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エンゲルスは当時の労働者が置かれた悲惨な状況を社会的殺人と指摘したが、今の自民党政権がしていることも社会的殺人ではないのか [菅政権]

『イギリスの労働者階級の状態』や『住宅問題』などの著書で知られるエンゲルスは、産業革命下で労働者がとうてい生きることのできない事情に追いやられて非業の死を遂げるのであれば、それは個人的殺人と同様に殺人であり、それを社会的殺人であると指摘した。そして、それを「防止し、社会の各成員のせめて生命を保護する責任はブルジョアジーであるとかいている。なぜならばブルジョアジーは生産手段と生活資料を所有し、現在の社会の支配圏をにぎっており、したがって、この支配権にあずからない人々の生命や健康については責任をもつ階級だからである。この責任をブルジョアジーは果たしていないのであるから、社会的殺人・傷害の犯人はブルジョアジーであるといわざるをえない」(宮本憲一、『都市政策の思想と現実』p.93)。

ここで、ブルジョアジーを自民党政権と置き換えてもいいであろう。菅首相自ら、「国民の命と健康を守るのは私の責務だ。五輪を優先させることはない」と今年の6月1日に参院厚生労働委員会で答弁していたのだから、その自覚はあると思って間違いない。

それにも関わらず、オリンピックを開催したらコロナウィルスが猛烈に拡大し始め、政府は重症化リスクの低い中等症患者などを原則、自宅療養とすることを表明した。これは、もう「国民の命と健康」を守れていない状況にあるということだ。何が「人類がコロナに打ち勝った証しだ」。完璧に負けている。それにも関わらず、そのパンデミックのエピセンターである東京ではオリンピックという祭りが行われている。祭りをしている一方で、下村大臣は「ロックダウンをできるように法律を整備する」と発言をしている。下村大臣は、よほど国民の基本的人権を制限したいのだろう。ロックダウン云々を抜かす前に祭りを止めろ。というか、ワクチン接種というロジスティクスも出来ない政府がロックダウンとか言うな!と主張したい。今回のコロナの流行を抑えられないのは、国民に原因があるのではなく、これは自民党政権、そしてそれを支えている国家公務員に原因があるのは他国と比べれば明らかだ。下村大臣に票を入れる人が本当、不思議だ。日本人を止めたいのだろうか。

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