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アメリカの大学教授による世界で最も成功した都市計画事業30に大いなる異論を唱える [都市デザイン]

パースの都市計画学会で、ペンシルベニア大学のアメリカ人の教授が、「世界で最も成功した都市計画事業30」という発表をした。ちなみに、彼は結構、有名でそれなりに知られている教授である。私も実は個人的にも知っている先生で、学生時代に講義も受けたことがある。非常に教えるのが上手くて、分かりやすい講義をしてくれた記憶がある。

さて、しかし、この「世界で最も成功した都市計画事業30」という発表はひどかった。選定の基準として、アメリカのものを除く、そして1985年以降といった制約を課していたのだが、コペンハーゲンのストロイエやクリチバのバスシステムが入っていた。ストロイエは1962年、クリチバのバス・システムも1970年代にほぼ完成しているし、計画が策定されたのは1960年代後半だ。ちなみに、この発表での資料すべて、クリチバはCuriatibaと書かれていた。スペルもいい加減なのである。

まあ、そのような細かい点はともかく、より問題としたいのはその選定である。ドイツから選定されたものはベルリンのポツダムプラッツ、日本は六本木ヒルズ、だけである。さらにフランスのTGVが選ばれて新幹線は選ばれていない。新幹線は1964年だから、まあしょうがないかなとも思ったが、TGVを出すのはちょっと勉強不足であろう。そもそもTGVもパリーリヨン線が開業したのは1981年だから1985年より早い。これはヨーロッパに住めばすぐ分かることだが、TGVはダイヤ通りに運転できない。運行頻度は新幹線に比べて遙かに少ないにも関わらずである。私はTGVを新幹線と同じように利用して、なんどもひどい目に合っている。飛行機に乗り遅れたこともあるし、接続する電車に乗れずに、国境越えにタクシーを利用させられたこともある。新幹線とはまったくもって比較にならない三流品である。経営状況も新幹線とは比べものにもならないだろう。サービスは歴然として新幹線の方が上である。ヨーロッパ人で日本の新幹線に乗ったことのある都市計画・交通計画関係者で新幹線よりTGVが優れているという人間は皆無に近いと思われる。これは、しかし、この先生はおそらくそういうことが分かっていないので挙げているだけであると思われる。聴衆をバカにするのもいい加減にしろと思う。

六本木ヒルズの選考も極めて怪しい。というのは、彼は20年以上も東京どころか日本を訪れたことがないからだ。六本木ヒルズは興味深い開発であるし、汐留よりは遙かにましだと思うが、東京で選ぶとしたら代官山ヒルサイドテラスであろう。そして、鉄道ネットワークだろう。一事業者での事例ではないというのであれば、営団地下鉄だっていいと思う。世界一の奇跡的な都市的資産であり、人類の最高傑作でもある。

あとドイツに関してもポツダム広場はないでしょう。いや、それほど悪いとは思わないし、挙げてもいいとも思われるが、ハンブルグのハーフェン・シティやデュッセルドルフのラインプロムナードに比べて傑出しているとは思えないし、IBAエムシャーパークを忘れているのではないか。ボトムアップという手法を導入したという点では同じベルリンでもIBAクロイツブルクも考えるべきだし、フライブルクのファウバーンも候補に入るであろう。これらの多くのプロジェクトからポツダム広場を選ぶのはどうかと思う。というか、しっかりとした考えがあればともかく、たまたまドイツの事例としてポツダム広場を知っていただけというような印象を受けた。まるで学生の手抜きレポートのようだ。

もちろんチョンゲチョンやビルバオなど、まあ妥当な選択もない訳ではないが、それらもしっかりとプロジェクトを理解しているというよりかは、ウェブサイトによく英語の紹介記事が出ているという程度の認識のようであった。その選定をするうえで参考にしたのはウィキペディアだと宣い、ウィキペディアは使えるとまで言い放った。

さてさて、私がここで問題にしたいのは、このプロジェクトの選考というよりかは、このような極めて恥知らずな内容を発表できるのは、この発表者がアメリカ人であるからだと思われることである。ここまで唯我独尊の発表ができるのは、彼が英語という「国際語」を駆使し、世界のリーダーであると勝手に思っているアメリカ人だからであると思われることだ。英語ですべての情報が入手できるという誤解というか傲慢。英語で情報が供給される中で、価値や評価が決定できるというイノセントな図々しさ。英語圏だけで人生を送ってきたために、英語以外で発信されている多くの情報や英語を母国語としない人達の異なる価値観をあまりにも過小評価している。しかも、そういうことをそこらへんの無知なドクターの学生ではなく、もうベテランの大先生がしているのだ。似たようなことは、アラン・ジェイコブスの『グレート・ストリート』を手にした時にも感じた。ようするに、グレートとか最も成功した、などという評価を平気に下せる傲慢さを、無邪気にアメリカ人は有することができるのだ。それに対して、私はジェイコブスにしろ、この発表者の先生にしろ、大学院で講義を受けたことがあるにも関わらず、猛烈な反発を覚えるのである。グレートというなら、もっと世界中のことを知ってから言うべきだろう。私はこの先生やジェイコブ先生に比べればノミのような存在である。しかし、それでも日本語はもちろんのこと、英語だけでは情報収集に偏りがあるとドイツ語を学んだ。しかし、それでもドイツ語のレベルの低さを棚に上げてであるが、スカンジナビア関係の言葉を勉強しておけばよかったと後悔する時もある。コペンハーゲンやスウェーデンの資料が読めないからだ。

私は以前、クリチバのジャイメ・レルネル元市長の『都市の鍼治療』という本を中村ひとしさんと共訳したことがある。レルネルさんは、「最も成功した」とか「グレート」だとかは決して言わない。しかし、この都市のこのプロジェクトはいいよね、とか、ある都市のバーで飲んだ酒とサービスは最高だった、というような表現で世界中の都市の素晴らしさを語った。それだけで十分ではないか。都市計画のプロジェクトや、都市の道路にいちいち、ムーディーズが企業の投資評価をするようなランキングをつけるという考え自体が、都市をつまらなくさせているのかが分からないのであろうか。私はレルネルさんの本を翻訳している時、これらの都市をできる限り、自分の目で確認しようと回った。レルネルさんが語る言葉を頼りにパリを訪れると、それまで自分が知っていたパリと全然、違うパリの魅力的な側面が見えてきた。バルセロナを訪れた時は、ガウディだけでなく、レルネルさんが好きなドメニクの建築をもチェックしたことで、ガウディだけではないバルセロナの都市の個性を知ることができた。レルネルさんは都市を楽しむことの天才だ。それは、ランキングのような下らないことを、あたかも神のようにしようと考えるつまらない輩には出来ない芸当であろう。

この怒りをどこにぶつければいいのか、と考えていた時に、ちょうどドルトムント工科大学の知り合いのドイツ人からメイルが来たので怒りの共有化を図った。彼は、まあ私に対しての親切心からかもしれないが、「アメリカ人がどうこうヨーロッパの都市を宣うのを鵜呑みにしないぐらい、君がヨーロッパの都市のことを知っているのは嬉しいことだよ」と返事をしてくれた。

アメリカ独尊主義は、学会でも支配的だ。私は、やはり国際学会だと三流だと思われているのではないかと疑う時がある。それは、私が三流であることもあるが、三流国から来ているという偏見もあるかもしれないと思う。これは、どちらかというと非英語圏のヨーロッパよりも、英語圏の国において感じることだ。他の多くの日本人発表者は、ちょっと受け入れられただけでハッピーみたいな印象を受ける。しかし、本当にしなくてはならないのは、この糞うぬぼれている英語独尊主義の奴らをしっかりと啓蒙することなのである。彼らの英語至上主義的価値観に楔を打ち込まなくてはならない。王様は裸であることを、しっかりと知らしめることが必要だ。ということを日本語ではなくて英語で書くべきか。もしかして?

といいつつ、所詮、原発事故を起こしてしまった国民だからなあ。この事故が、いかに国際的な交渉を個人レベルからも不利にしていることをもっと、自覚した方がいいと思うんだけどなあ。私も風評被害で東電を訴えたいくらいだ。原発事故を起こした日本人が何を言ってるんだ、と言われたら、もう何も反論できなくなっちゃうからなあ。何を言われても、唇を噛みしめるしかないだろう。ちなみに私がアメリカ人だったら、そういうことを日本人に言いそうな気がする。ああ、本当に原発の事故は悔しくてはらわたが煮えくり返る。アメリカ人の先生の発表にも悔しい気分にさせられたが、さらに原発を思い出すと悔しさが倍加する。


都市の鍼治療―元クリチバ市長の都市再生術

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  • 作者: ジャイメ レルネル
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本



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