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ゴールデンステート・ウォリアーズ13年目の快進撃 [スポーツ]

ゴールデンステート・ウォリアーズは、この13年間プレイオフに一度も出られなかった。13年前、1993年のドラフトでオーランド・マジックと大型トレードを実施した。クリス・ウェバーとペニー・ハーダウェイに3年分のドラフト1位権をつけた大トレードというか、大盤振る舞いのトレードであった。それだけ、当時のドン・ネルソン監督はクリス・ウェバーに惚れ込んでいたのであろう。しかし、このトレードをしてから、ウォリアーズは奈落の底に落ちる。アメリカのプロスポーツでは、レッドソックスのバンビーノの呪いが有名であるが、まあ、私的にはこのウォリアーズのウェバー・トレードの呪われ方も凄まじいものがあると思う。そもそも、ウォリアーズはその数年前にミッチ・リッチモンドとビル・オーエンスというトレードで大失敗を犯していた。ミッチ・リッチモンドはクリス・ムリンとティム・ハーダウェイとでRun TMCのトリオを組み、ラン・アンド・ガンのスタイルで一世を風靡していたのである。にも関わらず、ドン・ネルソン監督は相性の悪さから、ミッチ・リッチモンドを追い出してしまう。ミッチはその後もサクラメントでオールスター・プレイヤーとして活躍。シューティング・ガードではマイケル・ジャクソンに次ぐプレイヤーとしてオール・セカンド・チームにも選出された。一方のビル・オーエンスは取り立てて述べる様な活躍をせず、またトレードに出される。しかし、こんなのはその後のウォリアーズの瓦解ストーリーの凄さに比べれば、プロローグにもならない。

クリス・ウェバーをトレードで獲得したウォリアーズは即、プレイオフの競合になることを想定していたことは間違いない。なぜなら、そうでなければドラフト1位選択権3年分という将来を放棄したようなトレードをする筈がないからだ。しかし、1994年はプレイオフに進出するも、1回戦で敗退。翌年以降にステップアップするためのクリス・ウェバーやラトウェル・スプリーウェル等の若手のレッスンとして位置づけようと、当時は自らを慰めていた(いい忘れたが、私はウォリアーズのファンという奇特な日本人である)。まさか、それから13年間もプレイオフに出られなくなるとは当時は夢にも思わなかった。しかし、なんとそのシーズン・オフにクリス・ウェバーがネルソンとはやっていられない、みたいな馬鹿な発言をして、ネルソンとの確執が明かになる。規律を重んじるネルソンはこの発言にキレて、世紀の大トレードをしてから1年経っただけで、クリス・ウェバーをワシントン・ブレッツ(現ウィザード)にトム・グーグリオータとトレードする。この際、ドラフト1位権3年分も取り戻すが、結局、トム・グーグリオータという平凡なプレイヤーとペニー・ハーダウェイとをトレードするというような馬鹿なことをしたことになった。ちなみに、ペニー・ハーダウェイはシャックと組んで、オーランド・マジックをプレイオフの決勝にまで導く。トム・グーグリオータがウォリアーズで活躍しなかったことは言うまでもない。というか、シーズンが終わる前にダニエル・マーシャルという手が長いということだけが取り柄の中途半端なドラフト全体4番目の新人とトレードされる。ああ、悔しい。ドン・ネルソンもウェバーに刺し違えられる格好で辞める。50勝32敗したチームは翌年、26勝56敗という悲惨な成績を残す。

しかし、ウォリアーズの危機はまだまだ続く。ともにオールスター・プレイヤーであるティム・ハーダウェイとラトウェル・スプリーウェルが対立。なぜか、ティムではなく、スプリーウェルがチームに残る。ティムはマイアミに行き、ここでまた活躍したことは言うまでもない。ティムとのトレードでウォリアーズに来たのはケビン・ウィリスであった。ティムと違ってスター性がない選手であった。ちなみにウェバーと一緒に辞めたネルソンは、その後、ダラス・マーベリックスの黄金時代をつくりあげる土台を築き上げることに成功し、その名将の名を欲しいままにする。要するに、皆、ウォリアーズでは酷い状況にあるのだが、辞めると別天地では活躍したのだ。それが、また悔しさを倍増させた。すなわち、ネルソンのせいでもウェバーのせいでもなく、ウォリアーズという場に問題があったのだ。それは、もう呪われているとしか言いようがない。

この期間、ウォリアーズはドラフトで良い選手を発掘するチャンスに恵まれるが、ことごとく失敗する。特に1995年にドラフト1位の一番くじを引くが、なぜかジョー・スミスという田中一郎みたいな平凡な名前の選手を指名する。この年は、他にケビン・ガーネット(5番目)、ラシード・ウォラス(4番目)、マイケル・フィンレイ(21番目)、ジェリー・スタックハウス(3番目)といった選手もいたので何故、ジョー・スミスを選んだのかはまったくよく分からない。ともかく、彼もちょっと活躍しただけで、ほどなく移籍したのは言うまでもない。そして、もう目も覆いたくなるようなミスを翌年の1996年にする。この年、ウォリアーズはトッド・フーラーというロード奨学金を受賞するほどのノースカロライナ大学の秀才を11番目で指名する。なんとコーベ・ブライアント、スティーブ・ナッシュ(2回MVP受賞)、ジャーマイン・オニールなどその後、オールスターになる選手の前に指名したのである!トッド・フーラーはまったく活躍しないで2001年にNBAからは引退する。ちなみに、その後も1998年にヴィンス・カーターを指名したのに、即座にアントン・ジェイムソンとトレードするという愚を犯したり、もうファンにとっては発狂しそうな年月を過ごしたのである。

そして、ティムとの対立で残ったスプリーウェルが有名なコーチの首締め事件を起こす。これでスプリーウェルは1年間の謹慎処分になり、ニューヨーク・ニックスに出される。そして、ニューヨーク・ニックスで活躍した。プレイオフでスパイク・リーがスプリーウェルのユニフォームを着て、コートサイドで踊り狂っているのを私は苦々しく見ていたのである。スプリーウェルが謹慎処分になった1997—98のシーズンはなんと19勝63敗というおぞましい成績を残す。

ここらへんで、私のNBA熱もだいぶ消え去り、ウォリアーズのだめだめぶりを呆れながら眺めていた。まあ、ここまでついていないとどうにもならないなあ、と勝つことなど期待もせずに、しかし勝敗をときたまチェックしては、また負けていることを確認していた。しかし、今年になって遂に奇跡が起きたのである。その奇跡とは、インディアナ・ペーサーズがウォリアーズと馬鹿トレードをしてくれたことである。ウォリアーズは、トロイ・マーフィーとマイク・ダンリービーという二人の(選択ミスした)ドラフト1位選手とマイナー選手2名を放出、換わりにスティーフン・ジャクソンとアル・ハリントンとマイナー選手2名を獲得した。オールスター前の1月の頃であった。その時は、ペーサーズの方がウォリアーズより勝率はよかったのだが、ペーサーズはプレイオフを逃し、ウォリアーズは13年ぶりにプレイオフの進出を果たした。ジャクソンの貢献度が極めて高かったことは言うまでもないが、ハリントンも相当の活躍をした。クリス・ウェバーのトレードの大失敗を取り消したのは、ペーサーズが似たような大失敗トレードをしてくれたためである。ウォリアーズを呪い続けていたババをペーサーズが引いてくれたような気がしてならない。もちろん、2001年頃からは、リチャードソンをドラフトで指名し、バロン・デイビスとスピーディ・クラクストンとのトレードとか、結構得をするようなトレードが出来るようになってきた。そういう積み重ねがあっての、今回のババ抜きの成功があったのではないかと思われるのだが、それにしても13年は長かった。ウォリアーズが今シーズン以前にプレイオフに進出した時は、私がサンフランシスコに留学して一年目であったのである。それからのこの長い月日、一度もプレイオフに進出もできないような無様な状況であったのだ。しかし、どんなに長い冬でも、春が来ない冬はないのである。ということをウォリアーズのファンをしていたことで知ることができた。

シカゴのオヘア空港でこのブログを書いているのだが、前の親爺二人組がウォリアーズとマーベリックスとのプレイオフの展開を議論しあっている。シカゴで、こんなウォリアーズが親爺どもの話題に上っているなんて。ウォリアーズはおそらく、NBAの中でも最も、全米の注目を集めないダメダメなチームであったはずだ。それが、プレイオフに13年ぶり進出して、しかも歴代勝率6位でぶっちぎりでレギュラー・シーズンを制したマーベリックスに2勝1敗である。ドン・ネルソンが今年から監督として戻ってきていることも大きい。リチャードソンは30ポイントの大活躍である。今まで、本当に煮え湯を飲まされ続けているような思いだったので、嬉しさも格別である。いつか、私が生きている間に優勝もできるであろうか?



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