地域計画学科に学生として在籍していた時に、日本でも人気があって著書が翻訳もされているアーバン・デザインの先生が、「東京は密度の高いロスアンジェルスのようなものであって、都市デザインは醜悪だ」と言い放ったことである。その時は、「あんたの国が爆撃して破壊したからだろう」と心の中で猛反発したが、まあ当然のごとく、言わなかった。しかし、唇を噛んでいた。東京のアーバン・デザインは確かにロッテルダムのように醜悪ではあるが、アメリカ人に言われると猛烈に腹が立つんだよねえ。この人達は、そのうちバグダッドとかでも同じことを言うのだろうか。「バグダッドは他のイスラムの都市と比べて、伝統建築も少なく、ヒューストンのように醜悪だ」みたいなことを。まあ、自分の国の都市のことを棚に上げてロッテルダムを批判したりしたので、こんな嫌なことを思い出したのかもしれないが、しかし不思議でならないのは、こんな無神経なことを言う先生が日本では持て囃されているということである。私は、以前彼を名指しで批判していたことがあったが、後輩が「人気がある人なので悪く言わない方がいいですよ」と進言してくれたので名前は書かないが、アメリカ人のこういうデリカシーのなさはドイツ人とは対照的であると思う。しかし、アメリカ人が破壊した後に、醜悪なる都市景観をつくりあげたのは紛れもなく日本人の我々である。その点、ミュンヘンやワルシャワなど昔の都市景観を再生した国とは違い、ここは言い訳をすることはできないかもしれないが、ドイツ人がロッテルダムの都市景観を批判できないと思うのと同じような気持ちをアメリカ人が持つことは、むしろ礼儀なのではないかとは思うのである。この先生はちなみにイタリアが大好きなのだが、イタリアの都市景観が美しいのは、先の戦争ですぐ降参したからである。日本やドイツのようにもっと踏ん張っていたらローマやフィレンツェも爆撃されたであろう。ドレスデンでさえ爆撃を受けたのだから。

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