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アメリカの下流社会化の再確認 [サステイナブルな問題]

三浦展氏が編著の「下流同盟」という本が去年の12月に出版されたのだが、私もその本で2章ほど執筆した。下流同盟というのは、アメリカと日本のことで、「下流」というのは出版社である朝日新聞社がベストセラー「下流社会」の二匹目のドジョウを狙ってつけたタイトルであり、本質とは外れている訳ではないが、ちょっと違うかな、とは思う。とはいえ、アメリカの社会が下流化しているという指摘は間違っていないと思う。今回、サンフランシスコとデンバーを訪れているのだが、相変わらず、下流のアメリカを体験している。

私ごとで恐縮だが、とはいえ、このブログでは私ごとしか書いていないので、何を今更という感じでもあるが、アメリカに70年代と90年代に過ごしている。正確にいえば、1973年から1976年、1993年から1996年である。この時代のアメリカと現在のアメリカとを比較すると、明らかにアメリカ社会は変化している。一概に悪くなっているとはいえない。例えば、ニューヨークの犯罪率は1990年前後に比べると、はるかによくなっている。1970年代に比べると、中心市街地は随分と元気になっている。しかし、サービス産業におけるサービスのレベルは極めて悪くなっている。三浦展氏が「週間ポスト」の連載で指摘していたスチュワーデスなどはまさに典型であるが、航空サービスからファストフード、レストランなどのサービス・レベルの低下には驚きを通り越して、呆れてしまう。皆、サービス産業に従事していることの不満が爆発寸前であるかのようであり、今にも怒りに震えて殴り掛かってきそうな殺気を感じることが少なくない。そして、サービスのレベルはほとんど最低である。このような経験は90年代にも受けたことがあるが、それは大学の教務だったり、役所だったりした。銀行も結構、サービスは悪かったが、顧客という主張がある程度、通じるレストランや飛行機はこんなにも悪くはなかった。少なくとも、金を払うと感謝してもらえるような気分にさせてもらったものである。

サンフランシスコの空港では、ファストフードで食事を取る気もしないので、フルサービスのレストランに入る。水を頼むと、口紅の後がくっきりとついた、洗われていないグラスで出てきた。このような経験はサンフランシスコ郊外のシー・リゾートであるムーンベイのお洒落なレストランでも経験したことがある。なぜ、フルサービスのレストランでガラスも洗えないのか?こういう場所で、どの程度、衛生的に食事がつくられているか、極めて疑わしい。当然、待たされるし、まったく期待はしていなかったが、味はおそらく世界で最低レベルに不味かった。それでもサンフランシスコは、グルメの街として知られているのである。

サンフランシスコからデンバーに向かうが、スチュワードは離陸すると機内誌を読み始めた。ガムも噛んでいて、なんか普通の客でもちょっと不快を覚えさせるような男であった。このスチュワーデスのサービス・レベルは本当、アメリカ系の航空会社は最低で、スチュワーデスという職業がまだ多少、憧れの対象である日本人がスチュワーデスをしている国際便はアメリカ系でも救われるが、たいてい、相当不愉快な思いをさせられる。ジャッキー・ブラウンというタランティーノの映画があって、そこで主人公であるジャッキー・ブラウンはスチュワーデスなのだが、本当に社会の最下層のサービス業のように描かれているのが印象的だった。確かに厳しい仕事なのだろうが、しかし、それだからといって客に当たるのは間違っていると思う。

デンバーからボルダーに行き、ボルダーでは比較的、不快な思いをしなくて過ごすことができた。しかし、昼飯で入ったレストランで、アボカド春巻きを注文したら、メニューの写真とまったく違ったものが出てきた。メニューにはすごく美味しそうな写真が載っていたのだが、出てきたものは食材がわからないほどぐしゃぐしゃしていた。しかし、頑張って食べる。すると、ウエイトレスが「味はどうだ?」と聞いてくる。この時、客は「おいしいよ」と答えるのが礼儀であるが、なんで客がウエイトレスに気を遣わなくてはならないのであろうか。一度、ここで「いや、相当不味い」と答えたら、「どうして」とか「どこが問題なの」とか言ってきて、面倒臭いことになったので、もう今は面倒くさいから「おいしいよ(プリティ・グッド)」と答えているのだが、これは疲れる。

そして、またデンバーに戻る。飛行機のチェックイン・カウンターが滅茶苦茶混んでいる。並ぶこと40分。時間に余裕がないとアウトだ。このカウンターでも、まるで飛行機に乗るあんたが悪い、という態度をよく取られる。おもにユナイテッド航空だが。以前、サンフランシスコ空港のユナイテッドのカウンターで、滅茶苦茶失礼な目にあったことを思い出す。今日は、それほど酷くはないが、笑顔は一切ない。笑顔を強制させる給料も貰っていないのだろうか。しかし、同じユナイテッドの社員に相談したら、ここに並びなさいと言われて並んだのにも関わらず、カウンターの人には「なんで、ここに並んでいるんだ」、といかにも「この馬鹿が」という態度で言われた。何なんだ、これは。しかし、ここではお宅の社員がここに並べと言ったんだ、と主張して、そのまま処理はしてもらう。夕食を取りたいのだが、どこも混んでいる。しょうがないので、メキシコ料理のファストフードを食べようとする。ここでも、また並ぶこと10分。全然、ファストではない。タコスを注文するのだが、もうそのひき肉やレタスの入れ方があまりにも雑で、シェルの中に入らない。ここでも、あー?攻撃を受ける。ヒスパニック系のアルバイトだが、もう人種は関係なく、酷いね。机はどこも汚く、不潔きわまりない。発展すると人間がこうなるようなら、おそらく発展する必要はないんじゃないか、と思わせる。少なくとも私が育った70年代の方がはるかにアメリカは健全であったと思う。それは、人々が夢を持って、前向きだったと思われるからである。それは、小さくて私がそのような状況を理解できなかったからだろうか。しかし、幼い頃のアメリカのイメージに比べて、今の方がはるかにイメージは悪い。少なくとも、ここまではアメリカの食事も不味くなかったと思う。電子レンジと冷凍食品、そして調理に対しての侮蔑意識が、ここまで食事を不味く、下流化させたのであろう。飛行機は1時間以上遅れて出発し、遅れて到着した。

下流同盟―格差社会とファスト風土 (朝日新書)

下流同盟―格差社会とファスト風土 (朝日新書)

  • 作者: 三浦 展
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 新書


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