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オルタナ教育に関心をもつ「ゆとり世代」の学生達 [教育論]

オルタナをテーマとして学生達に発表させている。発表のテーマは学生達に決めさせている。学生達はそれほど創造的ではないので、オルタナ教育、オルタナ・エネルギー、オルタナ医療、オルタナ・ツーリズムなど、発表するテーマはここらへんにほぼ収斂されている。とはいえ、興味深い。オルタナとは既存のシステムを塗り替えるポテンシャルであると捉えられる。そして、既存のシステムをスクラップして、新たな価値を創造することで人間はクリエイティブになることができた。例えば、オルタナ・ミュージックであると、エルビス・プレスリー、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、ニルヴァーナなどは、世に出てきた時はオルタナであった。そして、その過激さ、従来にはないスタイルは、それ以前のメジャーのものをマイナーに追いやっていくことによって、自らがマイナーからメジャーへと置き換わっていった。
 若者には、そのようなクリエイティブな発想によって、世の中をよりよくしていた事例を研究することで、ちょっと創造的な思考を学んで欲しいと考えたりして課題を出している。
 さて、ここでちょっと指摘したいのは、多くの学生がオルタナ教育を選んでいるということだ。そんなに現状の教育システムに不満を抱えているのだろうか。ちょっと可哀想である。私はオルタナ教育というのが、それほど効果的であるとは思わないのである。もし、本当に効果的であるのなら、既存のシステムを置き換えると思うからである。
 ある意味で、「ゆとり教育」はオルタナ的な試みであったと思われる。文科省が指導したので、トップダウンであるために、あまりオルタナという印象を持たれないかもしれないが、既存の「詰め込み」教育に代替する教育として始められたオルタナ的アプローチとして捉えられるのではないだろうか。そのようなオルタナ的な教育を受けた学生達が、自分達が受けたのとは違うオルタナ教育に興味を持っていることが面白い。
 また、これはしっかりと検証していないのでいい加減なことは言いにくいのだが、ゆとり教育世代は、本当に好奇心がなくなっている。また、新たな価値を創造しようといった姿勢に乏しい。新たな価値を創造するようなことほど、生きている喜びを感じさせることはないと思うのだけど、そういうことでさえ面倒臭いと思うような学生が多い。消費は好きだけど、創造を含めて生産に興味がない。多くのことが面倒臭いので、まじめに考えることも少ない。まじめに考えるのは面倒臭いからなあ。
 そのような自分ではないように教育してくれたらといった願望があるからこそ、オルタナ教育に関心を持ったのだろうか。そうであったら、ちょっと悲しい。
 

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