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高円寺のルック商店街を訪れる [都市デザイン]

高円寺の二つの商店街の商店会に学生達と取材に行く。ルック商店街とパル商店街だ。高円寺の商店街といえば北にある純情商店街が有名だが、古着の高円寺といえば南のパルとルックであろう。このページではルック商店街について記す。

高円寺駅を南に行き、アーケードがあるところがパル商店街。そのアーケードを抜けたところからがルック商店街である。ルック商店街は、ここから地下鉄丸ノ内線の新高円寺駅まで続く。昭和26年に映画館がつくられ、映画館通りとも言われていたそうだ。ルック商店街のお店の数は多い。ただし、意外なことだが生鮮三品の店は八百屋が一つあるだけだそうだ。これは北口の商店街とは大きな違いであろう。その代わり、スーパーマーケットは5つあるそうだ。10年前に魚屋が一軒、出店したほうだがすぐ撤退したそうだ。商売として成立しなかったそうである。総菜屋もなくなってしまったそうだ。ここらへんは、高円寺=元気な商店街、と思っていた私としてもショックである。飲食店が多いというイメージもあったが、なんと1割程度だそうだ。私は、その昔よく会社帰りに、当時は上司であり、今はベストセラー作家になった『下流社会』の三浦展とよくルック商店街の啄木という居酒屋に飲みに行っていた。その啄木が閉店してしまい、三浦さんも私も会社を辞めて高円寺には滅多に飲みに来ることもなくなったのだが、その時の記憶から、ルック商店街は飲み屋が多いというイメージを持っていたのである。イメージとデータを照らし合わせると意外に両者にはずれがあるということを知る。

ルック商店街の商店会組合は昭和37年に設置される。街路灯を設置することが直接的な契機であった。その後、iモードに商店街のホームページをつくることで結構、知られることになる。総理府のテレビ番組などでも紹介されたそうである。会員は200名ほど。自動車は、土日は10時から20時まで、平日は13時から20時まで進入禁止。消防車やパトカーは入っている。自動車を進入禁止するのに反対した店の人はなかったそうだ。1970年のクリチバの商店街の人たちよりも賢明だ。

古着屋の高円寺として知られるきっかけとなったのは、旭屋商店が古着屋として開店したからだそうだ。それから古着屋が増えていった。今では商店街ではないところでも、随分と古着屋が出店している。その結果、土日には若者が多く来るようになった。逆に高齢者は多くないそうだ。ふうむ。これも意外である。高齢者も楽しめる商店街、というイメージを持っていたからである。現在では、高円寺の商店街には、地方からも多く人が来るようになっている。最近でも岐阜の中学校が修学旅行で来ているそうだ。なんか、すごいことになっている。
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