感動のポタラ宮 [地球探訪記]
ポタラ宮を訪れた。私が大好きな本に「空間体験」というシリーズものがある。この本を元に私は結構、世界を旅したりしたのだが、その中でも、最も私を魅了した建築がこのチベットのラサにあるポタラ宮であった。その比類無き存在感、想像力を越えるスケール、反復と多様性の美しさ。もう、ポタラ宮の写真を見て私はぶっとんで、いつか訪れたいものと強く願っていた。さて、私ももう40代最後の年齢を迎え、いつまでも生きていられると思っていては大間違い、ということで超ハードなスケジュールの中、このポタラ宮を訪れたのである。
ポタラ宮のあるチベットの首都であるラサは、中国の文化支配戦略のせいで、大昭寺を周辺とした一画を除けば、もう中国化されており、アイデンティティは破壊の一途にあり、私も大いにショックと落胆を覚えたのだが、このポタラ宮を目の前にして私は立ちすくんだ。そのマッシブな迫力、天空に聳え立つがごとき建立するその空間を支配する力、そして、その意匠の美しさ。ケルンの大聖堂なんかの100倍は人を圧倒させる存在感をこのポタラ宮は有している。
ただ、このポタラ宮に入るのは大変だ。チベットへの入山許可証の呈示はもちろんのこと、何回も持ち物検査と身体検査を受けなくてはならない。そして、入る時間もきっかりと決まっている。ゆっくりと思いにふけるような猶予は与えられていない。とはいえ、それでも来た甲斐があった。もし見ることがなければ、死ぬときに大きく後悔したと思うが、しっかりと見ることができたので、これで死ぬときの後悔が一つ減った。そう思わせるほどの素晴らしい建築物であり、空間体験であった。
ポタラ宮のあるチベットの首都であるラサは、中国の文化支配戦略のせいで、大昭寺を周辺とした一画を除けば、もう中国化されており、アイデンティティは破壊の一途にあり、私も大いにショックと落胆を覚えたのだが、このポタラ宮を目の前にして私は立ちすくんだ。そのマッシブな迫力、天空に聳え立つがごとき建立するその空間を支配する力、そして、その意匠の美しさ。ケルンの大聖堂なんかの100倍は人を圧倒させる存在感をこのポタラ宮は有している。
ただ、このポタラ宮に入るのは大変だ。チベットへの入山許可証の呈示はもちろんのこと、何回も持ち物検査と身体検査を受けなくてはならない。そして、入る時間もきっかりと決まっている。ゆっくりと思いにふけるような猶予は与えられていない。とはいえ、それでも来た甲斐があった。もし見ることがなければ、死ぬときに大きく後悔したと思うが、しっかりと見ることができたので、これで死ぬときの後悔が一つ減った。そう思わせるほどの素晴らしい建築物であり、空間体験であった。
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