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島根の街並みは美しかった [都市デザイン]

島根を訪れる。生まれて初めての訪問だ。以前、アメリカの建築家カール・ワージントン氏に取材をしたことがあるのだが、そのとき、彼が1960年代に日本を訪問した時の島根の街並みのスケッチを見せてもらった。簡単なスケッチだったが、島根(おそらく松江だったと思う)の街並みの美しさにハッとさせられた。しかし、それは昔のことで、今はどうせハウスメーカーの住宅に置き換わっていてファスト風土化が進んでいるのだろうと思っていた。1960年代であれば、戦災をそれほど受けていない都市であれば、それなりの地域の佇まいをまだ保全していただろうが、その後のモータリゼーションや住宅の工場生産、デザインのグローバリゼーションなどによって、そのような地域性、風土に起因した街並みの美しさは失われたであろうと思っていた。

しかし、島根の都市の街並みは美しかった。江津市、大田市、出雲市と自動車で移動したのだが、皆、同じように明るい茶色の瓦の家々が、稲の明るい緑と山々の深い緑とで美しいコントラストをつくりだし、日本海をバックとした景観は強い印象を残す。ドイツやイタリアの街並みを見た時のような感動を覚える。日本の街並み的なランドスケープでこのような感動を観光地以外で覚えることはほとんどないので、ちょっとした発見であった。ワージントン氏の描いた島根の街並みは、今でもその美しさを残していたのであった。

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とはいえ、出雲市からは高速道路に乗ったので、松江市などの街並みはみることができなかった。高速道路ができると、本当、その沿道の街並みや都市の佇まいなどを体験する機会が失われる。高速道路ができると、確かに速く移動することが可能となるが、その代償として、沿道を楽しむ機会が失われる。観光客の立場からすると、高速道路での移動は面白くない。ゆっくりと沿道を楽しむことで、よりその地域を楽しむことができる。今回は、広島から大山へと移動したのだが、敢えて、中央高速道路を乗らずに、山陰の道路を行った。その結果、時間は随分とかかったのだが、ちょっと思いつきで石見銀山やら出雲大社に寄ったりすることができた。沿道のレストランにも思いつきで入ったりもした。それは、それで思いがけない出会いのようなものもあって楽しかった。旅行の醍醐味というほどの体験ではないが、悪くない。地域も多少は経済的なおこぼれのようなものが生じるのではないか、と思われる。高速道路がないからこそ生じるおこぼれ的な経済効果である。北海道の夕張市では、高速道路ができたことで、それまでの国道沿いの商店やレストハウスが寂れたそうである。それまでこの国道を通っていた人達の多くが、高速道路にシフトしてしまったからだ。

さて、しかし、この山陰においても山陰高速道路の整備計画がある。山陰高速道路は、現在、江津市から出雲市まではまだ整備されていない。大田市などの国道沿いには「命の道路」の一刻も早くの整備を!などの看板を掲げていた。私は、この「命の道路」というコピーが本当に嫌いである。命の道路がなくても、今までずっと、その地域に人々が住んで生活をしていた。なんで、今更「命の道路」などと言い出すのであろうか。むしろ、このような高速道路が整備されることで、地域の「命」を紡ぐことに貢献してきた商店が潰れていく。さらには寄り道観光の機会さえ奪う。そういう点からも、むしろ「命」を奪うのがこの高速道路なのである。それなのに、一時的な道路建設という土木事業欲しさに、「命の道路」などと言う破廉恥さに私は怒りを覚えてしまうのである。美しい山陰の街並みを観るにつけ、このコミュニティを壊し、血税を使い切ってまで、なぜ道路をほしがるのかと思うのかが、私には分からない。

タグ:島根 街並み
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