SSブログ

司馬遼太郎の『坂の上の雲』のあとがきを読み、秘密情報保護法案の愚かさについて考える(パート2)  [サステイナブルな問題]

昨日に続き、本日も司馬遼太郎の『坂の上の雲』から引用をしたい。

「(前略)英国の場合は、政府関係のあらゆる文書は三十年を経ると一般に公開するという習慣をもっている。その文書類を基礎に、あらゆる分野の歴史家が自分の研究に役立ててゆく。アメリカもイギリスも、国家的行動に関するあらゆる証拠文書を一機関の私物にせず国民の公有のもの、もしくは後世に対し批判材料としてさらけ出してしまうあたりに、国家が国民のものであるという重大な前提が存在することを感じる。
 日本の場合は明治維新によって国民国家の祖型が成立した。その三十余年後におこなわれた日露戦争は、日本史の過去やその後のいかなる時代にも見られないところの国民戦争として遂行された。勝利の最大の要因はそのあたりにあるにちがいないが、しかしその戦勝はかならずしも国家の質的部分に良質の結果をもたらさず、たとえば郡部は公的であるべきその戦史をなんの罪悪感もなく私有するという態度を平然ととった。もしこの膨大な国費を投じて編纂された官修戦史が、国民とその子孫たちへの冷厳な報告書として編まれていたならば、昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて瀆武(とくぶ)の行為をくりかえし、結局は日本とアジアに十五年戦争の不幸をもたらしたというようなその後の歴史はいますこし違ったものになっていたに違いない」

ふうむ。「国家的行動に関するあらゆる証拠文書を一機関の私物にせず国民の公有のもの」とするのは、「国家が国民のものであるという重大な前提が存在する」ということであるのか。とすれば、秘密情報保護法案でほぼ永久に情報を秘密にすることも可能な法律ができてしまうこの国は、「国家が国民のものである」という前提がないからなのか、ということが分かる。少なくとも自民党の人達は「国家は国民のものである」とは到底、考えていないのであろう。だから、デモとかがテロと思えてしまうのである。あのデモをやっている国民達が国家である、ということが分かっていないからだ。そういえば、自民党のポスターは「日本を取り戻す」というコピーであったが、これは国民から自民党が「取り戻す」ということであったということが、まあ、このあとがきを読んでつくづく理解できた。そして、自民党に日本を「差し上げた」人達が、何をされようと文句は言えないなとも思う自分がいる。問題なのは、自民党に票を投じなかったけど多数決で負けてしまったので、従わなくてはいけない状況に自分がいることだ。とりあえず、東京都知事選で宇都宮さんを応援するか。
nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1