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コロナウイルス蔓延の結果、「ケ」と「ハレ」の境界が曖昧となっている [サステイナブルな問題]

コロナウィルスが蔓延して、ウィズ・コロナというライフスタイル・ワークスタイルを強いられている。その結果、日々における「ケ」と「ハレ」の境界が曖昧となっていると思われる。というか、「ケ」が「ハレ」の領域を侵蝕し、結果「ハレ」が縮小していると思われる。そもそも、この「ケ」と「ハレ」というような分類は、ネット環境ではぼやけていた。ユーチューブで流されるコンテンツは、日常的なものも非日常的なものもフラットになる。そのような「ハレ」が「ケ」から差別化することが難しくなっているのにダメ押しをするような形でコロナウィルスの感染拡大が生じた。
 コロナウイルスは、お祭りやイベント、といった「ハレ」的な活動を大きく規制させることになった。結果、「ハレ」消費が大きく縮小している。海外旅行とかはもちろんだが、国内旅行も相当、縮小化しているし、ちょっと気張った外食も減っている。日常的な「ハレ」行為でもある飲酒も減っている。これらは、消費動向に如実に現れていて、ユニクロやマクドナルドが売り上げを増やし、小洒落たアパレルや飲み屋は売り上げを大きく減らしている。もちろん「ハレ」的なものがおしなべてダメになっている訳ではなく、星野リゾートのようなしっかりとしたサービスを提供できているところは、売り上げの減少が他に比べると少ない。矮小化していく「ハレ」市場においては、競争力がないところから淘汰されていることが読み取れる。
 コロナウイルスは、生きていくうえで「ケ」的なエッセンシャルなものだけを取捨選択しているようにも思える。そして、「ハレ」はよほど競争力がないと篩いにかけられていく。そういう点では、ある意味、相当、資本主義的な厳格さを伴っているとも思われる。そのように考えると、バイデンが実施したような交付金的な行動は正しいかとも考えられるが、それはハードランディングを回避することはできても、長期的にまで現状の産業構造を維持させることにはならない。つまり、このコロナウィルスによって、大きく産業構造や人のライフスタイル、ワークスタイルは変革を余儀なくされると考えられる。
 なかなか、そのトランスフォームしている過程においては厳しいことも生じるかもしれないが、生き延びていくためには、その変革は必要不可欠である。そして、このパラダイム・シフトをした新しい世の中のフレームワークは、それ以前のものに比べてよりサステイナブルであることは間違いない。自分が大好きなものも、下手したら自分の命をも失うようなリスクを伴うトランスフォーメーションではあるが、その荒波にうまく乗っかって、岸に辿り着きたいものである。

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