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イスラマバードでテロに攻撃を受けたホテルに7年前に宿泊したことを思い出した [グローバルな問題]

9月20日にイスラマバードにあるマリオット・ホテルがテロ攻撃を受けた。ここは2001年の9月に仕事でイスラマバードを訪れた時に宿泊していたホテルだ。5泊か6泊くらいしたと思う。ホテルにはバーがあり、レストランではパキスタン名物の「羊の脳みそカレー」が食べられた。街中のレストランに比べてもはるかに割高で、味もそんなにはよくなかったが、それでも腐っても鯛ではないが、さすが「羊の脳みそカレー」。結構、滞在中は頻繁に注文していたと思う。アパレル店や宝石店などに混じって、本屋もホテルには入っており、私はそこでイスラマバードの地図を購入したことを覚えている。ホテルに入っているにも関わらず、価格交渉をしなくてはならなかったのは流石パキスタンと思わせられた。後日、街中の本屋で同じ地図を価格交渉したら、買った値段より安い値段を提示されて悔しい思いをしたことがある。

イスラマバードから帰国して一週間も経たないうちに9月11日のニューヨークでの航空機爆破テロがあり、私はそれ以後、パキスタンに行くことはなくなった訳だが、訪問時は随分と穏やかな都市であるという印象が残っている。イスラマバードは圧倒的に自動車優先の都市づくりを進めたために、ブラジリアや、フィニックスの郊外のように歩くのが難儀であったが、朝とか夕方の涼しい時間にはホテルの周辺を散歩した。建物が巨大であったために、散歩自体は楽しいものでもなかったが、治安が悪いという印象はなかった。そういう点では、ラホーヤとかカラチとか比べるとはるかにましであったと思う。

しかし、今は随分と様変わりをしてしまったのであろう。イスラマバードのマリオット・ホテルはそれ以前も自爆テロとかが起きたりしたが、今回は少なくとも60名が死亡、200名が負傷したというから、大変な事件である。

私はパキスタンで仕事をしていた時、その国の人々の優しさやイスラム教徒の考えに大いなる感銘を受けた。インドで仕事をしていた時、結構、厳しい思いをしたので、それと対照的に人を受け入れるパキスタンの人々の世界観に感心をした。あまり感心したので、イスラム教徒になろうかと思ったくらいだったのだが、イスラム教徒は同教徒かキリスト教徒としか結婚できない、と言われて諦めた。そのような国で、テロが横行しており、人々はまともな日常生活を送ることもできないような状況になっているかと思うと、心が痛む。アメリカ政府への攻撃であることは確かであるが、そのようなテロをしてもアメリカ人はほとんど痛くも痒くもない。自国の人々を苦しめるだけのテロを進めることは、結果的に国内からの支援を失い、より孤立無援になるだけであろう。とはいえ、アメリカで同じことをやったら、それを理由にまた中東に攻めてくるから難しいところだ。結局、テロの効果はどこにあるのだろうか。

最近、日本でも通り魔的な無差別に人を殺傷するような事件が増えている。これらも、ある意味ではテロと似たような効果がある。人々が他人を信用しなくなり、また公共的な空間を怖れる効果である。こういうことが起きると、人々はあまり出歩かなくなり、社会化しなくなる。人々が社会化しなくなると、管理はしやすくなるかもしれない。それは果たしてテロをする組織にとっては意義があることなのだろうか。通り魔的な事件を起こす人は、社会への復讐という意味合いが強いだろうが、テロ組織は違うであろう。社会化をさせずに恐怖によって、人々を服従させられるという幻想を抱いているのかもしれない。恐怖心によって人を支配できたら、気分がいいのかもしれない。しかし、嫌だねえ、そんな状況は。先日、青山のバーに行ったら、やくざ風の二人組の客が入ってきて、すごくぞんざいな口のききようをして、店の人を怖がらせていた。こういう人を怖がらすのは、やっている方は気分がいいのかもしれないが、やられる方はたまったものではないし、傍でみていてもたいへん不愉快である。私はそれを咎めるような正義感もないし、チキンなので窘めたりしなかったが、なんかテロとかは、こういう恐喝の延長線上にあるような気もしないでもない。乱暴な口をきいたり、からんだりして、相手が怖いと思わせているのがおそらく気持ちがいいのであろう。そのような下らないモチベーションの延長線上にテロ行為とかもあるような気がしないでもない。本当に嫌だね。とはいえ、おおっぴらに正義感づらして中東に戦争をしかけているアメリカはさらに嫌だけどね。


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