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今年のNBAは目が離せないほど面白い [スポーツ]

今年のNBAは久々にわくわくさせられる。最近、NBAではスーパーチームをつくる動きがみられる。このようなトレンドをつくったのは、レブロン・ジェームスであろう。レブロンはマイアミ・ヒートに2010年に移籍する時、ドラフト同期で4位のクリス・ボッシュ、5位のドゥエイン・ウェイドもマイアミ・ヒートと契約を結んだ(ドゥエイン・ウェイドはヒートに所属していたが、フリーエイジェントであった)。彼らはフリーエージェントで同じチームに行こうと2006年には相談していたそうだが、チーム・オーナーではなく、選手がチームをつくるという動きの始まりは、この2010年のマイアミ・ヒートが初めてであろう。このスーパーチームは4年のうち2回優勝を果たす。
 その後のスーパーチームはゴールデン・ステート・ウォリアーズであろう。決勝ではレブロン・ジェームズ率いるクリーブランド・キャバリアーズには負けたが、西地区で優勝するほどの強豪であったにも関わらず、レブロン・ジェームズと唯一同じレベルにあるケビン・デュラントを獲得して、その後、2連覇を果たす。この場合は、選手たちが相談してこのようなチームをつくったというのではなく、ケビン・デュラントが好んで入っただけとはいえるが、それでも凄まじいスーパーチームが結果つくられる。そして、もう最初からほぼ優勝チームが分かるような出来レース的なシーズンが続く。私はゴールデン・ステート・ウォリアーズのファンではあったが、この4年間で優勝した3回のうち、ケビン・デュラント不在の時の優勝が一番、わくわくした。正直、ケビン・デュラントがいて優勝しても、そこまでして勝ちたくはない、と思ったりもした。ステフェン・カリー、クレイ・トンプソン、ドレイモント・グリーン、ハリソン・バーンズ、アンドレ・イグアダラ、アンドリュー・ボーグで下馬評を覆して優勝した時は本当に楽しくわくわくして試合を鑑賞したが、デュラントがいてもあまりにも強すぎて、ちょっと興ざめさせられた。
 さて、しかし、ある意味、ゴールデン・ステート・ウォリアーズが強すぎたこともあり、その後、二つのスーパーチームがつくられる。その一つはデュラントを中心にジェームス・ハーデン、カイリー・アービングのスーパー・トリオのニュージャージー・ネッツと、レブロン・ジェームズを中心にアンソニー・デービス、ラッセル・ウェストブルックのスーパー・トリオのロスアンジェルス・レイカーズである。もう、このスーパーチームがつくられた時は、もう東はネッツ、西はレイカーズで決勝戦は決定だと多くの評論家は断定した。そして、私はつまんねえなあ、と思いつつ、そうなんだろうなあ、と諦観していた。ウォリアーズについては、評論家はプレイオフに進出もできないだろうと言うものさえいた。
 ただ、蓋を開けてみれば、ネッツはデュラントの故障離脱という予期せぬ事態があったにしても、今日(2月6日)時点では7連敗を喫して6位と低迷している。レイカーズはもっとひどい状況である。レブロンが離脱していたとはいえ、現時点で9位である。もちろん、デュラントやレブロンが復帰すれば状況は変わるだろうが、それでも決勝戦までの道のりは厳しいし、遠い。そして、これらのスーパーチームの低迷がNBA自体をとてもエキサイティングなものとしている。西はフィニックス、ゴールデン・ステートだけでなく、若手が大活躍しているメンフィスの台頭、いぶし銀的な強さを持つユタ、ダラス、デンバーといったチームが気の抜けない試合を多く作り出している。東はオールスター選手のベン・シモンズが不在のフィラデルフィア、マイアミ、シカゴ、ミルウォーキーがしのぎを削ったハイレベルの試合を展開している。西は若干、フィニックスとゴールデン・ステートが頭一つ抜きん出ているが、それでもプレイオフではどんでん返しが起きないとはいえない。
 そして、何が素晴らしいかというと、スーパーチームのように駒を揃えても、それで試合に勝てるほどバスケットボールというスポーツは単純でないことが明らかになったことである。それは、バスケットボールはチームスポーツであり、選手間の相乗効果や戦略によって弱いチームが強いチームに勝つことができるからである。レイカーズはドラフト1位のアンソニー・デービスやMVPのラッセル・ウェストブルックを獲得するために、若手の有望な選手をずいぶんと放出したが、彼らがいた方が、現在のレイカーズより強かっただろう、と多くの評論家が指摘する。確かにクズマ、カードウェル・ポープ、ロンゾ・ボール、ブランドン・イングラムとレブロン・ジェームズというチームは、現在のレイカーズよりは強い印象を受ける。
 ともかく、スーパーチームが今シーズンを台無しにしてしまったな、とがっかりしていたのだが、実際は、まれに見るエキサイティングなシーズンを楽しむことができている。もちろん、ウォリアーズがフィニックスと首位争いをしているほどの成績を残していることも、楽しめている大きな理由ではあるが。

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ボストン『ドント・ルック・バック』 [ロック音楽]

最近、ボストンを改めて聴いてみた。ボストンは私が中学〜高校時代、まさに日本を含む世界中を席巻したバンドである。1976年に出されたデビュー・アルバムは、デビュー・アルバムとしてはそれまでの最大の売り上げを誇り、世界中で2000万枚ほど売れた。『ドント・ルック・バック』はそんなバンドの二枚目のアルバムでデビュー・アルバムが発売された2年後の1978年に発表された。
 全部で8曲、Used to Bad Newsがデルプ, Partyがデルプとショルツの共作だが、あとはすべてショルツの作品である。ボストンの曲の特徴は、ハード・ロックの型にバッハにも通じるメロディの明解さである。ロックではあるのだが、ブルースというより、クラシックに近い曲調である。ショルツという名字はいかにもドイツ系であり、幼少の時からピアノを習い、また、パイプオルガンへの憧憬などから、ショルツはバッハの影響を相当受けているのではないかもしれない。そういう点からか、ボストンはプログレッシブ・ロックの範疇に入れられることもあるが、プログレッシブ・ロックのような複雑なコードやリズムとは無縁だ。あくまでも、ハード・ロックという単純なフレームワークに美しいメロディを乗っけた。これが、日本の若いインテリ層(矢沢とかを聴かないような層:私も含まれる)に受けたと思われるのである。まあ、ショルツは泣く子も黙るMITの学部、大学院を出ているからな。
 ただ、一枚目に比して、ショルツはこのアルバムの二枚目(CDでいうと5曲目以降)はそのできに納得していなかったそうだ。実際、別に悪くはないが、アレンジとかが簡単でちょっとひねりは感じられない。ボストンにしては前述したような、クラシック的な要素が少なく、エアロスミスから毒を抜いたような存在感の薄い曲が続く。とはいえ、聞き込むとそれなりに感謝できるようなクオリティではあるのだが。
 とはいえ、一曲目のDon’t Look Backと四曲目のA Man I’ll Never Beはロック史に残るような傑作ではあるだろう。この2曲のために、このアルバムは買っておくべきである、と個人的には考える。



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『ワイルドライフ』 ポール・マッカートニー・アンド・ウィングス [ロック音楽]

ポール・マッカートニーがビートルズを解散した後、リンダと元ムーディー・ブルースのデニー・レインと組んだウィングスのデビュー・アルバム。1971年に発表。天才ポール・マッカートニーがつくったとは思えない凡庸な楽曲が続く。アレンジ的な工夫もあまり感じられない。唯一、ビートルズのアルバムにも入るかもしれないレベルにある曲はTomorrowぐらいだろう。このアルバムだけを聴くと、もうポールは才能をビートルズで枯渇させたのではないか、とさえ思わせるのだが、その後、バンド・オン・ザ・ラン、スピード・オブ・ザ・サウンドといったロック史上に残る名作をつくるのであるから、人生よく分からない。とはいえ、最低限のクオリティは維持しているので、まあ金をドブに捨てたとは思わない。個人的にはDear FriendやSome People Never Know, I Am Your Singerなどは嫌いではない。ただ、ポール・マッカートニーという天才の輝きをこれらの曲は纏っていないということだけは確かである。ポール・マッカートニーを愛していない人でないと、魅力がないアルバムではあるだろう。





ワイルド・ライフ(紙ジャケット仕様)

ワイルド・ライフ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ウイングス
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1999/08/25
  • メディア: CD



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『耳と感性でギターが弾ける本』トモ藤田 [書評]

最近、ユーチューブでギターをはじめとした楽器の演奏の仕方を教える動画が多い。私もこれらは大変、重宝している。その中でも最も参考になり、勉強になっているのが、この著者のトモ藤田氏の動画である。彼は、あの泣く子も黙るバークリー音楽大学のギター科の先生である。あの、泣く子も黙る現代三大ギタリストのジョン・メイヤーの師匠ということでも知られている。そのトモ藤田氏が書いた本が『耳と感性でギターが弾ける本』である。楽譜、タブ譜はまったくなく、ギターをどう練習し、どういう姿勢で臨むといいのか、という心構えが書かれているのだが、これが大変ためになる。ギターの基礎練習の大切さはもちろんのこと、CDの聴き方とかまで教えてくれる。私は、この本を読んでしっかりとした練習の大切さを知り、早速、ギター学校に申し込んだ。そのギター学校を選んだ理由は、トモ藤田の教え子であり、トモ藤田からの推薦がホームページに書かれているからだ。ということで、まさに目から鱗的な内容で、ギターが上手くなりたいと思っている人は是非とも手に取るといいと思う。楽譜が多くある教則本よりギターの上達は早くなるような本であると思われる(それが分かるのは1年後ぐらいはかかるだろうが)。


ギター・マガジン 耳と感性でギターが弾ける本 (CD付き)

ギター・マガジン 耳と感性でギターが弾ける本 (CD付き)

  • 作者: トモ藤田
  • 出版社/メーカー: リットーミュージック
  • 発売日: 2010/02/08
  • メディア: 単行本



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カール・グルーバー『ドイツの都市造形史』 [書評]

カール・グルーバの「ドイツの都市の歴史」の訳本を読む。なぜ「Die Gestalt der deutschen Stadt」がドイツの都市造形史に意訳されたのであろうか。著者の確かに内容はドイツの都市の歴史の中でも都市造形に関わっているかもしれないが、この本の肝は、中世、ルネッサンス、19世紀という大きく3つに分類された時期ごとに、どのようにしてドイツの都市がつくられ変容していったのかを教会、大聖堂、塔といったランドマークや建築要素(例えば窓)ごとに記述していることである。あえて、意訳をする意味があるのだろうか。

著者の恐ろしいほどの造詣の深さには、おったまげさせられる。そして、都市のスケッチが多いのだが、これが大変興味深く、面白い。ただ、私のようにドイツに生活し、旅行しまくって都市を知っている読者はある程度、フォローはできるが、そのような前知識がないと、相当、分かりづらい本であるような印象を受ける(もちろん、ドイツ人が読者対象なので、分かりづらいのは日本人であるからだけなのだが)。あと、翻訳はひどい。読むのが辛くなるような日本語である。しかし、それでも最後まで読めたのは、本の内容が濃いからである。私はこれを読み終わった後、原著を注文した。


図説 ドイツの都市造形史

図説 ドイツの都市造形史

  • 出版社/メーカー: 西村書店
  • 発売日: 2022/02/02
  • メディア: 単行本



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Get Back (第三話) [都市デザイン]

ゲット・バックのドキュメンタリーの第三話。第一話ではビートルズのメンバーの不和を描き、すわジョージ・ハリソン脱退か!とハラハラさせて終わり、第二話ではジョージが戻ってきて、なんかいい感じにセッション進んでいるな、と安心させ、第三話ではアップル・スタジオの屋根でのライブ・レコーディングという大団円へ向けて事態が加速するという流れで、ビートルズの名曲が原型から徐々に形になっていくのが見ていてとても楽しく、引き込まれる。特にジョージのオールド・ブラウン・シューや、サムシングの原型を提示すると、皆がそれに反応してアイデアを付け足していくところは、ビートルズのメンバーのアレンジ力のすさまじさを改めて思い知らされる。あと、リンゴがオクトパス・ガーデンのアイデアを披露した時の、皆のポジティブな反応がいい。特にジョージの真摯なアドバイスは見ていて感動的だ。本当、創造集団としてとても優れていたんだな、ということが分かる。ジョンもゲット・バックのギター・ソロとか本当、秀逸だ。ギターは相当、下手だけど。ギターが下手というとジョージもそうで、アイ・ガット・ア・フィーリングのギター・ソロとか、メロディは素晴らしいのだけどビブラートにそんなに力、入れんなよ、とアドバイスをしたくなる。いや、本当、余計なお世話だけど。最近、セッションで一緒になったギタリストが、本当に左手に力が入っていて、これじゃあ上手く弾けないよ、と思ったが、ジョージもそんな感じである。

とはいえ、この映画で一番、見直したのはジョージである。サムシングを作曲するぐらいだからメロディ・センスは飛び抜けていいのは分かっていたが、ギターのバッキングやソロはいい。そして、オールド・ブラウン・シューとかも弾けないピアノであんな名曲をつくってしまうから、ポールとジョンの影に隠れていたが、ビートルズにとって不可欠な功労者であったのだろう。ただ、ジョージが「僕は曲が今、どんどん浮かんでくるんだけど発表する機会がないからソロ・アルバムを出したいんだ」と発言したのは、非常に予言的ではあったが、そういう気持ちにジョージがなるのは分かる。それまでも、ずいぶんと曲はつくってきただろうが、ポールとジョンにずいぶんと駄目だしをされていて我慢をしていたのだろう。サムシングやヒア・カムズ・ア・サン、アイ・ミー・マインとかの曲が頭にどんどんと浮かび始めたら、もう自分の思う通りにやらせて欲しい、と思う気持ちはよく分かる。まあ、この点でもビートルズを機能させていたバランスが崩れ始めていたんだろう。ハリソンはビートルズを辞めた後、「All Things Must Pass」を発表するがなんと三枚組であった。どんだけ、在庫にためていたんだ!という感じである。

第三話は、もちろん屋上でのライブがクライマックスであることは間違いないのだが、前半はリンダの連れ子のヘザーがアップル・スタジオでふざけ回るのだが、そのお茶目な姿は何とも心を揺さぶる。これはほとんど仏頂面(みんながレコーディングしたものを聞いている時も一人、ほとんど表情を変えない)のオノ・ヨーコとはめちゃくちゃ好対照だ。

あと、ジョンも本当、コメディアンのように茶化しまくっていて、少しは真面目に取り組めよ!と言いたくもなるが、それでもあんな曲をつくったりできるということは天才ということか。とはいえ、ポール、本当孤軍奮闘で、ポールがいなければゲット・バックというアルバムが出てこなかったことはよく理解できた。ポール、偉いよ、あんたは。これまでも尊敬していたけど、さらに尊敬の気持ちが強くなった。
 

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Get Back (第二話) [ロック音楽]

ジョージが「俺はもうビートルズ辞めるわ」と言って撮影スタジオ去るという衝撃的なシーンで終わった第一話。どうなるんだ、とハラハラしてみた第二話であるが、意外と簡単にジョージ復帰。今回はトゥイッケナム・スタジオから舞台を移し、アップル・スタジオ。スタジオが変わっただけで、映像の雰囲気もビートルズの表情も明るくなる。アップル・スタジオでは、アビー・ロードの収録曲はもちろんのこと、Don’t Let Me DownやShe came in through the bathroom windowなどの名曲が原型からどんどんと形をつくっていくプロセスが見えてきてとても興味深い。特にゲット・バックのバッキングは印象的だ。ジョン・レノンもジョージ・ハリソンも改めてギターが下手だな、というのは確認できるのだが、ギターのバッキングのアレンジ能力は驚くものがある。というか、ジョージのソロのアレンジも素晴らしい。ジョージ、ただものじゃあ全くないな。

あと印象的だったのは、ジョンのひょろひょろとした性格。第一話では、もう猛禽類のような鋭い眼光だったのに、第二話では、なんかヘラヘラ親父ギャグをかます植木等のようなキャラになっていた。カリスマ性がまったく感じられない。そして、ポールは相変わらず、どうにかビートルズとして生産的な仕事をしようと言っている時、第一話と違ってジョージも建設的な発言をしていた。ジョージ、結構、真面目なキャラである。ギターとかも上手くはないが研究熱心で好印象だ。ただ、ジョンはここでも心ここにあらず、という感じだ。とはいえ、On the road to Marrakesh (ジェラス・ガイの原曲)などをセッションしている姿とその楽曲の素晴らしさを確認し、おお、やはりただ者ではないということを思い知らされたりもする。

とはいえ、ポールに同情するわ。相変わらずオノ・ヨーコの存在は不気味であり、もう信じられないような奇声を発するジャム・セッションをしたりするが、第一話ほどは不気味さはない。ただ、アップル・スタジオでたむろしている女性ファンに「オノ・ヨーコをどう思う?」などを質問した映像を映したりして、これは撮影側がオノ・ヨーコに否定的なイメージを植え付けようと意図しているのではないか、と勘ぐらせる。それに比して、リンダはいい感じだ。まあ、リンダ、実際、いい人という噂だが、まさに映像からは「いい人」像しか伝わってこない。

あと、第二話においてビートルズとオノ・ヨーコと同じぐらいに重要な登場人物は、ビリー・プレストンであろう。ビリー・プレストンは常時、ニコニコしていて、キーボードを弾いてと頼まれると、もう驚くような素晴らしいバッキングとソロを即効で披露する。ビリーとビートルズの演奏シーンは、この第二話の見せ場であることは間違いない。ただ、ジョンとジョージが「ビートルズに入れよう」という、もう信じられないくらい無責任な提案をすると、ポールが「いや、それは違うんじゃないか」と返答しているのをみると、もうビートルズを大切に思っているのは四人の中で本当、ポールだけなんだな、ということに気づかせてくれる。ジェネシスなんて、もうライブでは欠かせないチェスター・トンプソンやダリル・シュトルーマーを最後までメンバーとして入れなかったからな。ギターも辞めているのに・・・。ツェッペリンもそうだ。なんか、ブランディングとかの基本的な知識がなさ過ぎるのか、もうビートルズ、ジョンもジョージもどうでもよくなっているのか。頑張れ、ポールと思わず、心の中で叫んでいましたよ。

さて、ビートルズにライブをさせて一儲けするという企画は、アフリカ版も却下され、ロンドンの公園でのものも却下され、その代替としてアップル・スタジオの屋上でアリバイ的にすることになった。というところで第二話は終わる。第三話、楽しみである。


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Get Back (第一話) [ロック音楽]

ディズニー・プラスが動画配信をしている「Get Back(第一話)」を観た。これは、1969年1月に行われた「ゲット・バック・セッション」の様子を時系列で追ったドキュメンタリーである。ホワイト・アルバム発表後、ブライアン・エプスタインが亡くなったこともあり、ビートルズは迷走していた。そのような状況を打開するために、ポールはデビュー時のようにオーバーダビングなしのライブでアルバムをつくり、コンサートツアーを行うことを提案した。このアルバムが「ゲット・バック」である。
 ドキュメンタリーは三話からなるが、第一話はトゥイッケナム・スタジオでのセッションを辿ったものである。トゥイッケナム・スタジオはロンドンの西郊にあるフィルム・スタジオで1月という時期もあるのかもしれないが、何とも寒々しい感じのするスタジオ。そこに集まって、セッションをするビートルズの面々はてんでばらばらで、観ているものをハラハラとさせる。どうにか、いいものをつくろうと孤軍奮闘しているのがポールで、ジョージとジョンはもうアリバイ的にいやいやと仕事をしている感が透けて見える。こりゃ、普通は切れるわ!という状況でポールはそれでも頑張って、残りの白けたメンバーにやる気を喚起させようとしている。ポールは、どうにか曲をいい感じでアレンジしたいのだが、他のメンバーは本当、おざなりな対応をしている。いや、とはいえジョージの気持ちは分からないでもない。ジョージの「俺はクラプトンのようには弾けない」的な発言を聞くと、ジョージ、お前も二人の天才に挟まれていて辛かったんだな、と同情したくなる。ジョージの「ポールなあ、俺はおまえのような天分はないんだよ。文句を言うならお前がギターのバッキングも考えろよ」と言いたくなる気持ちは分かる。ポール、自分が見える(聞こえる)ことが他人も見える(聞こえる)と思ってるんだろうなあ。自分ができることをジョージができないのは、ジョージの努力が足りないぐらいに思ってるんじゃないかな。ポールのある意味での人の良さというか楽観的なところが、ジョージにはより辛い状況をもたらしている。天才も難しいけど、天才と一緒に仕事をする普通の人も大変だということが見て取れた。ジョージ、結構、いい奴である。
 それに比して、ジョンは怖い。あの目つきは、もう周辺の空気を緊張させる。遅刻はするわ、常にオノ・ヨーコはいるわ、ジョージがアイ・ミー・マインをみなに紹介している時には、勝手にワルツを踊るわ。ヨーコと二人で完全にカプセルの中に入って、コミュニケーションを遮断している。
とはいえ、そこは不世出のミュージシャンの集まりである。ポールが紡ぎ出すメロディー、リズムへのジョンの反応は天才的なものがある。ジョージも即座に素晴らしいギターのメロディーを加えていく。そして、何よりさっとつくるコーラス・メロディーは驚嘆さえ覚える。そして、ジョンやジョージの楽曲に対するポールの条件反射は、もう天才的ではなく天才そのものだ。ベース・ラインがもう天から降ってくるという感じであり、ここらへんはこのドキュメンタリーの見所の一つであろう。
 ビートルズに比して、プロデューサーのグリン・ジョンズを除くと、結構、みんないい加減で無責任な奴らが多いのは興味深い発見であった。宮崎駿をプロデュースする鈴木敏夫のような優れた人たちに囲まれてビートルズは仕事をしていたのかと思ったら、実際はビートルズという甘い蜜に群がったくそ野郎みたいな輩が多くて、これは驚きであった。エプスタインが亡くなった後、ビートルズを守ろうとか、ビートルズのために動いた人はいなかったのかな、と思わせられる。まあ、大金持ちであっても、まだビートルズ30歳にもなっていなかったのではないだろうか。この状況じゃビートルズも解散せざるを得ないだろうとビートルズに同情する。
 そして、この映画でビートルズの面々と同じぐらいに存在感を放つのがオノ・ヨーコである。驚くのは凄まじい存在感を放つ美貌の持ち主であることと、その黒ずくめの格好は、ビートルズのその後の将来(解散)を暗示させる不気味なるオーメンのように見えることである。ほとんど無口であるし、たまに奇声で「ジョン、ジョン」と連呼させるところなどは、何かが憑依しているようで、日本人の私でさえ不気味に覚えるのだから、西洋人はなおさらであろう。それは、常に無口でジョンに寄り添うその姿は、あたかもジョンの背後霊のようで、ビートルズにとりついた死神のようである。それに比べると、リンダ・イーストマンの凡庸な立ち振る舞いは観ているものを安心させる。いや、リンダもオノ・ヨーコのように実家は大金持ちなんだけど(リンダの実家はイーストマン・コダックのイーストマン)。
 あと、リンゴの存在感の薄さも印象的であった。寡黙で、今の饒舌なリンゴとはまったく違うキャラクターである。ジョンやジョージがポールと距離をとる中、ポールと一緒にいたり、ポールが紡ぐ天才的メロディーに反応するところなどが好ましい。しかし、ジョージよりさらにビートルズというバンドでの立ち位置は薄かったんだな、ということが理解できる。
 第一話はジョージがビートルズを脱退すると宣言したところで終わる。ポールが、ジョージが戻らなければクラプトンに連絡する、と発言したところなど興味深かった。ただ、このドキュメンタリーをみていると、ジョージが辞めた理由は、自分の曲への反応が今ひとつであったことやポールの要求が五月蠅かったというだけでなく、ゲット・バック・セッションのコンサートの企画の馬鹿馬鹿しさに辟易したことも大きかったのではないか、と思わせられる。その企画を提案した人たち(映画プロデューサーのDenis O’Dell等)に対して「Completely Insane(100% 気が狂っている)」といって却下したが、これはどうみてもジョージが正しい。なぜ、ライブをするのにアラビアまでファンを連れて行かなきゃいけないんだ。本当、ビートルズに群がったハエどものセンスの悪さを、無責任さに腹が立つ。まあ、この企画に対してはポールは肯定的であったが。
 ということで、この作品のためにディズニー・プラスに入ってしまった私であるが、なかなか見応えのあるいい作品であったかと思う。これから第二話を観るので、また、感想も変わるかもしれないが、変わる前に直後の感想をここに記させてもらう。

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井上章一『大阪的 「おもろいおばはん」はこうしてつくられた』 [書評]

井上章一が産経新聞で連載していた「井上章一の大阪まみれ」を元原稿とした、大阪に貼られた様々なレッテルを検証した文章と、過小評価されている大阪の個性を取り上げた文章、そしてあまり知られていない大阪の歴史とからなるエッセイ集。前者は「大阪人はおもしろいのか?」「阪神ファンは昔からいたのか?」「大阪のエロい街という評判はどうつくられたのか?」、過小評価された大阪の個性は「大阪には美人が多い」(なんせ著者は美人研究家であるからして)、「音楽の都」、「グルメ都市」、そして知られていない大阪としては「アメリカとの関係」、「一般的な日本史理解から隠蔽されている大阪」が取り上げられている。基本、大阪の偏見などは東京(江戸)によってつくられており、不当に過小評価されていて、見下されている。それに対する大阪の怨嗟のようなものが、大阪人ではない著者が人ごとのように距離を置いて語っているのが、この本の特徴であろう。
 個人的には「阪神ファン」は在阪のラジオが試合を中継するようになってから増えたことや、グルメ都市大阪の本領みたいなところは興味深かった。
 また、全般的に人口は減りつつあるとはいえ、1億2千万人もの巨大な人口を擁し、経済的にも文化的にも成熟している国が、中央集権的な運営をしていることが、大阪という大都市圏でみればニューヨークやパリやロンドンよりも巨大な世界都市を二流に機能させていることの地域的だけではなく、国家的損失が表層的なサブカルチャーでも現れていることが分かり、興味深く読むことができた。ちなみに私は東京ものである。


大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)

大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた (幻冬舎新書)

  • 作者: 井上章一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2018/11/29
  • メディア: Kindle版



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医者になるために東大の理IIIを目指すのは愚かである [教育論]

医者というのは素晴らしい仕事だと思う。受験生が医者になることを目指すことは、応援したい気分になる。さて、しかし医学部に入るのはなかなか難しい。なぜなら、入りやすい私立(いや、難しい私立もありますが)は、授業料がべらぼうに高いからだ。家がよほど裕福でなければ公立の医学部に行くしかない。とはいえ、努力をすればどうにかなるぐらいの難しさだと思う。ただ、東大の理IIIは別格の難しさだ。これは、よほど受験勉強が得意でないと入れないと思う。

さて、なぜこのような話をするかというと、東京大学の大学入学共通テストを受験する高校生を切りつけた東海高校の高校生が、逮捕後に「医者になるために東大を目指して勉強していたが、成績が一年前からふるわなくなり自信をなくした」と供述したからである。もう賢明な読者ならすぐ私の言いたいことが分かるかと思うが、この高校生は「医者になるために東大を目指し」ていたのだが、それは大間違いであるということを指摘したいのである。医者になるために東大を目指すというのは、お嫁さんが欲しいから永野芽郁にプロポーズするようなものである。いや、比喩が間違いか。お寿司を食べたいから、銀座のすきやばし次郎に行こうとするようなもの、と言ったらより適切か。いや、お寿司はやはりそこらへんの町中の寿司屋の寿司とすきやばし次郎の寿司とは違うが(などと言って食べたことがないので違いは知らないですが)、東大卒の医者と浜松医科大の医者とでは、医者としての違いはないから、その点は異なる。何しろ、この「医者になるために東大を目指す」というのは間違っていると思う。自らハードル上げすぎだ。というか、よい医者になる条件として、受験勉強ができることは関係ない。東大理IIIに入るには、英語とかもめちゃクチャできなくちゃならないが、いい医者になるために英語は必要ない。

私の高校の同級生で東大理IIIに行ったものがいる。彼は受験勉強は得意だが、医者に向いているとはまったく思わない。絶対、彼には診てもらいたくないと思う。いや、無人島に漂流して、医者が彼しかいなければ診てもらうかもしれないが。この彼とは高校一年の時、生物の実験が一緒だったのだが、なんと蚕を触ることにびびっていた。いや、実は私もびびっていたが、こんな彼が手術をしっかりとやれるとは思えない。あと、ついでに言えば、彼が幸せな人生を送っているとはあまり思わないなあ。お金は確かにあるかもしれないけど、羨ましくもない。ということで、東海高校の高校生は成績が振るわないで自信をなくした、と嘆いて人に刃を向けるような愚かなことをしたが、一番、自信をなくすべきは、医者になろうと思って、東大に行かなくちゃいけない、というアホな思考回路を持っていたことに対してである。その論理の欠如は、悪いけど賢くなさすぎだ。なぜ、東海高校に入れたのか・・・そちらの方が不思議である。

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悠仁様の筑波大学付属高校進学は、賢い選択とはいえない [教育論]

悠仁様が筑波大学付属高校の進学を希望しているらしい。そして、その先は東京大学への進学を考えているらしい。(出典:下記)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bba3e7f60dac414d5d9b0f329ff3ee7812943e18?page=2

私は筑波大学付属高校の卒業生である。そして、東京大学の卒業生でもある(大学院は違う)。高校は受験で区立の中学から進学した。東大へは浪人した後、合格しているので、そういう意味で受験エリートではまったくない。そのような経験を踏まえると、この判断はとても賢い選択とはいえない。というのは、筑波大学付属高校は進学校ではあるかもしれないが受験校ではないからだ。

つまり、筑波大学付属高校に入れば大学受験がどうにかなるわけではまったくなく、しっかりと受験指導もする私立高校に通った方がはるかにいいということが言いたいからだ。つまり、東大を目指すのであれば、筑波大学付属高校に進学するのは多いに間違っている。

それは、大きく二つ理由がある。
1) 一つは、高校では受験を意識しない授業がほとんどなので(今でもそうだと思う)、受験をするうえでは、特別に頭がいい(その後、東京大学の数学科や物理学科の教授になるような天才的な賢さ)もの以外は塾に行かないと受験で合格するのは無理だからだ。私は、自分が勝手に「頭がいい」と思って一切、塾にも行かず、受験勉強もしなかったら、まったくどこにも箸にも棒にもかからない成績だったことが3年生の11月頃にわかり、現役時は受験もしなかった(正確にはセンター入試だけは受けて、小論文試験だけの大学を受けてはいる)。ただ、一年勉強すればどうにかなるだろうと思ったら、失敗して、早稲田大学の数学科に入り、仮面浪人して東大に入ったというとんでもない遠回りをしたものである。さて、なぜそんな自分の恥をここでさらすのかというと、筑波大学付属高校に行っても大学受験的にはほとんどプラスにならないことを知ってもらいたいからだ。私がまさにその例である。
2)二つ目は、学生が進学校ではあるが極めて多様であるということだ。筑波大学付属高校は小学校や中学校からも進学する。中学校から進学した学生たちは比較的真面目に勉強もするが、小学校から入ってきた学生たちは成績がよくなく、自分たちのアイデンティティ探しに一所懸命だったり、ぐれていたりする。そして、往々にして高校から進学してきた受験勝ち組の足を引っ張るようなことをする。これは、小さい頃から、小学校受験、内部進学などで細かい競争を強いられてきたからであろう。実際、筑波大学付属小学校から東大に進学したのは、私の学年では2人だけであった。これは、例えばちょっと賢い区立小学校と比べても低い割合だったりする。このように筑波大学付属高校はよくも悪しくも、多様な人材がいるので、受験勉強ができる子たちばかりが集まっている学校ではない。このような高校で、受験勉強をしっかりとやるのは要領の良さと強い意志が求められる。私は、これが不足していたので、受験的には、というか高校時代の過ごし方に失敗をした。

もちろん、筑波大学付属高校が全面的に悪いとは言わない。最近、高校時代の同窓生と会ったりするが、みな、結構面白い奴らが多い。社会的な一般尺度で人生を評価するものもいたりするが、結構、思慮深く、しゃべっていて楽しかったりもする。ただ、よく考えたら、今、気があって話すのはほとんど高校受験組だ。あと、私を含めて大学の先生になるものが多いが、これは受験勉強ではなく、いろいろとテーマを深く考えさせるような講義の影響を受けたことが大きかったのではないかと思われる。

興味深いのは、筑波大学付属小学校出身者は、筑波大学付属を受験させたがるものが多いということだ。驚きである。いや、何が驚きかというと、自分たちの学校生活を肯定的に捉えられているということに、である。私は、娘が二人いて、二人とも中学受験をしたが、筑波大学付属中学校はまったく選択肢にもはいらなかった。というのは、性格的に向いていないからだ。まあ、私の娘であるから、両方とも潰されていたと思う。ただ、結果、長女は豊島岡、次女は渋谷学園渋谷高校という進学校に行き、私とは違って現役で国立大学に進学することができた。筑波大学付属に行ったら、まず違う道を歩んでいたかと思う。

私のような庶民出身でもやられてしまうのだから、悠仁様は心配だ。というか、東大進学という目的であれば、まったく有効ではないし、人格形成的にも相当、歪むのじゃあないだろうか。そうそう、結構、自殺する子も多い。私のクラスではなかったが、同学年の女の子が自殺する前に一人で、バスケットコートで遊んでいる光景は今でも記憶に残っている。すごい寂しいオーラを放っていたから思わず見つめてしまったのだ。その後、自殺した話を聞いて妙に納得したことを覚えている。あの光景が娘に受験させなかった大きな理由の一つだ。

そして、何より心配なのは、極めて記号な価値観で「筑波大学付属高校」とか「東京大学」とかを持ち出すような秋篠宮の庶民性である。いや、私よりもはるかに庶民的で俗っぽいと思う。勉強が必要なのは悠仁様ではなくてご両親なんじゃないかとさえ思ってしまう。

そうそう、同じ文脈で東京大学に行くのも無駄である。東京大学とは官僚を育てるところであって天皇が必要な学問を教えるところではない。というか、天皇が庶民と同じことを学んでどうする。イギリスの貴族は大学なんて行かない。大学は庶民のものであり、王家や貴族に仕えるための学問や技術を修めるところだから。何か、眞子さんの件に次いで、本当、迷走している感が凄まじい。まあ、大学のことはまたこのブログで書く機会があるかもしれない。
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下北沢のジャズ喫茶「マサコ」の凄さ [都市デザイン]

下北沢でNHKの取材を受けることになったのだが、早く来すぎたのでジャズ喫茶「マサコ」で時間潰しをした。下北沢にはまさにレジェンドと呼ばれるような特別な店が多いが、「マサコ」はまさにそのようなお店の一つである。開業したのは1953年。ようやく、戦後の混乱が収まりつつあるような時であった。初代オーナーの奥田政子は、銀座でダンサーをやっていたのだが、ジャズ好きが高じて下北沢でジャズ喫茶を開くことにしたのだ。その後、ここに高校生ながら通っていた福島信吉が、共同経営者となり、初代オーナーが60歳でなくなった後、オーナーとなる。しかし、地上げにあって2009年に惜しまれて閉店する。
 その「マサコ」が復活した。以前の「マサコ」とは場所は違うが、北口の雑居ビルの二階に2020年5月に、常連客その後スタッフをしていたmoe氏によって開業したのである。ということで、そこで時間潰しをしていた。16時30分が約束時間だったのだが、結果的に取材スタッフが現れたのは17時を回っていた。しかし、それがよかった。というのは、「マサコ」が流していたレコードが凄まじかったからだ。それは、ディストーションによって歪んだ音のギターがただ一本だけでひたすら弾くものだったのだが、こんなギターがあるのか!というような凄まじい演奏だったからだ。こんなギタリストがこの世にいるのか、ぐらいの衝撃を受けた。ジミヘン並みの凄さであるが、ジミヘンとの違いはこれまで聞いたことがなかったことである。そこで、moe氏に聞くと「高柳昌行」。もしかしたら有名なギタリストなのかもしれないが、私は知らなかった。早速、アマゾンでCDを購入した。
 いやはや、ジャズ喫茶「マサコ」のおかげで、私は一つ賢くなったというか、アホから一歩だけ前進した。こういうことは、学校ではなかなか教えてくれない。そういう情報や知識を持っている友人を持っていない奴でも下北沢の「マサコ」のようなお店に来ると、ちょっとだけ賢くなれる。これが、ジャズ喫茶「マサコ」のようなお店の凄さであり、そういう店が多くあるのが下北沢という街の魅力である。ということを改めて知る。
 この日のNHKの取材は「下北沢という街の魅力」についてのコメントを話したのだが、「マサコ」で刺激を受けた私は、まあまあ上手いコメントができたのではないか、と勝手に思っている。

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麺の歴史 [書評]

伝承料理研究家の奥村彪生の著書。即席麺である「チキンラーメン」を開発した安藤百福が監修をしている。「麺の歴史」ということで、大きく麺類全般を取り上げてはいるが、その焦点は「ラーメン」に絞られている。これは、もはや国民食である「ラーメン」だが、それがどこから来たか、という問いにはなかなか答えられず、多くの謎と推理があるからだ。そして、その解明しようとする過程の中で、いろいろと見えてくる。まず「ラーメン」という言葉が中国にはなく、なぜ「ラーメン」という言葉ができたのか、ということなのである。そして、ラーメンを通じて、東アジアの食の文明史のようなものが展望でき、非常に面白い内容の本である。著者の造詣の深さには驚く。


麺の歴史 ラーメンはどこから来たか (角川ソフィア文庫)

麺の歴史 ラーメンはどこから来たか (角川ソフィア文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/11/25
  • メディア: Kindle版



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ケビン・リンチのグッド・シティ・フォーム [都市デザイン]

ケビン・リンチのグッド・シティ・フォーム。フォームというと形態論であると思いがちであるが、リンチのいうフォームは姿勢的な意味合いをもった都市の「あり方論」である。リンチの文章は面白く、難読である。これは、リンチが最初に自説の反論を一つずつ潰していき、そして最後に自分の主張をするというスタイルを取っているからだ。そのため、しっかりとした読解をしないと、リンチが主張するのと真逆の理解をしてしまう危険性がある。また、ちょっと饒舌でもある。若干、脱線とまでは言わないが寄り道をする癖があるので、そのまま直訳をしていると迷走してしまう。そういう意味では、一人で読むというよりかは輪読なので一歩一歩、理解してから前進するといった読み方をするのが望ましいであろう。
 リンチは驚異的な知識の持ち主であり、都市デザインの百科事典のように博学である。そのため、その書は多面的な視点を読者に提供してくれる。しかし、その多面性ゆえに、何か解を求めている読者にとっては分かりにくい。読者が自分で考えることを要求するので、受動的な読書姿勢では、莫大な情報が入ってくるだけで、それを咀嚼もできなければ、リンチが何を言おうとしているかも見えなくなる。また、リンチの主張が強い訳でもない。リンチは原理論者からはほど遠く、歴史の相対性、都市規模の相対性、都市成長・衰退の相対性と、「相対的」に捉えることの必要を説いており、画一的な価値観を共有することの危険性を訴える。
 絶対的な正解はない、ということを数多くの論説を紹介することで我々に理解させようとする。そして、その姿勢は読者を謙虚にさせる。都市デザインを学ぶ学生、実践するプラクティショナーはまさに必読の本である。ジェイン・ジェイコブスよりこの碩学の研究者、実践者の本を読むことを優先すべきであると強く考える。


Good City Form (The MIT Press)

Good City Form (The MIT Press)

  • 作者: Lynch, Kevin
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 1984/02/23
  • メディア: ペーパーバック



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下手なギタリストを他山の石として、下手から脱する方法論を考察する [その他]

最近、セッションに参加する機会が増えています。セッションとは、演奏する曲を決めて一発合わせでその場に居合わせた人が合奏するということです。私はギターで参加します。セッションに参加してはいますが、ギター、それほど上手くないのでいつも反省仕切りです。さて、そういう自分がこういうことを書くのも何なのですが、たまにとても下手なギタリストが参加します。曲の構成は覚えているのですが、演奏が下手なのです。そのようなギタリストがいると他山の石として、何が下手なのかを考察したりします。
 まず、この下手なギタリストが初心者ならそれほど問題は深刻ではありません。初心者からいきなり上手く演奏できる人は、よほどの天才でなければ存在しないからです。初心者が足りないのは練習ですから、練習すればいいのです。しかし、この下手なギタリストがもうベテランだったりすると問題は深刻です。いつまでたっても上達しないからです。私も似たようなものですから他人事ではありません。しっかりと分析をしないとと思わされます。
 さて、そもそもどうして下手と聞こえるのか。弦楽器であるギターでは、音を外すと下手に聞こえます。ギターはチョーキングといって自分の耳で音を探り、その音を出すという奏法がありますが、ここで音を外すと下手に聞こえます。あと、運指を失敗するとまた音を外して、これも下手に聞こえます。セッションで一緒になった下手な人はこの音を外すという過ちを多くしていました。これは、どうすれば直せるのか。それは、演奏をやはり録音、録画して演奏後に観ることかな、と思います。そして、音を外している自分と直面し、それを次回の演奏時には修正できるようにすることです。私もこの日のセッションでの自分の演奏は録画してチェックしましたが、自分ではなんか弾けているみたいに思っていたけど、音を外しているところを見つけてしまいました。急いで、音を直していますが、多いに格好悪いです。こういう過ちに直面し、直すということは重要なことかと思います。
 あと、この下手な人は、手に力が凄く入っていました。右手も左手もです。おそらく緊張していたのかもしれません。私も本番で緊張して、変なビブラートになってしまうことがあります。ただ、力を入れると本当、ちゃんとしたプレイはとても見込めませんので、何しろリラックスするように心がけるのが重要だな、ということを改めて思いました。
 そして何より音作りが下手でした。いや、これは私も本当、修行中なので人のことをとやかくいう資格はないのですが、コーラスやリバーブなどのMOD系のエフェクターをかける時には本当に気をつけないといけません。音作りはどうすれば改善されるか、分からないですが、とにかく自分の演奏を聴き直して、何が間違っていたのかを修正する。この反復作業を繰り返すしかないかと思います。私は最近では、ストライモンのイリジウムを通して、そのままアンプはリターンに差し込むということで、なるべくアンプの影響を受けないようにして音作りをしていますが、それでも、まだなかなか思い通りの音が出せません。ただ、これは自分の音はあまり美しくない、という自覚をしていないと、面倒臭くなってしまい、改善しないまま放っておいてしまうかもしれません。私も10年ぐらい前はそうでした。
下手から脱する最短経路は、客観的な意見を聞くことです。どこが自分の演奏が不味いのか。これは、下手な人はそもそも分からないので上手な人の意見を謙虚に聞くことかと思います。もちろん、中にはよく分かってないけど批判する人もいたりするので、全員の言うことを謙虚に聞く必要はないかと思いますが、自分がこの人の演奏は上手い、と思う人の意見は姿勢を正して聞くことが重要なのかなと思います。とはいえ、大人になるとなかなかこういう意見を言ってくれる人も少ないので、自分と話をしたがる人がいないかな、と思ったら自分の下手な演奏が遠ざけているのかも、と思って演奏技術を向上させるモチベーションにするといいかと思います。下手のまま、人生が終焉を迎えたら本当に悔しいと思うんですよね。ちょっとでも上手になる余地があったらしっかりと精進するべきだな、と思いました。

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「命をかけろ」と安易に言う人への違和感 [教育論]

最近、同年代の人からあることで「命を賭けろ」と言われた。いや、あることとは、バンドで合奏する時に、最初の音をしっかりと合わせて弾け、ということなので、そのこと自体は重要かなと思ってはいるが、「命を賭けろ」と言われるほどのことではないとは思う。絶対、賭けないもんね、と強く思う。随分、人の「命」を安っぽく思っているな、と反発したい気持ちもあるが、まあ、そもそもこういうことを言う人は、他人を見下しているので、同じ土俵で議論をするのも馬鹿らしいので放っておいた。
 それはさておき、このような発言を同僚の大学教員が学生に言ったことが発覚した。「私は命をかけているんだから、君達もかけなさい」みたいな文脈での発言だったらしい。いやいや、これも随分と危ない発言である。まず、自分が命を賭けているからと言って、他人に強要するのは論理的ではない。これは、「私は泥棒しているんだから、君達も泥棒しなさい」ということに近い。「私はうんこを食べるんだから、君達も食べなさい」と言い換えると、その理不尽さが理解できるであろう。
 それはさておき、この「命を賭ける」という発想は危険極まりない。それは、切腹文化の延長線上にあるし、特攻隊にも通じる愚かさである。自分が勝手にやっているのであれば構わないが、それを他人に強要するのは犯罪に近いと思うし、明らかなるパワー・ハラスメントだ。そもそも、そういう人は自分が「命を賭ける」といっても、それが上手くいかない時には切腹はしない。にも関わらず、他人にはそれを強要する二枚舌なので本当、気をつけないといけない。
 ということで、「命を賭けろ」発言をした時点で、その発言者はろくでもない二枚舌でまったく信頼できない輩であることが判明できる。絶対に、そういうことを言われても、嫌だもんねえ、と突き放し、なるべく距離を置くことが賢明だ。この発言をした先生も、失敗したけど、まだのうのうと生きている。そして、反省もせず、自分は被害者だみたいな顔で歩いている。私がそのようなことを言われた学生であったら、ちょっと殺意を覚えるかとも思う。
 ちなみに、私に「命を賭けろ」と言った人も教育者である。自分も教育者であるから他山の石として、しっかりと同じ過ちをしないように胆に銘じておきたい。

タグ:命を賭けろ
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京都のサービス業はドイツ並みの酷さだと思う時がある [京都生活]

京都のサービス業の質は悪い。観光客相手の商売は、売り手側であってもそれほど酷くないとは思う。本当に悪いのは生活者相手の商売をやっているものだ。しかも、個店ではなくチェーン系が酷い。もう上げればキリがないのだが、例えば京阪電鉄。乗り越しの計算とかで、平気で実際より高額の請求をする。しかも、間違いを指摘すると、正確な値段をもう一度落とそうとする。間違えられて、さらにそれを指摘すると、より損をさせられそうになる。もう、油断も隙もない。スーパーもひどい。フレスコという京都のチェーンの出来事であったが、袋の大小を聞かれたから、「小でも入りますかね」と尋ねたら、「入るから聞いてんだ」みたいに言い返された。耳を疑いましたよ。しかし、これはより大きな阪急系のイズミヤでも同じようなものだ。いや、イズミヤぐらいになるとしっかりとしている人の方が多いが、それでもやはりプリペイ・カードのトラブルで、修正してくれとお願いすると、木で鼻をくくるような対応をしてくる。いや、カスタマー・サービスのおばさんなんですけど。カスタマー・サービスをしないなら、レジとか他の仕事をしていろよ。これは、デシャブ的なものを感じたので記憶を辿ったらドイツのサービス業での対応を思い出した。まあ、ドイツはサービスないに等しいから。それにしても、この京都の企業におけるサービス業のレベルの低さは本当、愕然とする。不動産業も企業系は本当に酷い。東京では50年間ぐらい一度も体験したことがないような不愉快な出来事が、もう日常茶飯事的に起きる。実は、これは大学の事務でも起きていることで、もしかしたら、これは京都の地域文化とも関係しているのかな、と思ったりもする。最初は、関西の文化かなとも思ったのだが、大阪ではほとんどそういう不愉快な思いをしたことがない。何か、根源的に相手を思いやろうというかエンパシーの気持ちが欠如している印象を京都では受けるのだ。まあ、しかし個店は別だから、京都というか、企業文化とも関係しているかもしれない。

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JR桜井線(万葉まほろば線)に乗る [サステイナブルな問題]

私の学生が卒論で桜井線(万葉まほろば線)をテーマにしている。桜井線、これまで乗ったことはない。指導するうえでこれは不味いだろうということで、天気も晴れていたので乗車をしにいく。しかし、京都では秋晴れのいい天気だったのに近鉄奈良駅に着いたら雨。ついていない。そこから奈良駅まで歩いて行ってもいいのだが、奈良町でもちょっと巡るかということで、一駅歩いて京終駅まで行く。途中、雨足が強くなって、逃げるようにして駅舎に駆け込む。ちなみに京終駅ってどう読むか分かるだろうか?「きょうばて」だ。もう、ここまで当て字だと、漢字としての機能を失っているのではないかといいたくもなる。ちなみに、桜井線はその後も、帯解(おびとけ)、櫟本(いちのもと)、巻向(まきむくえ)、香具山(かぐやま)、畝傍(うねび)という難読の駅が続く。ちなみに駅数は14で、その延長距離は30キロメートル弱である。
 京終駅は、なんかエライお洒落で、待合室にピアノなどが置かれている。おそろしく洗練されたカフェが併設されており、そこでは小物グッズが販売されているのだが、それらもセレクト・グッズのように上品でお洒落なのである。なんでも二年半前に開業したそうだ。電車が来る前に珈琲を注文したのだが、出てくるまでに3分ぐらい待たされた。これは、丁寧に淹れているからであり、スローライフのお洒落駅という感じだ。駅には車掌さんのような方がいて、この人はJRの社員かボランティアのおじさんか、危ないおじさんかは分からなかったのだが、待合室で待機している観光客と思しき人に町の解説をしていた。ちょっとお話を聞きたかったが、電車が来たので駅を後にする。電車は二両編成で最新の車輌であった。とても快適な車輌である。驚いたのは、結構、乗客が多いということで立っている人などもいる。一時間に二本というダイヤではあるが、これは結構、人々の足としては機能しているといえるのではないだろうか。いや、当然、赤字ではあろうが、これは例えばドイツのローカル鉄道などと比較すると、ずっと使われている。JRは当然、廃線にしたいという意向があるかもしれないが、これは奈良県とかがしっかりと維持しておくべき路線だなという印象を持つ。というか、本当、上下分離を一刻も早く実施すべきだと思う。
 当然、単線なのだが、なぜか天理駅は二つ島型のホームであった。しかも橋上駅。単線でホームを4つつくることの意味が分からないのだが、何かあるのだろうか?ちなみに天理駅周辺はえらい立派で、金がかかっているように見えた。世界を代表する宗教都市。初めて訪れたような気がするが、今度、しっかりと調べてみたいなと思ったりもする。
 車窓からの風景は田園に安普請の郊外住宅が並ぶ、乱開発された光景。まったく美しくないが、遠くに目をやると山の稜線が美しい。この郊外住宅の醜悪の光景は結構、ずっと続く。
桜井駅で線路は90度に曲り、ここからは近鉄線と並行して走っていく。さて、私は終点の高田駅まで乗らずに畝傍駅で降りる。畝傍駅は結構、立派な駅で駅の駐輪場には多くの自転車が駐輪していた、駐車場も結構、車が駐車されていた。しかし、これらが桜井線の利用者かどうかは不明だ。
 ドイツに住んでいた時、鉄道を乗りまくっており、多くのローカル鉄道も乗ったが、この桜井線は郊外鉄道の性格も有しており、近鉄が平行に走っていたりするので経営的に難しい側面もあるが、活用の可能性は多いにあるなというのが率直な感想だ。まあ、逆にいえば、これぐらいの利用者がいて、沿線の土地開発が進んでいても公共交通が黒字にならないのは世界的にみれば当然な話なので、これらを公共事業体が税金で担っていくか、少なくとも上下分離にすることは一刻も早く検討すべき課題であろう。
 

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のび太は変態だ [その他]

お子さんがいる家族とドライブをする。自動車内ではDVDのドラえもんが流れていたので一緒にみる。さて、幾つかのエピソードがあるのだが、テーマは皆、のび太がいかに静香ちゃんをモノにするのかで一貫している。のび太はもうやる気がないダメ男という設定ではあるが、静香ちゃんへの欲情的な感情は凄まじいものがある。というか、変態だ。ど根性ガエルのひろしに似ているが、ひろしは確か中学生だったからな。小学生で、あそこまで強烈に女の子に執着するのは異常だ。というか、あそこまで一つのことに執着できるのであれば全然、やる気がないダメ男ではない。とはいえ、ドラえもんを使って卑劣な手段を使ってでも静香ちゃんをモノにしようとするのは、ドン引きである。ちゅうか、もっと静香ちゃんという可愛い子ではなくて、何か、他に生きる目的をつくれよな。このDVDを見て、私は二人の娘の父親であるが、絶対のび太には娘をやりたくないなとつくづく思った。というか、最初のエピソードでドラえもんがのび太の将来を見せて、その時にジャイ子がお嫁さんになっていて、のび太は絶望するのだが、ジャイ子だってのび太が旦那というのは酷すぎる。というか、ジャイ子の方が実は静香ちゃんよりのび太の嫁さんには合っていると思う。というのものび太は静香ちゃんと結婚したら、それで目的を達成して、その後は生きる屍というか、それから人生と向き合うことになると思うのだが、そもそもダメ男であることを考えると、もう生きる目的を失うと思うからだ。というか、ジャイ子の扱い、酷すぎだろう。静香ちゃんだって幸せになる権利はある。そして、ジャイ子にだって幸せになる権利がある。ドラえもんはジャイ子にも必要なんじゃないか。世の中はのび太のために回っている訳ではない。という感想を抱いた。

タグ:のび太
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大川村に行く [サステイナブルな問題]

四国は高知県にある大川村に訪れました。新居浜に前泊して、9時に開業するレンタカー屋で車を借りて、一路、大川村に。大川村は高知県にあるのですが、愛媛県の方が早く行けるのです。新居浜からは西条の方まで行き、そこから国道194号線で南下します。この国道194号は四国山地を縦断するのですが、四国山地の険しさは半端じゃない。中国山地とはエライ違いです。まさに急峻で絶壁。以前、石鎚山に登った時にも驚いたのですが、改めて驚く。この険しさは私が経験した中でも南アルプスの甲斐駒ヶ岳周辺とか並みです。東北地方の山々も私が知っている限りですが、こんな険しいところはありません。その険しい中を自動車で走っていきます。紅葉が美しく、ドライブ自体は楽しいのですが、やはり遠い。さらに、役場のそばで土砂崩れが起きて迂回路を行く羽目になります。対向車とのすれ違いも難しいような険路を行き、ようやく役場に着いた時は約束の11時を20分も遅れてしまいました。

役場では取材をさせていただき、大川村のことをまあまあ知ることができました。まず、その前に大川村に何で行くの?という疑問を持たれる奇特な読者もいるかもしれないので説明させていただきます。大川村は離島を除くと、奈良県の野迫川村に次いで人口が少ない自治体です。その数、なんと354人(野迫川村は340人)。1960年までは4000人も住んでいましたから、この60年間で9割も人口が減ってしまった自治体です。これって、日本ではそれほど珍しくないのですが(夕張など)、海外の自治体だとよほど特殊なケースでないと、そういう事例は見当たりません。ただ、大川村は実は相当な特殊ケースではあります。というのも1977年につくられた早明浦ダムによって、村役場を含めて村の大部分が水没しているからです。これによって、1980年には人口は既に1000人を下回っています。とはいえ、それでも40年で6割以上の人口が減っています。このままだと、大川村はどうなるのか?私は増田さんの「地方消滅」という考えに凄い抵抗を覚える者ですが、大川村はそうはいっても心配です。そこで、数字だけみると愕然とするけど、実際、そこで生活している人はどう思っているのか。ということで、現地を見て、役場の方にお話を聞こうと思った次第なのです。特に社会減のネットをいかに少なくできるか、という問いを心の中に持ちつつ、質問をしてみました。

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<村役場の建物>

まず、学校ですが、小学校と中学校は村にありますが、高校はありません。その結果、ほとんどが高校の時に村を出ます。そして、下宿か寮、兄弟や親戚と一緒に生活したりします。一番近い高校は嶺北高校なのですが、そこに進学する学生はあまり多くなく高知市まで出る子が多いそうです。大川村中学校はバトミントンしかクラブがないので、バトミントンに熱を入れる子が多いらしいのですが、ここらへんだと高知商業がバトミントンだとよいので、そこに進学する子も少なくないとのことです。

どうせ村を出るのであれば思い切って大阪や東京に行く選択肢はあるのでは、と尋ねるとそういう学生はほとんどいないそうです。これは、親が休みの日には会いに行って面倒をみたいから、そこそこ行きやすい、高知あたりが望ましいからだとのことです。

さて、中学を卒業した子たちは、そのまま村に戻ってこない場合がほとんどです。Uターンがゼロという訳ではないけど少ない。それは雇用がないからです。主な就職先は役場、農協、森林組合、社会福祉協議会、郵便局、小学校の教員。それに村の第三セクターです。大川村の産業は畜産業、それと観光業です。ここでは市場経済で成立するような地域産業はほとんどありません。それではなぜ村が成立したのか。疑問に思われるかもしれませんが、ここには銅山がありました。四国の銅山といえば別子銅山が有名ですが、大川村の白滝銅山は四国では三番目の産出量を誇り、さらに林業も栄えていたので、不交付団体であった時もありました。経済的豊かさを提供してくれる土地であったから人々が多くこの山間部の僻地に来たのだな、ということが分かります。しかし、白滝銅山は閉山し、林業は全国どこにでもいえることでしょうが、木材の値段が下落し、やればやるだけ赤字になるという構造不況に陥ってしまいました。農業もなかなか難しく、専業農家がつくっているものはからぴーまん、花卉栽培(百合)、ほうれん草だそうです。森林割合は、と聞くとそれは不明だそうですが、高知県ですでに84%。明らかに高知市などより森林だらけなので、ほぼ森林ということになるのかもしれません。農業に活路を見出せないのが大川村の厳しいところです。

市場経済のロジックだけで考えると、この村は「市場から撤退」するべきだと考えられるかもしれませんが、本当にそれでいいのだろうか。市場経済というルールをそこまで絶対的なもので捉えていいのだろうか。いろいろと疑問は湧きます。昨今、コロナで外国産材が入らなくなって、木材の値段は高くなっている傾向もあります。円の弱体化が進む中、林業の復活というシナリオもあり得るかもしれません。

大川村は地域おこし協力隊を積極的に受け入れています。これがIターンの主力です。とはいえ、最長で3年間です。参加者の半分が3年間いますが、なかには1年、2年で辞めてしまう人達もいます。それは個人的な理由もありますが、期待していたことと現実とのギャップがあったということも否定できません。地域おこし協力隊の人達がそもそもなぜ、大川村を選ぶのか。それは、自分のやりたいことをやれそう、つまり自己実現が図れると考えるからです。そのような人は登山とか観光関係の仕事をつきたいと考えています。大学時代に登山をやっていて、それを活かした観光開発などができないかと考える訳です。他には、ウェブ・デザイナーの仕事を募集をしていたのだが大川村だけだったので、その募集内容で来た人もいるようです。ミスマッチが起きて、明らかな喧嘩別れはないそうです。早めに辞める人は、他にやりたいことが見つかったか、もしくは大川村の中で暮らしていてイメージしたものとちょっと違うな、と思って辞められるケースが多いようです。

大川村の特徴としては、人口が少ないのでいい意味でも悪い意味でも地域の方と関わることになる。村はのんびりしているんじゃないか?と思われるけど、実態は少ない人口で回さなくてはいけないので忙しい。自分の仕事ではなく、コミュニティの仕事に追われる。つまり、お金をもらえる仕事ではなく、通常の仕事が終わった後、コミュニティとしてすることが多い。特に若者達は労働力が期待されている。いろいろな集まりがあるので、それらは仲間に入れてもらえる、ということでは有り難いが自分の時間はなくなっていく。こういう「田舎の集まり」で時間が取られることをストレスに感じる場合も多くみられるそうです。

村役場には23〜24人ほどいます。これは全人口の6.7%が公務員ということで凄い割合の高さではあるのだが、逆にこの人数で全部の村の仕事を回さなくてはならない。少ないからといって調査の数が減る訳ではありません。ただ、職員は全員、村民だそうです。これは、群馬県の南牧村や京都府の笠置町といった人口縮小自治体とは大きな違いです。それだけ僻地ということかもしれません。この村に住まないと、いざという時にかけつけなくてはならないことが大きな理由です。

集落はこの役場があるところ以外に西の方にもあります。そちらには以前は小学校がありましたが、今は閉校しました。その集落の子供はスクールバスで学校に通っています。大川村は地理的には愛媛県の方が近い。高知市だと自動車で二時間、西条だと一時間ぐらいかかります。しかし、なぜ高知県なのか。これは1999年に寒風山トンネルができたから愛媛県の方が近くなったためで、それまでは高知県の方がずっと近かったそうです。私の取材に応じてくれた大川村の役場の人は高知出身ということもあって、高知に買物に行きます。ただ、最近では西条市や新居浜市のショッピング・センターに買物に行く人は増えたそうです。縮小都市というと「買物難民」の課題がついてくるかとは思いますが、大川村には農協の移動販売車が入ってきていることもあってそれほど問題はないそうです。村内にはコミュニティ・バスという荷物と人が乗せられる交通サービスもあるそうです。また、食材は難しいかもしれないですが、ネットショッピングを使う人は多いそうです。お年寄りはあまり利用していないですが、60歳ぐらいまでだと利用している人が多いようです。とはいえ、ネットショッピングはよほど値段が高くないと、大川村には運んだ時点で赤字でしょう。ドローン販売などの普及が求められるようになるかもしれません。高齢者の場合は、一般的には、週末に家族が食材を送り届けるというのがパターンのようです。家族はたいてい高知か愛媛県に住んでいます。

400人規模の自治体に住んでいて難しい点は、人間関係に気をつけないといけないことのようです。村人の中で親戚関係の場合が多い。そういうのは都会と違っているようです。人の悪口は言わない方がよい。あと、行政サービス的には非常に手厚いものがあるようです。村役場の方は「過保護かな」と言っていました。行政と地域は近く、一人一人への対応が丁寧。7%の村民が役場の職員ということは、まあそういうことでしょうが、これが村人各人が負担していたら、とてもじゃないですが行政は成り立ちません。また、行政がしっかりとしているので「お上に頼る」、「役場がどうにかしれくれる」という依存気質は強いようです。

住民ですが、高齢化が進んでいますが42%ぐらいと、驚くほど高い訳ではありません。というか、大川村は今、ベビー・ラッシュだそうです。これは最近、結婚をされた方が多いからです。この10年間ぐらいには戻ってきている人もおり、地域おこし協力隊でやってきて地元の女性と結婚した人も2人います。地域おこし協力隊員は二人とも男性だそうです。

村の将来ビジョンとしては、村長は400人の人口を維持するとの目標を掲げています。現在は370人ちょっとで、人口減少には歯止めがかかっているとはいえます。移住・定住政策としては、土佐はちきん地鶏事業で雇用を生むことに成功しています。土佐はちきん地鶏はブランド地鶏で、ここ15〜20年ほど注目されています。それ以前は大川黒牛。それらを知ってもらうために謝肉祭を行ってきました。あと、地域おこし協力隊にたくさん入ってもらうようにしているということがあります。観光産業としては、観光資源としては山。いくつか登れる山があるので登山をどうにかできないか。あと、ダム建設をプラスに取り組むようにして、ウォータースポーツやワカサギ釣りなどを展開できればと考えているそうです。キャンプ場もあります。観光も一つのコンテンツでは難しいのでツアー化したいと考えているそうです。ここで宿泊できるような形で進めているようです。

社会増で人口を維持するための最大の課題は、それらの人が住む家がないということです。空き家は多くあります。しかし、それらは老朽化していてとても住むことができません。空き家の調査はしているので、持ち主は分かっているところが多いです。意外と持ち主は近場に住んでいます。すぐ住めそうなところに関しては、持ち主の交渉したのですが、一軒ぐらいしか使わせてもらえませんでした。これは、しっかりと管理されている空き家は、それなりに持ち主のニーズがあるからです。一方で手入れもされないと3年ぐらい放っておかれるとあっという間に風化してしまいます。それでは、移住してきた人はどこに住むかというと、村営住宅に入ります。学校のそばとかに公営住宅もあります。これら二つ会わせると39戸。家賃は収入によって変動しますが、だいたい1万円から6万円ぐらいだそうです。

ということで、人口が最小か二番目に最小の自治体、大川村を訪れ、そこで得られた情報を簡単に整理してみました。そもそも人が住んだ歴史が浅く、銅山で人が集まってきた訳ですから、銅山が閉山するとここに住む理由がなくなります。また、ダムでそもそもの村が沈まされた。昔の役場は今、ダム湖の下に存在して、渇水の時には姿を現したりもします。そもそも少なかった平地の中でも、人が生活しやすい部分はダム湖に沈んでしまった。林業が復活できれば、またここに住む人々も増えるのかもしれませんが、なかなか厳しいものがあります。とはいえ、市場経済のロジックをかざして、ここは人が住むべきではない、という主張をすることには強い抵抗を覚えます。いろいろと人口減少という政策課題の難しさを抱えた村です。

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<最も人口が多い集落>

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<ダム湖。この湖の下に昔の役場などが沈んでいる>

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<少しの平地に家々は建てられている>

タグ:大川村
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中崎町のコモン・カフェに何も考えずに行き、度肝を抜かれる [都市デザイン]

大阪の中崎町にゼミ生達と街歩きに訪れる。その後、12月に話題提供で話をしてくれとの依頼を受けたコモン・カフェにゼミ長と二人で顔を出す。あくまでも下見という軽い気分で訪れたのだ。その日は、ジャズ・セッションを行うということは知っていたが、おそらく素人に毛が生えた程度の、フィール・ライク・メイキング・ラブとかサニーとかのジャズのスタンダードを演奏するバンドが出ているのだろうぐらいの心構えで臨んだ。お客さんは10人ぐらいで、まあ、それほど人気もないのだろうな、と思っていたのだが、演奏が始まったらちょっと違う。ギターの音色とコードが普通ではない。ループを使っての演奏だが、もうどうやって計算しているのかも分からないテクニックを駆使している。ドラムのリズムが超絶タイトだ。なんと、素人どころか、バカテク・ミュージシャンである。平気で5拍子の曲にギターとベースがポリリズムのメロディを重ねてくる。なんで、こんなミュージシャンがこんな場末のカフェ(ライブハウスではない!)で演奏しているのか。狐に包まれたような気分になる。アンコールを含めて二時間ぐらいの演奏後、ちょっと放心したのだが、ギタリストと話をすることができた。そこで、あのピエール・モーレン率いるプログレ・バンドのゴングの元メンバーとも競演したり、フィル・コリンズが在籍していたブランドXのメンバーとも演奏したことのある超絶凄腕ギタリストだということが判明した。驚いたあ。思わず、握手をさせてもらった。なんでこんなミュージシャンがこんな場末のようなカフェで演奏しているのか。それは、このコモン・カフェというのは日替わり店長で運営されているのだが、この日は、30年以上もジャズのライブハウスを経営されていた方で、まだ、無名時代のミュージシャンの面倒をみていたことがあったので、それでその後プロとして羽ばたいたミュージシャンも演奏の依頼に応じてくれるからだそうだ。やっぱり、人は金じゃなくて縁で動くんだなあ、ということを改めて再確認。それにしても中崎町、奥が深すぎるだろう。久し振りに驚かされて、実に気持ちがいい夜を過ごせた。こういう発見は本当、嬉しい。これこそ都市の魅力だな。

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アメリカでは流産すると犯罪! [トランプのアメリカ]

アメリカでは堕胎をするどころか流産しても犯罪となる可能性が出てきた。先日、オクラホマ州の21歳の女性が流産をしたことで訴えられ、4年の懲役が確定された。
https://www.cbsnews.com/news/brittany-poolaw-manslaughter-miscarriage-pregnancy/

21歳のブリットニー・プーラウはメタンフェタミンを接種したことによって流産した。流産した胎児を検死したところ、体内からメタンフェタミンが見つかった。しかし、メタンフェタミンの接種と流産との因果関係は不明とのことだ。

しかし、それにも関わらず、プーラウには殺人罪が適用された。ちなみに胎児は妊娠15〜17週間であったようだ。これはまだ子宮外で育つ状態ではないということだ(24週間経つと可能性は高くなる)。

堕胎が犯罪という法律が罷り通ると、流産しても殺人罪が適用されるというのは、もうキチガイ国家に近い。国会に乱入し、破壊行為をした人達が、ボランティア数週間とかいう軽い罪しか問われないのに、もしかしたら不本意に流産したかもしれない女性が懲役4年というのはあまりにもバランスに欠いていないか。トランプが大統領に当選してから、アメリカの狂気があの国を覆いつつある。その行き先は固唾を呑んでみているしかないが、日本もそれに巻き込まれるのは必至であろう。

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中沢新一の眞子さん騒動に関する記事 [その他]

眞子さまが結婚会見をしたことで、多くのマスコミが掌を返したようにお祝いムードを演出しようとしている。こういう迎合的な姿勢は鼻白むばかりだが、私の問題意識を哲学者の中沢新一が見事に私より述べられているので、下記に引用させてもらう。10月23・30日号の『週間現代』に掲載された(p.79)。



昭和天皇がつくりあげた、このポストヒューマンな象徴天皇の像は、平成と令和の両天皇によって、それぞれの流儀でなぞらえられ、維持されてきた。中心部に空虚がすえられているこの構造は、日本人の精神構造ともみごとにフィットしているため、国民はごく自然に、皇室を敬愛することができた。

ところがその敬愛の情が、いま大きく揺らぎ始めているのを、私たちは感じている。ポストヒューマンな象徴天皇の像に、月並みで頭の悪い人間中心主義(ヒューマニズム)が侵入して、国民と皇室が共同でつくりあげてきた、象徴天皇制というひどく頭のいいせっかくのミトロジー作品を、台無しにしてしまおうとしているからである。

「個人の自由な意思」などは、世界を統べている理性の前では、まことにちっぽけなものにすぎないというのが、象徴天皇の考えを上から支えている、根本思想である。ましてやその「個人の意思」を言い張ったお方が、間違った相手をつかんでしまったと気がつけば、天皇制を下から支えている国民が、ネットに盛大に落首を上げるのは当然の行為で、それを誹謗中傷などと批判することのほうがむしろ恥ずかしい。

以上

 さすが賢い人は分かりやすい文章を書く。まさに本質を突いていると思われる。

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小室圭と眞子様の結婚反対の行進デモを考える [その他]

小室さんと眞子様の結婚反対の行進デモが行われている。そして、それに対して「呪わずに祝おうよ」とか「眞子様可愛そうだよ。もう祝ってあげようよ」などと、本当、この異常事態(異常事態というのはデモのことではなく、眞子様の結婚のことである)に対して無自覚で呑気な声がSNSなどであげられているようだ。この結婚の異常事態を考えれば行進デモの一つでもしたくなるのは、日本という国家のことを多少でも考え、天皇制のことを将来的にも維持したいと意識する人達であれば当然のことであるし、愛国的な行為であるとさえ思われる。
 現行の天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である。象徴天皇は世界でも類がない制度であり、それを具体化させるうえで昭和天皇、平成天皇は大変な努力をなされてきた。天皇制度は第二次世界大戦で消滅される危機にあった。それを国民を統べる象徴として残すという選択をGHQはしたのである。そして、象徴を意味あるものにするのは、それが象徴であると信じる国民があって初めて成立するものである。戦後のお二人の天皇、そして現在の令和天皇も、その象徴という具象なき観念をいかに国民に共有させるかで立派にその役割を果たしてきた。
 そして、その象徴性は「神」であった天皇家という日本の歴史をある程度、現代にも継承させることによって、それが纏っていた神格性、カリスマで強化してきたといってもよい。それに加えて、昭和天皇、平成天皇の献身的な姿勢、国民への慈愛(個人的には特に平成天皇と美智子妃殿下)の深さが、国民の天皇家への親愛を育んできたといえよう。国際法では「戦争責任」があるとされる天皇が、象徴として日本人の心を統べるようになるには相当の年月と説得が必要であった。ちなみに、そのために美智子妃殿下が果たした役割は相当大きなものがあったと考えられる。
 このように象徴天皇というのは、常にそのシンボル性を維持させていかなくてはならない難しい制度である。そして、そのシンボル性は、個を超越した国家、そして国民への献身との引き換えに得られるものであり、その信頼ゆえに我々国民は天皇という象徴に敬意と思慕の情を持つのである。それは、「一個人の感情」などを超越したところで初めて成立し得るものであるのだ。いや、個人の感情は人間だから持つのは当然だとしても、その感情よりも「国」という観念への献身というものを優先させることで、象徴としての天皇制は維持される。
 そうはいっても、「結婚すれば一般国民になるのであるから自由にさせてもいいのでは」という意見を持つかもしれないが、それは国民が受容できる範疇である相手でなければ、天皇制の信頼は失墜する。失礼ながら、小室家に嫁ぐというのは、一般的な家庭の親であっても相当悩むであろう。横浜中華街の老舗中華料理店の令嬢は、小室圭との結婚を許されなかったそうだが、それは一般的なごく常識的な家庭の判断であると思われる。父親と父親方の両親が自殺をしていること、父親の友人から多額のお金を借りていて返却していないこと(を先方から訴えられていること)、母親がアルバイト先の学芸大学のマッターホルンというケーキ屋を捻挫をしただけで訴えていること、など、ちょっとあげただけでも嫁がせたくないなと思う理由は数多とでてくる。姪っ子の結婚相手であったら多くの人が反対するであろう。
 そして、この件に対しての国民の落胆は、天皇制の象徴性を瓦解させているのだ。私も眞子様が誰と結婚しようとどうでもいいのだが、抵抗するのは、これまで昭和天皇、平成天皇が努力に努力を重ねて築き上げてきた天皇制の象徴がズタズタにされているからである。それは、眞子様の問題ではなく、象徴天皇という制度への信頼度を失墜させていることへの問題なのである。
 眞子様の結婚問題は、象徴天皇制という制度の崩壊、少なくとも大きく弱体化させることにつながり、私はそういう意味で、もう小室圭は日本史に名を残した(200年後の日本史の入試勉強では暗記しなくてはいけない人物となっていると確信している)といえるし、現代のラスプーチンであることは間違いない。
 したがって、結婚反対でデモしている人達は、眞子様の結婚を反対しているだけでなく、この結婚がもたらす天皇制への存亡の危機、そして国家という共同幻想にまで及ぶかもしれない危機を自覚していなくても有していると思われるのである。
 また、本当に驚くのは宮内庁のダメさ加減ぶりである。そもそも、こういう事態にさせないために宮内庁は存在しているのに、まったく仕事をしないどころか、眞子様を擁護するような対応さえしている。眞子様こそが、象徴天皇制をぶっつぶそうとしてる急先鋒で、実は宮内庁の最大の敵が眞子様であることさえ理解できていないのはダメすぎだ。天皇制がなくなれば宮内庁もいらなくなるということが分からないのか。国民に代わって、この天皇という象徴性を維持するために奮闘努力しなくてはいけないのに、まったく自分の仕事の役割をも分かっていない。というか、紀宮様の時にはしっかりと事前に銀行から都庁へと転職させたりして、紀宮様だけでなく黒田様もお守りしていたのに、今の宮内庁は目を覆う悲惨さだ。というか、本当、税金返してくれ。
 眞子様には自由に結婚させてあげるべきだ、という意見があるが、象徴としての天皇家の眞子様は国民の多くが祝福して、納得してもらうような結婚相手を選ぶ責任が生まれた時からある。それは、その「象徴性」を強化しなくても、貶めない相手を選ぶべきで、おそらく、それが唯一、我々の税金を使って暮らしてきたことへの恩返しに近い(それに比べれば他の公務などはまったく取るに足らない雑用だ)。いや、国民は相当、寛容であると思う。その国民がデモをしてまで反対する相手を選んだというのは、天皇家としてはまさに失格であり、そのような状況に眞子様を追い込んだ宮内庁は、一昔前だったら切腹ものの失態だなと思ったりもする。
 ある弁護士が、ネットニュースで「自分の意思で選んだ人と結婚することは、極めて重要な人権である。結婚・恋愛は、人生の幸せに直結する、最も重要な選択だ。それを否定しようという社会の空気は、まるで時計の針を封建時代に戻したかのようである」と記していたが、天皇家を一般人と同じ土俵に上げて論じている、ある意味、大変天皇家に対して失礼な考えを持っているかなと思うが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇家は一般人とはまったく異なる重要性を有している。このような意見を主張すると、実は天皇家の存在意義が問われてくる。もちろん、天皇家でなければ、眞子様が誰と結婚しても世間がとやかく言う必要はない。しかし、それは国民の象徴である天皇家の結婚である。国民が納得しない結婚を強行するのは、国民への裏切り行為であるし、それに反対運動する気持ちはよく分かる。「封建時代」云々ではなく、天皇制を象徴としても掲げているというのはそういうことなのだ。つまり、「封建時代」以前からも存在している天皇という象徴を現代でも引き継いできているのであり、そりゃ「封建時代どころか封建時代以前からあるお家の話ですよ」と捉えるべきものなのだ。何も分かっていないのはこの弁護士だ。
 とはいえ、私は別に天皇制がなくなっても、ちょっと残念だけど受け入れられる。ただ、平成天皇、美智子妃殿下の日本という国への強い思いを考えると、それは少し悔しい。私のような一国民でさえ、このような気持ちを天皇制に抱いているのに、そのかけらさえ眞子様は持っていないように振る舞っている現状は、天皇という象徴に大きな汚点を残している。その汚点がこれ以上、広がらないようにしっかりと事後処理をしないと、本当、天皇家は滅びるかもしれない。

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那須岳(日本百名山52座登頂) [日本百名山]

10月10日のまさに紅葉日和に那須岳にチャレンジする。9時に那須塩原駅にてゼミの卒業生3人を拾い、レンタカーにて那須ロープウェイの乗車口に向かう。さて、しかし、那須ロープウェイの入り口から渋滞が続いているようで、この状況ではロープウェイ乗車口では駐車が出来ないのではと考えて、大丸駐車場のところで車を駐車し、そこからバスで行くことにする。これは結果論的に大正解の判断となった。大丸駐車場からはバスにはすぐ乗れたが、当たり前だがバスも渋滞でほとんど移動できない。運転手さんが、歩いた方が早いですよ、と言って皆を降ろしてくれたので、そのようにする。大丸駐車場からロープウェイ乗車口までは、20分ほどであった。道路と並行するようにトレイルが整備されているので歩きやすい。ロープウェイに乗って山頂に着いたのは11時。三本鎗岳に行くのは遅くとも9時発とガイドブックに書いてあったので、これはもう茶臼岳と朝日岳の二つだなと判断する。
 さて、下の方は晴れていたのだが、ロープウェイの頂上口はガスが凄く、視界は悪い。さらに結構の風が吹いていて、先が思いやられる。茶臼岳への道のりは、ほとんど樹木がなく、さすが活火山であるなと改めて思う。道のりは手を使うほどではないが、急な岩場を歩いて行くという感じ。ロープウェイで一挙にあがっても、茶臼岳へ行くのはそれほど簡単ではない。茶臼岳の山頂に着いたのは11時30分。周囲はガスに覆われ、視界は効かない。そして、風が凄い。まあ、これぐらいの風は何回も体験してはいるが、水分を含んでいるとちょっと低体温症とかを意識しなくてはいけない強さだ。ここで簡単に昼ご飯を食べて、そそくさと朝日岳へと向かう。朝日岳へのコースはちょっと風も緩み、比較的、快適に歩を進めることができる。ここでガスが晴れ、朝日岳の雄壮なる姿、そして紅葉に染まる過程にある山並を観ることができる。まあ、これを観たくて多くの人が訪れるのはよく分かる。

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ロープウェイの乗り場では視界が開けていたのだが・・・

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ロープウェイを降りると周りはガス。草木なき登山道を歩いて行く。

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茶臼岳。風が強かった。

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茶臼岳から朝日岳へ。

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途中、瞬間的にガスが晴れる。紅葉と緑のグラデーションが美しい。

 さて、ロープウェイと朝日岳方面へとの分岐点にある避難小屋に着いたのは12時45分。この避難小屋はトイレもなく、本当に避難のための小屋である。そこから朝日岳に向かうが、途中、絶壁のトラバースのようなところへ行く。ちょっとスリリングだ。そして、岩登りのような急登の鎖場を登っていく。ここらへんからまたガスが視界を遮り始める。朝日岳は三本鎗岳へのコースからちょっと横に逸れる。ルートは分かりにくいので注意が必要だ。朝日岳に登頂したのは13時30分。視界がちょっとでも開けるのを期待したが、まったく展望は得られなかった。仕方がないので15分ぐらい休んで帰路に着く。休むといっても風が相当、強いのでリラックスはできにくい。帰路もなかなかの斜度の岩の中を降りて行くという感じ。危険を感じるほどではないが、油断をすると危ない。避難小屋は、行きと違ってガスで覆われていた。本当、登山はタイミングだなと思う。避難小屋からは、ロープウェイ駅への道を取る。行きはここらへんは晴れていたのだが、帰りはもう霧雨の中を歩いて行く感じ。ただ、登山道はしっかりと整備されていて歩きやすい。

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避難小屋

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避難小屋から朝日岳は結構な壁に沿って歩いて行く

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ちょっとアドベンチャラスな感じ

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朝日岳山頂

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ほとんどガスで視界はゼロに近かったが、ちょっとだけ展望が開けた瞬間にシャッターを下ろす

 ロープウェイ駅に着いたのは15時30分。バスの時間が18分後だったので、大丸駐車場までも歩く。ちょうど我々が着いた時にバスも着いた。その後、鹿の湯に寄る。鹿の湯は昔の風情が満載の素晴らしい露天風呂だ。やはり、活火山のある登山はその後の温泉が素晴らしい。17時に鹿の湯を出て、レンタカーを返却し、18時03分の新幹線で帰京。赤羽の居酒屋にいってちょっと打ち上げ。
 いい一日であった。


タグ:那須岳
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ギター遍歴 [その他]

新しいギターを購入した。K’zギターさんでカスタムメイドでつくってもらったギターである。このギターで何本目になるのか。自分の記憶の整理も兼ねて、ここでまとめてみたい(読んでいただいてもつまらない記事かと思います。その点、申し訳ない)。

まず最初に購入したのはYamahaのセミアコであった。お茶の水の下倉楽器だ。その頃はイーグルスやドゥービー・ブラザースが好きで、パトリック・シモンズに影響されたのでセミアコを購入した気がする。高校一年の時だと思う。そして、隣のクラスの小沢君の中古のグレコのレスポールも購入した。確か1万円だったと思う。これを購入して、いや、このレスポールというのはいいギターだなと気づき、アリアプロの新品のレスポールをその後購入する。そして、グレコのレスポールは同じクラスの中井さんに1万円で売った。アリアプロは結構、気に入っていたと思う。大学時代も弾いていたと思われるが、おそらく大学に入って、フェルナンデスのテレキャスを購入する時に売ったような気がする。大学のバンドではリードを他のギタリストに任せて、自分はボーカルでサイドギターを弾くようになったので、気分がテレキャスになったのだ。大学時代はずっとこのフェルナンデスのテレキャスを中心に弾いていた。

さて社会人になって、時間はないけどお金はあるようになったので、トレモロ式のアームが欲しいなと思ってValley Artsのギターを買ったのだが、これはほとんど弾かずにいた。これは、トレモロの管理が当時は面倒くさすぎてやってられないな、と思ったからだ。そして、バンドを新たにつくったこともあり、シェクターのテレキャスターを思い切って買う。これは、それまでとは違って27万円と破格に高い値段のギターでなかなか思い切ったことをした。そして、このギターは今でも私のコレクションとして残っている。その後、バンドが内紛で解散し、私も結婚してアメリカに行くことになり、ここでほとんどのギターを泣く泣く処分することになる。ヤマハのセミアコ、フェルナンデスのテレキャス、ヴァリー・アーツのストラトはこの時、すべて売ってしまう。

さて、結婚してバンド活動もまったくしなくなって、ギターもほとんど弾かなくなっていた私はシェクターのテレキャスしか持っていないという状況を長らく続けるが、その後、会社を辞めて大学の教員になり、しばらく経ってゼミ生が「先生、楽器やれるならバンドしましょうよ」と言ったので、シェクターを物置から取り出してまた演奏するようになる。その後、癌が見つかって手術をしたのだが、退院したのを祝って、思い切ってポール・リード・スミスのカスタム24を渋谷の石橋楽器で購入する。これは、それほど考えなくて買ったのだが、結果的には大正解で、今でも本当、いいギターを買ったと嬉しく思っている。その後、オヴェーションの中古のアコギを10万円でお茶の水の黒沢楽器でも買ったりしたが、これは大失敗だった。オヴェーションという名前に騙された。

その後、シアトルの中古楽器屋を訪れて、その雰囲気にめちゃくちゃ弾かれて、ギブソンの中古のセミアコを13万円で購入する。335より小ぶりの奴だ。結構、いい音が出ていたのだが、3弦がやたらチューニングが狂う。リペアに出したのだが、ぜんぜん、直らなかったのでこれは売ってしまう。どんなにいい音が出ても、音程が合わないギターはきつい。このとき、オヴェーションのこともあったので、やっぱ中古はダメだなとつくづく思う。というか、ギターの目利きができる人はともかく、私のように出来ない人には中古はくずをつかまされるだけだ。オヴェーションも酷かったので、代わりに高峯のアコギを買った。これはなかなかいいギターであったので、オヴェーションを売りに出したが、価格がまったくつかないくずギターという評価だった。

そうこうしているうち、ジェネシスのトリビュート・バンドを組むことになり、これはレスポールでしょう、ということでアリアプロ以来のレスポールを購入する。ギブソンの大量生産のレスポールだ。お茶の水の黒沢楽器に行って大量のレスポールから選んだのだが、結構、サステインを気にしていたこともあって重いギターを買った。実際、このギター、本当に重いです。

また、大学を京都に移したこともあって、京都での練習用ということで、これまで一台も購入してなかったストラトをゲットする。フェンダー・ジャパンで確か8万円ぐらいであったと思う。

そして、今日のK ‘s ギターである。実際、逗子の工房に行き、いろいろとカスタムメイドで注文したのが4月なので、ほぼ半年かかったことになる。ダブルカッタウェイ、24フレット、細めのグリップ、そして32の音づくりができる脅威のピックアップ・システム。値段も高いが、これは怖ろしく素晴らしいギターを手に入れることができた。もう今日は至福感でいっぱいだ。

この素晴らしいギターよりハイグレードなギターを購入することは今後ないだろうが、まだ私のギター遍歴は続くと思われる。しかし、まあ改めていろいろなギターと人生を共にしてきたなと思ったりした今日である。

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左から、シェクターのテレキャス、タカミネのアコギ、prsのカスタム24、K's Guitarのカスタム、ギブソンのレスポール
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御岳山(日本百名山51座登頂) [日本百名山]

御岳山にチャレンジする。御岳山は2014年9月の噴火以降、登山ルートが立ち入り規制されたが、最近、緩和された。ということで、どうせ登るのであれば最高峰の剣ヶ峰に行こうと考える。ただ、どの登山道の規制が緩和されたのかがよく分からなかった。そこで、前泊した木曽福島のホテルの受け付けのお兄さんに尋ねると、よく理解しておらず、とりあえず御岳ロープウェイのルートがいいんじゃないですかと答える。御岳ロープウェイ は始発が7時。ただ、それよりは田ノ原ルートの方がいいだろうな、と思っていた。さて、ホテルは当日、予約したのでもう夕食は用意できない、ということなので木曽福島の街中にでる。どうも「くるまや」という蕎麦屋が有名のようなので、そこに行こうとするともう閉まっていた。仕方がないので、そばの「たちばな」という居酒屋に入る。長野県はどうも非常事態宣言に指定されていないそうで、お酒が飲めるので、久し振りに居酒屋で日本酒を飲む。さて、そこでダメ元でお店の人に御岳山の登山ルートを尋ねると、なんとご主人はメチャクチャ詳しくて、田ノ原ルートからだと王滝までは行けるが、その先は通行できないと教えてくれる。これは、ホームページとかを熟読すれば分かったことだが、私はよく読み取れていなかった。田ノ原ルートで行こうと思っていたので、この情報はメチャクチャ助かる。さらに、ロープウェイで行くのもいいが、黒沢口6合目までは車で行くことが出来、そこから50分ぐらいでロープウェイの山頂駅からのルートと合流すると教えてくれる。7時にロープウェイの駐車場に行くのは日の出が5時30分ということを考えると勿体ない。起床時間にも依るが、黒沢口6合目か御岳ロープウェイで登ることを決める。このご主人は拡大した地図まで渡してくれた。
 翌日は2時前ぐらいに起床する。ちょっと早すぎたので布団でゴロゴロしていたが4時には床から出て4時45分ぐらいに宿を出る。ここから黒沢口6合目までは26キロメートル。途中、セブンイレブンに寄り、朝食のサンドイッチと昼食のおにぎりを購入する。黒沢口6合目までの道のりはなかなかの山道で結局、思ったよりも遅く6時頃に到着してしまった。ここは相当、駐車場の台数には余裕があるのだが、結構、埋まっていた。穴場のルートなのかなと思っていたが、大間違いだ。御岳山、私が思っていたよりはるかに人気のあるルートなのではないかと思われる。駐車場には駐まれたが、もう既に日は出ており、もう少し早く宿を出ていればよかったと後悔する。
 登山の準備をして出発したのは6時10分。登山道はしっかりと整備されており、歩きやすい。昨日までの雨で泥濘んではいるが、木の階段が組まれているので苦ではない。登山ではこの泥濘道に手こずることが多いので、これは有り難い。さて、出発地点は1800メートルとそれほど高くはないが、それでも高山病気質の私はあまり気分がよくない。高山病を発症したら元も子もないので、通常のゆっくりペースをさらにゆっくりさせて、どんどん後続に追い越されても、一歩一歩噛みしめるように歩いて行く。黒沢口ルート、傾斜はなかなか急なので楽なルートではない。御岳ロープウェイとの合流点には7時に着く。御岳ロープウェイ組よりは早い到達時間であるが、それほどのアドバンテージでもない。その後のルートもしっかりと整備はされていて歩きやすいが、なかなかの斜面である。ただ、ところどころで気の合間から見られる中央アルプスの山々の美しさに癒やされる。7時45分に後続にどんどん追い越されていく。尋ねると、ロープウェイ組であった。たったの45分のアドバンテージのために300メートル余計に登ったのかと思うと、もっと早く起きていけばと思わずにはいられない。ロープウェイ組はまだ歩き始めということもあって元気に登っていく。8合目に到着したのは8時。ここには山荘があって、食事が取れる。というか、7合目にも山荘があり、8合目にも9合目にも山荘があって、そういう意味では登山をするうえでのサポート・サービスが充実した山であるといえよう。

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<黒沢口6合目の駐車場は相当の台数が駐められる。この写真以外にも2箇所ある。ただ、6時前でも相当数、既に駐車していた>

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<黒沢口6合目の入り口>

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<気持ちのよい森の中を歩いて行く。登山道はしっかりと整備されていて快適だ>

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<朝日の中を歩いて行くのは登山の醍醐味の一つであろう>

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<八合目になると途端に展望が開ける>

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<八合目からちょっと登ったところからの素晴らしい展望。左に見えるのが乗鞍岳だ>

 8合目から上は灌木しか生えていない。もう既に紅葉が始まっていて、その色彩が美しく晴れやかな気分となる。8号目からは木曽アルプス、南アルプス、先週登った乗鞍岳、北アルプスが展望できる。非常に豪華な景観を望める。8号目からは登山道にレキが目立つが登山上がしっかりと整備されているので歩きやすい。しかも急斜面ではあるが、鎖場や梯子はまったくない。この歩きやすさはこの御岳登山の魅力の一つといってもいいであろう。これは人気がある訳だと納得する。石室山荘の手前で森林限界。これから先はもう岩の世界である。十勝岳とか霧島岳(韓国岳)の火山もそうだが、日本の山の山頂の多くがまるでイメージとする火星のような荒廃した景観であるということは登山をするまで知らなかったことである。

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<レキの登山道だがしっかりと整備されており歩きやすい>

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<既に紅葉が始まっている>

 9号目の手前にある石室山荘に到着したのは9時20分。ここでおにぎりなど簡単にエネルギーを吸収し、長袖のシャツや虫除けなどこれからの山頂アタックに不要なものをここに預けさせてもらう。こういうサービスをしてくれる山荘があるのは本当、有り難い。ここで2014年に亡くなられた方々への供養の気持ちを込めて、好きではないヘルメットを被る。ヘルメットは御岳山登山のために今回、初めて買ったものである。さて、随分と身軽になったので足取りも軽く、山頂を目指す。二ノ池を通過するのが10時ぐらい。私が写真でみた二ノ池は青かったが、今日の二ノ池は白濁した色であった。2014年からこのような色のままなのかもしれない。さて、そこから先は、もう私の苦手のレキの登山道なのかなと思っていたら、難しいところは、しっかりと階段状の木道が整備されていて歩きやすい。そして、何より展望が別格によい。嬉しい気持ちになりながら標高を稼いでいく。ゆっくりと疲れないように歩いていたこともあって高山病にもならずに済みそうだ。

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<石室山荘。ここまでの登山の疲れを取るのにうってつけの場所に建っている>

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<九合目から上はまったくもってぺんぺん草も生えない荒野のような道を行く>

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<二ノ池>

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<苦手なレキの登山道だが、しっかりとこのような木の階段が設置されているのでとても歩きやすい。いい登山道だ>

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<頂上手前。2014年の事故以降につくられた避難場所。ちょっとデザインが今一つ>

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<頂上にはこの80段ほどの階段を登らなくては成らない。最後の試練>

 山頂に着いたのは10時20分。最後に80段ぐらいの階段を登らさせられる。山頂からは乗鞍岳、北アルプス、八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、そして恵那山までもが展望できる。天気に恵まれたこともあって、素晴らしい景色を楽しむことができた。つくづく、登山は天気によってその体験が大きく左右されることを痛感する。今日は大当たりであった(いや、晴れということが分かったので登ったということもあるが)。
 山頂ではインスタント・ラーメンを食べる。いつもは普通のカップヌードルなのだが、今日は趣向を変えたものを買ったら「激辛インスタント・ラーメン」であった。京都の一乗寺にある「極鶏ラーメン」をモデルにしたものだが、そもそも当たり前だが麺が違うし、味も全然、違う。それはいいが、この激辛というのは登山には極めて不適切だ。お腹を壊したらどうする、と思いつつ悔しいので食べる。
11時15分頃に下山を開始する。登山計画書では30分休憩だが、どうも自分は60分は休憩を取りたいタイプのようだ。これからは登山計画でも60分間の休憩時間としておこう。今回は1300メートルの登山であったが、太股が攣りそうなこともなく、結構、順調に上がってこれた。とはいえ、下りでは膝を痛める可能性があるので、慎重にゆっくりペースで降りて行く。12時頃に石室山荘に到着。荷物を受け取り、300円のオロナミンCを飲んで8号目に向かう。結構、膝は痛むので、随時、休んでマッサージをする。8号目の到着は13時。コースタイムを大きく上回る時間である。というか、自分はこの下りが人より時間がかかることを改めて認識する。そして、7号目の力餅のある行場山荘に着いたのは13時50分。せっかくなので「力餅(ぜんざい)」を食べて休む。500円だが、疲れた身体にぜんざいの甘さとお餅のもちもち感が嬉しい。お店を出たのは14時ちょっと過ぎ。そして、最後の力を振り絞って黒沢口6合目に着く。到着時間は14時40分。下りに時間を取られたが、それでも膝も痛くはなく、太股も一度も痙攣しなかったこと、さらには尻餅をつかなかったことはちょっとした成果である。
 帰りは木曽福島の街並みを見学し、一挙に東京まで戻る。連休の合間ではあったが、中央高速で25キロの渋滞に遭い、家に着いたのは23時近くであった。

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<山頂から二ノ池方面を望む>


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<山頂から木曽山脈の方を望む。右手には王滝方面の登山口が見える>

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<連休中ということもあって多くの登山客が登っていた>

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<行場山荘の力餅。疲れた身体にはじんとくる美味しさだ>

登山道整備度 ★★★★★ (難しいところには階段が整備されていて、非常によい)
岩場度 ☆☆☆☆☆ (手を使って登らなくてはいけないところはほとんどない) 
登山道ぬかるみ度 ★★☆☆☆ (8合目までは多少、ぬかるんでいる)
虫うっとうしい度 ★☆☆☆☆ (虫が鬱陶しいことはほとんどない)
展望度 ★★★★★ (絶景)
駐車場アクセス度 ★★★★★ 
トイレ充実度 ★★★☆☆ 
下山後の温泉充実度 ★★☆☆☆ 
安全度 ★★☆☆☆ (登山道がしっかりしているので、安全)
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乗鞍岳(日本百名山50座登頂) [日本百名山]

乗鞍岳にチャレンジする。これまで乗鞍岳には二度チャレンジしたことがある。一度目は畳平までは辿り着いたが、あまりのガスと高山病のような症状がでたので諦めた。二度目は雨で畳平まで行くバスに乗ることさえしなかった。乗鞍岳は百名山の中では、そうとう登頂が楽な山と知られている。しかし、私にとってはなかなか手強い存在であった。その手強さの一番の要員は私が高山病になりやすいということがある。最初にトライしたのは、松本で宿泊して、そのままバスターミナルに向かったので、いきなり短時間で2000メートルも登ることになった。そして、おそらく寝不足でもあったかと思う。そういう失敗をしたので、今回の前泊は乗鞍高原にて行った。乗鞍高原だと、それでもう標高は1600メートルもある。少しでも高さに慣れた方がよい。

寝不足も大敵ということで、20時頃には就寝する。しかし、2時ちょっと過ぎには目が覚める。始発バスは6時10分で、それに乗る計画だったが、こんなに早く目が覚めたなら、4時10分とかの来光バスにも乗れる。それに乗ろうかと調べたら、前日の18時までに予約をしておかないといけないらしい。残念だが諦める。普通の月曜日だというのに、5時30分には結構、多くの人がいた。その前日の日曜日だったら、相当、人がいたであろう。コロナなのに、あまり人は行動を抑制していないようだ。って、人のことは言えない。バスは時間通り出発し、6時55分頃に畳平に到着。なんと気温は6度。相当、寒い。ちょっと高山病的な気分のよくなさはあるが、まあ、これぐらいなら大丈夫。大事をとってゆっくりと進んでいく。天気は最高によい。まさに三度目の正直。

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(バスターミナルからも剣が峰が見える。三度目の挑戦で初めての晴天)

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(9月13日であるにも関わらず、畳平は6度という寒さ)

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(畳平からの登山口の入り口)

お花畑を右手に見つつ、歩を進めると砂利道の車道に出る。これは歩くのは楽だが、味気ない。ただ、そこから左手に広がる展望は素晴らしいの一言につきる。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳とが見える。しばらく歩くと、肩の小屋に着く。時間的には7時40分。ここからは、登山道。レキが多い登山道で、ハイキングというよりかは登山という気分にさせられる。剣ヶ峰への登山道自体は、典型的な火山登山で、レキと低木で景観的には目を楽しませるものがないが、展望はもう特別に素晴らしい。雨や霧の日ではなく、この晴れの日に登山できたことはラッキーだ(いや、三回目にしてようやく晴れたというのが実態だが)。

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(登山始めは右手に花畑をみながら歩いて行く)

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(砂利道の車道を歩いて行く。素っ気ない登山道だが展望は素晴らしい)

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(肩の小屋からは本格的な登山道が始まる)

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(振り返ると北アルプスの素晴らしい展望が広がっている)

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(百名山としては簡単に登れるといわれる乗鞍岳であるが、このレキを登っていくのは簡単ではない)

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(乗鞍岳も火山であるのだな、ということがこの無味乾燥な登山道から理解できる)

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(権現池の向こうには白山がみられる)

頂上小屋に着いたのは8時30分。ここでは珈琲も飲める。私はドリップ式の珈琲をもってきたのでここのは飲まなかったが、軽い荷物で上がっても肩の小屋では食事もできるし、頂上小屋では珈琲も飲める。なかなか充実したサービスが提供されている。この小屋からの展望も素晴らしいの一言で、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳ともう絶景を楽しめる。とはいえ、頂上はさらにいいだろうと20分ほど登ると頂上に着いた。頂上からはまさに360度の大展望が得られる。富士山が北岳の左側にちょこっと覗くように顔を出している。ちっちゃい、それほど威厳もないような富士山ではあるが、富士山が見えると見えないとでえらく得した感が違う。全然活躍しない大谷翔平でも、試合に出ているのを見ると嬉しいのとかと感覚は近いのかもしれない。ここでカップ麺を食べ、珈琲を飲み、帰路に着く。下り始めたのは9時30分ぐらいだ。

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(頂上小屋では珈琲を飲むことができる)

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(頂上小屋から南アルプスを展望する)

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(御岳山も見ることができる)

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(頂上から南アルプス方面を展望する)

下りは比較的早めのペースで降りて行った。これはバスが一時間に一本しか走っていないからで、10時05分は無理だが、その次には乗りたかったからである。そのためにはコースタイム通りで下山しないといけない。今回はストックを敢えてもたずに登山をしたが、膝にくることもなく、太股の筋肉にも特にハリは出来ず、無事に11時頃には下山することができた。11時05分発のバスに乗って、バスターミナルに戻ったのは11時50分。宿泊した宿が帰りに温泉に寄っていいと言ってくれたのでお言葉に甘えて行く。記念すべき百名山の50座目は、特に危険もなく、楽しい登山であった。

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(下山もずっと素晴らしい展望を楽しむことができる。これは乗鞍岳登山の魅力である。ただし、晴れていないといけないが)
タグ:乗鞍岳
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テキサス州の中絶禁止法からみられるアメリカの吐き気がするような矛盾 [トランプのアメリカ]

9月1日、アメリカのテキサス州で妊娠6週目以降の中絶を禁止する州法が施行された。妊娠6週間というのは、多くの女性が妊娠をまだ自覚していない時期であり、この州法によって実質的にほとんどの女性が中絶を受けられなくなる。この法律の女性へ対する人権侵害は甚だしいが、事態をさらに悪化させているのは権利擁護団体などが連邦最高裁に差し止めを求めたが、最高裁は5対4でその請求を退けたことである。ちなみに、退けた5人のうち3人が、トランプが指名した判事である。

この中絶禁止法の卑劣なところは「私的訴権」を認めていることであり、つまり、被害を受けていない人でも、同法に基づいた訴追が可能になることである。これは、余計なお世話的な民事訴訟を中絶反対者が起こすことができるということであり、これによって中絶を行う医師だけでなく、当事者の家族までもが訴えられる可能性がでてくる。これによって、強姦や近親相姦による妊娠でも中絶を認められなくなる。

ここで本当、摩訶不思議というか酷いなと思うのは、銃の保有や、それこそコロナ禍でのマスクをしないことなどの「自由」を強く訴えるくせに、他人が強姦されて妊娠した子供を堕胎することも許さない、それどころか堕胎しなさいといった母親までを訴えようとする、この心の狭さというか残酷さである。これがキリスト教の教えというのであれば、そんな人を不幸にする宗教はいらない。自分のことならまだしも、他人が自分の身体をどうこうしようとそれは勝手であろう。道ばたで泥棒に襲われても助けようとしない人がほとんどのアメリカ人(いや、そういう意味では日本人もそうだが)が、なぜ、他人が堕胎することを法律でも規制させようするのかが分からない。まさにカルト宗教国家のようである。イスラム国を非難できないよ。

しかも、そのようなカルト的異常性を正せない連邦最高裁。こんな国が、本当、日本の同盟国なのか。こんな国の同盟国である日本の将来が本当、心配である。

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地方都市でのおばあちゃんカルテットとの会話 [サステイナブルな問題]

豊岡市にておばあちゃんが集うサードプレイスがあることを市役所の職員から聞く。それは、市役所が設置した「豊岡市立 加陽水辺公園交流館」である。この施設は、コウノトリ関連の資料館という位置づけであるのだが、おばちゃんがたわいのないお話をするような場所となっている。珈琲なども出してもらえ(100円は支払う)、なかなか居心地がよい。私は、豊岡市の知りあいに付き合ってもらい、いきなり話に加わらせてもらった。本当はその会話を動画でも撮影したかったのだが、それは断られた。

さて、人口が縮小するおばあちゃんの暮らしはどのような状況なのであろうか。現状では、車が運転できているので問題がないそうだ。買物とかでも特に不便はないそうだ。とはいえ、空き家が増えているので寂しいとは言う。空き家はもうあっという間に草ボウボウとなる。売りたくても売れないそうだ。とはいいつつ、郊外には新築が建設されている。なんで、空き家がこんなにあるのに、新築が建つんだろうという意見に皆、不思議そうにそうだな、と頷く。

四人のうち三人は年金暮らし。ただ、一人は農家のおばあちゃんで80歳ぐらいなのだが、年金では暮らせないとのこと。これは、他の三人が厚生年金であるのだが、このおばあちゃんだけ国民年金だからだそうだ。国民年金だと月額5万円ちょっとしかもらえない。しかも、このおばあちゃんは農家で農地を人に貸しているのだが、一反4000円で貸しているそうだ。しかし、この農地をもっているので水利権のお金を払わなくてはならない。これで、ほぼ農地をもっていることで賃貸料を受け取っても月額2万円ほどの赤字になるそうだ。それに、さらに集落内での付き合いがある。とても5万円ではやっていけないそうだ。できれば売りたいのだが、買い手がいない。ある意味、不良債権ではある。国民年金だけでは不足なので、市役所からの委託の仕事をしている。

このおばあちゃんは今、とても元気だが、倒れて例えば介護付き施設に入ると月15万円かかるという。さらにおむつ代などを考慮すると、月20万円ぐらい必要となる。子供は3人いるけど、3人に負担をお願いしたら一人6万円強。とてもそのような迷惑はかけられないし、かけたくない。子供には迷惑かけたくない。ぼっくりと死ぬのが理想、という。この意見に関しては、皆が合意(お一人は家族はいなかった)。

この30年間ぐらいの大きな変化としては、全般的に世知辛くなっている、という。昔はもっと大らかだったけど、今は、訴えられたりすることが怖くて不便になっている。例えば、以前だったら近所の人の車に平気で乗れたのが、最近だと事故を起こして訴えられたりしたらたまらない、と乗せてもらえにくくなっている。学校の先生とかも指導を厳しくしたりすると訴えられたりするので臆病になっている。ストレスが高まって大変だと思うと指摘する。

全般的にコミュニティの紐帯は弱まっているという認識はもっている。若者に対しては、「若者の意見は状況を理解していないくて、聞くに値しない」という意見と、「若者の意見もなかなか傾聴に値する」という意見とに分かれた。どちらの意見もなるほどと思うところはあるが、若者に豊岡にいてもらうためには、ある程度、若者の意見を尊重しないと厳しいかなとも思ったりもする。

祭り等の地域行事に関しては、伝統的な慣習が次々となくなっていると指摘される。これは「村」によって違いがあり、皆がそうだという訳ではなかったが、祭りなどの行事がある時は幹事役の家が、お酒代は出すという慣習があったが、若い人が幹事をした時、そんなことはしないと指摘し、それからそういう慣習はなくなった。およそ20年ぐらい前の出来事である。昔は、分限者(お金持ち)が負担するという不文律があったが、今ではそういうのは古くさい習慣として過去のものとなってしまっている(うちの村はそうではない、という指摘もある)

高齢者のコミュニティとしては、グランド・ゴルフなどがある。これらのイベントの連絡は携帯電話。携帯電話がないと生きていくのは難しい、という。携帯電話の扱いは難しいのでは?との質問には「ボケ防止」と明るく答える。グランド・ゴルフは朝8時とかから始まり、午前中で終わる。

また、「村」のコミュニティはよそ者の意見はなかなか受け入れてもらえない、との指摘もあった。伝統的な行事を引き継ぐときも、よそから移住したものではなく、昔からその「村」に暮らしてきた人達に引き継ぐ。ただ、最近ではそうも行っていられなくなってきたので、昔ほど極端ではなくなっているという。

このような話を1時間以上にわたって聞かせてもらった。豊岡市という地方都市において高齢者の暮らしは結構、大変なのではと思ったりしたが意外とそうではなかった。むしろ、都会で暮らしている人達より孤独でないのかもしれない。これは、都会であればコミュニティがある訳ではないからだ。ただ、高齢化という問題において、生き延びていくお金、というのは深刻であることは改めて確認させられた。

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