SSブログ

インドネシアがなかなかうまく行かない理由の考察 [グローバルな問題]

インドネシアで役人研修の講師をしている。インドネシアはたびたび訪れるのだが、特に今回の研修で理解したのは、彼らの能力が決して低くないことである。ある意味でセンスもよいし、ポイントをつかむのはうまい。しかし、国としてみるとどうもうまくいかない。何故なのか。大雑把であり、無責任ではあるが、ちょっと5つの仮説をたててみたので、恥を承知で記述する。

まず、1つ目は何しろ時間が守れない。9時に研修は始まるのであるが、全員が揃うのは10時頃である。必ず、時間通りに来る役人もいる。しょうがないから、全員こなくても始めようとすると、それだと午後のグループ作業に支障を来すので止めてくれと言ってくる。正直者が馬鹿を見る世界なのである。しかし、役人クラスでこんなに時間が守れないのだから、他の人はなおさらであろう。ここでは列車が機能する訳がないなと思う。飛行機が遅れるのは当然だ。

そして、2つ目はよりポイントになると思われるのだが、自らリスクをとらないことである。これは投資において特に言える。100%成功するという確信があれば投資をする。市長や州知事などが、空港がつくられる土地を計画発表前に買ってしまうというような「濡れ手に粟」的な投資はするが、ここは発展するだろうという予想のもとには投資をしない。こういうことを言うと、いや教育には投資するだろうと反論されるかもしれないが、こちらの大学教授とこの話をしていたところ、教育は見栄だと言われた。投資をしないから、状況が動く訳がない。ただ、彼らのプライドを刺激したりすると動くようである。したがって、プライドに訴えるような寄付金を集めることは可能だ。しかし、投資ができないというのは、将来を予想する力も育たないということだ。将来を予想できないで、その日暮らしをしているだけでは、なかなか状況は好転しない。

3つ目は、何しろ金に心が支配されてしまっている。とうか、金の価値が高い。今回の研修でも、得意の「金がないからできない」の常套句が意見交換の時間で出てきた。「金がないからできない」というのは、私が奉職する大学でも学生がよく使う言い訳だが、これを聞くと本当に情けなくなる。金がないからできないのではなくて、金がなくても出来る方法を考えるべきなのに、そういう発想に繋がらない。この考えに囚われると、経済規模の小さいインドネシアの都市では何も出来なくなる。加えて、投資が嫌なので、金儲けも苦手である。結果、金に執着することになる。イスラムの国であるインドネシアではラマダンの時期に喜捨の精神に基づいて、お金をばらまくようなことが行われるのだが、4年前、ジャワで一人50000ルピア(500円ぐらい)の喜捨をすると金持ちが発表したところ、人が群がり、その騒動で7人ぐらいが死亡する事件が起きた。航空機がスマトラの比較的、集落が近いところに墜落した時、事故死をした人の亡骸から宝飾類や現金を盗む人が相次いだ。情けない話だが、しかし、こういう行為をするようになったのは現地の人によると最近の話であり、1970年頃でもそういうことはなかったと思われるとのこと。何が、彼らをこんなふうに駆り立ててしまったのだろうか。なぜ、このような喪失を覚えるようになったのか、そのきっかけは独立以来の数十年の間にあったのではないかと思わせる。

4つ目は法律が機能していないことである。トップの方から法律を無視している。したがって、例えば都市計画をつくっても規制がないので、つくるだけ無駄というような状況になっている。行政の目標ぐらいの位置づけしか持たないし、多くの自治体で市長を始めとしたトップ連中が積極的に開発予定地の土地を買い漁るようなことをしている。むしろ、計画をつくるだけ無駄である。これだけの無法国家でも、それなりにやっていけているのは、皆、それなりの道徳心を有しているからか。スマトラの航空機事故の話をした後に、コモン・センスとしての道徳のレベルが高いことを言ってもあまり説得力はないかもしれないが、それでもアメリカの平均よりは高いだろう。この道徳心がなくて、現状の法治システムであったら、この国はおそらく破綻していると思われる。

5つ目は中央集権過ぎる。人口が2億3千万人であり、多くの島や異なる民族から構成されるインドネシアは、アメリカやドイツよりも地方分権をすべき国である。それにも関わらず、社会主義国家のように中央集権を維持している。10年ほど前、地方分権化を促進しようとしたが、また元に戻す動きがある。致命的なのは地方に徴税権が少ないことだ。税金はほとんど中央政府に行く。したがって自治が育たない。日本のように中央政府の役人が優秀で、国が小さくても、この制度は崩壊を来した。インドネシアでうまくいく筈がない。しかし、それでも何とかやっていけるのは、資源があって食糧も豊かであるからだろう。しかし、アメリカ的な市場経済が現状以上に浸透すれば、それも危なくなるであろう。

きつい言い方をしてしまっているが、これらはどうやったら克服できるのかは分からない。4は、もう革命的な政治家が出ることぐらいしか期待できないような気もする。5は、一時期はその方向に進んでいたが逆行したのが残念だが、どうにか改善すべきだ。これもやはり革命的な政治家が出てくることか。1と3は教育というか躾の問題かもしれない。2に関しては、自然環境がとても豊かなので、その日暮らしでも生きているという状況がそうさせているのかもしれない。まあ、日本やアメリカのようになることが幸せであるとも豊かになるとも全く思わないが、それにしても現況は辛いものがある。しっかりとした体制づくりが出来る前に、グローバリゼーションを導入したことによって生じた、負の側面なのではないだろうか。

インドネシアの人々は、適当にやってこれまでずっと生活できてきたのである。それを、雪が降ったり、食糧をせっせと作らないと飢え死になったりするなど、適当にやることができない国の人が批判するのはお門違いなのかもしれない。「ありとキリギリス」の寓話は冬が来るからキリギリスは後悔するのであって、インドネシアであったらキリギリスの方が愉快に暮らせるのである。しかし、グローバリゼーションを導入したことで、批判される価値観をも引き入れてしまった気がする。とはいえ、それで人々が戸惑っているかどうかは分からない。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0