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ドイツ語学校にて授業評価の問題を考える [その他]

10月はドイツ語学校に通っていたのだが、いろいろと体験ができたりして面白かった。今回の先生は小柄の60代手前くらいの女性であったが、学生をぼんやりさせないように次々と課題を与え、また講義の進捗スピードも速く、とても緊張感のある講義をする。さらに、宿題を結構、大量に毎日出し、それを採点までしてくれる。100語の不規則動詞のリストを与えられ、授業の最初の10分間くらいに、毎朝10個ほど過去形と過去分詞を暗唱させられる。分単位でカリキュラムの進め方が考えられているみたいな、非常に密度の濃い講義を受けることができて、性格はストレートできついが、ドイツ語を学ばせるという観点からはとても有能な先生であると思う。

さて、クラスメートに30代の日本人の血を4分の1ほどひく女性がいる。日本語もしゃべれて性格もきさくなのでいろいろと話をして親しくもなったのだが、彼女は必ずといっていいほど毎日、遅刻をする。たまに来ない時もある。さらに宿題をしたことは一度もない。それは、それで個人の勝手でいいのだが、この彼女が前の先生に比べると、この先生は素晴らしいと絶賛する。その彼女の先生に対する高い評価で、私はちょっと違和感を覚えたのである。そんなに素晴らしいと思うなら、遅刻をするなよな。宿題もしてこいよ、と思うのである。なぜなら、私は自分が教員をしているから分かるのであるが、先生は1ヶ月で学生のドイツ語能力を最大限に伸ばそうとして、密度の濃いカリキュラムをつくって、宿題までわざわざ、ボランティアで(宿題を採点するからと給料が上がる訳ではない)出して採点までしてくれているのである。この先生がやれ、と言ったことに無駄はなかった。また、朝の10分で外国人にとって非常にその習得が厳しい、ドイツ語の不規則動詞の過去形と過去分詞を100個だけではあるが覚えることができた。彼女はこの時間に一度も来ていないので、自分でこれを勉強しなくてはならない。宿題も、知識を確かにさせるためにその日のテーマとなるような文法事項の問題を復習する問題が与えられていた。私のような年寄りだと、この復習をやっても知識は確かにはならないが、それでもこの宿題は有り難かった。特に、独語作文の添削は本当に有り難く、提出するたびに感謝したものである。私のこのクラスメートは一度もこの宿題をしていないので、その恩恵に欲したことはない。彼女の毎朝規則のように1時間遅れてクラスに来ることや、宿題を出さないという行為自体が、先生の講義への否定、もしくは拒否を行動で示している。

それなのになぜ、先生を高く評価するのだ?私がここで言いたいこと、すなわち、私が彼女の意見に違和感を覚えたのは、この学生に先生を評価する資格はないからだと思ったからである。つまり、それはフランス料理のフルコースでメイン・ディッシュとデザートだけに箸をつけて、超お勧め、と言っているようなものと同じ不誠実なものを感じたからである。評価するのであれば、しっかりとフルコース全部を食べてから評価すべきであろう。同様に、教員の評価をするのであれば、しっかりと先生が提供するカリキュラムをすべてか、90%以上は消化したうえで意見を言うべきであろう。

こんな放っておけばいいことを、私がなぜ通せないかというと、私も大学で授業評価を受ける立場だからであろう。授業の評価をするのであれば、しっかりと講義を受け、こちらの課題なども取り組んだうえで評価をすべきであろう。そうでない学生に果たして、評価をする資格があるのか。久しぶりに学生の立場に戻って、改めて、講義を評価する立場にたって、授業評価の問題に気づいたのである。私も若いときはいい加減だったので偉そうなことは言いにくいのだが、月に10万円も授業料を支払って、先生も好きであると公言するのに、なぜ講義を受けられないのか、宿題もできないのか。とても不思議である。少なくとも、そういう状況で、先生がいいとか悪いとか評価するのはおかしいなと強く感じたのである。私の講義に遅刻したり欠席したり、課題を提出しないことは、その行為だけで、私への否定、私へのマイナス評価である。私は授業評価が比較的に悪くはないが、私の授業に取り組まない学生に高く評価されてもまったく嬉しくなく、むしろしっかりと授業に取り組んでいる学生に厳しい評価をされた方が有り難い。

この内容も、それまでならブログではなくホームページに記していたことなのだが、ホームページを閉鎖しているので掲載させてください。
タグ:授業評価
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