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食べログの洒落にならない影響 [グローバルな問題]

私は、結構食べログをよく利用する。食べログに依存しているので、自分でいい店を探すということをほとんどしなくなってしまったが、限りある人生、あまり失敗できないので食べログは本当に頼りになる。さて、この食べログを使うことでどのような状況が生じるのか。

まず、大衆が認めたところが高く評価されるということで嗜好の画一化が進むであろう。そして、やはり平均的に美味しいところに人が集まるようになり、今ひとつのところは淘汰されるなど勝ち負けがはっきりとするだろう。大衆による評価は、その評価数が増えれば増えるほど、信憑性は高まる。もちろん、個人の嗜好が一般大衆と異なる場合(例えば、私の場合は永福町の大勝軒)は食べログの評価は当てにならない訳であるが、それも自分が大衆の中でのポジショニングを確認するうえでは随分と役に立つ。しっかりとした嗜好がない人は、大衆的な嗜好へと「育て」られていくであろうし、しっかりとした嗜好がある人の場合も、自分の立ち位置を確認しつつ、やはり食べログで自分の嗜好に合うレストランを探すことになる。まあ、どちらにしろレストランにとっては厳しい世界に入ったといっていいであろうし、実力のあるレストランは正当な評価がされる時代になったかもしれない。

そして、「おとなの週末」や「ハナコ」といったレストラン情報を提供していた雑誌の売れ行きは大いに落ちるであろう。これは、多くの食べログ情報が大抵の場合、普通の記者の情報より質が高いからである。もちろん、山本益博のような一流の評論家の論評は一線を画すが、そこらへんの雑誌記者の場合、食べログに劣る場合が多いからである。このように多くの情報、しかも最新の情報を集約できてしまうというインターネットは凄まじいメディアである。深刻化する出版不況であるが、その要因として、例えば「おとなの週末」や「ハナコ」などのメディアは、食べログより情報の質として劣ってしまっているということが売れ行きに影響を与えていることは確かであろう。

タグ:食べログ
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