SSブログ

ウーバー・イーツがうざい [サステイナブルな問題]

ウーバーは2009年に基本、ウーバーキャブとして配車サービスとしてサンフランシスコで始まった。ウーバーキャブが単にウーバーになったのは、サンフランシスコのタクシー会社からクレームが来たためである。その後、モバイルアプリを使って、利用者が通常のタクシーやウーバー運転手を要請できるサービスを開始した。私も始めて使ったのはリオデジャネイロであったが、現地の日本人の旅行代理店の業者が運転手付き車レンタルとして請求してきた10万円に近い金額が、1万円ちょっとに節約でき、なんて便利なサービスなんだと感心したことがある。ただ、日本では東京と京都で過ごしているので、ウーバーで呼ぶより路上で拾った方が通常、便利で早いこともあって滅多に使わないが、海外とか不便なところだともう素晴らしいサービスだなと思っている。
 さて、しかし、2014年にウーバーが始めたウーバー・イーツはすごく社会的に無駄だと思う。特に東京や京都といった大都市だと、まったくアホらしいサービスかと思う。まず、ほとんどの場合、人に持ってきてもらうのではなく、自分でお店に行って食事をすればいいと思う。そもそもてんやものというサービスが日本の多くの食堂ではあるし、それは無料で提供されているので、そういうサービスを提供している店で注文すればいいのだ。いやいや、そういうサービスを提供しないもっと美味しいお店のものを自宅で食べたいんだ、と反論がくるかもしれないが、そういう美味しさに拘るなら、お店でできたてを食べるべきである。ウーバー・イーツで運ばれる時間を考えれば、もう美味しさは半減している。ウーバー・イーツを注文した時点で美味しさを語る資格はないと思う。もちろん、一人暮らしでコロナになったり、病気になったら活用するという手はあるかもしれない。しかし、病気になったら、うどんやお粥を自炊した方がおそらく身体にはいいであろう。いや、病気で辛いかもしれないが、味が濃い外食を食べるより、消化がよいものを食べるべきであろう。
 まあ、私はてんやものも取らないので、ウーバー・イーツを取ったことは一度もないし、頼むニーズを感じたことは一度もない。一度だけ、誰かの家で食事をした時、ウーバー・イーツを食べたことがあるが、「すごい人気店のイタリア料理屋に注文した」とおっしゃっていたが、それほど美味しくはなかった。そりゃ、時間が経つと料理は冷えるし、油がきつくなって美味しくなくなるわな。
 加えて、ウーバー・イーツによって歩行環境は悪くなっている。特に狭い歩道をウーバー・イーツの自転車が傍らを抜き去っていく時など、危険で邪魔だ。そもそも消費者はつくりたてでない料理を食べること、しかも運び代を払うので、コスト・パフォーマンスが悪くなるし、家で引きこもる時間を長くするので社会性を広げる機会を逸し、また運動不足にも繋がる。ウーバー・イーツではたらいている人は低賃金の重労働と言われたりしているが、私が気になるのは、社会的に何の付加価値も提供できていないことである。いや、実質面では上記の点からもマイナスの付加価値であるかと思う。高齢者やそれこそ病気・怪我で外出が難しい人などへ特化したサービスとしては、需要もあるし、社会的にも付加価値があるかもしれないが、人気店での料理を自宅に持ってこさせたい、という発想は貧しいと個人的には思う。
 まあ、こういうことを書くと、そんなことを言ってもアメリカの都市では受けてるじゃないか、と言われるかもしれない。しかし、これはアメリカ人はそもそも料理が不味くても全然、平気なので、そういう質を意識しなくても大丈夫である(なんせテレビ・ディナーが売れる国だからな。日本人はテレビ・ディナーは流石に厳しいでしょう)ということに加え、郊外住民は、低密度と土地利用が分離されているので、歩いてお店に行けないからだ。加えて、夜は治安が悪いので、ウーバー・イーツの運び人にお金を払って、そのリスクを背負い込んでもらうというニーズはある。さらに道路は広いのと歩行者は滅多に歩いていないので、日本のように歩行者とウーバー・イーツの自転車が接触する危険性もおそろしく低い。このように、食事が不味くてもOK、都市構造の相違、さらには治安の悪さ、さらには自炊を滅多にしない、という条件がウーバー・イーツを成立させているのだ。それは、アメリカの国の貧困さを象徴しているようなビジネスであり、日本人がアメリカで流行っているから、と一緒に貧しくする必要性はまったくないと思う。

nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1