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「都市は問題ではなく解決である」。しかし、都市を金儲けの道具のために使うと、都市は解決ではなくて問題となる。 [都市デザイン]

 「都市は問題ではなく解決である」。ジャイメ・レルネルはよく言う。しかし、都市を金儲けの道具のために使うと、都市は解決ではなくて問題となる。道路をつくるのは、問題を解決するためである。Aという場所とBという場所とをつなぐことで、AとBという場所が交流できる。AもB も例えば、おのおのではサッカー場をつくるには町が小さすぎるかもしれない。しかし、AとB が道路でつながれることによって、どちらかにサッカー場が整備できるようになるかもしれない。これは、病院とかでも言えることだし、例えば鉄道駅がAにできたとしたら、道路ができることで、Bの人達もその駅を利用できることになるかもしれない。そのような場合、この道路はいろいろな問題の解決に繋がるのである。さて、しかし、道路はこのような解決をもたらす以外にも幾つかの効用がある。それは、道路をつくるのにはお金がかかるということだ。お金がかかるということは、誰かがお金を得るということであり、道路をつくることで利益を得る人がいるのである。普通、お金をもらうためには、誰かがお金を払わなくてはならない。そうすると、一般的にはお金を払う人は、そのお金に相当する価値があるかないかを判断するので、それほど無駄なものはつくられない。しかし、道路のお金は税金から支払われる。税金の使い道は、それほど一般的には関心が持たれないので、無駄な道路がどんどんとつくられてしまう。さて、どんどんつくられても、それによるマイナス面がなければ、その地域は無料で貰えるなら、とりあえず貰っておこうか(つくってもらおうか)ということになるであろう。しかし、道路は残念ながら、問題も生じてしまう。これらの問題とは、交通事故や移動エネルギーが非効率になること、排気ガスや騒音などの発生、歩行環境が大幅に悪化することや、買い物難民が生じるなどが挙げられる。すなわち、最初は素晴らしい解決であった道路という社会基盤が、問題へと転じてしまったのである。同じ事はエネルギーにも言える。エネルギーは多くの問題を解決する。しかし、一方でエネルギーを原子力といった危険極まりない方法でつくることによって大儲けする人達が現れ、それを過度に推進させたことで事故も生じたし、常識的には考えられないような非常識なことがらが生じてしまっているのだ。
 ブラジリアという都市の問題は、そもそも都市に問題がなかったのに敢えてつくってしまったことにあるだろう。それは、国の問題を解決するために整備された。そういう点では、国土開発の地域的バランスを促すなどの成果は多少、あったかもしれないが、そこで生活する人達の問題を解決するようなアプローチはほとんど採られなかった。要するに、そこで生活する人の問題を解決しようと考えられてこなかったのである。少なくとも、最近までは。いや、最近でもクリチバ市顧問で、前パラナカトリック大学の建築家の教員であったフェルナンデス・カナーリ氏は、ブラジリアはお金を大量に浪費する道路をつくることを優先していると批判しているので、状況は改善しないかもしれない。
 「都市は問題ではなく解決である」。私も強くそう思う。しかし、そこに金儲けの要素が入ると、都市は問題となる。そして、然るがゆえに、都市開発に民間が関与すると解決が問題となるのである。タモリが「大企業が考える都市計画っていうのはどこも同じで、
歩きたいような街というよりも、泣きたくなるような街だよね。」とツイートしたことがあるが、それは金儲けを優先してしまったからである。
日本、アメリカにおいて郊外開発が往々にして失敗するのは、そのせいであろう。とはいえ、役人も都市を解決しようという強い目的意識を有していないので、結局、なかなかうまく行かない。しっかりした問題意識を持った優秀な市長、公務員がうまく機能し、民間の力をうまく活かした都市政策を展開すれば、都市は問題ではなく解決になる。クリチバ、ブラジリア、サンパウロを旅して、つくづくそのことは私にとって明らかになった。

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