ハノイに来てアホなタクシーにストレスを覚える [地球探訪記]
ハノイに来た。ベトナムはホーチミンには二回ほど行ったことがあるが、ハノイは初めてだ。二回ほど来たが、二回ともまだ会社員時代の時だったから20年以上も前の話である。まず、ハノイの国際空港がとても近代的だったので驚いた。随分と、前回のベトナム訪問からベトナムも発展したのかなという印象を受ける。ホテルは空港のそばのを予約したつもりだったが、どうも3キロメートルは離れている。3キロの夜道は日本でも歩きたくない。ということで、タクシーで行くことにする。
ベトナムのタクシーは20年前の感覚だと油断できない。空港でそのまま拾うとろくなことが起きない予感がするし、もう22時を回っているので、そういうトラブルは勘弁だ。ということで、空港のトラベル・センターのようなところに手配してもらい前払いのタクシーに乗ることにした。割高だが、保険のようなものだ。
ということで、タクシーに乗ってホテルに向かったのだが、このタクシー運転手は酷かった。まず、全然、違うホテルに連れて行って、「ここだ」と言う。3キロどころか300メートルも走っていない。こちらは、またグーグル・マップで武装しているので、「全然、違う」といってグーグル・マップを示す。さて、ここで多くの日本人はこれで問題が解決したのだろうと思うだろうが、そうは問屋が卸さない。というのは、こちらのタクシー運転手は地図が読めない。ということを、私は若い時にクアラルンプールのタクシー運転手に都市の地図を書かせた研究をしたことがあるので知っているのだ。その調査から30年ぐらいは経つが、やはり彼も地図は読めなかった。したがって、Uターンして真っ直ぐ、と英語で説明するのだが、当然、英語は通じないので、身振り手振りで教える。この運転手はあまり納得できなかったようで、やたら電話をしたのだが、なんかホテルの名前は通じたので、どうにかたどり着くことができた。結構、ストレスを覚えて、怒りをぶつけたいのを我慢できた。まあ、怒るとこちらもダメージを受けるので。
さて、ホテルはなんか場末のラブホテルのようなところだった。クーラーもなく、なんだかなあ、という感じである。
ベトナムのタクシーは20年前の感覚だと油断できない。空港でそのまま拾うとろくなことが起きない予感がするし、もう22時を回っているので、そういうトラブルは勘弁だ。ということで、空港のトラベル・センターのようなところに手配してもらい前払いのタクシーに乗ることにした。割高だが、保険のようなものだ。
ということで、タクシーに乗ってホテルに向かったのだが、このタクシー運転手は酷かった。まず、全然、違うホテルに連れて行って、「ここだ」と言う。3キロどころか300メートルも走っていない。こちらは、またグーグル・マップで武装しているので、「全然、違う」といってグーグル・マップを示す。さて、ここで多くの日本人はこれで問題が解決したのだろうと思うだろうが、そうは問屋が卸さない。というのは、こちらのタクシー運転手は地図が読めない。ということを、私は若い時にクアラルンプールのタクシー運転手に都市の地図を書かせた研究をしたことがあるので知っているのだ。その調査から30年ぐらいは経つが、やはり彼も地図は読めなかった。したがって、Uターンして真っ直ぐ、と英語で説明するのだが、当然、英語は通じないので、身振り手振りで教える。この運転手はあまり納得できなかったようで、やたら電話をしたのだが、なんかホテルの名前は通じたので、どうにかたどり着くことができた。結構、ストレスを覚えて、怒りをぶつけたいのを我慢できた。まあ、怒るとこちらもダメージを受けるので。
さて、ホテルはなんか場末のラブホテルのようなところだった。クーラーもなく、なんだかなあ、という感じである。
槍ヶ岳(百名山61座登頂) [日本百名山]
登山者憧れの山、「いつかは槍ヶ岳」と合言葉のように呟かれる山、その槍ヶ岳に遂に挑戦することになった。個人的には最長歩行距離、最高標高差、さらに国内最高地点へのチャレンジでもある。私は太股の痙攣(ピキキ現象)、膝の痛み、高山病という三大ハンディを有しており、そもそも登山が向いていない体質だ。加えて、もう還暦を迎えた。その私が槍ヶ岳に挑戦することになったのは、それを一日遅らせるとそれだけ不利になるだろうという切迫感からだ。
最近、単独行が多いが、槍ヶ岳は会社時代の友人と二人で行くことにした。この友人は、もうベテランの域に達しており、パートナーとしては大変心強い。しかも、彼は松本にアパートを借りているので、前泊、後泊を彼の家でさせてもらった。前回、下山後、一挙に帰るのは体力的に厳しかったこともあったので後泊させてもらうことは有り難い。
さて、登山ルートであるが、一日目は上高地バスターミナルからインし、槍沢コースで槍沢ロッジにて一泊。そして、二日目に槍ヶ岳山荘にて荷物を置き、槍ヶ岳にチャレンジ。その後、槍ヶ岳山荘にて泊まり、三日目は飛騨沢コースを下り、新穂高温泉にてアウトというものにした。そのため、友人の車と私の車とをそれぞれ出し、まずは友人の車を新穂高温泉の無料駐車場に駐め、私の車で二人であかんだな駐車場まで移動。私の車はあかんだな駐車場にて駐車し、そこからバスで上高地バスターミナルにまで移動した。あかんだな駐車場は8時20分発のバスに乗ることができ、8時50分に上高地バスターミナルに到着する。
登山開始は9時ちょうど。すぐ河童橋に着く。穂高の山々の展望が素晴らしい。そこからは、梓川に沿って気持ちのよいカラマツ林の中を歩いて行く。明神を通過するのは9時50分。梓川の灰色がかったエメラルド・グリーンの色が美しい。そして、徳沢に到着するのが11時。ここのミチクサ食堂で、昼食を取る。私が注文したのは、窯焼きのピザ。取り立てて美味しくはないが、大自然の中なので、その見えないスパイスで美味しく感じられるので、お店的には得である。

<河童橋の美しい景色を見ながら登山をスタートする>

<いきなり美しい森の中を歩いて行く>

<登山道は梓川に沿って設けられていて、気持ちがよい>

<ミチクサ食堂>

<ミチクサ食堂で注文したピザ>
さて、45分ぐらい休憩した後、また歩を進める。横尾山荘に到着したのは12時25分。ここはそのままスルーする。横尾まではほぼ平らな散歩道のようであったが、徐々に山道っぽくなってくる。槍ヶ岳が初めてその姿を現す槍見河原に到着したのは13時20分。そこから15分ぐらい歩くと一ノ沢に架かる木橋がある。この橋の麓でちょっと休憩をする。ここからは登りもだんだん増してくる。槍沢ロッジに到着したのは14時20分。一日目は登山道は極めて歩きやすく、ほどよい疲労感が溜まるぐらいであった。槍沢ロッジはなんと入浴ができる。15時から数時間だけだが、この入浴ができるというのは本当に有り難い。石鹸やシャンプーは使えないが、それでも疲れた筋肉をほぐすことができる。入浴後、夕食までに生ビールを飲む。生ビールは1000円と高額だが、溜まらなく美味い。生きていることが嬉しくなるような時間だ。夕食は17時からである。この宿はヘリコプターで物資が運ばれるので、夕食も豪華だ。唐揚げ、豆腐ハンバーグ、キャベツレタス、さつまいも、きんぴらゴボウ、ほうれん草と栄養のバランスも取れている。

<横尾山荘>

<槍見河原から槍ヶ岳を望む>

<谷に流れ込む瀬が登山者の目を楽しませる>

<一ノ沢>

<槍沢ロッジ>

<槍沢ロッジは清潔感のある山小屋。入浴もできるし、充電もできる>

<槍沢ロッジでの夕食>
この日は夕食を取ったらすぐ18時ぐらいに寝る。さて、ここで3時ぐらいに起きられればいいのだが、起きたら0時ちょっと過ぎであった。これはロッジが暑すぎたからである。流石に早すぎるので、ふとんの中でもんもんと過ごす。3時ぐらいになると、さすがに人々が動き始め、4時頃には床を出る。パッキングを終えて5時の朝食後、5時30分に出発する。ちなみに朝食も塩鮭や海苔などもあって豪華であった。槍沢ロッジも既に標高が1820メートルあるのだが、これから槍ヶ岳山頂の3180メートルを目指さなくてはならない。これはなかなかの標高差だ。ということでゆっくりと登っていく。しばらく歩くとババ平というテント場に着く。ここらへんはずっと槍沢沿いに深い谷を登っていく。水俣乗越は6時40分。天狗原分岐は7時30分頃。この頃になると、随分と下山する登山者と道を譲り、譲られで登っていくことになる。インバウンドの登山者も多いが、台湾から来たと思しき中年の女性カップルがいきなり登っている私にリュックでぶつかってきた。思わず「痛い!」と言うと、後続の仲間の女性が私を睨んできた。どうも「登り優先」という認識を持っていないようだ。台湾の若い男性はそこらへんがしっかりと対応できているので、まあ、例外的なケースなのかもしれないが、不快な思いをする。

<ババ平や槍沢ロッジから30分ぐらい歩いたところにある>
ジグザグのレキの坂道が続くが、それほど厳しくはない。ゆっくりと一歩一歩、確かめるように高度を上げていく。9時頃には目の前に槍ヶ岳が屹立するのが望め、登ろうという意思を強化させてくれる。坊主の岩には9時20分頃に到着。ちょっと休憩をして、山荘までの厳しい坂道を上がっていく。槍ヶ岳山荘に着いたのは11時10分。槍ヶ岳はもう目前に聳え立っている。この山荘からは、もう絶景をみることができる。

<ジグザグのレキ道を登っていく>

<槍ヶ岳が姿を現すと、スタミナ・ドリンクを飲んだように元気が出てくる>


<とはいえ、最後の小一時間は標高も高いこともあり相当、厳しい>
さて、いつもは1000メートルを登ると太股の筋肉が痙攣するのがほぼ習慣となっているのだが、今回はまったくピキキの「ピ」の字もないように上手く登っていくことができた。昨日、ロッジで入浴して筋肉をしっかりと解せたからかもしれない。
山荘に荷物を置き、昼食を取り(レトルトのカレーライス)、軽装になって山頂を目指す。カメラも持って行くのを止めて、携帯のカメラで撮るようにする。山荘から山頂までは98メートル。これはほぼ垂直という感じで、はしごと鎖場を登っていく。ただ、個人的にははしごと鎖場はむしろ楽で、それらがない時に、しっかりとどこに足場とするのかを判断する方が難しかった。見るからに登山経験が浅い若者のグループが先に登っていたのでやたら時間がかかった。これは、山頂の面積が狭いので頂上にいられる人の数が限られているからだ。しかし、天気がよいので、待っているのはそれほど苦痛ではなく、寒くもなかった。とはいえ、天気が悪かったら、このはしご待ちなどは厳しいだろう。さて、山頂には山荘を発って30分ほどで到着。その展望は素晴らしいに尽きる。ただ、携帯カメラは画面が暗すぎて、操作をすることができず、頂上の写真は友人の携帯カメラで撮影してもらった。

<槍ヶ岳山荘>

<槍ヶ岳山荘から常念岳を望む>

<岩にへばりついているように山頂を目指す登山者達>

<山頂での記念写真>
下りも前述した若者グループがぐずぐずしているので時間はかかった。まあ、しかし、他人のことはいえないが、登山経験が浅くて槍ヶ岳に来るのは無謀だと思う。今日のように天気がよければそれほど危険ではないかもしれないが、ちょっとでも条件が悪かったら結構、危ないと思う。
さて、山荘に戻ったのは13時30分頃であった。夕食は17時ということもあり、どっと疲れも出てきたので一眠りをしてしまった。これがいけなかった。というのは、起きたら頭痛がしたからだ。これは高山病か?と心配になる。どうも、高度に慣れないうちに寝てしまうのは高山病になるから、してはいけないことのようだ。そうでなくても高山病になりやすい質なのに愚かである。しかし、深呼吸をゆっくりと何回かしたら徐々に治ってきた。友人が麦酒でも呑もうか、と言ってちょっと躊躇したが、どうもおしゃべりは高山病にはいいらしいので、ゆっくりと生ビールを飲むことにする。これは結果的に大丈夫であった。そして、夕食を食べて、ちょっと談話室で時間を潰し20時頃に就寝する。とはいえ、この日も1時前に起きてしまった。なんか睡眠のリズムが今ひとつになっている。
4時頃に起床し、パッキングをして、明るくなってきた4時30分頃から日の出を見ようと外にでる。見事な朝焼けであるが、どうも槍ヶ岳が邪魔になってアングル的に日の出は見られないようだ。そばで立っているオジさんにそれを確認すると、「そればかりはしょうがない」と言われる。それで、山荘に戻ったのだが、実際は見られたようだ。こういう適当なことを言う輩には気をつけないといけない、ということを還暦になって再認識する。5時からは朝食。この山荘もヘリコプターで物資を運ぶだけあって贅沢だ。オクラ、焼き魚、ソーセージ、きんぴらゴボウ、卵焼き、お新香がつく。ここはご飯だけでなく、お味噌汁がお代わり自由なところが嬉しい。

<徐々に明るくなってくる空に映える槍ヶ岳>
5時40分には出発する。下りは飛騨沢コースを選んだ。常念岳や乗鞍、笠ヶ岳といった近場の山だけでなく、八ヶ岳や富士山までもを展望することができる。素晴らしい天気の中、標高を下げていく。キャンプ場の中を歩いて、少し行くと大喰岳と槍ヶ岳の鞍部にある飛騨乗越に着く。ここからは、レキの急坂をジグザグに下りていく。笠ヶ岳、さらには黒部五郎岳、白山を展望するという絶景の中をゆっくりと膝を痛めないように気をつけて下りていく。千丈沢乗越との分岐点は7時に通過する。そして、しばらく行くと飛騨沢が右手を流れ始める。その後は、樹林帯に入る。この樹林帯はずっと新穂高温泉まで続いていく。樹林帯の中は日影であり、その点ではとても有り難いが、展望も得られず、ひたすら歩いて行かなくてはならない。まあまあ、退屈である。とはいえ、集中を切らすと浮き石とかを踏んだり、濡れた岩で滑ったりするので油断はできない。

<槍ヶ岳山荘からは富士山をも展望できた>

<山荘からの笠ヶ岳の雄姿>

<飛騨乗越から八ヶ岳を望む>

<飛騨沢コースは途中から樹林帯をひたする歩くことになる>
槍平に到着したのは9時ちょうど。ここでゆっくりと休む。槍平小屋ではコーヒー・バッグではあるがコーヒーを呑めたりするのは嬉しい。ここの標高は1990メートル。1000メートルは下りたが、さらに900メートルは下りなくてはならない。うーむ、なかなか厳しい。

<槍平山荘>
とはいえ、結果的に槍平小屋から新穂高温泉までの下りはそれほど厳しいと感じるものではなかった。ただ、疲労から踏ん張りが効かなくなっているので、その点だけが辛かった。時折、沢を越える時は気をつけないといけないが、それ以外は敢えて危険箇所はなかった。そして13時には穂高平小屋に到着する。ここで中華麺を食べる。中華麺は本当、チャーシューとメンマと葱という非常にシンプルなものだが、炭水化物を欲している身体には嬉しい。穂高平小屋からは近道があったが、あまり管理がされていないということと、5分ぐらいしか短縮できないということで、遠回りではあるが林道を歩いて戻る。新穂高温泉に到着したのは13時30分頃であった。新穂高温泉に置いてあった友人の自動車に同乗し、そのままあかんだな駐車場に行く。そこで自分の自動車を拾い、松本へ。槍ヶ岳に登頂し、無事に下山できた満足感が身体を包む。登山の醍醐味である。

<幾つかの沢を越えて、新穂高温泉に向かう>

<穂高平小屋での中華麺>
さて、飛騨沢コースであるが、メリットとしては、槍沢コースに比べると標高差はあるが、距離は短い。また、バスに乗らずに自家用車のあるところまでそのまま下りることができるといった利点がある。加えて、槍沢コースに比べると登山者が圧倒的に少ない。これは、自分のペースで歩けるということだ。一方、デメリットとしては、槍沢コースに比べると圧倒的に歩きにくい。熊笹などの沿道の草木はある程度、手入れはされているが、それでもしょっちゅう身体に当たり、気になる。さらに景色は槍沢コースの方が圧倒的に優れている。水場も多く、歩いて楽しいのは圧倒的に槍沢コースの方だ。槍沢コースはしょっちゅう山小屋が出てくるのも嬉しい。ということで、特に登りは槍沢コースを行くのをお勧めする。ただ、下りは自家用車の駐車場に時間を気にしないでアプローチできるなど、状況に応じては選択肢に入れてもいいかもしれない。あと、登山ピーク時は槍沢コースの混み具合は相当、ストレスになるかもしれないので、こちらを選択肢に入れておいてもいいであろう。
<槍沢コース>
登山道整備度 ★★★★★ 素晴らしく歩きやすい。
岩場度 ★★★☆☆ 山荘直前ではなかなかの岩場を登らせられる。あと、槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳は岩場度は100%。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ まったくないと言ってよい。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ まったくない
虫うっとうしい度 ★★☆☆☆ 多少、虫はいる。
展望度 ★★★★★ 天気にもよるだろうが、素晴らしい展望が得られた。
駐車場アクセス度 ★★★★★ (駐車場へのアクセスは素晴らしい・・・あかんだな駐車場。ただ、そこからバスに乗って上高地バスターミナルにまで移動しなくてはならない)
トイレ充実度 ★★★★★ (コース沿いに多くの山荘、テント場があり、トイレには困らない)
下山後の温泉充実度 N/A (このコースでは下山しなかった)
安全度 ★★★★☆ 登山道は非常に安全で怪我をするようなところはないが、登山客が多く、またマナーをあまり理解していない素人登山者が外国人を含めて多いので、その点は問題。
<飛騨沢コース>
登山道整備度 ★★★☆☆ 登山道は整備されているが、多少、歩きにくいところが数カ所散見される。
岩場度 ★★★★☆ 下山直後はなかなかの岩場を下らせられる。
登山道ぬかるみ度 ★☆☆☆☆ 樹林帯に入った後、多少ある。
登山道笹度 ★★★☆☆ 樹林帯に入った後は、熊笹が結構、生えており歩きにくい箇所が数カ所ある。
虫うっとうしい度 ★★★☆☆ 樹林帯に入った後は、虫が多少、鬱陶しい。虫除けスプレーを使った。
展望度 ★★★☆☆ 樹林帯に入るまでは素晴らしいが、樹林帯に入ると、展望はあまり得られなくなる。
駐車場アクセス度 ★★★★★ (駐車場へのアクセスは文句なし。ただ、駐車場から登山口までは結構、距離がある)
トイレ充実度 ★★★☆☆ (コース沿いに幾つかの山荘、テント場があり、これらでトイレを使えるが、そうでないところは多少、困るかもしれない)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (新穂高温泉の温泉は相当、いいのではと個人的には考えている)
安全度 ★★★☆☆ 危険箇所は特にはないが、浮き石、濡石などで足を掬われる可能性がある。
最近、単独行が多いが、槍ヶ岳は会社時代の友人と二人で行くことにした。この友人は、もうベテランの域に達しており、パートナーとしては大変心強い。しかも、彼は松本にアパートを借りているので、前泊、後泊を彼の家でさせてもらった。前回、下山後、一挙に帰るのは体力的に厳しかったこともあったので後泊させてもらうことは有り難い。
さて、登山ルートであるが、一日目は上高地バスターミナルからインし、槍沢コースで槍沢ロッジにて一泊。そして、二日目に槍ヶ岳山荘にて荷物を置き、槍ヶ岳にチャレンジ。その後、槍ヶ岳山荘にて泊まり、三日目は飛騨沢コースを下り、新穂高温泉にてアウトというものにした。そのため、友人の車と私の車とをそれぞれ出し、まずは友人の車を新穂高温泉の無料駐車場に駐め、私の車で二人であかんだな駐車場まで移動。私の車はあかんだな駐車場にて駐車し、そこからバスで上高地バスターミナルにまで移動した。あかんだな駐車場は8時20分発のバスに乗ることができ、8時50分に上高地バスターミナルに到着する。
登山開始は9時ちょうど。すぐ河童橋に着く。穂高の山々の展望が素晴らしい。そこからは、梓川に沿って気持ちのよいカラマツ林の中を歩いて行く。明神を通過するのは9時50分。梓川の灰色がかったエメラルド・グリーンの色が美しい。そして、徳沢に到着するのが11時。ここのミチクサ食堂で、昼食を取る。私が注文したのは、窯焼きのピザ。取り立てて美味しくはないが、大自然の中なので、その見えないスパイスで美味しく感じられるので、お店的には得である。

<河童橋の美しい景色を見ながら登山をスタートする>

<いきなり美しい森の中を歩いて行く>

<登山道は梓川に沿って設けられていて、気持ちがよい>

<ミチクサ食堂>

<ミチクサ食堂で注文したピザ>
さて、45分ぐらい休憩した後、また歩を進める。横尾山荘に到着したのは12時25分。ここはそのままスルーする。横尾まではほぼ平らな散歩道のようであったが、徐々に山道っぽくなってくる。槍ヶ岳が初めてその姿を現す槍見河原に到着したのは13時20分。そこから15分ぐらい歩くと一ノ沢に架かる木橋がある。この橋の麓でちょっと休憩をする。ここからは登りもだんだん増してくる。槍沢ロッジに到着したのは14時20分。一日目は登山道は極めて歩きやすく、ほどよい疲労感が溜まるぐらいであった。槍沢ロッジはなんと入浴ができる。15時から数時間だけだが、この入浴ができるというのは本当に有り難い。石鹸やシャンプーは使えないが、それでも疲れた筋肉をほぐすことができる。入浴後、夕食までに生ビールを飲む。生ビールは1000円と高額だが、溜まらなく美味い。生きていることが嬉しくなるような時間だ。夕食は17時からである。この宿はヘリコプターで物資が運ばれるので、夕食も豪華だ。唐揚げ、豆腐ハンバーグ、キャベツレタス、さつまいも、きんぴらゴボウ、ほうれん草と栄養のバランスも取れている。

<横尾山荘>

<槍見河原から槍ヶ岳を望む>

<谷に流れ込む瀬が登山者の目を楽しませる>

<一ノ沢>

<槍沢ロッジ>

<槍沢ロッジは清潔感のある山小屋。入浴もできるし、充電もできる>

<槍沢ロッジでの夕食>
この日は夕食を取ったらすぐ18時ぐらいに寝る。さて、ここで3時ぐらいに起きられればいいのだが、起きたら0時ちょっと過ぎであった。これはロッジが暑すぎたからである。流石に早すぎるので、ふとんの中でもんもんと過ごす。3時ぐらいになると、さすがに人々が動き始め、4時頃には床を出る。パッキングを終えて5時の朝食後、5時30分に出発する。ちなみに朝食も塩鮭や海苔などもあって豪華であった。槍沢ロッジも既に標高が1820メートルあるのだが、これから槍ヶ岳山頂の3180メートルを目指さなくてはならない。これはなかなかの標高差だ。ということでゆっくりと登っていく。しばらく歩くとババ平というテント場に着く。ここらへんはずっと槍沢沿いに深い谷を登っていく。水俣乗越は6時40分。天狗原分岐は7時30分頃。この頃になると、随分と下山する登山者と道を譲り、譲られで登っていくことになる。インバウンドの登山者も多いが、台湾から来たと思しき中年の女性カップルがいきなり登っている私にリュックでぶつかってきた。思わず「痛い!」と言うと、後続の仲間の女性が私を睨んできた。どうも「登り優先」という認識を持っていないようだ。台湾の若い男性はそこらへんがしっかりと対応できているので、まあ、例外的なケースなのかもしれないが、不快な思いをする。

<ババ平や槍沢ロッジから30分ぐらい歩いたところにある>
ジグザグのレキの坂道が続くが、それほど厳しくはない。ゆっくりと一歩一歩、確かめるように高度を上げていく。9時頃には目の前に槍ヶ岳が屹立するのが望め、登ろうという意思を強化させてくれる。坊主の岩には9時20分頃に到着。ちょっと休憩をして、山荘までの厳しい坂道を上がっていく。槍ヶ岳山荘に着いたのは11時10分。槍ヶ岳はもう目前に聳え立っている。この山荘からは、もう絶景をみることができる。

<ジグザグのレキ道を登っていく>

<槍ヶ岳が姿を現すと、スタミナ・ドリンクを飲んだように元気が出てくる>


<とはいえ、最後の小一時間は標高も高いこともあり相当、厳しい>
さて、いつもは1000メートルを登ると太股の筋肉が痙攣するのがほぼ習慣となっているのだが、今回はまったくピキキの「ピ」の字もないように上手く登っていくことができた。昨日、ロッジで入浴して筋肉をしっかりと解せたからかもしれない。
山荘に荷物を置き、昼食を取り(レトルトのカレーライス)、軽装になって山頂を目指す。カメラも持って行くのを止めて、携帯のカメラで撮るようにする。山荘から山頂までは98メートル。これはほぼ垂直という感じで、はしごと鎖場を登っていく。ただ、個人的にははしごと鎖場はむしろ楽で、それらがない時に、しっかりとどこに足場とするのかを判断する方が難しかった。見るからに登山経験が浅い若者のグループが先に登っていたのでやたら時間がかかった。これは、山頂の面積が狭いので頂上にいられる人の数が限られているからだ。しかし、天気がよいので、待っているのはそれほど苦痛ではなく、寒くもなかった。とはいえ、天気が悪かったら、このはしご待ちなどは厳しいだろう。さて、山頂には山荘を発って30分ほどで到着。その展望は素晴らしいに尽きる。ただ、携帯カメラは画面が暗すぎて、操作をすることができず、頂上の写真は友人の携帯カメラで撮影してもらった。

<槍ヶ岳山荘>

<槍ヶ岳山荘から常念岳を望む>

<岩にへばりついているように山頂を目指す登山者達>

<山頂での記念写真>
下りも前述した若者グループがぐずぐずしているので時間はかかった。まあ、しかし、他人のことはいえないが、登山経験が浅くて槍ヶ岳に来るのは無謀だと思う。今日のように天気がよければそれほど危険ではないかもしれないが、ちょっとでも条件が悪かったら結構、危ないと思う。
さて、山荘に戻ったのは13時30分頃であった。夕食は17時ということもあり、どっと疲れも出てきたので一眠りをしてしまった。これがいけなかった。というのは、起きたら頭痛がしたからだ。これは高山病か?と心配になる。どうも、高度に慣れないうちに寝てしまうのは高山病になるから、してはいけないことのようだ。そうでなくても高山病になりやすい質なのに愚かである。しかし、深呼吸をゆっくりと何回かしたら徐々に治ってきた。友人が麦酒でも呑もうか、と言ってちょっと躊躇したが、どうもおしゃべりは高山病にはいいらしいので、ゆっくりと生ビールを飲むことにする。これは結果的に大丈夫であった。そして、夕食を食べて、ちょっと談話室で時間を潰し20時頃に就寝する。とはいえ、この日も1時前に起きてしまった。なんか睡眠のリズムが今ひとつになっている。
4時頃に起床し、パッキングをして、明るくなってきた4時30分頃から日の出を見ようと外にでる。見事な朝焼けであるが、どうも槍ヶ岳が邪魔になってアングル的に日の出は見られないようだ。そばで立っているオジさんにそれを確認すると、「そればかりはしょうがない」と言われる。それで、山荘に戻ったのだが、実際は見られたようだ。こういう適当なことを言う輩には気をつけないといけない、ということを還暦になって再認識する。5時からは朝食。この山荘もヘリコプターで物資を運ぶだけあって贅沢だ。オクラ、焼き魚、ソーセージ、きんぴらゴボウ、卵焼き、お新香がつく。ここはご飯だけでなく、お味噌汁がお代わり自由なところが嬉しい。

<徐々に明るくなってくる空に映える槍ヶ岳>
5時40分には出発する。下りは飛騨沢コースを選んだ。常念岳や乗鞍、笠ヶ岳といった近場の山だけでなく、八ヶ岳や富士山までもを展望することができる。素晴らしい天気の中、標高を下げていく。キャンプ場の中を歩いて、少し行くと大喰岳と槍ヶ岳の鞍部にある飛騨乗越に着く。ここからは、レキの急坂をジグザグに下りていく。笠ヶ岳、さらには黒部五郎岳、白山を展望するという絶景の中をゆっくりと膝を痛めないように気をつけて下りていく。千丈沢乗越との分岐点は7時に通過する。そして、しばらく行くと飛騨沢が右手を流れ始める。その後は、樹林帯に入る。この樹林帯はずっと新穂高温泉まで続いていく。樹林帯の中は日影であり、その点ではとても有り難いが、展望も得られず、ひたすら歩いて行かなくてはならない。まあまあ、退屈である。とはいえ、集中を切らすと浮き石とかを踏んだり、濡れた岩で滑ったりするので油断はできない。

<槍ヶ岳山荘からは富士山をも展望できた>

<山荘からの笠ヶ岳の雄姿>

<飛騨乗越から八ヶ岳を望む>

<飛騨沢コースは途中から樹林帯をひたする歩くことになる>
槍平に到着したのは9時ちょうど。ここでゆっくりと休む。槍平小屋ではコーヒー・バッグではあるがコーヒーを呑めたりするのは嬉しい。ここの標高は1990メートル。1000メートルは下りたが、さらに900メートルは下りなくてはならない。うーむ、なかなか厳しい。

<槍平山荘>
とはいえ、結果的に槍平小屋から新穂高温泉までの下りはそれほど厳しいと感じるものではなかった。ただ、疲労から踏ん張りが効かなくなっているので、その点だけが辛かった。時折、沢を越える時は気をつけないといけないが、それ以外は敢えて危険箇所はなかった。そして13時には穂高平小屋に到着する。ここで中華麺を食べる。中華麺は本当、チャーシューとメンマと葱という非常にシンプルなものだが、炭水化物を欲している身体には嬉しい。穂高平小屋からは近道があったが、あまり管理がされていないということと、5分ぐらいしか短縮できないということで、遠回りではあるが林道を歩いて戻る。新穂高温泉に到着したのは13時30分頃であった。新穂高温泉に置いてあった友人の自動車に同乗し、そのままあかんだな駐車場に行く。そこで自分の自動車を拾い、松本へ。槍ヶ岳に登頂し、無事に下山できた満足感が身体を包む。登山の醍醐味である。

<幾つかの沢を越えて、新穂高温泉に向かう>

<穂高平小屋での中華麺>
さて、飛騨沢コースであるが、メリットとしては、槍沢コースに比べると標高差はあるが、距離は短い。また、バスに乗らずに自家用車のあるところまでそのまま下りることができるといった利点がある。加えて、槍沢コースに比べると登山者が圧倒的に少ない。これは、自分のペースで歩けるということだ。一方、デメリットとしては、槍沢コースに比べると圧倒的に歩きにくい。熊笹などの沿道の草木はある程度、手入れはされているが、それでもしょっちゅう身体に当たり、気になる。さらに景色は槍沢コースの方が圧倒的に優れている。水場も多く、歩いて楽しいのは圧倒的に槍沢コースの方だ。槍沢コースはしょっちゅう山小屋が出てくるのも嬉しい。ということで、特に登りは槍沢コースを行くのをお勧めする。ただ、下りは自家用車の駐車場に時間を気にしないでアプローチできるなど、状況に応じては選択肢に入れてもいいかもしれない。あと、登山ピーク時は槍沢コースの混み具合は相当、ストレスになるかもしれないので、こちらを選択肢に入れておいてもいいであろう。
<槍沢コース>
登山道整備度 ★★★★★ 素晴らしく歩きやすい。
岩場度 ★★★☆☆ 山荘直前ではなかなかの岩場を登らせられる。あと、槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳は岩場度は100%。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ まったくないと言ってよい。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ まったくない
虫うっとうしい度 ★★☆☆☆ 多少、虫はいる。
展望度 ★★★★★ 天気にもよるだろうが、素晴らしい展望が得られた。
駐車場アクセス度 ★★★★★ (駐車場へのアクセスは素晴らしい・・・あかんだな駐車場。ただ、そこからバスに乗って上高地バスターミナルにまで移動しなくてはならない)
トイレ充実度 ★★★★★ (コース沿いに多くの山荘、テント場があり、トイレには困らない)
下山後の温泉充実度 N/A (このコースでは下山しなかった)
安全度 ★★★★☆ 登山道は非常に安全で怪我をするようなところはないが、登山客が多く、またマナーをあまり理解していない素人登山者が外国人を含めて多いので、その点は問題。
<飛騨沢コース>
登山道整備度 ★★★☆☆ 登山道は整備されているが、多少、歩きにくいところが数カ所散見される。
岩場度 ★★★★☆ 下山直後はなかなかの岩場を下らせられる。
登山道ぬかるみ度 ★☆☆☆☆ 樹林帯に入った後、多少ある。
登山道笹度 ★★★☆☆ 樹林帯に入った後は、熊笹が結構、生えており歩きにくい箇所が数カ所ある。
虫うっとうしい度 ★★★☆☆ 樹林帯に入った後は、虫が多少、鬱陶しい。虫除けスプレーを使った。
展望度 ★★★☆☆ 樹林帯に入るまでは素晴らしいが、樹林帯に入ると、展望はあまり得られなくなる。
駐車場アクセス度 ★★★★★ (駐車場へのアクセスは文句なし。ただ、駐車場から登山口までは結構、距離がある)
トイレ充実度 ★★★☆☆ (コース沿いに幾つかの山荘、テント場があり、これらでトイレを使えるが、そうでないところは多少、困るかもしれない)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (新穂高温泉の温泉は相当、いいのではと個人的には考えている)
安全度 ★★★☆☆ 危険箇所は特にはないが、浮き石、濡石などで足を掬われる可能性がある。
トランクルームは上手く使うとなかなか便利だ [都市デザイン]
トランクルームを初めて使ってみた。それまでは、トランクルームを使わなくてはいけないほど物を買うなよな、みたいな気持ちだったのだが、秋からベルリンに一年ほど行くことになり、急遽、京都で借りていた賃貸長屋から引っ越すことになった。家具を置くための算段をしていて、同僚や研究室の学生の家に置かせてもらおうかと考えたが、なかなかそれも迷惑をかけることになるな、と思い、トランクルームを使った方がいいだろうと判断したのだ。
さて、トランクルームもいろいろとあることが分かった。京都を縄張りに営業している某不動産会社のトランクルームが自分の賃貸長屋の目の前にあるので、そこを借りようとして電話で問い合わせをしたら、申込書を送って欲しいと言う。面倒臭いな、と思いつつ申込書を記入しようとしたら、保証人の情報まで要求してくる。たかが、月1万円もしないようなトランクルームの契約に保証人を要求してくることや、電話で連絡してから申込書がメイルで送られるのが遅かったので、全国展開しているハローストレージの在庫をネットで調べたら、やはり賃貸長屋のすぐそばにあった。しかも、これはそのままネットで契約を結べることが分かり、遥かに簡単な手続きで済むのでそこを予約した。予約した日の前日には鍵が宅急便で届く。1畳ちょっとではあるが、ベッドのマットレス、ベッド、冷蔵庫、食器棚と布団類をすべて入れ込むことができた。屋内であり、環境もそれほど悪くなさそうだ。
ということで、なかなか使い勝手がよさそうで今のところ満足である。東京の実家も荷物が多く、どう処分するか考えなくてはいけなかったのだが、これもとりあえずトランクルームに入れることを前向きに検討したいと考えている。いやあ、思ったより便利な土地の使い方かもしれない。
さて、トランクルームもいろいろとあることが分かった。京都を縄張りに営業している某不動産会社のトランクルームが自分の賃貸長屋の目の前にあるので、そこを借りようとして電話で問い合わせをしたら、申込書を送って欲しいと言う。面倒臭いな、と思いつつ申込書を記入しようとしたら、保証人の情報まで要求してくる。たかが、月1万円もしないようなトランクルームの契約に保証人を要求してくることや、電話で連絡してから申込書がメイルで送られるのが遅かったので、全国展開しているハローストレージの在庫をネットで調べたら、やはり賃貸長屋のすぐそばにあった。しかも、これはそのままネットで契約を結べることが分かり、遥かに簡単な手続きで済むのでそこを予約した。予約した日の前日には鍵が宅急便で届く。1畳ちょっとではあるが、ベッドのマットレス、ベッド、冷蔵庫、食器棚と布団類をすべて入れ込むことができた。屋内であり、環境もそれほど悪くなさそうだ。
ということで、なかなか使い勝手がよさそうで今のところ満足である。東京の実家も荷物が多く、どう処分するか考えなくてはいけなかったのだが、これもとりあえずトランクルームに入れることを前向きに検討したいと考えている。いやあ、思ったより便利な土地の使い方かもしれない。
タグ:トランクルーム
鳳凰三山(百名山60座登頂) [日本百名山]
山梨県の南アルプスにある鳳凰三山に登る。前日の夜に韮崎まで行き、そこのシティ・ホテルに泊まる。東京から韮崎まで自動車で渋滞しなければ2時間で着く。2時間のためにわざわざ行くか、という指摘もあるかもしれないが、この2時間は結構、貴重である。それだけ早く登山を開始できるということもあるが、早朝に東京を出ることになると睡眠がどうしても不足する。この睡眠不足は登山のコンディショニングの悪化にも繋がるからだ。翌日、韮崎のホテルを発ったのは5時30分。そこから登山口である青木鉱泉にまで1時間ほどかかる。意外と遠い。途中、セブンイレブンにてお昼や水などを購入したこともあり、青木鉱泉の駐車場を出発したのは7時10分頃になってしまっていた。青木鉱泉の駐車場は有料で一日800円、一泊二日だと1600円ほどになる。

<青木鉱泉の駐車場から登山口へアプローチするところ>

<青木鉱泉・・敢えて入浴する価値はないかも>
採用したルートは上りがドンドコ沢コースで、下りが中道である。ドンドコ沢コースは渓谷沿いにカバの樹林帯を登っていき、とても気持ちがいい。丹沢の植林された杉林の中を歩くのとはまったく違い、爽快な気分で歩を進めていける。このドンドコ沢コース、途中で3つの落差のある滝を楽しめる。頑張って10分ほど横道に逸れて歩けば4つ(鳳凰の滝)目も見られるが、体力に自信のない自分はそれはやめてひたすら高度を稼いでいくことに専念する。とはいえ、下から順番に現れる南精進ヶ滝、白糸ノ滝、五色ノ滝は素晴らしく、これらの滝を見るためだけに登る価値があるとさえ思える。そして、これらの滝は苦しい上りを忘れさせてくれるご褒美のような効果があるのと同時に、ペース・コントロールにも役立つ。この登山道は素晴らしい。南精進ヶ滝は9時10分、白糸ノ滝は11時10分、五色ノ滝は12時頃に通過する。

<ドンドコ沢は沢沿いに登山道が整備されている>

<渓流沿いの登山道は涼しく、また水の流れが目を楽しませてくれるので飽きない>

<南精進ヶ滝>

<白糸ノ滝>

<五色ノ滝>
ただ、坂は厳しく、1000メートルほど登ったところぐらいで太股のピキキ状態が始まる。太股が攣ると不味いので、だましだまし登っていく。どうにかピキキ状態だけで、鳳凰山荘に着く。到着は13時10分。ほぼ青木鉱泉から鳳凰山荘まで6時間。なかなか古い感じの山小屋だ。ここで荷物を置き、軽装になった状態で鳳凰三山の一つ、地蔵岳にチャレンジする。地蔵岳までの道は途中から相当の急斜面の砂礫になる。私はストックを持っていたからよかったが、なかったらなかなか登ることさえ難しかったであろう。地蔵岳に着いたのは14時20分。ただ、残念ながらもうガスが発達していたので南アルプス側はほとんど何もみられない。どうもお昼ぐらいからガスが出るので、早朝に登るのが展望を得るためのポイントのようだ。上りと違って下りは、砂礫は楽だ。15時過ぎには山荘に戻る。夕食は17時過ぎ。カレーライス。お代わり自由ということで、お代わりをもらう。流石に体力は相当、なくなっている。18時には就寝する。

<山荘付近から地蔵岳を望む>

<地蔵岳までのアプローチは途中から砂礫。これを登るのは大変だ。ストックは必須であろう>

<地蔵岳の山頂>
2日目は1時には目が覚める。しばらく、布団の中でじっとしていたが、周りが起き始めた3時に起床。朝ご飯の代わりにもらったお弁当を布団の上で静かに食べて、出発する準備を整える。ただ、なかなか明るくならないので、じっと山小屋で出発を我慢する。どうやら、足下が見えるぐらい明るくなった4時15分に出発。観音岳に向かう。まだ太陽は出てないが、4時40分頃から太陽がのぼり始め、森が赤く染まっていく。写真を撮影したが、まるでフィルターをかけたかのような美しい色彩にちょっと神秘的なものさえ感じる。

<4時30分頃には朝焼けの空が明るんでいく>

<朝日の色で妖しいような赤味を帯びていく森の木々達>

<石楠花の花が咲き誇っている>
観音岳までの道のりもなかなか厳しい。山荘から450メートルは登らなくてはならない。ただ、雲一つない晴天のもとでの山行は爽快である。すがすがしい気持ちの中で歩いて行くと尾根の分岐点に着く。5時30分だ。地蔵岳、北岳、仙丈ヶ岳の勇壮なる山容が眼前に広がる。ここからは、薬師岳まで尾根を歩いて行く。尾根道は岩場の連続ではあるが、360度の雄大な展望を眺めつつ歩くのはなんともすがすがしい気持ちになる。登山のまさに醍醐味である。ある程度、歩くと甲斐駒ヶ岳の雄姿も展望できるようになる。そして、前方には富士山が姿を見せる。逆光でみる富士山はとても神々しい。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、塩見岳、そして富士山という名だたる百名山の揃い踏みである。天気がよくて本当に有り難い。鳳凰三山、最高峰である観音岳に到着したのは6時20分。ここでちょっとお昼ご飯を食べて、薬師岳に向かう。薬師岳の到着時刻は7時20分。ここはあまり休まずに、そのまま中道を降りていく。中道はドンドコ沢とは違って森林の中を歩いて行く。木陰の中を歩いて行くのでそれなりに快適ではあるが、ドンドコ沢のようなドラマはない。ただ、急坂なのでくれぐれも膝に来ないように慎重にゆっくりと下りていく。御座石という巨石に到着したのは8時35分。さらに、なんか下山であるにも関わらず、へばってきたこともあり、休憩を頻繁に入れて下りていったら、登山口に着いたのが11時30分。ここから青木鉱泉までは道路を歩いて行く。幸い、自動車とはまったく出会わずに済んだ。この道路のルートも木陰が多く、渓流沿いであったためにそれなりに楽しみながら歩くことができた。そして、青木鉱泉の駐車場に到着したのが12時18分。いつものようにコースタイムより下山はちょっと時間がかかる。

<甲斐駒ヶ岳の雄姿。右に見えるのは地蔵岳>

<北岳と間ノ岳>

<仙丈ヶ岳>

<富士山>

<鳳凰三山の最高峰である観音岳>

<北岳と仙丈ヶ岳>

<薬師岳の山頂>

<御座石という巨石>

<中道登山口。ここからは車道を歩いて青木鉱泉に戻る>

<車道はしかし、それほど歩きにくくはなく、比較的快適であった>
青木鉱泉の事務所まで行き、未払いであった駐車場代を支払い、ついでに青木鉱泉に入浴した。ここは入浴料が1000円と高額であるにも関わらず、施設は老朽化しており、温泉のような身体を温めるような効能もなく、しかも手拭いも売っておらず、色々な意味で今ひとつであった。これは、今回の登山の唯一といっていいほどの残念な点であった。
登山道整備度 ★★★★☆ 素晴らしく歩きやすい。ただ、尾根道の岩のぼりは歩きにくい。
岩場度 ★★★☆☆ ドンドコ沢の鳳凰山荘手前、また観音岳の手前に岩場がある。鎖とかはなく、そういう意味で決して難しくはない。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ まったくないと言ってよい。ただ、これはたまたま晴れの日が続いただけかもしれない。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ まったくない
虫うっとうしい度 ★★★☆☆ ドンドコ沢は少なく、ほとんど気にならない。むしろ鳳凰三山の尾根道は石楠花が咲いていたこともあり、アブ類が多く、鬱陶しかった。あと、中道はアブ、蜂らしきものに絡まれた。
展望度 ★★★★★ ガスが発達する前に登ったこともあり、鳳凰三山、特に観音岳からの展望は絶景。
駐車場アクセス度 ★★★☆☆ (駐車場への道は未舗装で狭いところもあるが、危険ではない)
トイレ充実度 ★★★☆☆ (登山道の入り口にはしっかりとトイレがある)
下山後の温泉充実度 ★☆☆☆☆ (青木鉱泉はあるが、ちょっと運転して他の温泉に行くことをお勧めする)
安全度 ★★★★☆ 登山道はほぼ安全ではあるが、個人的には体力的にハードであった

<青木鉱泉の駐車場から登山口へアプローチするところ>

<青木鉱泉・・敢えて入浴する価値はないかも>
採用したルートは上りがドンドコ沢コースで、下りが中道である。ドンドコ沢コースは渓谷沿いにカバの樹林帯を登っていき、とても気持ちがいい。丹沢の植林された杉林の中を歩くのとはまったく違い、爽快な気分で歩を進めていける。このドンドコ沢コース、途中で3つの落差のある滝を楽しめる。頑張って10分ほど横道に逸れて歩けば4つ(鳳凰の滝)目も見られるが、体力に自信のない自分はそれはやめてひたすら高度を稼いでいくことに専念する。とはいえ、下から順番に現れる南精進ヶ滝、白糸ノ滝、五色ノ滝は素晴らしく、これらの滝を見るためだけに登る価値があるとさえ思える。そして、これらの滝は苦しい上りを忘れさせてくれるご褒美のような効果があるのと同時に、ペース・コントロールにも役立つ。この登山道は素晴らしい。南精進ヶ滝は9時10分、白糸ノ滝は11時10分、五色ノ滝は12時頃に通過する。

<ドンドコ沢は沢沿いに登山道が整備されている>

<渓流沿いの登山道は涼しく、また水の流れが目を楽しませてくれるので飽きない>

<南精進ヶ滝>

<白糸ノ滝>

<五色ノ滝>
ただ、坂は厳しく、1000メートルほど登ったところぐらいで太股のピキキ状態が始まる。太股が攣ると不味いので、だましだまし登っていく。どうにかピキキ状態だけで、鳳凰山荘に着く。到着は13時10分。ほぼ青木鉱泉から鳳凰山荘まで6時間。なかなか古い感じの山小屋だ。ここで荷物を置き、軽装になった状態で鳳凰三山の一つ、地蔵岳にチャレンジする。地蔵岳までの道は途中から相当の急斜面の砂礫になる。私はストックを持っていたからよかったが、なかったらなかなか登ることさえ難しかったであろう。地蔵岳に着いたのは14時20分。ただ、残念ながらもうガスが発達していたので南アルプス側はほとんど何もみられない。どうもお昼ぐらいからガスが出るので、早朝に登るのが展望を得るためのポイントのようだ。上りと違って下りは、砂礫は楽だ。15時過ぎには山荘に戻る。夕食は17時過ぎ。カレーライス。お代わり自由ということで、お代わりをもらう。流石に体力は相当、なくなっている。18時には就寝する。

<山荘付近から地蔵岳を望む>

<地蔵岳までのアプローチは途中から砂礫。これを登るのは大変だ。ストックは必須であろう>

<地蔵岳の山頂>
2日目は1時には目が覚める。しばらく、布団の中でじっとしていたが、周りが起き始めた3時に起床。朝ご飯の代わりにもらったお弁当を布団の上で静かに食べて、出発する準備を整える。ただ、なかなか明るくならないので、じっと山小屋で出発を我慢する。どうやら、足下が見えるぐらい明るくなった4時15分に出発。観音岳に向かう。まだ太陽は出てないが、4時40分頃から太陽がのぼり始め、森が赤く染まっていく。写真を撮影したが、まるでフィルターをかけたかのような美しい色彩にちょっと神秘的なものさえ感じる。

<4時30分頃には朝焼けの空が明るんでいく>

<朝日の色で妖しいような赤味を帯びていく森の木々達>

<石楠花の花が咲き誇っている>
観音岳までの道のりもなかなか厳しい。山荘から450メートルは登らなくてはならない。ただ、雲一つない晴天のもとでの山行は爽快である。すがすがしい気持ちの中で歩いて行くと尾根の分岐点に着く。5時30分だ。地蔵岳、北岳、仙丈ヶ岳の勇壮なる山容が眼前に広がる。ここからは、薬師岳まで尾根を歩いて行く。尾根道は岩場の連続ではあるが、360度の雄大な展望を眺めつつ歩くのはなんともすがすがしい気持ちになる。登山のまさに醍醐味である。ある程度、歩くと甲斐駒ヶ岳の雄姿も展望できるようになる。そして、前方には富士山が姿を見せる。逆光でみる富士山はとても神々しい。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、塩見岳、そして富士山という名だたる百名山の揃い踏みである。天気がよくて本当に有り難い。鳳凰三山、最高峰である観音岳に到着したのは6時20分。ここでちょっとお昼ご飯を食べて、薬師岳に向かう。薬師岳の到着時刻は7時20分。ここはあまり休まずに、そのまま中道を降りていく。中道はドンドコ沢とは違って森林の中を歩いて行く。木陰の中を歩いて行くのでそれなりに快適ではあるが、ドンドコ沢のようなドラマはない。ただ、急坂なのでくれぐれも膝に来ないように慎重にゆっくりと下りていく。御座石という巨石に到着したのは8時35分。さらに、なんか下山であるにも関わらず、へばってきたこともあり、休憩を頻繁に入れて下りていったら、登山口に着いたのが11時30分。ここから青木鉱泉までは道路を歩いて行く。幸い、自動車とはまったく出会わずに済んだ。この道路のルートも木陰が多く、渓流沿いであったためにそれなりに楽しみながら歩くことができた。そして、青木鉱泉の駐車場に到着したのが12時18分。いつものようにコースタイムより下山はちょっと時間がかかる。

<甲斐駒ヶ岳の雄姿。右に見えるのは地蔵岳>

<北岳と間ノ岳>

<仙丈ヶ岳>

<富士山>

<鳳凰三山の最高峰である観音岳>

<北岳と仙丈ヶ岳>

<薬師岳の山頂>

<御座石という巨石>

<中道登山口。ここからは車道を歩いて青木鉱泉に戻る>

<車道はしかし、それほど歩きにくくはなく、比較的快適であった>
青木鉱泉の事務所まで行き、未払いであった駐車場代を支払い、ついでに青木鉱泉に入浴した。ここは入浴料が1000円と高額であるにも関わらず、施設は老朽化しており、温泉のような身体を温めるような効能もなく、しかも手拭いも売っておらず、色々な意味で今ひとつであった。これは、今回の登山の唯一といっていいほどの残念な点であった。
登山道整備度 ★★★★☆ 素晴らしく歩きやすい。ただ、尾根道の岩のぼりは歩きにくい。
岩場度 ★★★☆☆ ドンドコ沢の鳳凰山荘手前、また観音岳の手前に岩場がある。鎖とかはなく、そういう意味で決して難しくはない。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ まったくないと言ってよい。ただ、これはたまたま晴れの日が続いただけかもしれない。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ まったくない
虫うっとうしい度 ★★★☆☆ ドンドコ沢は少なく、ほとんど気にならない。むしろ鳳凰三山の尾根道は石楠花が咲いていたこともあり、アブ類が多く、鬱陶しかった。あと、中道はアブ、蜂らしきものに絡まれた。
展望度 ★★★★★ ガスが発達する前に登ったこともあり、鳳凰三山、特に観音岳からの展望は絶景。
駐車場アクセス度 ★★★☆☆ (駐車場への道は未舗装で狭いところもあるが、危険ではない)
トイレ充実度 ★★★☆☆ (登山道の入り口にはしっかりとトイレがある)
下山後の温泉充実度 ★☆☆☆☆ (青木鉱泉はあるが、ちょっと運転して他の温泉に行くことをお勧めする)
安全度 ★★★★☆ 登山道はほぼ安全ではあるが、個人的には体力的にハードであった
広末涼子の不倫報道の多さは異様だ [その他]
広末涼子の不倫報道がマスコミを騒がせている。もう、まるで鬼の首を取ったようなバッシングである。しかし、不倫は犯罪ではない。それは、社会的モラルに反するかもしれないし、家族(特に配偶者)にとっては衝撃的な裏切り行為かもしれないが、それは家族の問題であるし、それを外部の者が「とんでもない」と論じるようなものではないと思う。
いろいろと広末涼子を非難している芸能人達も、そんなに立派な清廉潔白な生活をしているのだろうか。私の学生時代の知り合いや、会社時代の同僚とかでも、そういういわゆる不貞話は男女を問わず少なくない。それが発覚して離婚に至る場合もあるし、そうでない場合もある。みんな、そんなに聖人君子として生きている訳ではないと思う。
それであるにも関わらず、今回の広末涼子のバッシングは尋常ではない。広末涼子は非常に面白い芸能人だと思う。まず、周りに合わせるのではなく、自分の感情とかに非常に正直である。決して受験勉強とかができる訳ではないのに(土佐女子を受験して落ちているそうだ)、早稲田とかに入ろうとするのは、自己肯定感が強いからであろう。恋愛も自己肯定感を満足させてくれる。ただ、大学受験も恋愛もそうだが、成就した後は、それほどは楽しくない。したがって、退学するし、恋愛も長続きしない。ただ、その何かを得ようとするプロセス時の自己肯定感に支えられるドライブのようなものに惹かれるタイプなのではないかと思う。それはあまり長期的には建設的ではないかもしれないが、刹那的な幸福感を積み重ねる生き方をしている人は、特に芸能人には数多くいる。広末涼子もそういうタイプなのではないか、と思う。
もう一つの広末涼子の特徴は、グローバルな大美人であるということだ。22歳でフランス映画「Wasabi」でジャン・レノと共演した、という実績は凄いものがある。世界的に通用する器である。このような美貌の女性が好色であったら、それは人類史的にみてもやりたい放題なことをしてきている。ちょっと前のヨーロッパだったら、広末を求める男性陣がしょっちゅう決闘をしていたような玉なのである。実際、今回の浮気相手も広末涼子に言い寄られて舞い上がっていた、と週刊誌に書かれていたが、その気持ちは分かる。
広末涼子は一般人ではなく、芸能人であるし、凄まじいほどの美貌の持ち主である。それを一般人の価値観で当て嵌めて、けしからんとか言うのは間違っていると思う。いや、自分の妹や娘だったりしたら、それは間違っている、と言うだろう。しかし、芸能人であるのだから、一般人とは違っていろいろと正直に生きていけばいいと思うのである。それに苦しむのは家族ぐらいなのだから。まあ、家族には同情するが、広末涼子の家族を私は知らないし。あと、浮気相手のシェフこそ、けじめをつけるべきだと思う。広末涼子がすべての元凶のような報道のされ方にも違和感を覚える。
何か、広末涼子の異様なバッシングには裏があるな。周防社長の恨みがまだ長引いているのか。どちらにしろ、この裏が匂うところが、今回の件の嫌な感じのするところであり、また、こういう「溺れる犬を棒で叩く」的な日本社会の陰湿さには虫酸が走る。
いろいろと広末涼子を非難している芸能人達も、そんなに立派な清廉潔白な生活をしているのだろうか。私の学生時代の知り合いや、会社時代の同僚とかでも、そういういわゆる不貞話は男女を問わず少なくない。それが発覚して離婚に至る場合もあるし、そうでない場合もある。みんな、そんなに聖人君子として生きている訳ではないと思う。
それであるにも関わらず、今回の広末涼子のバッシングは尋常ではない。広末涼子は非常に面白い芸能人だと思う。まず、周りに合わせるのではなく、自分の感情とかに非常に正直である。決して受験勉強とかができる訳ではないのに(土佐女子を受験して落ちているそうだ)、早稲田とかに入ろうとするのは、自己肯定感が強いからであろう。恋愛も自己肯定感を満足させてくれる。ただ、大学受験も恋愛もそうだが、成就した後は、それほどは楽しくない。したがって、退学するし、恋愛も長続きしない。ただ、その何かを得ようとするプロセス時の自己肯定感に支えられるドライブのようなものに惹かれるタイプなのではないかと思う。それはあまり長期的には建設的ではないかもしれないが、刹那的な幸福感を積み重ねる生き方をしている人は、特に芸能人には数多くいる。広末涼子もそういうタイプなのではないか、と思う。
もう一つの広末涼子の特徴は、グローバルな大美人であるということだ。22歳でフランス映画「Wasabi」でジャン・レノと共演した、という実績は凄いものがある。世界的に通用する器である。このような美貌の女性が好色であったら、それは人類史的にみてもやりたい放題なことをしてきている。ちょっと前のヨーロッパだったら、広末を求める男性陣がしょっちゅう決闘をしていたような玉なのである。実際、今回の浮気相手も広末涼子に言い寄られて舞い上がっていた、と週刊誌に書かれていたが、その気持ちは分かる。
広末涼子は一般人ではなく、芸能人であるし、凄まじいほどの美貌の持ち主である。それを一般人の価値観で当て嵌めて、けしからんとか言うのは間違っていると思う。いや、自分の妹や娘だったりしたら、それは間違っている、と言うだろう。しかし、芸能人であるのだから、一般人とは違っていろいろと正直に生きていけばいいと思うのである。それに苦しむのは家族ぐらいなのだから。まあ、家族には同情するが、広末涼子の家族を私は知らないし。あと、浮気相手のシェフこそ、けじめをつけるべきだと思う。広末涼子がすべての元凶のような報道のされ方にも違和感を覚える。
何か、広末涼子の異様なバッシングには裏があるな。周防社長の恨みがまだ長引いているのか。どちらにしろ、この裏が匂うところが、今回の件の嫌な感じのするところであり、また、こういう「溺れる犬を棒で叩く」的な日本社会の陰湿さには虫酸が走る。
若者はクリエイティブな仕事なら喜んでやると考えるのは大間違いだ、と思う [教育論]
知り合いに一部上場の経営顧問をしている人がいる。彼は、若者がなかなか仕事にコミットできないのはクリエイティブな仕事をさせてないからだ、と考えて、なるべくクリエイティブな仕事をさせるようにしなくてはいけない、と対策を練っている。
私はそれを聞いて違和感を覚えた。というのも、私が日々、接している偏差値50前後の学生(いわゆる大学卒の平均ということですかね)のほとんどはクリエイティブな仕事をさせようとすると、それを忌諱するからだ。むしろ、頭を考えずに機械的に作業をこなす、ノン・クリエイティブな仕事をやりたがる。答えを見出すといったクリエイティブな仕事に必要とされるような状況に置かれることを、むしろ強烈に拒絶する。そして、すぐChatGPTに答えを求める。つまり、クリエイティブな仕事こそ、コンピューターに依存し、自分達はただ、何も考えないで単純作業の方が好む傾向があるからだ。
もちろん、中にはそのようなクリエイティブな仕事の方に楽しみを見出す学生もいないではないが、それはほぼ私の場合、1割ぐらいだと思う。うちの学生は公務員志望が多いが、それもクリエイティブな仕事ではなく、ルーチンで処理できるからだと考えているからだと思われる時がある。要するに付加価値を出さなくても、上の言うことを聞いていけば給料がもらえる仕事と思っているからだという節がある。すべて指示待ちという学生こそ、公務員志望が多い。いやいや、公務員も随分となめられたもんだ。よく考えると、試験勉強というのは結構、クリエイティブでなくてもできるから、そのような学生が公務員志望になることはよく分かる。
現在、学生達に地元のB級グルメでも考えたら、というクリエイティブな課題を出したのだが、いやあ、全然、オリジナルでクリエイティブなアイデアは出てきませんよ。そもそも、地元のどういう資源を活かしらいいかのアイデアが出てこない。「先生、教えてください」・・・ですぐ答えを求めてくる。そして、ちょっと焼きそばにでもするか、と試作会をしたら、そもそも料理がまったくできない。いや、下宿していた女の子一人が包丁をまともに使えたが、他の学生はもう怪我をいつするのか、とハラハラしてしまいましたよ。火で痛める時、腰が引けている女の子とかがいたからな。
ということで、クリエイティブな前に野菜を炒められる、包丁を使えるといった基礎的な技術をマスターすることが先ということが分かったのだが、何もこれはB級グルメのメニュー開発に限った話で閉じる話ではない。楽器が弾けなければろくなメロディは出てこない。絵の具が使えなければいい絵は描けない。オリジナルな仕事をするというのであれば、それなりの技術をマスターすることが必要で、そういう技術がクリエイティビティを育むのである。そこをスキップしてきたら、クリエイティブになる訳はなく、当然、クリエイティブな仕事をできないというか、したがる訳がない。そのような人が仕事にやり甲斐を持つ訳はない。仕事にやり甲斐を持つのは、自分の技術が活きる時だからだ。仕事の内容ではない。
私はそれを聞いて違和感を覚えた。というのも、私が日々、接している偏差値50前後の学生(いわゆる大学卒の平均ということですかね)のほとんどはクリエイティブな仕事をさせようとすると、それを忌諱するからだ。むしろ、頭を考えずに機械的に作業をこなす、ノン・クリエイティブな仕事をやりたがる。答えを見出すといったクリエイティブな仕事に必要とされるような状況に置かれることを、むしろ強烈に拒絶する。そして、すぐChatGPTに答えを求める。つまり、クリエイティブな仕事こそ、コンピューターに依存し、自分達はただ、何も考えないで単純作業の方が好む傾向があるからだ。
もちろん、中にはそのようなクリエイティブな仕事の方に楽しみを見出す学生もいないではないが、それはほぼ私の場合、1割ぐらいだと思う。うちの学生は公務員志望が多いが、それもクリエイティブな仕事ではなく、ルーチンで処理できるからだと考えているからだと思われる時がある。要するに付加価値を出さなくても、上の言うことを聞いていけば給料がもらえる仕事と思っているからだという節がある。すべて指示待ちという学生こそ、公務員志望が多い。いやいや、公務員も随分となめられたもんだ。よく考えると、試験勉強というのは結構、クリエイティブでなくてもできるから、そのような学生が公務員志望になることはよく分かる。
現在、学生達に地元のB級グルメでも考えたら、というクリエイティブな課題を出したのだが、いやあ、全然、オリジナルでクリエイティブなアイデアは出てきませんよ。そもそも、地元のどういう資源を活かしらいいかのアイデアが出てこない。「先生、教えてください」・・・ですぐ答えを求めてくる。そして、ちょっと焼きそばにでもするか、と試作会をしたら、そもそも料理がまったくできない。いや、下宿していた女の子一人が包丁をまともに使えたが、他の学生はもう怪我をいつするのか、とハラハラしてしまいましたよ。火で痛める時、腰が引けている女の子とかがいたからな。
ということで、クリエイティブな前に野菜を炒められる、包丁を使えるといった基礎的な技術をマスターすることが先ということが分かったのだが、何もこれはB級グルメのメニュー開発に限った話で閉じる話ではない。楽器が弾けなければろくなメロディは出てこない。絵の具が使えなければいい絵は描けない。オリジナルな仕事をするというのであれば、それなりの技術をマスターすることが必要で、そういう技術がクリエイティビティを育むのである。そこをスキップしてきたら、クリエイティブになる訳はなく、当然、クリエイティブな仕事をできないというか、したがる訳がない。そのような人が仕事にやり甲斐を持つ訳はない。仕事にやり甲斐を持つのは、自分の技術が活きる時だからだ。仕事の内容ではない。
タグ:若者 クリエイティブな仕事
シン・ウルトラマン [映画批評]
国際便に乗ったので時間つぶしに観たら、非常によかった。ウルトラマン・シリーズの懐かしの怪獣や外星人が出てきて、ちょっと懐かしい。ザラブ星人、メフィラス星人、ゼットンなどである。ゼットンはゼットン星人の最終兵器かと思っていたのだが、この映画ではなんとゾフィーがセッティングしたという驚きの展開。全般的に制作陣が同じだからか、オリジナルのウルトラマンよりも「シン・ゴジラ」との共通点が多い。役所の非効率とか、アホな政治家、とかそういう本質的でないところで、問題がどんどんややこしくなっていく。結局、本当の敵は怪獣や外星人じゃなくて、身内のシステムにあるんじゃないか、と思わせるところが、なんか観ていていらいらさせるが、それらの描写がこの荒唐無稽なフィクションにリアリティ感を与えているところが面白い。あと、長澤ますみは勝手に清楚なイメージを抱いていたが、この映画で彼女演じる、あばずれ感のする公務員はなかなか悪くなかった。ちょっと、オタク受けをする映画かもしれないが、私は十二分に楽しめた。できれば、本制作陣によるバルタン星人やメトロン星人などが出てくるバージョンのものも観てみたい。
タグ:シン・ウルトラマン
メキシコ・シティのタクシーとウーバーだと4倍ぐらいの料金差がある [地球探訪記]
メキシコ・シティに来た。国際空港からコヨアカンのホテルまでタクシーで行った。もう空港に着いたのが2時頃で、公共交通という選択肢もなかったからだが、空港のタクシー会社でコヨアカンまで連れて行ってくれ、と言うと料金は650ペソだと言う。この遅い時間だし、50ペソほどチップで払ったので700ペソかかった。1800円ぐらいだ。
帰国する時も同じホテルから空港までタクシーを呼んでくれ、とホテルの人に頼むとウーバーを呼んでくれた。その値段は157ペソであった。チップを3ペソ払ってくれ、と言われる。ウーバーは確かに普通の自動車であったが、まあタクシーと基本的なサービスは同じである。ただ、このウーバーは、クレジット・カードは使えずに現金のみであった。帰りは夕方のラッシュ時だったので時間は随分とかかったが、料金は最初の提示どおり157ペソであった。随分と安上がりだ。コインをお釣りでもらっても邪魔なだけなので200ペソで残りはチップとしてあげておいた。157ペソと650ペソ。同じ距離でほぼ同じサービスなのに4倍も違う。まあ、英語がほとんど通じないので空港で自分でウーバーを呼ぶのはなかなか治安がよくないメキシコやブラジルでは厳しいかもしれないが、ホテルとかで現地の人に交渉してもらうのであればウーバーの方がずっと便利だな、と思った次第である。
帰国する時も同じホテルから空港までタクシーを呼んでくれ、とホテルの人に頼むとウーバーを呼んでくれた。その値段は157ペソであった。チップを3ペソ払ってくれ、と言われる。ウーバーは確かに普通の自動車であったが、まあタクシーと基本的なサービスは同じである。ただ、このウーバーは、クレジット・カードは使えずに現金のみであった。帰りは夕方のラッシュ時だったので時間は随分とかかったが、料金は最初の提示どおり157ペソであった。随分と安上がりだ。コインをお釣りでもらっても邪魔なだけなので200ペソで残りはチップとしてあげておいた。157ペソと650ペソ。同じ距離でほぼ同じサービスなのに4倍も違う。まあ、英語がほとんど通じないので空港で自分でウーバーを呼ぶのはなかなか治安がよくないメキシコやブラジルでは厳しいかもしれないが、ホテルとかで現地の人に交渉してもらうのであればウーバーの方がずっと便利だな、と思った次第である。
タグ:メキシコ・シティ
クリス・ポールとジョーダン・プールのトレードについてポイントをまとめてみる [スポーツ]
6月22日(現地時間)、ウォリアーズがウィザードとトレードを遂行した。ウォリアーズは38歳の殿堂入り確実のポイント・ガード、クリス・ポールを獲得し、ウィザードはジョーダン・プールと2022年のドラフト選手、ライアン・ロリンズ(2巡目)とパトリック・ボールドウィン・ジュニア(1巡目)、さらに将来の2つのドラフト権を獲得した。
このトレードに関しては本場アメリカでも相当、賛否両論(というか賛成は少ないが)で随分とスポーツ・ラジオやスポーツ番組を賑わせているが、日本のNBAファンのツィッターなどをみていると、あまりにも背景の理解がなさ過ぎるものが多いので(例えばクリス・ポールじゃなくてブラッド・ビールとトレードできただろうなどという呑気な意見)、ここでこのトレードの背景にあった理由などを整理してみたいと思う。
まず、このトレードをなぜウォリアーズが遂行しなくてはいけなかったのか。それはコレクティブ・バーゲニング・アグリーメント(俗にいうCBA)が2023年7月1日から施行されるからだ。これによって、次のようにルールが変わる(7年間有効)。
1) 贅沢税(Luxury tax)を1750万ドル超えているチームは幾つかの制約事項が生じる。「トレードで出す選手の年俸より得る選手の年俸が高くなってはいけない」「ファースト・ラウンドのドラフト権を7年間トレードに提供することができない」「金銭トレードをしてはいけない」などである。
2) 契約延長に関しては、ベテラン選手であれば前年より140%まで上げることができる(それまでは120%)。
3) サラリー・キャップは毎年10%ほどに上限が設定される(これは2016年に32%の上昇を許したため、ウォリアーズがケビン・デュラントと契約できたことを反面教師としている)。
このCBAルールはウォリアーズ潰しと言われるほど、スーパー・チームをつくらせないことを意図している。
さて、そのように考えて、現在のウォリアーズの年俸状況を整理してみよう。まず、昨年度のウォリアーズの年俸の総額は3600万ドル。これはNBA史上最高額である。個別にみると、次のようになる。
*ステファン・カレー(約48億円)(簡単にするために1ドル=100円で計算している)
*クレイ・トンプソン(約40億円)
*アンドリュー・ウィギンス(約33億円)
ここで、ジョーダン・プールだが、今年度は約3.9億円であったが、来年度から28億円、30億円、32億円、34億円という4年間で124億円という巨額契約が執行されることになるという状況にあった。
さて、ここで重要なのはウォリアーズ三羽がらすのドレイモンド・グリーンである。彼は今年で契約終了だが、今年度は26億円であった。そして、このドレイモンド・グリーンはプレイヤー・オプションでの契約延長を選択することをせず、フリー・エイジェント宣言をした(これはウォリアーズもほぼ計算済み・・さすがに一年延長ではなく、33歳のドレイモンドが最後のフリー・エイジェントの機会を活かして長期契約を求めるのはある意味、当然である)。
このような状況から、ウォリアーズが何をするべきかを考える。まず、ウォリアーズは半年ぐらい前までは、相当、傲慢な考えを有していた。それは、カリーやグリーンがつくりあげた黄金期が衰退した時には、新しい若い世代で新しい黄金期をつくりあげるという傲慢なシナリオである。この若い世代とは、ドラフト全体二位のジェイムス・ワイズマンやジョーダン・プール、ジョナサン・カミンガ、モーゼス・ムーディ等である。これは、瞬間的に上手くいくかもと私も期待した時があったが、ジェイムス・ワイズマンはまったくの期待外れに終わり、5つのドラフト権2位(これはゲイリー・ペイトン・ジュニアとのトレードで使われた)とトレードされた。そして、ジョーダン・プールも一昨年度はリーサル・ウェッペン3とか、プール・パーティーとかもてはやされていたが、今年度、特にプレイオフでは、そのバスケIQの低さ、ターンオーバ−・アシスト率の悪さ、ショット・セレクションの不味さからグリーンだけでなくカリーからも怒られるような状況に陥ってしまい、プレイングタイムももらえないほどカー監督の信頼を失っていた。
そのような状況下、カリーという超絶スーパースターがまだ衰えていない今こそ、勝負をすべきであるというのがウォリアーズの戦略となった。若手が育つのを待っていたら、貴重なカリーという選手がいる機会を失ってしまう。つまり、カリーを中核としたチームで優勝を今、狙いにいくというのがウォリアーズの戦略になったのだ。
そのように考えると、まず優先させることはグリーンの再契約である。さて、しかし、グリーンと再契約するには持ち金がない(いや、金はあるけどルール上使えない)。新たに導入されるCBAの規制では、誰かの巨大契約を取り除かなくては無理である。そこで、誰の契約を取り除くといいのかを考えると一目瞭然である。ジョーダン・プールの契約だ。しかも、グリーンとプールは今年度のシーズン前のパンチ事件以降、表向きは問題がないと言っても、ずっと尾を引いていた。アウエィでの勝率の悪さはまさにそれを物語っていたし、プールがトレードされた直後に、グリーンのインスタグラムから外れたというニュースが流れたが、プールはずっと根に持っていたのだろうな。ただ、グリーンのパンチは映像で流されたので、非常にインパクトは大きかったのだが、どちらかというと、プールがそこまで怒らせることをしたのか、というように私を含めて多くの人が思っていたところもある。どちらにしろ、両者が和解できないことは一目瞭然である。それでは、どちらが重要か。これはカリーの才能を活かすという点では、もう異論はないだろう。ドレイモンド・グリーンである。
さて、しかし、このジョーダン・プールのトレードは、この契約額の大きさのために誰も欲しがらなかった。ウォリアーズはジョーダン・プールとともに心中するしかないのか。私などは、もうジョナサン・カミンガをつけてトレードするしかないかも、と悲観的に思っていたのだが、ジョナサン・カミンガをつけなくても、昨年度のウォリアーズがドラフトした若手二人と2つのドラフト権で受け取ってくれたとは願ったり、適ったりである。おまけにクリス・ポールと交換である。彼は来年度の30億円という契約しかないから、来年度以降、再契約を考えなくてはいけないクレイ・トンプソンのことを考えても好都合である。
ということで、ジョーダン・プールの契約から開放されることで、初めてウォリアーズは将来を描くだけの可能性を獲得することができたのである。もちろん、クリス・ポールじゃない人材もいただろう、という指摘はある。しかし、38歳のクリス・ポールと24際のジョーダン・プールとのトレードに若手(ドラフト権を含む)を4人もつけなくては成立しないほど、ジョーダン・プールのトレード価値は低いのだ。もはや、バスケットの能力だけでトレードを考えるような時代ではないのである。
さて、この文章の最初の方でブラッド・ビールとトレードできる訳ないだろう、と書いたのは、ブラッド・ビールは現在のNBAの選手で唯一、「ノー・トレード」の契約条項を有している選手であるからだ。これは、極めて選手に有利な契約で、チームに不利である。ブラッド・ビールのトレードでサンズが失ったものが少なかったのは、それだけウィザードがビールというバスケット選手よりかは、ビールとの契約を忌諱していたからである。まあ、ババ抜きのババですな。もちろん、ビールの「ノー・トレード」条項はサンズに行っても生きているので、こんな選手はいらないっす。ビールの年俸って約43億円なんすよ。ビールがサンズに行って喜んでいるサンズ・ファンはちょっとおかしいのじゃないか、と思います。ちなみに私が「ノー・トレード」契約を結んでいいと思う選手は、コーベ・ブライアント以来ではステファン・カリーと、強いて言えばヤニス・アデトクンボくらいである。
もちろん、このような契約を結んだのは、ウィザードがアホだったからだし、ジョーダン・プールが4年間で124億円の契約を結んだのは、ベスト・エクゼクティブの誉れの高いボブ・マイヤーGMの判断で、個人的には、このマイヤーの経営ミスはウォリアーズの将来の可能性を摘んだと結構、怒っていたので、今回、マイク・ダン・リーヴィー・ジュニアGMが、このウォリアーズの癌(ジョーダン選手というより、ジョーダン選手の契約)を取り除いたことは、非常によかったと思っている。
あとジョーダン選手の契約が癌とは書いたが、ジョーダン選手はウォリアーズの最大の武器である「ケミストリー」を最も乱した選手であったことは間違いない。カー監督がパンチ事件から結局、復活できなかった、とプレイオフで負けた後に述べていたぐらいだから、ジョーダン選手がウォリアーズでやっていくことは非常に厳しかったのは間違いない。
もちろん、現時点ではグリーンが再契約しない可能性もあるので、油断はできないが、ウォリアーズ・ファンにとってはよかった日であると個人的には考えている。
あと、クリス・ポールはウォリアーズのファスト・ペースに合わないとか、実質的なポイント・ガードのグリーンと一緒にコートに立った時、どのように役割分担ができるんだ、と言った意見が、私も非常に一目置いているティム・レグラーやJJレディックといった評論家が述べているので、私も危惧してはいる。しかし、セカンド・ユニットの若手をしっかりと指揮し(グリーンはプールの一件で若手の信頼を得られていない)、また得意のピック・アンド・ロールもカミンガとのコンビでやったら無敵に近いのではと思ったりしているのだが、この意見はまだ寡聞にして、コメンテーターからは聞けてないので、私の理解が浅いのかもしれない。
まあ、随分とだらだらと書いたが、指摘したいことは、これからの7年間は、NBAのトレードは、これまで以上に契約をも踏まえてのトレードになるので、単にバスケだけの観点でいろいろと意見をいうと、その背景にある大きな問題を見失うので気をつける必要があるということだ。とはいえ、アメリカ人のスポーツ・コメンテーターでもここらへんが分かっていない人が半分なので、日本人のNBAファンはなかなか難しいところもあるのはしょうがないかもしれない。
このトレードに関しては本場アメリカでも相当、賛否両論(というか賛成は少ないが)で随分とスポーツ・ラジオやスポーツ番組を賑わせているが、日本のNBAファンのツィッターなどをみていると、あまりにも背景の理解がなさ過ぎるものが多いので(例えばクリス・ポールじゃなくてブラッド・ビールとトレードできただろうなどという呑気な意見)、ここでこのトレードの背景にあった理由などを整理してみたいと思う。
まず、このトレードをなぜウォリアーズが遂行しなくてはいけなかったのか。それはコレクティブ・バーゲニング・アグリーメント(俗にいうCBA)が2023年7月1日から施行されるからだ。これによって、次のようにルールが変わる(7年間有効)。
1) 贅沢税(Luxury tax)を1750万ドル超えているチームは幾つかの制約事項が生じる。「トレードで出す選手の年俸より得る選手の年俸が高くなってはいけない」「ファースト・ラウンドのドラフト権を7年間トレードに提供することができない」「金銭トレードをしてはいけない」などである。
2) 契約延長に関しては、ベテラン選手であれば前年より140%まで上げることができる(それまでは120%)。
3) サラリー・キャップは毎年10%ほどに上限が設定される(これは2016年に32%の上昇を許したため、ウォリアーズがケビン・デュラントと契約できたことを反面教師としている)。
このCBAルールはウォリアーズ潰しと言われるほど、スーパー・チームをつくらせないことを意図している。
さて、そのように考えて、現在のウォリアーズの年俸状況を整理してみよう。まず、昨年度のウォリアーズの年俸の総額は3600万ドル。これはNBA史上最高額である。個別にみると、次のようになる。
*ステファン・カレー(約48億円)(簡単にするために1ドル=100円で計算している)
*クレイ・トンプソン(約40億円)
*アンドリュー・ウィギンス(約33億円)
ここで、ジョーダン・プールだが、今年度は約3.9億円であったが、来年度から28億円、30億円、32億円、34億円という4年間で124億円という巨額契約が執行されることになるという状況にあった。
さて、ここで重要なのはウォリアーズ三羽がらすのドレイモンド・グリーンである。彼は今年で契約終了だが、今年度は26億円であった。そして、このドレイモンド・グリーンはプレイヤー・オプションでの契約延長を選択することをせず、フリー・エイジェント宣言をした(これはウォリアーズもほぼ計算済み・・さすがに一年延長ではなく、33歳のドレイモンドが最後のフリー・エイジェントの機会を活かして長期契約を求めるのはある意味、当然である)。
このような状況から、ウォリアーズが何をするべきかを考える。まず、ウォリアーズは半年ぐらい前までは、相当、傲慢な考えを有していた。それは、カリーやグリーンがつくりあげた黄金期が衰退した時には、新しい若い世代で新しい黄金期をつくりあげるという傲慢なシナリオである。この若い世代とは、ドラフト全体二位のジェイムス・ワイズマンやジョーダン・プール、ジョナサン・カミンガ、モーゼス・ムーディ等である。これは、瞬間的に上手くいくかもと私も期待した時があったが、ジェイムス・ワイズマンはまったくの期待外れに終わり、5つのドラフト権2位(これはゲイリー・ペイトン・ジュニアとのトレードで使われた)とトレードされた。そして、ジョーダン・プールも一昨年度はリーサル・ウェッペン3とか、プール・パーティーとかもてはやされていたが、今年度、特にプレイオフでは、そのバスケIQの低さ、ターンオーバ−・アシスト率の悪さ、ショット・セレクションの不味さからグリーンだけでなくカリーからも怒られるような状況に陥ってしまい、プレイングタイムももらえないほどカー監督の信頼を失っていた。
そのような状況下、カリーという超絶スーパースターがまだ衰えていない今こそ、勝負をすべきであるというのがウォリアーズの戦略となった。若手が育つのを待っていたら、貴重なカリーという選手がいる機会を失ってしまう。つまり、カリーを中核としたチームで優勝を今、狙いにいくというのがウォリアーズの戦略になったのだ。
そのように考えると、まず優先させることはグリーンの再契約である。さて、しかし、グリーンと再契約するには持ち金がない(いや、金はあるけどルール上使えない)。新たに導入されるCBAの規制では、誰かの巨大契約を取り除かなくては無理である。そこで、誰の契約を取り除くといいのかを考えると一目瞭然である。ジョーダン・プールの契約だ。しかも、グリーンとプールは今年度のシーズン前のパンチ事件以降、表向きは問題がないと言っても、ずっと尾を引いていた。アウエィでの勝率の悪さはまさにそれを物語っていたし、プールがトレードされた直後に、グリーンのインスタグラムから外れたというニュースが流れたが、プールはずっと根に持っていたのだろうな。ただ、グリーンのパンチは映像で流されたので、非常にインパクトは大きかったのだが、どちらかというと、プールがそこまで怒らせることをしたのか、というように私を含めて多くの人が思っていたところもある。どちらにしろ、両者が和解できないことは一目瞭然である。それでは、どちらが重要か。これはカリーの才能を活かすという点では、もう異論はないだろう。ドレイモンド・グリーンである。
さて、しかし、このジョーダン・プールのトレードは、この契約額の大きさのために誰も欲しがらなかった。ウォリアーズはジョーダン・プールとともに心中するしかないのか。私などは、もうジョナサン・カミンガをつけてトレードするしかないかも、と悲観的に思っていたのだが、ジョナサン・カミンガをつけなくても、昨年度のウォリアーズがドラフトした若手二人と2つのドラフト権で受け取ってくれたとは願ったり、適ったりである。おまけにクリス・ポールと交換である。彼は来年度の30億円という契約しかないから、来年度以降、再契約を考えなくてはいけないクレイ・トンプソンのことを考えても好都合である。
ということで、ジョーダン・プールの契約から開放されることで、初めてウォリアーズは将来を描くだけの可能性を獲得することができたのである。もちろん、クリス・ポールじゃない人材もいただろう、という指摘はある。しかし、38歳のクリス・ポールと24際のジョーダン・プールとのトレードに若手(ドラフト権を含む)を4人もつけなくては成立しないほど、ジョーダン・プールのトレード価値は低いのだ。もはや、バスケットの能力だけでトレードを考えるような時代ではないのである。
さて、この文章の最初の方でブラッド・ビールとトレードできる訳ないだろう、と書いたのは、ブラッド・ビールは現在のNBAの選手で唯一、「ノー・トレード」の契約条項を有している選手であるからだ。これは、極めて選手に有利な契約で、チームに不利である。ブラッド・ビールのトレードでサンズが失ったものが少なかったのは、それだけウィザードがビールというバスケット選手よりかは、ビールとの契約を忌諱していたからである。まあ、ババ抜きのババですな。もちろん、ビールの「ノー・トレード」条項はサンズに行っても生きているので、こんな選手はいらないっす。ビールの年俸って約43億円なんすよ。ビールがサンズに行って喜んでいるサンズ・ファンはちょっとおかしいのじゃないか、と思います。ちなみに私が「ノー・トレード」契約を結んでいいと思う選手は、コーベ・ブライアント以来ではステファン・カリーと、強いて言えばヤニス・アデトクンボくらいである。
もちろん、このような契約を結んだのは、ウィザードがアホだったからだし、ジョーダン・プールが4年間で124億円の契約を結んだのは、ベスト・エクゼクティブの誉れの高いボブ・マイヤーGMの判断で、個人的には、このマイヤーの経営ミスはウォリアーズの将来の可能性を摘んだと結構、怒っていたので、今回、マイク・ダン・リーヴィー・ジュニアGMが、このウォリアーズの癌(ジョーダン選手というより、ジョーダン選手の契約)を取り除いたことは、非常によかったと思っている。
あとジョーダン選手の契約が癌とは書いたが、ジョーダン選手はウォリアーズの最大の武器である「ケミストリー」を最も乱した選手であったことは間違いない。カー監督がパンチ事件から結局、復活できなかった、とプレイオフで負けた後に述べていたぐらいだから、ジョーダン選手がウォリアーズでやっていくことは非常に厳しかったのは間違いない。
もちろん、現時点ではグリーンが再契約しない可能性もあるので、油断はできないが、ウォリアーズ・ファンにとってはよかった日であると個人的には考えている。
あと、クリス・ポールはウォリアーズのファスト・ペースに合わないとか、実質的なポイント・ガードのグリーンと一緒にコートに立った時、どのように役割分担ができるんだ、と言った意見が、私も非常に一目置いているティム・レグラーやJJレディックといった評論家が述べているので、私も危惧してはいる。しかし、セカンド・ユニットの若手をしっかりと指揮し(グリーンはプールの一件で若手の信頼を得られていない)、また得意のピック・アンド・ロールもカミンガとのコンビでやったら無敵に近いのではと思ったりしているのだが、この意見はまだ寡聞にして、コメンテーターからは聞けてないので、私の理解が浅いのかもしれない。
まあ、随分とだらだらと書いたが、指摘したいことは、これからの7年間は、NBAのトレードは、これまで以上に契約をも踏まえてのトレードになるので、単にバスケだけの観点でいろいろと意見をいうと、その背景にある大きな問題を見失うので気をつける必要があるということだ。とはいえ、アメリカ人のスポーツ・コメンテーターでもここらへんが分かっていない人が半分なので、日本人のNBAファンはなかなか難しいところもあるのはしょうがないかもしれない。
『チケット・トゥ・パラダイス』 [映画批評]
ジュリア・ロバーツとジョージ・クルーニーの豪華共演映画ではあるが、それ以上のものではなく、糞の役にも立たない時間つぶしの映画。まあ、内容のないコメディ映画に腹を立ててもしょうがないのだが。バリ島のロケは綺麗ではあるが、そんな世界で一番美しい、というほどは美しくはないだろう。私ぐらいの年だと、ジュリア・ロバーツを『プリティ・ウーマン』で知ることになり、もうそのプリティさには相当、参った世代ではあるが、さすがにその頃を知っていると、薹が立っているジュリア・ロバーツはちょっと辛い。というか、ハリウッド映画は本当、内容が薄い。なんか仕事している意味あるんか、と言いたくなるような作品だ。
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都市の魅力と『パタン・ランゲージ』 [都市デザイン]
1980年代頃、都市の論客として巨大な存在感を示したクリストファー・アレキザンダー。彼は『パタン・ランゲージ』という概念を提示し、「都市はツリーではない」という名言を広げます。私は1993年から3年間、カリフォルニア大学のバークレイ校に留学しますが、バークレイ校に惹かれた理由の一つとして、クリストファー・アレキザンダーがいたことが挙げられます。彼のゼミにも応募して、無事、入り込むことができますが、3回だけ開講すると、個人の都合で勝手に中止されました。まあ、そのことを書くと、話が進まないので、それはまたの機会に置いておきたいと思いますが、このクリストファー・アレキサンダーはパタン・ランゲージにおいて、「都市の魔力(マジック)」という言葉を用いて、都市の魅力を論じています。彼によれば、「都市の魔力」を生むのに必要なものは、大学、美術館、図書館、動物園、交響楽団、日刊紙、AM/FM放送局、高級宝石店、毛皮店、流行に強いブティック、などを挙げています。
これを読んだ方は、このリストに対してどう思いますか?ちょっとは納得するけど、あまり納得しないのではないでしょうか。凄く魅力に寄与するなというのを+++、そこそこ寄与するかなというのは++、まあ、無いよりはましかなは+と評価すると、+++であるのは「大学」ぐらいかな。++としては「美術館」「図書館」「動物園」「日刊紙」はそうは評価できると思いますが、他のほとんどは+。というか、個人的には「交響楽団」「高級宝石店」「毛皮店」はいらない。
じゃあ、何が魅力として必要なのかを考えると、もうこれは圧倒的に「飲み屋」、それも「いい飲み屋」です。美味い寿司屋があると嬉しい。あと、いい酒屋、珈琲豆焙煎店、豆腐屋、コンフェクショナリー。スーパーと差別化できるクオリティの、肉屋、魚屋、八百屋。銀行と郵便局は近くにあった方がいい。金物屋や園芸店、文房具店、本屋もあるといいです。さらにライブハウスがあると嬉しい。交響楽団はいらないけど、いい箱があると有り難い。レンタル・スタジオがあるといい。また、コミュニティが集えて、ちょっとした会合などができるようなカフェ、もしくは市民菜園みたいなものがあるといい。同じ趣味を持つ人が集い、交流できるような場があるといい。それと快適な散歩ができる緑道や公園などもあると有り難い。
それと余裕があれば、プロスポーツ・チームがあるといいかもしれない。個人的にはそういうところには滅多に行かないが、その都市での話題づくりにもなるし、気持ちが一つになりやすい。
ということで、クリストファー・アレキザンダーと自分とで随分と都市の見方が違うことに気がつきました。クリストファー・アレキザンダーは一般的な都市づくりの「言語」として「パターン・ランゲージ」を提唱して、それはそれで興味深い指摘だったかとは思いますが、彼の使う言語は「アレキザンダー語」であって、普遍的ではないことがこの一事例でも理解できます。このアレキザンダー語が普遍的な言語でないのと同様に、建築も都市もその場所、時間、そこで息づく人々によって異なり、そこに普遍的な一般性はない。アプローチとしては興味深いものがあるが、民主的なアプローチが必ずしも万人に受け入れられる魅力的な都市をつくれる訳ではないことも、この一例は示唆していると思います。
むしろ、ドイツのIBAのエムシャー・パークのようなアプローチの方が有効ではないのか、と思います。つまり、設問を提示して、それを多くの人が市民参加的なワークショップではなく、それぞれが思考を深化させることで解決を見出すというプロセスです。
最近、『パタン・ランゲージ』を高く評価する私よりずっと若い都市デザインの研究者と話をして、ちょっと違和感を覚えたので、少し、考えをまとめてみました。
これを読んだ方は、このリストに対してどう思いますか?ちょっとは納得するけど、あまり納得しないのではないでしょうか。凄く魅力に寄与するなというのを+++、そこそこ寄与するかなというのは++、まあ、無いよりはましかなは+と評価すると、+++であるのは「大学」ぐらいかな。++としては「美術館」「図書館」「動物園」「日刊紙」はそうは評価できると思いますが、他のほとんどは+。というか、個人的には「交響楽団」「高級宝石店」「毛皮店」はいらない。
じゃあ、何が魅力として必要なのかを考えると、もうこれは圧倒的に「飲み屋」、それも「いい飲み屋」です。美味い寿司屋があると嬉しい。あと、いい酒屋、珈琲豆焙煎店、豆腐屋、コンフェクショナリー。スーパーと差別化できるクオリティの、肉屋、魚屋、八百屋。銀行と郵便局は近くにあった方がいい。金物屋や園芸店、文房具店、本屋もあるといいです。さらにライブハウスがあると嬉しい。交響楽団はいらないけど、いい箱があると有り難い。レンタル・スタジオがあるといい。また、コミュニティが集えて、ちょっとした会合などができるようなカフェ、もしくは市民菜園みたいなものがあるといい。同じ趣味を持つ人が集い、交流できるような場があるといい。それと快適な散歩ができる緑道や公園などもあると有り難い。
それと余裕があれば、プロスポーツ・チームがあるといいかもしれない。個人的にはそういうところには滅多に行かないが、その都市での話題づくりにもなるし、気持ちが一つになりやすい。
ということで、クリストファー・アレキザンダーと自分とで随分と都市の見方が違うことに気がつきました。クリストファー・アレキザンダーは一般的な都市づくりの「言語」として「パターン・ランゲージ」を提唱して、それはそれで興味深い指摘だったかとは思いますが、彼の使う言語は「アレキザンダー語」であって、普遍的ではないことがこの一事例でも理解できます。このアレキザンダー語が普遍的な言語でないのと同様に、建築も都市もその場所、時間、そこで息づく人々によって異なり、そこに普遍的な一般性はない。アプローチとしては興味深いものがあるが、民主的なアプローチが必ずしも万人に受け入れられる魅力的な都市をつくれる訳ではないことも、この一例は示唆していると思います。
むしろ、ドイツのIBAのエムシャー・パークのようなアプローチの方が有効ではないのか、と思います。つまり、設問を提示して、それを多くの人が市民参加的なワークショップではなく、それぞれが思考を深化させることで解決を見出すというプロセスです。
最近、『パタン・ランゲージ』を高く評価する私よりずっと若い都市デザインの研究者と話をして、ちょっと違和感を覚えたので、少し、考えをまとめてみました。
タグ:パタン・ランゲージ
タイの先生とお話をする [グローバルな問題]
タイのチュラロンコーン大学の先生が会いたいというので、会ってお話をする。なんと、東京学芸大学附属高校から東大に入学したという秀才であった。なぜ日本の高校に来たのかは聞かなかったが、日本語もペラペラであった。とはいえ、日本に来たのは25年ぶりとかだそうだ。英語もペラペラだったのだが、それは東大を卒業した後、イギリスのケンブリッジ、そしてアメリカのケンブリッジに住んでいたからだそうだ。
どうして私に会いたいのかと尋ねると、日本の人口縮小の状況を知りたいからだと言う。まあ、このテーマでは英語論文を書いているから、そういうこともあり得るだろう。さて、いろいろと話をしていて面白かったことは、タイは国境付近の自治体の人口は減らなくて増えているということ。中心部においての人口減少が激しいということを知った。また、何しろ円は安いので、タイ人は凄い勢いで日本に観光に来ているということも知った。三回、四回と複数回来るそうだ。そして、東京には行かず、地方都市が好きだそうだ。どうも、タイでは梅酒がブームらしくて、和歌山が人気観光スポットになっているそうだ。知らなかったなあ、そんなところがブームになっているとは。あと、飛驒高山とかも人気だそうだ。複数回行っている知り合いとかもいるそうだ。
タイも油断をしていると、日本のように人口減少と高齢化で疲弊するかもしれないので、転ばぬ先の杖で研究をしたいのだ、と熱心に言っていた。まあ、それはいい心がけかもしれないが、いつの間にか、タイの人達にも日本のようになったら不味いと思われるようになってしまったのだろうか。ちょっと驚きとともに悲しみを感じる。うちの大学生とか見ていると、確かに日本の若者の覇気のなさはちょっと心配にさせるが、いつ状況が変わってしまったのだろう。何か、とてつもなく不味い状況にもしかしたら日本はいるのかもしれない。
どうして私に会いたいのかと尋ねると、日本の人口縮小の状況を知りたいからだと言う。まあ、このテーマでは英語論文を書いているから、そういうこともあり得るだろう。さて、いろいろと話をしていて面白かったことは、タイは国境付近の自治体の人口は減らなくて増えているということ。中心部においての人口減少が激しいということを知った。また、何しろ円は安いので、タイ人は凄い勢いで日本に観光に来ているということも知った。三回、四回と複数回来るそうだ。そして、東京には行かず、地方都市が好きだそうだ。どうも、タイでは梅酒がブームらしくて、和歌山が人気観光スポットになっているそうだ。知らなかったなあ、そんなところがブームになっているとは。あと、飛驒高山とかも人気だそうだ。複数回行っている知り合いとかもいるそうだ。
タイも油断をしていると、日本のように人口減少と高齢化で疲弊するかもしれないので、転ばぬ先の杖で研究をしたいのだ、と熱心に言っていた。まあ、それはいい心がけかもしれないが、いつの間にか、タイの人達にも日本のようになったら不味いと思われるようになってしまったのだろうか。ちょっと驚きとともに悲しみを感じる。うちの大学生とか見ていると、確かに日本の若者の覇気のなさはちょっと心配にさせるが、いつ状況が変わってしまったのだろう。何か、とてつもなく不味い状況にもしかしたら日本はいるのかもしれない。
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中川理『風景学』 [書評]
京都工芸繊維大学の名誉教授である中川理氏による「風景と景観」をめぐる歴史と現在の状況が整理されている。12の章からなっており、時系列のように「風景」がどのように発見され、どのように政策として捉えられてきたか、などが物語のように分かりやすく書かれている。最後の方になると、若干、著者の意見のような文の割合が増えてくるが、クリストファー・アレキザンダーのパタン・ランゲージぐらいまでの歩みは、多くの文献等を踏まえていてとても勉強になる。景観について学びたい、知りたい人にとっては必読書と言いたいぐらいの本である。


風景学 -風景と景観をめぐる歴史と現在- (造形ライブラリー 06)
- 作者: 中川 理
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2008/07/25
- メディア: 単行本
都市計画的には道路は川のように考えるべきだ [都市デザイン]
都市において川は空間を大きく分断する。その両岸を繋げるためには橋が必要である。道路も同じように空間を大きく分断する。大きな川がその分断する力が強いように、大きな道路も分断する力が強い。そのような橋の両側を繋げるために重要な役割を担うのが橋である。同じように道路の両側を繋げるためには橋のようなものが必要である。ただ、ここで川と道路の大きな違いは、川と岸は同じ高さではないので、川に架かる橋は地表とほぼ同じ高さで済むということだ。道路は、ほとんどの場合、地表と同じレベルにあるので、橋を架けようとするとその分、上り下りをしなくてはならない。これは、大変、不便であるだけでなく、体力的にも苦痛である。高齢者や怪我をしている人、乳母車を押す人にとってはとても辛い。
ただ、川と違って、道路には信号というものを設置することができる。横断歩道という線を引けば、それを渡ることができる。これによって、道路の分断する力を和らげることができる。そして、これは都市の賑わいをもたらすうえでは極めて重要なのだ。なぜなら、都市の魅力は「集積の経済」によって、つくりだされるからであり、これは分断させずに集めれば集めるほどいいからである。下北沢や自由が丘に多くの商店が集まって賑わいが生み出せているのは、それを分断する致命的な大通りがないからだ。逆に明大前、中目黒とかがその利便性に比して今ひとつなのは、大通りによって分断されているからだ。私が住んでいる都立大学が隣の学芸大学に比べると、おそろしく今ひとつなのは急行停車駅かどうかという話ではなく、目黒通りという大通りによってその集積が分断されてしまっているからだ。
さて、そのようなことを考えている時に名古屋を訪れる機会があった。金山駅や日比野駅の周辺をうろうろとしたのだが、ここらへんは高速道路のような大通りが街を分断している。そして、500メートルぐらいこれらの通りが横断できないようにしている。なんて、人に優しくない都市なのだろう。日本の都市は比較的、人に優しいのだが、この不親切さはヨーロッパでも寡聞にして見たことがない。ブラジリアとかアメリカの都市だとあったりするが、公共交通がこれだけ発達している名古屋のような都市で、この酷さは驚いた。これじゃあ、歩きたくても自動車に乗るしかない。高齢者には本当、辛い都市なのではないだろうか。私はこの都市には住みたくない。
ただ、川と違って、道路には信号というものを設置することができる。横断歩道という線を引けば、それを渡ることができる。これによって、道路の分断する力を和らげることができる。そして、これは都市の賑わいをもたらすうえでは極めて重要なのだ。なぜなら、都市の魅力は「集積の経済」によって、つくりだされるからであり、これは分断させずに集めれば集めるほどいいからである。下北沢や自由が丘に多くの商店が集まって賑わいが生み出せているのは、それを分断する致命的な大通りがないからだ。逆に明大前、中目黒とかがその利便性に比して今ひとつなのは、大通りによって分断されているからだ。私が住んでいる都立大学が隣の学芸大学に比べると、おそろしく今ひとつなのは急行停車駅かどうかという話ではなく、目黒通りという大通りによってその集積が分断されてしまっているからだ。
さて、そのようなことを考えている時に名古屋を訪れる機会があった。金山駅や日比野駅の周辺をうろうろとしたのだが、ここらへんは高速道路のような大通りが街を分断している。そして、500メートルぐらいこれらの通りが横断できないようにしている。なんて、人に優しくない都市なのだろう。日本の都市は比較的、人に優しいのだが、この不親切さはヨーロッパでも寡聞にして見たことがない。ブラジリアとかアメリカの都市だとあったりするが、公共交通がこれだけ発達している名古屋のような都市で、この酷さは驚いた。これじゃあ、歩きたくても自動車に乗るしかない。高齢者には本当、辛い都市なのではないだろうか。私はこの都市には住みたくない。
クラプトンの武道館コンサートに行く [ロック音楽]
4月26日(月)のクラプトンの武道館コンサートに行く。大学時代から行っているので、何回目か分からないが、5回目か6回目ぐらいかと思う。当初は、それほど行く気はなかったのだが、ジェフ・ベックの訃報を聞き、行ける時に行こうと思ってチケットを購入した。そんな感じだったので、北西のX列(最後尾)というほとんど最悪の席(A席)であった。舞台とほぼ同じ方向に座るので、スクリーンを裏側から見ることになり、左右が逆だったりするが、意外とステージの距離は近いので、そんなに悪くはない。
さて、セトリではあるが、最初は知らないインストだけの曲。観客もポカンとしていたので、未発表曲か。次はJourney Manから「Pretending」。渋い選曲だ。そして、B.B.Kingとの共演やOne More Car, One More Riderなどに収録されていた「Key to the Highway」。そして「I am Your Hoochie Coochie Man」「I Shot the Sheriff」といった十八番の曲が続く。
ここでアコギに持ち替えて『Blues』に収録されていた「Kind Hearted Woman Blues, Derek and the Dominosのアルバムから 「Nobody Knows You When You’re Down」、J.J.ケールの「Call Me the Breeze」、次の曲もちょっと分からないのを演奏し、そしてクラプトンファン以外でも知っている「Tears in Heaven」、次の曲もちょっと知らなかった。
ここで再びエレキギターに持ち替えて「Badge」、「Wonderful Tonight」、「Crossroad」「Little Queen of Spades」、「Cocaine」というまさに王道のラインアップ。それまで、ちょっとクラプトンのコア・ファンでもなかなかついて行きにくいような選曲だったと思うが、最後はすっきり。さて、しかしアンコールはジョー・コッカーの「High Time We Went」。しかもキーボードがボーカルを取った。
アンコールは一曲で、結構、短い時間かなと思ったら21時近かった。全般的には、クラプトン本当に78歳?というぐらい、演奏もしゃべりもしっかりとしたコンサートであった。個人的には圧倒的に「Crossroad」と「Badge」が素晴らしいと思ったが、多くの客は「Tears in Heaven」と「Wonderful Tonight」に盛り上がっていた。なんか、違和感を覚えなくもないが、もう一度ぐらいクラプトンのライブを観たいと思わせるコンサートであった。
さて、セトリではあるが、最初は知らないインストだけの曲。観客もポカンとしていたので、未発表曲か。次はJourney Manから「Pretending」。渋い選曲だ。そして、B.B.Kingとの共演やOne More Car, One More Riderなどに収録されていた「Key to the Highway」。そして「I am Your Hoochie Coochie Man」「I Shot the Sheriff」といった十八番の曲が続く。
ここでアコギに持ち替えて『Blues』に収録されていた「Kind Hearted Woman Blues, Derek and the Dominosのアルバムから 「Nobody Knows You When You’re Down」、J.J.ケールの「Call Me the Breeze」、次の曲もちょっと分からないのを演奏し、そしてクラプトンファン以外でも知っている「Tears in Heaven」、次の曲もちょっと知らなかった。
ここで再びエレキギターに持ち替えて「Badge」、「Wonderful Tonight」、「Crossroad」「Little Queen of Spades」、「Cocaine」というまさに王道のラインアップ。それまで、ちょっとクラプトンのコア・ファンでもなかなかついて行きにくいような選曲だったと思うが、最後はすっきり。さて、しかしアンコールはジョー・コッカーの「High Time We Went」。しかもキーボードがボーカルを取った。
アンコールは一曲で、結構、短い時間かなと思ったら21時近かった。全般的には、クラプトン本当に78歳?というぐらい、演奏もしゃべりもしっかりとしたコンサートであった。個人的には圧倒的に「Crossroad」と「Badge」が素晴らしいと思ったが、多くの客は「Tears in Heaven」と「Wonderful Tonight」に盛り上がっていた。なんか、違和感を覚えなくもないが、もう一度ぐらいクラプトンのライブを観たいと思わせるコンサートであった。
ドゥービーブラザース@武道館(4月17日) [ロック音楽]
ドゥービーブラザースのライブを武道館で観る。それほど期待していなかったが、期待を上回る質の高いライブであった。アンコールはなかったが、50年のバンドの歴史から、ほぼ代表曲を網羅した選曲(個人的にはEchoes of Loveは聴きたかったが・・)で、多くの観客は大満足したのではないだろうか。
一曲目はデビュー・アルバムのA面一曲目の「Nobody」。そしてトム・ジョンストンの「Take Me In Your Arms」、マイケル・マクドナルドの「Here to Love You」、パトリック・シモンズの「Dependin’ On You」、トムの「Rockin’ Down the Highway」、マイケルの「You Belong to Me」と来たので、次はパットの曲かなと思ったら、新曲の「Easy」。おお、と思ったら次はパットの「South City Midnight Lady」。この曲、好きなんだよなあ。John のハープ・ギターがなんとも言えず、いい感じである。次は、ウドーさんへの感謝の曲という紹介の後、「Clear as the Driven Snow」。Captain and Meからの選曲だが随分と渋い。次は、マイケルの「It Keeps You Runnin’」。オリジナルとは随分と違ったアレンジだ。マイケル、高音が出にくそうだ。そして、トムの「Another Park, Another Sunday」、「Eyes of Silver」と4枚目のアルバムからの曲が演奏される。次は「Better Days」「Don’t Ya Mess With Me」というニューアルバムからの二曲。結構、クオリティが高いので驚く。そして、マイケルの「Real Love」、前作品「World Gone Crazy」のタイトル曲、マイケルの「Minute by Minute」。そこからは「Without You」、「Jesus Is Just Alright」、途中「What a Fool Believes」を挟みはしたが、「Long Train Runnin’」、「China Grove」というドゥービーブラザースの黄金期のトム・ジョンストン節が炸裂する。中年以上がほとんどの武道館も大盛り上がりで、70歳台の親爺で、これだけ盛り上げられるというのも大したものだ。そして、アンコール。アンコールはパットの「Black Water」、マイケルの「Takin’ to the Street」、トムの「Listen to the Music」で幕を閉じた。
あまり期待しなくて訪れたのが、50年の歴史がてんこ盛りの素晴らしいコンサートであった。
一曲目はデビュー・アルバムのA面一曲目の「Nobody」。そしてトム・ジョンストンの「Take Me In Your Arms」、マイケル・マクドナルドの「Here to Love You」、パトリック・シモンズの「Dependin’ On You」、トムの「Rockin’ Down the Highway」、マイケルの「You Belong to Me」と来たので、次はパットの曲かなと思ったら、新曲の「Easy」。おお、と思ったら次はパットの「South City Midnight Lady」。この曲、好きなんだよなあ。John のハープ・ギターがなんとも言えず、いい感じである。次は、ウドーさんへの感謝の曲という紹介の後、「Clear as the Driven Snow」。Captain and Meからの選曲だが随分と渋い。次は、マイケルの「It Keeps You Runnin’」。オリジナルとは随分と違ったアレンジだ。マイケル、高音が出にくそうだ。そして、トムの「Another Park, Another Sunday」、「Eyes of Silver」と4枚目のアルバムからの曲が演奏される。次は「Better Days」「Don’t Ya Mess With Me」というニューアルバムからの二曲。結構、クオリティが高いので驚く。そして、マイケルの「Real Love」、前作品「World Gone Crazy」のタイトル曲、マイケルの「Minute by Minute」。そこからは「Without You」、「Jesus Is Just Alright」、途中「What a Fool Believes」を挟みはしたが、「Long Train Runnin’」、「China Grove」というドゥービーブラザースの黄金期のトム・ジョンストン節が炸裂する。中年以上がほとんどの武道館も大盛り上がりで、70歳台の親爺で、これだけ盛り上げられるというのも大したものだ。そして、アンコール。アンコールはパットの「Black Water」、マイケルの「Takin’ to the Street」、トムの「Listen to the Music」で幕を閉じた。
あまり期待しなくて訪れたのが、50年の歴史がてんこ盛りの素晴らしいコンサートであった。
椎名林檎@名古屋国際会議場(4月15日) [ロック音楽]
久しぶりに椎名林檎の名古屋国際会議場でのライブに参戦する。なぜ、名古屋かというと、東京も大阪も落選してチケットを取れなかったからである。名古屋国際会議場は二回目である。ちなみに前回も椎名林檎のライブであった。さて、しかし、土曜日ということで19時ではなくて18時スタート。これは、その日のうちに東京に戻りたい私にとっては大変、有り難い。ライブは18時きっかりでスタート。最初はめちゃアコースティックに「あの世の門の」から始まる。次は「我れは梔子」と、他のアーティストへの提供曲。そして、「どん底まで」「かりそめ乙女」と続き、「走れわナンバー」、「JL005便で」と『日出処』の収録曲を演奏する。次は「青春の続き」と、またまた他のアーティストへの提供曲。そして、『娯楽』から「酒と下戸」、さらに3枚目から「意識」。オールド・ファンからするとこの「意識」は嬉しい。続くは「神様、仏様」。今回の林檎嬢は曲が進むごとに服を剥いでいくような演出がされていたのだが、もうこの曲の時は、ほとんどビキニ状態となっていた。こんな大天才、大ミュージシャンなのに、こんなサービスまでして本当に凄いプロだ。まあ、一方で四十を過ぎたとは思えない見事なプロモーションを顕示したいという気持ちがもしかしたらあるのかもしれない。「TOKYO」と比較的新しい曲が続き、事変の「天国へようこそ」。ちょっと懐かしい。次は三毒史から「鶏と蛇と豚」。ここで、林檎嬢、一人、ピアノの前に座り、弾き語りで『無罪モラトリアム』から「同じ夜」。ピアノの演奏の凄さも然る事ながら、その楽曲のレベルの高さ、編曲の創造性に、あらかじめ100年に一度の天才であることを思い知らされる。続くは「人生は夢だらけ」、「仏だけ徒歩」。さらに、まっさらの新曲の「私は猫の目」。PVをバックに演奏するのだが、PVで演じるのがBambi。Bambiもいつのまにか大人になっている。ただ、新曲は特に感動はあまり覚えなかった。そして、これも新曲に近い「公然の秘密」。続いて『大発見』から「女の子は誰でも」。次は、ザ・バングルスの「Ethernal Flame」。これは1988年に発表されているので、椎名林檎が子供の頃に聞いていたのかもしれない。ただ、周りのファンはポカンとしているものが多かった。そして「いろはにほへと」、おじゃま丸のエンディング・テーマである「いとをかし」。ちょっと、緊張感が緩んだような気分になった後は、怒濤の「長く短い祭」「緑酒」「NIPPON」と一挙に畳みかける。少し、涙腺が緩む。年を取ったということかもしれない。ここらへんの曲は、林檎嬢の凜とした死生観が素晴らしく歌詞に表れていて、その素晴らしいメロディとともに心にグッとくるのである。ここでバンドはステージを去り、アンコール。林檎嬢は婦人警官のコスプレで現れ、「母国情緒」と「ありあまる富」を歌う。「ありあまる富」、改めて本当にいい曲で心を揺さぶる。
名古屋国際会議場は、交通の便は悪くはないが、スピーカーは今ひとつであったと思う。私は12列という前の方だったので、それでもそれなりの音圧は感じられたが、後ろの方は相当、迫力が欠けていたのではないかと思ったりする。クラシック用のコンサート・ホールでのロック・ミュージック、というかスピーカー音楽の難しさをちょっと気づいた次第である。とはいえ、4年半ぶりの椎名林檎、相変わらずのクオリティの高さとエンタテインメント・サービスの素晴らしさに強い感銘を覚えた。あと、ドラマーとピアニストは驚くほど演奏力が高いと思われる。
名古屋国際会議場は、交通の便は悪くはないが、スピーカーは今ひとつであったと思う。私は12列という前の方だったので、それでもそれなりの音圧は感じられたが、後ろの方は相当、迫力が欠けていたのではないかと思ったりする。クラシック用のコンサート・ホールでのロック・ミュージック、というかスピーカー音楽の難しさをちょっと気づいた次第である。とはいえ、4年半ぶりの椎名林檎、相変わらずのクオリティの高さとエンタテインメント・サービスの素晴らしさに強い感銘を覚えた。あと、ドラマーとピアニストは驚くほど演奏力が高いと思われる。
フィンランドではお酒は国の施設でしか販売できない [グローバルな問題]
フィンランドではアルコール度が強いお酒を売る店は国営だそうだ。つまり、民営のスーパーマーケットでは売れないらしい。5.5%とかそれぐらいが基準で、それ以下であればスーパーでも売れるが、それ以上であれば国営の店でしか売れない。これは、アルコール依存症の問題などがあったためであり、強いお酒を入手させにくくすることが目的のようだ。スウェーデンも同じような制度があるそうである。
なんか厳しいなあ、と思ったけど、よく考えたら自分もお酒はほとんどレストランとか小料理屋、居酒屋でしか飲まないし、スーパーマーケットで買うのは麦酒ぐらいだから、そんなに問題がないかもしれない。
ただ、日本と大きく違うのは、冬が暗くて寒くて、精神的に滅入るということだ。冬を乗り越えるためにはアルコールに依存したくなるようだ。この北欧の冬は経験したことがないので何ともいえないが、このような制度が必要なぐらい、厳しいのかもしれない。
なんか厳しいなあ、と思ったけど、よく考えたら自分もお酒はほとんどレストランとか小料理屋、居酒屋でしか飲まないし、スーパーマーケットで買うのは麦酒ぐらいだから、そんなに問題がないかもしれない。
ただ、日本と大きく違うのは、冬が暗くて寒くて、精神的に滅入るということだ。冬を乗り越えるためにはアルコールに依存したくなるようだ。この北欧の冬は経験したことがないので何ともいえないが、このような制度が必要なぐらい、厳しいのかもしれない。
言うことを聞かない大学生(パート2) [教育論]
もう5年ぐらい前であるが、大学生が言うことを聞かないことをこのブログで書いたことがある(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2019-08-06)。最近では、もう敢えて、もう日常的になったので、ここで書くような気持ちにもならなかったのだが、昨日、大学生を連れて羽田空港で通関するときのことである。今、Visit Japan というアプリがあって、通関手続きを事前にすることができる。しかし、実際、通関する時にはこのアプリを空港にあるスキャンの機械で読み込まなくてはならず、そのために長蛇の列ができていた。そこで、従来のように用紙に情報を書き込ませて、通関手続きをするようにと、用紙を配付して指示した。用紙での手続きもそこそこ並んでいたが、それでも比較的早く通関手続きは済んだ。そこで、通関の出口で学生を待っていたら3名ほどがなかなか出てこない。どうしたのか、と思ったら、私の指示に従わず、Visit Japan のアプリをスキャンする機械に並んで通関手続きをしようとしたらしい。まあ、私の判断が間違っていると思ったのかもしれないが、なんでそれでも言うことを聞けないのであろうか。5分は彼女らの身勝手で無駄になった。私の指示に従っておいて遅れたら、私の責任だから従っていればいいのである。というか、私の指示が間違っても、結果的に他の学生を待つことになるので、どっちにしろ指示に従わないメリットは、私の判断がまずいということを証明する意外の何の意味もない。しかも、判断は結果的に正しかったし。私の指示に従わなくて遅れたら、どう責任を取るのか。というのも、この5分のロスで伊丹空港への接続便に乗るのがギリギリになってしまったからである。乗れたからいいものも、乗れなかったらどうするんだろう。
本当、この子達を採用した会社、組織は将来、心配だ。
本当、この子達を採用した会社、組織は将来、心配だ。
『エブリシング・エブリホエア・オール・アット・ワンス』 [映画批評]
2022年の製作のハリウッド映画で、今年のグラミー賞を総ナメした『エブリシング・エブリホエア・オール・アット・ワンス』を観た。パラレル・ワールドのストーリーで、プロットは比較的興味深いが、その世界観はマトリックスには遠く及ばず、ジョジョの不思議な冒険の第七部「スティール・ボール・ラン」の方が迫力があった。ただ、この映画はグラミー賞の主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞をとるだけあって、俳優の演技はよくて、それが、この荒唐無稽なシナリオを救っている。
しかし、このSF映画がハリウッドでこれだけ評価されたのは、むしろハリウッド映画の近年のストーリー・テリングの貧相さを示唆していると考える。というのは、日本人は、この程度のストーリーではワクワクしないぐらい、「ジョジョの不思議な冒険」に始まり、「20世紀少年」、「サイボーグ009」、「鉄腕アトム」など極めて物語性の高いSFに小さい時から染まっているからである。私が小学生の時、「スターワーズ」のブームが起きたが、私はウルトラマン・シリーズの方がはるかに格好よく、宇宙人も洗練されていると思ったものである。その気持ちは今も変わらない。もちろん、ハリウッドのSF映画でも「ブラジル」や「ブレード・ランナー」などは大好きではあるが、総じて、日本の方がはるかに刺激的な作品が多いと思う。そういうのが日本のアニメが世界のオタクに受けいれられている背景にあるのかと思うが、エブエブはそういう素養の浅いアメリカ人には受けても、日本人にはそんなに受けないのじゃないかな、と思わせる。
しかし、このSF映画がハリウッドでこれだけ評価されたのは、むしろハリウッド映画の近年のストーリー・テリングの貧相さを示唆していると考える。というのは、日本人は、この程度のストーリーではワクワクしないぐらい、「ジョジョの不思議な冒険」に始まり、「20世紀少年」、「サイボーグ009」、「鉄腕アトム」など極めて物語性の高いSFに小さい時から染まっているからである。私が小学生の時、「スターワーズ」のブームが起きたが、私はウルトラマン・シリーズの方がはるかに格好よく、宇宙人も洗練されていると思ったものである。その気持ちは今も変わらない。もちろん、ハリウッドのSF映画でも「ブラジル」や「ブレード・ランナー」などは大好きではあるが、総じて、日本の方がはるかに刺激的な作品が多いと思う。そういうのが日本のアニメが世界のオタクに受けいれられている背景にあるのかと思うが、エブエブはそういう素養の浅いアメリカ人には受けても、日本人にはそんなに受けないのじゃないかな、と思わせる。
宇宙団@新代田(レコ発ライブ) [ロック音楽]
3月29日、宇宙団が3枚目のCDを発売したので、レコ発のライブを観に新代田フィーバーへ。今回のライブは5人体制になってからの初めてのワンマン・ライブで、宇宙団ファンである私にとっては素晴らしいライブとなった。3枚目のCDからは9曲全曲、それに1枚目からは「恋は宇宙」、そしてひさしぶりの「オンタイムディスコ」、2枚目からは「文明鎮座」、「夏に寄せて」、「日本のヒーロー」、さらには、もう日本音楽史に残るのではと思わせる「エンドロール」、「ユートピア」を演奏した。90分ぐらいのライブなのでなかなか満足したのではと思われるかもしれないが、なんで2枚目の代表曲「ヘルプ」と「ラブリーチューンXX」を演奏しないんだ!これはドゥービーブラザースが「チャイナ・グローブ」と「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しないのと同じようなもんじゃないか!と思わなくもないが、代わりに演奏した曲もいいので取りあえずよしとします。宇宙団は捨て曲、ないんで。新メンバーの今野君はカッティングが半端なく格好いい。そして、高のしまは、それまで宇宙団に欠けていたアイドル的な魅力を有している。まあ、これから先が期待できます。
フィンランドの子供の給食を食べない問題 [グローバルな問題]
フィンランドの子供の3割ぐらいが給食を食べないそうだ。フィンランドでは小学校で無料の給食が提供されている。これは、子供たちにしっかりと栄養を取ってもらうことと、社会的公平性を意識してのことだそうだ。金持ちと貧乏人が同じ食事で育つ、というのは社会的安定性にも繋がるし、個人的にはとてもいいことだと思う。働くお母さん(いや、お弁当はお母さんが必ずしもつくる必要はないかとは思うが)にも有り難い制度だと思う。
さて、しかし、その給食も食べてもらわなくてはその役割を果たせない。それじゃあ、なんで食べないのか、と尋ねると、「嫌いなものを拒否するというのがクール(格好いい)というような風潮があるからだ」との回答を受けた。つまり、「お前、こんな不味いものを食えるのかよ」と発言が強い同級生が言うと、「俺もこんなものは食わないわ」と同調するそうだ。え、そんなもんかな、と思ったりもしたが、多くの現地の先生が、「うんだ、うんだ」とその意見に頷いたので、そうなのかもしれない。
私とかも確かにアメリカの小学校に通っていた時、これは食べる、これは食べない、といやに好き嫌いが激しく、我が儘だった悪ガキがいた。ただ、この悪ガキが、みんなが嫌いだった「チリ・ビーンズ」を「これは俺の好物なんだ」と嬉しそうに食べていたのをみて感心したことを記憶している。私も当時は、この「チリ・ビーンズ」が嫌いだったからだ。
自分の子供の記憶を振り返っても、アメリカ人の子供の方が日本人の子供に比べて、はるかに好き嫌いが激しく偏食が多い。すなわち、我が儘である。日本人の子供は、給食で「好き嫌い」を相当、強制的に直させられるので、それは長期的にみると子供にとってプラスだと思う。なぜなら子供の舌は必ずしも、その成長にプラスなものを求めるとは限らないからだ。
しかし、この日本の話をフィンランドでしたら、それはハラスメントだと言われる。確かに、そのような側面もないとは言わないが、家庭でしっかりと偏食を直せるだけの余裕があればいいが、実際はなかなか難しい家庭も多いのではないだろうか。偏食は生きていくうえで経済的にも栄養的にも不利をもたらすだけでなく、豊かな食生活を享受する機会を奪う。フィンランドは世界で一番、料理が不味いと言われる。その理由はいくつかあるだろうが、給食を残す子供の割合を減らす施策をすることで、少しは改善できるのではないだろうか。
さて、しかし、その給食も食べてもらわなくてはその役割を果たせない。それじゃあ、なんで食べないのか、と尋ねると、「嫌いなものを拒否するというのがクール(格好いい)というような風潮があるからだ」との回答を受けた。つまり、「お前、こんな不味いものを食えるのかよ」と発言が強い同級生が言うと、「俺もこんなものは食わないわ」と同調するそうだ。え、そんなもんかな、と思ったりもしたが、多くの現地の先生が、「うんだ、うんだ」とその意見に頷いたので、そうなのかもしれない。
私とかも確かにアメリカの小学校に通っていた時、これは食べる、これは食べない、といやに好き嫌いが激しく、我が儘だった悪ガキがいた。ただ、この悪ガキが、みんなが嫌いだった「チリ・ビーンズ」を「これは俺の好物なんだ」と嬉しそうに食べていたのをみて感心したことを記憶している。私も当時は、この「チリ・ビーンズ」が嫌いだったからだ。
自分の子供の記憶を振り返っても、アメリカ人の子供の方が日本人の子供に比べて、はるかに好き嫌いが激しく偏食が多い。すなわち、我が儘である。日本人の子供は、給食で「好き嫌い」を相当、強制的に直させられるので、それは長期的にみると子供にとってプラスだと思う。なぜなら子供の舌は必ずしも、その成長にプラスなものを求めるとは限らないからだ。
しかし、この日本の話をフィンランドでしたら、それはハラスメントだと言われる。確かに、そのような側面もないとは言わないが、家庭でしっかりと偏食を直せるだけの余裕があればいいが、実際はなかなか難しい家庭も多いのではないだろうか。偏食は生きていくうえで経済的にも栄養的にも不利をもたらすだけでなく、豊かな食生活を享受する機会を奪う。フィンランドは世界で一番、料理が不味いと言われる。その理由はいくつかあるだろうが、給食を残す子供の割合を減らす施策をすることで、少しは改善できるのではないだろうか。
2021年の欧州グリーン首都「ラハティ」を訪れる [サステイナブルな問題]
フィンランドのラハティを訪れている。ラハティは2021年の欧州グリーン首都に選定された。「持続可能性」が評価されてのことだが、具体的にはどういうことなのだろうか。まず、交通。自転車のネットワーク整備、交通モバイル・アプリの開発などをしている。次は土地利用。緑地の整備、あと住宅地の高密度化などが図られている。そして、生物多様性。都市のそばに優れた自然環境が提供されている。モモンガなどが生息している。あと大気の管理。そして、リサイクル。ラハティは繊維産業が盛んだが、そこから出る産業廃棄物もしっかりとリサイクルするように心がけられている。企業が行政と協働して循環型システムを構築しようとしている。あとリサイクルは、カンやビンを回収のためにもっていくとお金をもらうことができる。ちなみにカンでも回収にもっていくと15セント返金してもらえる。水質管理は湖の汚染問題に対応してきたが治水にもしっかりと対応、下水道の管理もしっかりとやってきている。
ただ、オリジナルなアイデアは特に見つからない。リサイクル率(41%)を高めるための施策は、子供にしっかりとリサイクルの大切さを教育したことであると説明したが、これはまさにジャイメ・レルネル氏のもとでクリチバ市が1990年頃に実施した政策である。下水を池に貯めて葦などの草を使って浄化するというのは日本を含めてアジアの諸地方で実施されてきたことである。ただ、それらを謙虚に学び、何か自分達のプラスになると考えたら積極的に導入するということは、簡単なようで難しい。それに対してはラハティを評価することができるのではないだろうか。ただ、多くの環境先進都市を訪れて「それは凄いアイデアだ!」といった、驚くような発見をすることはなかった。
ただ、オリジナルなアイデアは特に見つからない。リサイクル率(41%)を高めるための施策は、子供にしっかりとリサイクルの大切さを教育したことであると説明したが、これはまさにジャイメ・レルネル氏のもとでクリチバ市が1990年頃に実施した政策である。下水を池に貯めて葦などの草を使って浄化するというのは日本を含めてアジアの諸地方で実施されてきたことである。ただ、それらを謙虚に学び、何か自分達のプラスになると考えたら積極的に導入するということは、簡単なようで難しい。それに対してはラハティを評価することができるのではないだろうか。ただ、多くの環境先進都市を訪れて「それは凄いアイデアだ!」といった、驚くような発見をすることはなかった。
フィンランドが世界一幸福である背景 [グローバルな問題]
アメリカンの調査会社であるギャラップ社が、「世界幸福度ランキング」というものを発表している。これは世界149カ国を対象としたものだが、それが2022年まで5回連続で首位となったのがフィンランドである。この世界幸福度は「国民一人当たりのGDP」、「社会支援」「健康寿命」「人生選択の自由」「他者への寛容さ」「汚職や腐敗の認知」「世界最低の国の平均値との残余値を合計したもの」という7つの指標の和として評価されている。
ちなみに、フィンランドの次はデンマーク、アイスランド、スイス、オランダと続き、アメリカは16位、日本は54位である。日本は圧倒的に「他者への寛容さ」が低い。
そこで、フィンランド人に「何で?」と尋ねたら、人を「リスペクト」するからじゃないか、との回答。リスペクトされると幸せな気分になるし、周りの人をリスペクトするとちょっと気分がいい。確かに、私は最近、大学で怒ることが多いが、それが事務が教員をあまりにもリスペクトしないからだ。その結果、こちらもリスペクトしなくて、幸せではない仕事環境になってしまう。そのような環境が「他者への寛容さ」の著しい低い点に繋がっているとしたら残念だ。53位のウズベキスタンの方がこの点ははるかに高い。
このような指標をみると、フィンランドから学ぶことは多いかもしれない。ちなみに、我々がお世話になったラハティ応用科学大学では、ロシア人の助手と、今回の戦争で亡命してきたウクライナ人の助手とが一緒に仲良く働いていた。よく考えれば当たり前の光景なのかもしれないが、こういうことは日本だとなかなか上手くできないような気もする。アメリカとかだともっと悲惨かもしれないが。
ちなみに、フィンランドの次はデンマーク、アイスランド、スイス、オランダと続き、アメリカは16位、日本は54位である。日本は圧倒的に「他者への寛容さ」が低い。
そこで、フィンランド人に「何で?」と尋ねたら、人を「リスペクト」するからじゃないか、との回答。リスペクトされると幸せな気分になるし、周りの人をリスペクトするとちょっと気分がいい。確かに、私は最近、大学で怒ることが多いが、それが事務が教員をあまりにもリスペクトしないからだ。その結果、こちらもリスペクトしなくて、幸せではない仕事環境になってしまう。そのような環境が「他者への寛容さ」の著しい低い点に繋がっているとしたら残念だ。53位のウズベキスタンの方がこの点ははるかに高い。
このような指標をみると、フィンランドから学ぶことは多いかもしれない。ちなみに、我々がお世話になったラハティ応用科学大学では、ロシア人の助手と、今回の戦争で亡命してきたウクライナ人の助手とが一緒に仲良く働いていた。よく考えれば当たり前の光景なのかもしれないが、こういうことは日本だとなかなか上手くできないような気もする。アメリカとかだともっと悲惨かもしれないが。
羽田空港の国際線の手荷物検査が90分待ちだった [グローバルな問題]
羽田空港の国際線ターミナルを使った。飛行機の出発時間の2時間前に着いたので余裕かと思ったら、なんと手荷物検査に信じられないような長蛇の列が出来ていた。最後尾の看板を持っていた人にここからだと何分ですか、と尋ねると「90分は待ちますね」と回答する。90分だと間に合わない。とはいえ、何をしていいか分からないのでとりあえず並んで待っていた。途中、係員に尋ねると「JALだったらFacial Passが使えます」と教えてくれた。幸い、JALだったのでFacial Passを使い、すぐ手荷物検査をすることができた。現時点でJALしか使えないような状況だったのでついていたが、いやはや、どうなっているんだ、羽田空港。これじゃあ、まるでブラジルとかインドネシアだ。
全般的に世界に誇る日本の効率性があちらこちらで失われている。これの経済的ロスも相当、大きいのではないかと思われる。しかし、それを日本が招いていることもあるだろう。例えば、関空を利用する国際線が大幅に減少したので、ニューヨーク大都市圏と同じ関西大都市圏の人々が羽田空港を使うことを余儀なくされている。1億2000万人の人口を擁して、世界3番目の経済規模の国が国際線ターミナルを実質的に二つ(羽田と成田)にしていれば、必然的にこのような混雑と混乱が生じるのは当たり前である。
そりゃ、経済も低迷するよな。効率性とユビキュタス性を失えば、そりゃ厳しくなる、ということをこの手荷物検査の90分待ちは我々に示唆していると思われる。
全般的に世界に誇る日本の効率性があちらこちらで失われている。これの経済的ロスも相当、大きいのではないかと思われる。しかし、それを日本が招いていることもあるだろう。例えば、関空を利用する国際線が大幅に減少したので、ニューヨーク大都市圏と同じ関西大都市圏の人々が羽田空港を使うことを余儀なくされている。1億2000万人の人口を擁して、世界3番目の経済規模の国が国際線ターミナルを実質的に二つ(羽田と成田)にしていれば、必然的にこのような混雑と混乱が生じるのは当たり前である。
そりゃ、経済も低迷するよな。効率性とユビキュタス性を失えば、そりゃ厳しくなる、ということをこの手荷物検査の90分待ちは我々に示唆していると思われる。
タグ:羽田空港
レルネルさんと車 [都市デザイン]
クリチバ市の元市長であったレルネルさんは、いろいろと自動車について興味深い発言をされてきた。「自動車は都市のコレステロールである」、「自動車は姑のようなものだ。やっかいだが縁を切る訳にはいかず、付き合っていかなくてはならない」などである。
さて、しかし、BRTを発明したレルネルさんが、どのような自家用車を保有していたのかは今まで尋ねることもしなかったし、彼が自家用車の話をしたことは一度もない。ただ、バスのネットワークが充実しているとはいえ、ブラジルの都市、クリチバである。さすがに自動車を保有しているだろう。ということで、今回、彼の次女のイラーニャさんと話をする機会に恵まれたので、そこらへんを知ることができた。
レルネルさんの自家用車はアルファ・ロメオ。おお、やはり腐っても市長、州知事だ。高級車に乗っていたのだな、と思ったら、イラーニャさんが、そのニックネームは「腐敗物」(Rotten)と言うではないか。どうも、このレルネルさんのアルファ・ロメオは中古車らしくて、あまりの酷さに奥様が付けたニックネームだそうだ。アルファ・ロメオというと日本だと高級車というイメージだが、ブラジルだとそれほど有り難い車ではないのかもしれない。しかし、有機物でもない自動車なのに「腐敗物」という渾名が付けられるとは、どんな車なのか。ちょっと興味が湧く。
ちなみに、そんな感じであるから、子供たちの車もおそろしく安い中古車しか買ってくれなかったそうだ。イラーニャさんは、お姉さんのお下がりをもらったので、もう本当に友達に見せるのが恥ずかしかったそうだ。しかし、そんなぼろ車なのに(というか、ぼろ車だからか)4回も盗難されたそうである。あまりにも盗難されるので、警察も4回目の盗難時は「まさか、また盗まれたんじゃないよな」とイラーニャさんの顔を見たら言ったそうである。さて、しかし、その話を私と一緒に聞いていたレルネルさんの市長時代に環境部長を務めた中村ひとしさんの長女のサンドラさんは「私は6回盗まれましたよ」と言ったので、またまた驚き。ちなみに中村ひとしさんも、レルネルさんも自動車は一度も盗まれていないので、盗まれ癖というのはあるかもしれない。
サンドラさんは、一度は、友達の家に行き、自動車から降りようとしたら、自動車泥棒に銃口を頭に突きつけられて、車に戻れ、と言われたことがあるそうだ。彼女は強く拒否して抵抗し、友達のマンションの守衛が現れたすきをみて逃げ出し事なきを得たのだが(というか、その後、友達と一緒に自分の車に乗って逃走した泥棒グループを追いかけた)、なんかブラジルで生きることは日本と本当、危険度のレベルが半端ないなということを、こういうエピソードからも思い知らされる。
まあ、話が逸れてしまったが、レルネルさんはやはり自動車をそんなに好きじゃないんだな、ということを知る。
ちなみに、私も「自動車に乗らない贅沢」などと宣っていたが、京都に大学を移した時に生まれて初めて55歳で自動車を買った(それまでは父親が亡くなった時、彼の車を相続したりしたことはある)。ミニだ。まあ、ほとんど使わないが、バンドの練習(エフェクターが重いので)、京都と東京間で荷物を運ぶ時と、山登り、スキー(一年に一度行けるかどうかぐらいだが)では使っている。
さて、しかし、BRTを発明したレルネルさんが、どのような自家用車を保有していたのかは今まで尋ねることもしなかったし、彼が自家用車の話をしたことは一度もない。ただ、バスのネットワークが充実しているとはいえ、ブラジルの都市、クリチバである。さすがに自動車を保有しているだろう。ということで、今回、彼の次女のイラーニャさんと話をする機会に恵まれたので、そこらへんを知ることができた。
レルネルさんの自家用車はアルファ・ロメオ。おお、やはり腐っても市長、州知事だ。高級車に乗っていたのだな、と思ったら、イラーニャさんが、そのニックネームは「腐敗物」(Rotten)と言うではないか。どうも、このレルネルさんのアルファ・ロメオは中古車らしくて、あまりの酷さに奥様が付けたニックネームだそうだ。アルファ・ロメオというと日本だと高級車というイメージだが、ブラジルだとそれほど有り難い車ではないのかもしれない。しかし、有機物でもない自動車なのに「腐敗物」という渾名が付けられるとは、どんな車なのか。ちょっと興味が湧く。
ちなみに、そんな感じであるから、子供たちの車もおそろしく安い中古車しか買ってくれなかったそうだ。イラーニャさんは、お姉さんのお下がりをもらったので、もう本当に友達に見せるのが恥ずかしかったそうだ。しかし、そんなぼろ車なのに(というか、ぼろ車だからか)4回も盗難されたそうである。あまりにも盗難されるので、警察も4回目の盗難時は「まさか、また盗まれたんじゃないよな」とイラーニャさんの顔を見たら言ったそうである。さて、しかし、その話を私と一緒に聞いていたレルネルさんの市長時代に環境部長を務めた中村ひとしさんの長女のサンドラさんは「私は6回盗まれましたよ」と言ったので、またまた驚き。ちなみに中村ひとしさんも、レルネルさんも自動車は一度も盗まれていないので、盗まれ癖というのはあるかもしれない。
サンドラさんは、一度は、友達の家に行き、自動車から降りようとしたら、自動車泥棒に銃口を頭に突きつけられて、車に戻れ、と言われたことがあるそうだ。彼女は強く拒否して抵抗し、友達のマンションの守衛が現れたすきをみて逃げ出し事なきを得たのだが(というか、その後、友達と一緒に自分の車に乗って逃走した泥棒グループを追いかけた)、なんかブラジルで生きることは日本と本当、危険度のレベルが半端ないなということを、こういうエピソードからも思い知らされる。
まあ、話が逸れてしまったが、レルネルさんはやはり自動車をそんなに好きじゃないんだな、ということを知る。
ちなみに、私も「自動車に乗らない贅沢」などと宣っていたが、京都に大学を移した時に生まれて初めて55歳で自動車を買った(それまでは父親が亡くなった時、彼の車を相続したりしたことはある)。ミニだ。まあ、ほとんど使わないが、バンドの練習(エフェクターが重いので)、京都と東京間で荷物を運ぶ時と、山登り、スキー(一年に一度行けるかどうかぐらいだが)では使っている。
映画『ドライブ・マイ・カー』 [映画批評]
第74回カンヌ国際映画祭で日本映画初となる脚本賞を含む計3部門を受賞した2021年の映画。第94回アカデミー賞でも国際長編映画賞を受賞した。ということで、見なくてはいけないな、と思っていたのだが、国際線に乗ったらちょうどビデオ・ライブラリーに含まれていたので観た。
さて、その内容だがたいへん濃く、いろいろと考えさせられるいい映画であった。流石、村上春樹という感じで、最後の主人公の心情の吐露は心を揺さぶる。その主人公を演じた西島秀俊の演技は村上春樹がつくりだす空気感にぴったりと合っている。見事な配役だ。韓国や台湾といった俳優陣もなかなかよく、この映画の魅力を増すのに貢献している。
カンヌ国際映画祭やアカデミー賞で受賞するだけの、国境を越えて人間に訴える力を持っている映画である。若い人にはどう響くか分からないが、私のように還暦に近い人間にはちょっと心を揺さぶるような力を持った映画である。
![ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 [Blu-ray] ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/51jHIizcfyL._SL160_.jpg)
さて、その内容だがたいへん濃く、いろいろと考えさせられるいい映画であった。流石、村上春樹という感じで、最後の主人公の心情の吐露は心を揺さぶる。その主人公を演じた西島秀俊の演技は村上春樹がつくりだす空気感にぴったりと合っている。見事な配役だ。韓国や台湾といった俳優陣もなかなかよく、この映画の魅力を増すのに貢献している。
カンヌ国際映画祭やアカデミー賞で受賞するだけの、国境を越えて人間に訴える力を持っている映画である。若い人にはどう響くか分からないが、私のように還暦に近い人間にはちょっと心を揺さぶるような力を持った映画である。
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ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
- 発売日: 2022/02/18
- メディア: Blu-ray
タグ:ドライブ・マイ・カー 村上春樹
クリチバの最大・最凶のファベラ『カシンバ』を訪れる [サステイナブルな問題]
ブラジルの最大の都市問題は、これはやはり不法占拠(ファベラ)問題に尽きると思う。不法占拠は本当に根が深くて、ブラジリアとかだと金持ちでも不法占拠をするので、単に貧困の問題として片付けられないところがある。そこは、警察も政府も入ることができない無法地帯である。
さて、しかし、クリチバはこのファベラ問題に果敢に対処して、大きな成果をあげてきた。具体的には社会住宅という名の公共住宅を大量に供給し、これらファベラに住んでいる人達がそこから移り住めることを可能とした。また、ごみ問題に関しては、ユネスコからも賞を受けた「ゴミ買い運動」などで見事に対処した。
しかし、カシオ谷口氏が市長を辞めてからの16年間ぐらいの都市計画空白期間にファベラ問題が放置されたこともあり、クリチバも他のブラジルの都市のようなファベラが増えつつある。私が調べた時点(2023年3月)では、クリチバのファベラの数は30ぐらいだそうだ。そして、そのようなファベラの中でも現在、最大で最凶なのはクリチバ市の最南部、イグアス川とバリグイ川の合流点そばにできたカシンバである。
カシンバの土地は、そもそもは民地であった。しかし、バリグイ川の上流にあったペトロブラスの石油精製所が石油流出という事故を起こし、その賠償として、この民地を買い取った。そして、パラナ州政府に譲渡する。パラナ州政府は、その後、ここを何もせずに放っておいた。そしたら不法占拠が始まったのである。ここの開発状況を時系列で、空中写真で見ることができるのだが、もう、本当、あっという間にどんどんと広がっていることが分かる。
これはクリチバの前回の市長選(2016年)でも争点となり、当選したグレカ市長は、このファベラの存在を市の最大の課題として位置づけ、フランスの開発銀行のお金を獲得して、ここをどうにかしようと取り組んでいる。グレカ市長は、1992年に3期目のレルネル市長の後を継いで37歳という若さで市長になった人で、途中、多少、政党的にはアンチ・レルネル派になったりしたが、都市計画でクリチバの都市問題を解決するというアプローチはレルネル市長と同じである。
このカシンバ問題は、クリチバ市の都市計画研究所(IPPUC)が先頭に立っている。私も取材をしたのだが、IPPUCの人達も久しぶりに都市計画に盛り上がっている。ただ、ファベラのギャングのボスを捕まえようとして、大量の警官が取り締まろうと家宅捜査するが取り逃がし、それでファベラのボスが切れてコミュニティのキーパーソンだった女性が通報したと誤解して殺害。その女性を支持していた反ギャング派がボスと実行班の二人を殺害。警官もそうだが、市役所もなかなかファベラに入れないような状況になっている。
そこでIPPUCとファベラのコミュニティを繋いでいるのが元クリチバの環境局長であり「ごみ買い運動」を推進した中村ひとしさんの長女、サンドラさんである。市役所の職員であったお父さんと民間のサンドラさんとでは立場は違うが、同じようにファベラの人達とコミュニケーションを通じて、その状況を改善させようとしているのは運命的である。私もサンドラさんと一緒に現地に行かせてもらった。彼女は現在、コミュニティ・キッチンに食材を提供する仕事をしているので、コミュニティ・キッチンとそこのリーダーであるおばさんを訪れさせてもらった。このコミュニティ・キッチンには巨大な冷蔵庫が数台あり、その中には食材が保管されている。一日に一度、食べ物をコミュニティの人達に配付することをしているようだ。
ちなみに、私が握手をしたコミュニティ・キッチンのおばさんの息子が、ギャングのボスを殺した暗殺者の可能性もあるそうだ。なんか、にこやかな青年に見えたんだけど。また、サンドラさんは、このコミュニティ・キッチン側には随分と信頼されているようで、「誰か殺したい奴がいたら言ってくれ、殺しておくから」と言われたそうだ。なんか、こういうギャング的な世界は全然、縁がないのでもう驚くしかない。
カシンバは社会的な問題もそうだが、環境的にもバリグイ川が氾濫すると、コミュニテイの半分以上が水没するそうだ。そういう意味でも、現在、氾濫原からちょっと標高が高い場所に新たに住宅をつくり、そこに移転させる計画を策定しているそうだ。
しかし、そのような開発が行われるとニュースに報道されたりしたので、カシンバに来る人が増えている。そこで、新しい人達は補助の対象にならないのと、フランスの開発銀行に提出した申請書と実際の数字が異なると補助金がもらえなくなる、ということをコミュニティの人達に説明した。その結果、新たに来る人にここには住まないでくれ、と伝えるのはコミュニティの人達が積極的にしてくれるとのことである。
さて、現在、総力でカシンバ問題に取り組んでいるクリチバ市役所であるが、昔であったら、こういうファベラが出来そうだと、すぐ迅速に対応して、問題が大きくなる前に芽を取っていた。それが、官僚主義がクリチバ市でも広がってしまい、問題への対処が後手後手になってしまうようだ。いろいろと考えさせられるクリチバのカシンバ問題である。

<カシンバの中央通り?>

<この地域はバリグイ川が氾濫すると水没する>

<クリチバ市のファベラでは見られないゴミの多さ。これでも、ちょっと前よりは随分と改善はされているそうだ>

<コミュニティ・キッチン>
さて、しかし、クリチバはこのファベラ問題に果敢に対処して、大きな成果をあげてきた。具体的には社会住宅という名の公共住宅を大量に供給し、これらファベラに住んでいる人達がそこから移り住めることを可能とした。また、ごみ問題に関しては、ユネスコからも賞を受けた「ゴミ買い運動」などで見事に対処した。
しかし、カシオ谷口氏が市長を辞めてからの16年間ぐらいの都市計画空白期間にファベラ問題が放置されたこともあり、クリチバも他のブラジルの都市のようなファベラが増えつつある。私が調べた時点(2023年3月)では、クリチバのファベラの数は30ぐらいだそうだ。そして、そのようなファベラの中でも現在、最大で最凶なのはクリチバ市の最南部、イグアス川とバリグイ川の合流点そばにできたカシンバである。
カシンバの土地は、そもそもは民地であった。しかし、バリグイ川の上流にあったペトロブラスの石油精製所が石油流出という事故を起こし、その賠償として、この民地を買い取った。そして、パラナ州政府に譲渡する。パラナ州政府は、その後、ここを何もせずに放っておいた。そしたら不法占拠が始まったのである。ここの開発状況を時系列で、空中写真で見ることができるのだが、もう、本当、あっという間にどんどんと広がっていることが分かる。
これはクリチバの前回の市長選(2016年)でも争点となり、当選したグレカ市長は、このファベラの存在を市の最大の課題として位置づけ、フランスの開発銀行のお金を獲得して、ここをどうにかしようと取り組んでいる。グレカ市長は、1992年に3期目のレルネル市長の後を継いで37歳という若さで市長になった人で、途中、多少、政党的にはアンチ・レルネル派になったりしたが、都市計画でクリチバの都市問題を解決するというアプローチはレルネル市長と同じである。
このカシンバ問題は、クリチバ市の都市計画研究所(IPPUC)が先頭に立っている。私も取材をしたのだが、IPPUCの人達も久しぶりに都市計画に盛り上がっている。ただ、ファベラのギャングのボスを捕まえようとして、大量の警官が取り締まろうと家宅捜査するが取り逃がし、それでファベラのボスが切れてコミュニティのキーパーソンだった女性が通報したと誤解して殺害。その女性を支持していた反ギャング派がボスと実行班の二人を殺害。警官もそうだが、市役所もなかなかファベラに入れないような状況になっている。
そこでIPPUCとファベラのコミュニティを繋いでいるのが元クリチバの環境局長であり「ごみ買い運動」を推進した中村ひとしさんの長女、サンドラさんである。市役所の職員であったお父さんと民間のサンドラさんとでは立場は違うが、同じようにファベラの人達とコミュニケーションを通じて、その状況を改善させようとしているのは運命的である。私もサンドラさんと一緒に現地に行かせてもらった。彼女は現在、コミュニティ・キッチンに食材を提供する仕事をしているので、コミュニティ・キッチンとそこのリーダーであるおばさんを訪れさせてもらった。このコミュニティ・キッチンには巨大な冷蔵庫が数台あり、その中には食材が保管されている。一日に一度、食べ物をコミュニティの人達に配付することをしているようだ。
ちなみに、私が握手をしたコミュニティ・キッチンのおばさんの息子が、ギャングのボスを殺した暗殺者の可能性もあるそうだ。なんか、にこやかな青年に見えたんだけど。また、サンドラさんは、このコミュニティ・キッチン側には随分と信頼されているようで、「誰か殺したい奴がいたら言ってくれ、殺しておくから」と言われたそうだ。なんか、こういうギャング的な世界は全然、縁がないのでもう驚くしかない。
カシンバは社会的な問題もそうだが、環境的にもバリグイ川が氾濫すると、コミュニテイの半分以上が水没するそうだ。そういう意味でも、現在、氾濫原からちょっと標高が高い場所に新たに住宅をつくり、そこに移転させる計画を策定しているそうだ。
しかし、そのような開発が行われるとニュースに報道されたりしたので、カシンバに来る人が増えている。そこで、新しい人達は補助の対象にならないのと、フランスの開発銀行に提出した申請書と実際の数字が異なると補助金がもらえなくなる、ということをコミュニティの人達に説明した。その結果、新たに来る人にここには住まないでくれ、と伝えるのはコミュニティの人達が積極的にしてくれるとのことである。
さて、現在、総力でカシンバ問題に取り組んでいるクリチバ市役所であるが、昔であったら、こういうファベラが出来そうだと、すぐ迅速に対応して、問題が大きくなる前に芽を取っていた。それが、官僚主義がクリチバ市でも広がってしまい、問題への対処が後手後手になってしまうようだ。いろいろと考えさせられるクリチバのカシンバ問題である。

<カシンバの中央通り?>

<この地域はバリグイ川が氾濫すると水没する>

<クリチバ市のファベラでは見られないゴミの多さ。これでも、ちょっと前よりは随分と改善はされているそうだ>

<コミュニティ・キッチン>
ジャイメ・レルネル氏の次女のイラーニャさんと故人を偲ぶ [都市デザイン]
ジャイメ・レルネルさんの事務所を訪れ、次女のイラーニャさんとお会いする。会うのは初めてである。中村ひとしさんの長女のサンドラさんに同行していただいた。ジャイメさんは2021年5月27日に亡くなられたのだが、亡くなられる半年ぐらい前から体調が優れなくなっていた。イラーニャさんに言わせると「病気のショッピング・センター」。コロナがきっかけで亡くなったというのは事実のようだが、コロナに罹患した後は一時期、回復したそうだ。ただ、腎臓にダメージが及んだようで、その悪化で亡くなられた。ただ、亡くなるまでは本当、眠ってばかりであり、亡くなる時も眠りながら永眠されたそうだ。敬愛している人の最期のお話を聞くのは悲しくて辛いが、一方で救われた気持ちにもなる。亡くなられて1年半が経ち、ようやく私もお送りすることができた気持ちになる。
さて、せっかくの貴重な機会であったので、私が長年、疑問として抱いていた「なぜ、政治的なコネクションもないジャイメ・レルネル氏が34歳という若さで市長になれたのか」ということをイラーニャさんに尋ねてみた。その回答は次の通りである。
ジャイメ・レルネル氏はパラナ大学の土木工学科を卒業するが、その後、同大学に建築学科ができる。そこで、建築学科に入り直すのだが、教員が不足していたため、学生をしながら教員をするようなことをしていた。そして、その頃、サンパウロの都市計画コンサルタントがクリチバ市のマスタープランを作成するので、それを手伝ってくれとジャイメ達にお願いする。そして、一緒にマスタープランを作成するのだが、内容が気にいらなかったジャイメ達は大幅に変えてしまう。そして、そのマスタープランの提案としてつくられたIPPUC(クリチバ都市計画研究所)の初代所長となる。
そして、1971年にクリチバの市長にパラナ州知事によって任命されるのだが、その当時の市長は軍事政権下であり、あくまでもトップダウン。いつ首になってもいいような位置づけであった。イラーニャさんによれば、マスタープランの作成をし、IPPUCの所長であったジャイメを市長に任命するのは、市長の重みが軽い当時としては、それほど不思議ではないと言いつつ、このマスタープランを一緒に作成したレルネル氏より年輩のフォーティナイト氏は、この人事が随分と面白くなかったようだ。それから、ほぼ絶縁をして、レルネル氏と付き合うことはなかったと言う。このフォーティナイト氏は、自分が市長に任命されると確信していたそうで、レルネル氏が任命されたのは想定外であったそうである。なぜ、フォーティナイト氏ではなくて、レルネル氏なのか。それは、州知事との相性だったのではないか、というのがイラーニャさんの推察である。ちなみに州知事も任命制なので、こういう首長的ポストは現在とはまったく違う、ということのようである。
他にも中村ひとしさんとの凸凹コンビの話、レルネルさんの日本での思い出話、ぼろい中古車しか買ってくれずに恥ずかしい思いをした話などをしてくれた。改めて、ジャイメ・レルネル氏と知り合ったことが自分の人生にとっていかに貴重で有り難いことであるかを確信するような一日であった。
さて、せっかくの貴重な機会であったので、私が長年、疑問として抱いていた「なぜ、政治的なコネクションもないジャイメ・レルネル氏が34歳という若さで市長になれたのか」ということをイラーニャさんに尋ねてみた。その回答は次の通りである。
ジャイメ・レルネル氏はパラナ大学の土木工学科を卒業するが、その後、同大学に建築学科ができる。そこで、建築学科に入り直すのだが、教員が不足していたため、学生をしながら教員をするようなことをしていた。そして、その頃、サンパウロの都市計画コンサルタントがクリチバ市のマスタープランを作成するので、それを手伝ってくれとジャイメ達にお願いする。そして、一緒にマスタープランを作成するのだが、内容が気にいらなかったジャイメ達は大幅に変えてしまう。そして、そのマスタープランの提案としてつくられたIPPUC(クリチバ都市計画研究所)の初代所長となる。
そして、1971年にクリチバの市長にパラナ州知事によって任命されるのだが、その当時の市長は軍事政権下であり、あくまでもトップダウン。いつ首になってもいいような位置づけであった。イラーニャさんによれば、マスタープランの作成をし、IPPUCの所長であったジャイメを市長に任命するのは、市長の重みが軽い当時としては、それほど不思議ではないと言いつつ、このマスタープランを一緒に作成したレルネル氏より年輩のフォーティナイト氏は、この人事が随分と面白くなかったようだ。それから、ほぼ絶縁をして、レルネル氏と付き合うことはなかったと言う。このフォーティナイト氏は、自分が市長に任命されると確信していたそうで、レルネル氏が任命されたのは想定外であったそうである。なぜ、フォーティナイト氏ではなくて、レルネル氏なのか。それは、州知事との相性だったのではないか、というのがイラーニャさんの推察である。ちなみに州知事も任命制なので、こういう首長的ポストは現在とはまったく違う、ということのようである。
他にも中村ひとしさんとの凸凹コンビの話、レルネルさんの日本での思い出話、ぼろい中古車しか買ってくれずに恥ずかしい思いをした話などをしてくれた。改めて、ジャイメ・レルネル氏と知り合ったことが自分の人生にとっていかに貴重で有り難いことであるかを確信するような一日であった。
映画『MINAMATA』 [映画批評]
ジョニー・ディップ主演の『MINAMATA』を観る。2021年に公開された。ジョニー・ディップ演じる写真集『MINAMATA』を出した写真家ユージン・スミスと妻のアイリーンとの実話である。久々に映画の価値を再確認させてくれたような迫力ある、そして観るものに強く訴えかける作品だ。ジョニー・ディップの演技は流石で、この映画を鑑賞したアイリーンは撮影中に「ユージンがいる」と思えた瞬間があったと述べていたそうだ(Buzzfeed News 2021/08/28)。
ただ、残念だなと思ったのが、ロケが水俣ではないこと。どこかは特定できてないが、ワシントン州かカナダのブリティッシュ・コロンビア州のような印象を植生から受ける。建物もアメリカ人からみたら日本的かもしれないが、日本的ではない。そして、一部の子供たちが明らかに日本人じゃないことも強い違和感を覚える。アイリーンを演じたフランス人と日本人のハーフである美波は、それほど気にはならないというか、むしろこの映画にはプラスな印象を覚えたが、子供が日本人ではないのは水俣病を題材として扱う映画としては、例え水俣病に侵されていない子供だとしても、ここは日本人を配役してもらいたかった。
とはいえ、久しぶりにその世界にのめりこめるような映画を観た。MGMはジョニー・ディップのイメージがこの映画で下がるだろうと懸念して、この映画の配給に反対したようだが、いや、むしろ個人的にはジョニー・ディップのイメージは相当、上がった。流石の名優である。
ただ、残念だなと思ったのが、ロケが水俣ではないこと。どこかは特定できてないが、ワシントン州かカナダのブリティッシュ・コロンビア州のような印象を植生から受ける。建物もアメリカ人からみたら日本的かもしれないが、日本的ではない。そして、一部の子供たちが明らかに日本人じゃないことも強い違和感を覚える。アイリーンを演じたフランス人と日本人のハーフである美波は、それほど気にはならないというか、むしろこの映画にはプラスな印象を覚えたが、子供が日本人ではないのは水俣病を題材として扱う映画としては、例え水俣病に侵されていない子供だとしても、ここは日本人を配役してもらいたかった。
とはいえ、久しぶりにその世界にのめりこめるような映画を観た。MGMはジョニー・ディップのイメージがこの映画で下がるだろうと懸念して、この映画の配給に反対したようだが、いや、むしろ個人的にはジョニー・ディップのイメージは相当、上がった。流石の名優である。