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「幸せの力」は下流社会アメリカという問題を非常に考えさせられる作品だ [都市デザイン]

映画「幸せの力」を観る。これは非常に考えさせられる作品である。下流社会アメリカの一断面を描いており、格差社会の悲惨さ、社会のセーフネットのない状態で転げ落ちるとほぼ絶体絶命になるという、アメリカの冷酷な一面を比較的、誇張がなく描写している。しかし、そこから這い上がるのが、ストック・ブローカーという点が、非常に悲しい。ストック・ブローカーというのは、基本的には何も生産しない。マネー・ゲームでお金を右から左へ移して儲けるだけである。商社などは、ものを右から左へ移すので、それなりに地理的な差などを使って利益を出すので、実体経済にもプラスの影響を与える。しかし、ストック・ブローカーはちょっと、そういうものとは違う虚業であると私は思う。こういう虚業で這い上がる、ということがアメリカン・ドリームとして捉えられてしまうことが、私にはよりアメリカ社会が病んでいる点なのではないか、と感じ取った。この点は、おそらく監督は自覚していないと思う。ストック・ブローカーという虚業が、すごく幸せに見えるということは、アメリカの「幸せ」というのは突き詰めると金を持っているか、持っていないか、ということなのか、と感じさせられる。これは、アメリカの多くのサービス産業従事者が、スチュワーデスを含めて、非常に不幸せで、仕事が嫌である、というオーラを出していることを最近、感じているから思うのかもしれない。サービス産業従事者は負け犬意識、搾取されているという意識が凄く強い。そのため、サービスを受ける「勝ち組」に対して、必要以上に攻撃的になっているような気がするのである。しかし、確かに格差は激しく、この言葉は決して好きではないが、いわゆる「下流」に属している人達は日本では想像できないほど悲惨である。なぜなら、ニューエコノミーは、金が金を産み出しているので、金を持っていればいるほど有利なゲームだからであり、金がないとどつぼに嵌るからである。努力をすればどうにかなる、というのはよほど楽観的な人間の考えであり、相当努力をしても難しい状況にあるのがアメリカ社会の実態である。昔のアメリカはそうではなかった。経済の成長のおこぼれを、ほぼ皆が受け取ることができた。50年代、60年代がそうである。日本も60年代はそうであった。今は、ほぼゼロサム・ゲームの中、力を持っている人間、より有利な条件を持っている人間(親が政治家とか芸能人とか)が、そうでない人間から取り分を取っているシステムになっている。アメリカの格差の広がりは、大きくなる一方である。
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